2016/12/31

神は盲従を要求する専制君主

 もと無意識的に行われた風俗習慣が神の命令として意識的に守るべきものとなり、その上ますます煩雑なる規定を加えるに至っては、律法の宗教的意義は問題とならざるを得ない。モーゼの五書を始めとしてその問題を解決せんとする企ては全くなかったではない。しかし数限りなきそれらの規定に一々合理的説明を与えんは到底不可能であった。とどのつまりユダヤ人の与え得る答えは、単に神の意志だから、神の命令だから、というに過ぎなかった。
 かくして神は、ただ否応なしに盲従を要求する専制君主となった。宗教は服従となった。「死人が不浄なるに非ず、水が浄むるにも非ず、神が律法を定めたるなり。書き記されたる神の命令は何人も破るに能わず。これ律法の命ずるところなり」という、第一世紀後半の有名なる学者ヨナタンの言によっても、またおのが敵なる祭祀らを肥すのみと知りつつも神殿に対する納税をきわめて厳密に実行したるパリサイ人らの振舞を見ても、ユダヤ教の精神は明らかである。敬虔ふかきユダヤ人が、かこたず、つぶやかず、解すべからざる神意に従順なりしその真面目なる態度は、少なくとも吾人の同情に値する。
 しかれども惜しいかな、宗教的生命の萎縮はその必然的結果であった。内容そのものに価値あるのではなく、命令という形式のみが大切である以上は、宗教は勢い、機会的形式的となり、ただ外形にのみ拘泥して精神を没却し、ついには内部の生命の枯れ果てた遺骸となりやすい。体裁、見え、偽善などのはびこったのは自然である。

波多野 精一「基督教の起源」

2016/12/29

先頭と殿に最強者と中間に最弱市民

 「だがそれは」とソークラテースは言った。「将軍学の一小部分に過ぎぬ。なぜかというと、将軍は戦争のための軍備一切をととめえ、そして兵士たちに糧食を供給できなくてはならなぬし、それから奇策縦横で活動的で注意細密でなくてはならず、柔和でるとともに残忍であり、率直であるとともに策謀的であり、用意堅固であり攻撃的であり、その他たくさんのことに、あるいは生まれながらに、あるいは学習によって、参軍を率いんとする者は練達しててなくてはならぬ。軍列の配備に長ずるのはもとより良い。なんとなれば軍隊は陣列の見事に配置されたのは、でたらめなのとくらべて、大変なちがいだからだ。それはあだかも石と煉瓦と木材と瓦とが乱雑に投げ出されてあるのはなんの役にも立たないが、これに反して、腐ること崩れることのない石と瓦とが下と上に配置され、中間に煉瓦と材木とか、建築におけるごとく組み立てられると、そのときはまことに価値のある財産、家が出来上がるに等しい。」とソクラテースは言った。
 「そうです」と青年は言った。「ソークラテース、おっしゃるとおりです。なぜと言って戦争ではもっとも強い兵士を先頭と殿にに配置し、中間にもっも弱い兵士を入れ、こうして先頭にみちびかれ殿に追い立てられるようにしなくてはならないからです。」
 「そうだ、もし彼が優秀な兵士と劣等な兵士の見分け方を教えたならそれでよい。しかしそうでなかったなら、君の学んだことがなんの役に立つのか。たとえば、もし将軍が君に命じて、もっとも上等な銀貨を先頭と殿とにおき、中間にもっとも下等な銀貨を入れるように言って、真物と贋金との鑑別を教えなかったならば、君はなんの役にも立つまい。」とソークラテースは言った。

クセノフォーン「ソクラーテース」の思い出

2016/12/26

むごたらしく非人間的な獄門と成敗の死刑

 徳川時代の司法権は各藩がもっている。ーしたがって刑法にも、藩ごとの掟がある。だが、死刑だけは、幕府の許しがないと執行できなかった。その死刑にも階級があった。会津藩の掟でみると、一番軽い死刑は「牢内打首」とよばれた。牢内の刑場で首を斬る。庶民には見せないのである。エリザベス朝のイギリスでも、ロンドン塔の中庭で首を斬られるのは、死罪にたいする軽い扱いであった。ロンドンの塔の死罪で一番軽いのは絞首であったが、徳川時代には、絞首はない。そのかわり一刀で、ばっさりと斬る。ロンドン塔の打ち首は斧で打ちおろされた斧でするのである。エリザベス女王の寵臣エセックス伯爵が彼女自身の判決で処刑されたとき、発止と打ちおろされた首斬人の斧は、三度目にようやく首を落とすことができたとつたえられている。
 「牢内打首」より一段と重い死刑は、牢内打首と同じ段取りで打った首だけをさらに梟首するもので「獄門」よばれるのがそれであった。多くの藩では竹三本を三股にむすんで、その股に首をはさんだものだが、会津藩では五寸角ほどの材木を高さ六尺ほどに二本建て、そのうえに三尺ほどの横木に鉄釘をうったのに首をうったのに首をさして曝した。この獄門よりもひとつ重いのが、「成敗」であった。
 成敗は牢内仕置場で執行される死刑の最も重いもので、刑場には三角形の「土壇」を築く。罪人ほ裸にして右脇を土壇に当て、右手は土壇に立てられた竹に縄でしばりつけ、左手は助手が引っばっている。そして正面かせ、罪人の左肩から右乳へかけて斜めに「袈裟斬り」わする。これがすむと別の土壇に捉えて首を刎ねる。ついでその首を土壇に埋め、額だけを露出させ、二人の刑手が板の両端をもって首の頭上を抑えている。その露出した額をやりで三カ所突いて、首を洗って獄門にかける。成敗か単なる獄門かは、額の傷でわかるのである。

服部 之総「黒船前後・志士と経済」

2016/12/24

我が国体に特種の意義がある

   古来歴史上に現われている人物は、善かれ悪しかれ、社会の水平線上に出でた人々である。さりながら現代の栄枯盛衰が必ずしも公平を保たれないように、歴史上の人物にもまた幸不幸があるのを免れぬ。階級的社会においては、いわゆる人物は上流の貴族であるとか、武士であるとか、ないしは僧徒等に偏しておって、その時代に劣等視された百姓町人等にはたとい相当の人物があっても歴史に現れない。
 また中央集権の世の中では、地方の人物はとかく中央の歴史に載らぬがちである。同一の事業でもそれに先鞭を着けながら成功しなかったものは聞こえぬ代わりに、その功を収めた人が盛名をほしいままにする。されば歴史上に現れた以外に人物がないと思うのは以てのほかである。歴史家は常にこの点に注目して遺漏なきを期せねばならぬが、別けても地方の人士はその地方の隠れたる人家を表彰する義務がある。さすればまた地方の人物と違って印象も深く、地方の人心に影響し風教に被補することも鮮少ではあるまい。近時各地に行われる先人頌徳の事業はこの点において意義ありというべきである。そもそも祖先を崇拝することは我が国体において特種の意義がある。

三浦 周行「新編 歴史と人物」

2016/12/22

危険と死を収穫する人々で君主の富と勢いが強まる

 アジアとヨーロッパの住民の性質・体格の相違については以上のとおりである。住民の無気力と勇気のないことに関してであるが、アジア人の方がヨーロッパ人よりも戦闘的ではなくて気質が温和であることの主要原因は、その諸季節が暑熱、寒冷のどちらでも激しい変化を示さず、平均していることである。すなわち精神の衝撃や身体の激しい変調がおこらないから、気質が始終同一の状態に保たれずに猛々しくなったり無鉄砲や勇猛になる、ということがないからである。あらゆる物の変化にこそ人間の精神を掻き立てて平静をゆるさないものである。
 思うにこの理由によってアジアの諸族は柔軟なのであるが、他に制度もこれに役立っている。すなわちアジアはその大部分が王の統制下にある。人間が自分自身を統治せず、独立ではなく専制君主の下にあるところでは、人々は武勇を練ることよりも、かえって戦闘力ををもたないように装おうと努める。両者の危険はくらべものにならないからである。君主のために軍務に服し労苦をなめ死をおかし、妻子その他の身内と鑑別することを強いられるであろう。彼らのなしとげるて手柄と武勲によってその富が増大し勢いが強まるのは君主たちであり、危険と死を収穫するのは彼ら自身である。
 さらにまた、このような人々の土地は戦争と放置によって荒廃させられるのである。だからして、よし生来勇敢で元気のある者までも、制度によっては気質が変化するものである。そのはっきりした証拠は次のとおりである。アジアにいるギリシア人にせよ異邦人にせよ、専制君主の下になくて独立し、自分たちの利益のために労苦する人々は、あらゆる人々のうちでももっとも尚武である。彼らは自分たち自身のために危険をおかすのであり、その武勇に対する褒美も自分たちが得、その卑怯な振舞いの罪も自分たちが受けるからである。

ヒポクラテス「古い医術について」

2016/12/19

純蒙古人は無分別と頭がないと往々非難する

 しかし、私はなおまた日本において見る種類の人間を、特にここで見る三種の中の一つー即ち低い扁平な鼻を有った純蒙古人種なる、それ自身においては決して美しいとは言われない、しかも私にはきわめて同情のできる、聡明な、快活な、人懐っこい、温情のある、そして同時に抜け目のない人間を見ることのできないのが物足りないであろう。これらの人々を私は常に自分の側に置いておきたいと思う。家人または同居人としては、私は彼等よりもさらによき、さらに物静かな、さらに要求するところ少きかついずれの点においても気の置けない人間を知らない。
 日本人が往々外人やまたは彼ら同士を満著したり、欺いたりするようなことがあってもーそれも大抵些細な事であるー、それくらいの事は言うに足りないではないか! その遣り方もきわめてナイーヴである、そして日本人はその欺瞞的行為を隠蔽したりもしくは弁解せんと努めるようなことは少い、それであるから日本人に対して真面目に腹を立てるなどということは実際できないのである。ーそれから病人の世話をしたり看病したりするには、日本人は、その親しみのある性質と、その辛抱強いことと、その優しいかつ器用な手先の故に、まさに理想的に完全なる資格を具えている。
 日本人は忘恩だ不信だと言って往々非難する者がある。私が私の日本においては経験しなかったところである。私はむしろその反対を経験した。更にまた私に対して感謝の心を失わずかつ忠実であるのみならずー私は日本人が義務に忠実なることを発見した。日本人にしても忘恩や、不信や、更に進んでは意地悪の観を呈する、もしくはそう解釈されうるような行為があるとしても、それは、精察すれば、日本人が物の感じ方、ならびに感じの表し方において我らとは多くの点において異なっているということ、日本人が西洋の習慣を知らざること、もしくは無分別と無思慮すなわち頭のないにほかならないからである。

ラファエル・フォン・ケーベル「ケーベル博士随筆集」

2016/12/17

邪悪に委ねた高位や勢力は害悪を及ぼす

 さて高位や勢力に関しては、私は何を語るべきであらうか。まことの高位やまことの勢力を知らないお前たちは、これらを天に比しても尊んでいる。しかしこれらが、最も邪悪な人々に委ねられたとしたなら、如何なるエトナの噴火が、又如何なる洪水が、そのように大きい害悪を与え得よう。お前も思い出すことであろうが、たしかにお前たちの祖先は、自由の起源であった執政政治を、執政官たちの傲慢の故に廃止しようと望んだ。又その以前に於いて、同様の傲慢の故に、彼等は王の称号を国から追い払った。だが高位や勢力が正善な人々に委ねられる(それは極めてまれにしかないことだが)としたなら、その際立派なのは、その高位や勢力の保持者の正善以外の何物であらうか。すなわち、徳が位のために尊ばれるのではなく、逆に、位が徳のために尊ばれるのである。
 一体、お前たちが望んでいるその輝く勢力とは如何なるものであろうか。おお、地上の生物よ、お前たちは誰が誰に対して支配することになるかを考えないであろうか。もし数匹のハツカネズミの中にあって、或る一匹が他に対し権利と勢力とを潜するのを見たとしたら、お前はどうな哄笑に誘われることであろう?
   ところで、肉体を顧みる限り、お前は人間より弱い何物も発見し得まい。小さいハツカネズミに噛まれても、また毛虫や蛇が体内に入り込んでも、しばしば死ぬのだから。だが、或人が他の人に対して或る勢力を振る場合、どうしてその肉体と肉体に従属するものー換言すればその人の外的所有物ーとに対して以外に之を及ぼすことが出来ようか。お前は、自由な精神に向かって何事かを命じ得るであろうか。お前は、確固たる理性に従って自己統制のとれている精神をその本来の平和状態から掻き出すことが出来るであろうか。かつて或る暴君が、或る自由人に対し、拷問をかけることに依って、自分へ企てられた陰謀への関与者を白状するように強制しているつもりでいたところが、その自由人は舌を噛み切って、猛れる暴君の顔へそれを吐きかけた。こうして、暴君がその残酷さを示すようすがと考えていたところの拷問を、賢人は却ってその徳を顕す機会となしたのであった。

アニキウス・マンリウス・セヴェリヌス・ボエティウス「哲学の慰め」

2016/12/15

戦争・恐怖・麻痺・奴隷状態は信念を消し去る

 人間の風刺喜劇、戦争、恐怖、麻痺状態、奴隷状態ーこういうものが君の神聖な信念を日に日に消し去ってしまうであろう。これらの信念は、自然の探求者として君が抱懐し、受け入れたものだ。だから君はつぎのようにしなくてはならない。すなわちなにを見るにもおこなうにも、目の前の務めを果たしながら同時に思索の能力を働かせるように心かげけ、各々の事柄に関する知識からくる自身を人知れず、しかしわざわざ保ち続けることだ。
 いったいいつ君は単純であることを楽しむようになるのであろうか。いつ品位を持つことを?また個々の物に関する知識、たとえば本質においてそれがなんであるか、宇宙の中でどんな場所を占めるのか、どのくらい間存続すべく創られてするか、それを構成するものはなにか。誰に属しうるものであるか、それを与えたり奪ったりすることのできる人々は誰か、等の知識を楽しみとするようになるのはいつだろうか。
 隣の枝からきりはなされた枝は、樹全体からもきりはなされずにはいられない。それと同様に、一人の人間から離反した人間は、社会全体から落伍したのである。ところが枝は他の者がこれをきりはなすのであるが、人間のほうは。隣人を憎み嫌うことによって自分で自分をその隣人からひきはなすのだ。しかも彼はそうすると同時に共同社会の全体からも自分を削除したことを知らないのである。ただしここで注意すべきことはこの共同体の創設者であるゼウスの神が与え給うた賜であって、そのお陰で我々は再び隣の枝に結合して全体として完全なものに復することが許されているのである。しかしこういう離反がたびかさなると、はなれた部分がふたたび結合して元どおりになるのは難しくなる。一般にいうと、最初から樹とともに呼吸し続けた枝は、ひとたびきりはなされ、後にふたたび接木された枝とは違う。これは庭造りたちのいうところである。だから同じ幹の上で成長せよ。ただし意見は同じうしなくともよい。

マルクス・アウレーリウス「自省録」

pyc4 

2016/12/12

帝国主義は愛国心を経となし

 我国民を膨張せしめよ、我版図を拡張せよ、大帝国を建設せよ、我国威を発揚せよ、我国旗をして光栄あらしめよ。これいわゆる帝国主義の喚声なり。彼らが自家の国家を愛するや深し。
 英国は南阿を伐つてり、米国は比律賓を射てり、独逸は膠州を取れり、露國は満州を奪えり、仏国はファショダを征せり、伊太利はアビシニアに戦えり。これ近時の帝国主義を行うゆえんの較著なる現象なり。帝国主義の向かうところ、軍備、もしくば軍備を後援とせる外交のこれに伴わざるなし。
 然りその発展の跡に見よ、帝国主義はいわゆる帝国心を経となし、いわゆる軍国主義を緯となして、もって織り成せるにあらずや。少なくとも愛国心と軍国主義は、列國現時の帝国主義は、列国現時の帝国主義が通有の条件たるにあらずや。故に我はいわんとす、帝国主義の是非とりがいを断然と要せば、先ずいわゆる愛国心といわゆる軍国主義に向かって、一番の缺格なかるべからずと。
 しからば即ち、今のいわゆる愛国心、もしくば愛国主義とは何者ぞ、いわゆるパトリオチズムとは何者ぞ。吾人は何故に我国家、としくば国土を愛するや、愛せざるべからざるや。

幸徳 秋水「帝国主義」

2016/12/10

大衆は戦争の英雄を拍手喝采する

 だれもが欲しがる宝石がはるか沖合のたいへん薄っぺらな氷の上にあり、生命の危険という番人が「もうすこし騎士の近くなら氷は底まで凍っていてまったく安全なのだが、こんな沖合までやってくるのは命がけの冒険だぞ」と監視の目を光らせながら宝石の見張りをしているとしてみよう。
 その場合、これが情熱的な時代であれば、そんな沖合まであえて出かけて行く勇気は大衆の喝采を博することだろう。大衆はその勇者の身になって、またその勇者を哀惜することだろう。そころが情熱のない反省的な時代にあっては、事情はまったく違ってこよう。「あんな沖の方まで危険を冒して出ていくなんて、骨折り損というものさ。だいいち、愚かで滑稽だよ」とみんなが異口同音に言い、分別顔をしてお互いの賢明さをお互いに称賛し合うことだろう。こうして人々は感激ゆえの冒険を芸の展示に変えてしまうだろうー「所詮、なにかしないわけにはゆかないのだから」とにかくなにかをしようというわけで。そこで人々はその場へ出かけて行くだろう、安全な場所で、玄人ぶった顔つきをして、熟練したスケーターたちの大多数がぎりぎりのところまで滑走して行って、それからターンして引き返す巧みな演技を鑑賞することだろう。スケーターたちのなかには、名人といわれるような者も一人や二人は居合わすことだろう。そういう名人ならばもういよいよぎりぎりというところまで行って、観衆の目を眩ますような危機一髪の滑走の離れ業をやってのけ、観衆をして思わず、「たいへんだ、気でも狂ったのか、死んでしまうぞ」と呼ばせることだってできるだろう。
 しかしなんと、彼は実に抜群の名手なので、いよいよぎりぎりという線で、つまり氷がまだいたって安全で生命の危険がまだ始まらないところで、あざやかにターンすることができるというわけだ。まるで芝居でも見ているのと同じように、大衆はブラボーを叫び、拍手喝采し、この偉大な演技の英雄を中央にかこみ、ぞろぞろと行列をつくって家に帰ることだろう。

セーレン・キルケゴール「現代の批判」

2016/12/08

永遠の戦争は市場の優先権を争う

 古への封建君主は、農夫が其収穫の四分の一を領主に納むるに非ざれば、一塊の土を掘返すのも厳禁した。吾人は之を見て恥辱と呼ぶではないか。然り吾人は実に此時代を以て未開の時代と呼で居る。而も見よ、其形式は変じても、実際の関係は以前今日に存続した。労働者は自由契約の名の下に、猶ほ封建的義務を承諾せねばならぬ。彼はいずれかの方角に向かっても決して優等の境遇を発見することは出来ぬ。万物尽く私有財産となった、彼は承諾せねばならぬ、否ずんば餓死せねばならない。
 事情如此くなるの結果、現時の生産は総て不良の方向に赴くこととなる。企業はあたかも社会全体の必要てふことを考えぬ。其の目的は唯だ投機師の利益を増すてふことのみである。而して来る者は即ち市場の不断の変動、工業の時々の恐慌、其度毎に幾万人の労働者は路頭に迷う。
 労働者は其賃金では、彼等自身が生産した富を買うことができぬ。工業は即ち外国の市場を求めて他国民の富裕階級中に販路を得ねばならぬ。東洋において、アフリカに於いて、エジプト、東京若しくはコンゴー、到る処に欧州人は斯くして農奴制の発生を助長することとなる。而して彼は其を断行する。而も彼はまた到る処に同様の競争者のあることを発見する。いずれの国民も皆な同一の経路に展開する。而して戦争、永遠の戦争は、市場の優先権を争うが為に破裂する。嗚呼、東洋諸国を有せんが為の戦争、海上帝国を建設するの戦争、輸入品に課税し及び隣邦に条件を指令するの戦争、反逆せる『黒人』に対する戦争! 世界に大砲の響き絶ゆる間はなかった。幾多の種族は尽く屠戮せられて跡を絶った。欧州諸国は軍備の為に予算の三分の一を費やしている。而して吾人は知る、是等の租税が如何に重大なる負担を労働者の頭上に落下し来るかを。

ピョートル・クロポトキン「麺麭の略奪」

2016/12/06

戦争は種族の異同ではなく政治である

ことに従前白人が抱いていた有色人種のごときは、我々は自ら学ぶことによって、これにかぶれるのを予防することが大切である。黄色という類の人種差別などは、考えれば考えるほど怪しいものだ。彼らの謂うところの蒙古人とはぜんたい何であるか、韃靼はヨーロッパに入って今の露国人の要部をなし、ラップやフィンも早くからその一隅に住んでいた。ハンガリア人はアリアン種の真中に国を作り、血は半ば化して言語と思想には古い伝統を保っている。その他東方から遠く移って、末は混同したものの痕跡は、今でも尋ねたら次第に分かってくる。これと対立してペルシアにもインドにも、もと白人と同種と称する人民が多数にいて、これまた甚だしく差別されているのである。
 血は到るところ混同し、宗教もまた大いに入り交ろうとしている。要するに種族の抵触は政治であって、種の異同に基づくものではなかったのである。翻って白人彼ら自身の国を見ても、大陸の種族は横にほぼ三段に分れ、国は河流山脈などに由って、かえって縦に分解せられていた。
 即ち人種は共通なるにもかかわらず、ドイツ・フランスなどと政治的に対立すると、殺し合わなければ承知しなかったのである。結局はいかに顕著なる人としての共通点があろうとも、依然として以前の民族は相闘争していたということを見だすのほかないのである。
 この悲惨な状態は、不幸にして現在まで続いた。我々が白人の跋扈と名付けたのも、じつはたんに白人の国の中にばかり、跋扈しうる力のある国があったということを意味づけるだけである。前には班葡蘭英仏、後には白独米などと、要するに一時覇をとなえた一または二の国民のみが、その威力を各方面に振ったまでで、抵抗力のことに弱い擁護者の一人もなかった遠洋島上の土人らほどひどい目に遭っていないが、近隣の国民たちもむしろ大か小か被害者の側に立っているくらいである。たとえば東ヨーロッパのあわれな住民などは、我々の目から見ればひとしく白人だが、有色人をいじめ殺した責任は、他の大国民と分担するわけに行かぬのみか、彼ら自身もまた被害者の中である。

柳田 国男「青年と学問」


2016/12/03

認識の有用性から生存競争の自然淘汰

 賢明にして最も多く論理的に思索する人間は、生存競争においてその競争者に優越する。かかる特質はかくして自然淘汰の一つの基礎となり、それが可能となるかぎり強さをもって種全体の上に拡がるに至るまで、それは高まってゆく。したがって、認識の有用性こそはその支配の基礎である、というのである。仮にこうした考えが正しいとしても、これはここに試みられた考察を代理するものではない。このことは次の二つの点から言われることである。
 けだし、まず第一に、この説は正しい思惟に基づいた行為の有用性を既成の事実として語っているが、われわれはここでは、真と名づけられた認識と高められた生の可能性とのあいだに存在するであろうつながりを、今ようやく探究しようとしているところなのである。この説は、認識の真実性ということを、認識そのものの有用性から原理的に切り離して、認識の一つの独立的な性質として前提しているのであるから、このもっぱら主観的的のみ規定された認識が、いったいどうしてわれわれの現実の存在に有利な行動を基礎づけることができるかという困難は、以前この説にまといついているわけである。したがって、元来認識はまず真でしかるのち有用なのではなく、まず有用でしかるのち真と名づけられるのである。
 第二に、ぜんぜん実践を顧慮せずに純粋に理論的な認識をかち得ることがまず原理的に可能であり、かくしてはじめからかかる認識の獲得が実践の問題となるものと仮定すれば、おそらくまさにそれゆえこそ、あの客観的世界像に基いていかなる行動をなすべきかについては、さらに特別の経験を必要とするであろう。
 理論的に正しいことをあらわすもろもろの行動のあいだに、主観的な行為神経興発がそれに基いて多かれ少なかれ有利に起こり得るような見地から、新たな淘汰が行わなければならない。なぜなら、たとい世界の全体像が、絶対的な経験的な正しさにおいて私の前に拡げられているとしても、私が意志者であるかぎりは、これによって私自身の態度がはじめから決定されることは断じてない。

ゲオルク・ジンメル「芸術哲学」淘汰説と認識論との関係について

2016/12/01

召使いと奴隷は戦争になると軍に編入

 マスリウスが言うには、「クテシクレスの『時事録』によると、前310年頃にデオメトリス(前4-3世紀)がアッティカの人口調査をして、その結果アテナイの人口は2万1000、居留外国人は1万、奴隷は40万だとわかった。クセノポンが『租税論』で述べているように、ニケラトスの子ニキアスは1,000人の奴隷を所有していて、これを鉱山の鉱夫としてトラキアのソシアスに、1人1日オボロスの割で貸した。アリストテレスは『アルギナ人の国制』の中で、アルギナにも47万人の奴隷がいたと言っている。アガルタルキデス(前2世紀)は『エウロパ』の第38巻で、ダルダネイス人は、ある人は1,000人、・・・、ある人はそれ以上の奴隷をかかえていたと言っている。これらの奴隷は、平和時には農業に従事し、戦争になるとそれぞれの主人を隊長として軍に編入された。」
 ローマ人の役人であるラレンシスが言った、「ローマ人もそりゃたいへんな数の奴隷をかかえている。いままったく、ギリシアのお大尽のニキアスじゃないが、一万とか二万とか、あるいはもっとかかえているものがいる。ただ、大方のローマ人は、外出する時いっしょに連れていくんだ。アテナイの方をもって数える奴隷というのは、囚われの身で鉱山で働くわけだろう。さっきから何べんも引き合いに出されている哲学者のポセイドニオスだが、彼によると、アテナイの奴隷たちは反乱を起こし、現場監督を殺し、スニオン岬のアクロポリスを占領し、長い間アッティカを略奪した。これはまさに、シシリー島で第二の奴隷の反乱が起こった時だ。シシリーでは反乱が何度も起きて、百万以上の奴隷が死んでいる。この島のカレ岬出身の弁論家カキリウス(前1世紀)は奴隷戦争を扱った著作を公にした。また剣闘士のスパルタはミトリダス戦争の頃、イタリア人の都市カプアから逃亡して、非常に多くの奴隷たちに反乱を起こさせ(彼自身トラキア出身の奴隷だった)、全イタリアを長期間その渦に巻き込んだ。そして彼のもとへは毎日奴隷が川の流れのように集まってきた。もし彼がリキニウス・クラッススとの戦闘で討ち死にしなかったなら、シシリーのエウヌスの場合のように、わが同胞は大汗をかいたことだろう。

アテナイオス「食卓の賢人たち」

2016/11/29

悪の表出は必要を満たす手段の不足

 実際問題の例にかえろう。どういう方法で人間が全となり、世の中で悪人がごく僅かになり、アクをなす場合が非常に少なくなり、其の結果、アクの性質があらわれるもっとも多い原因は必要を満たす手段の不足である。人間は自分に必要なものなしでいたくないために、他から何ものかを奪わねばならない時、犯罪やその他の悪行が法外にふえる。人びとは一片のパンのために互いに辱しめ、あざむく。心理学はさらに人間の欲求はその強さによって多種多様の段階に分かれることをつけ加える。あらゆる人間のオルガニズムにもっとも切迫した必要は呼吸しなければならないことになる。ところがこれを満たすに必要な対策は、殆どすべての場合人間にとって十分にあるので、空気にたいする必要からは殆ど何処でも悪行はおこらない。しかし、この対策が万人に十分でないという例外の場合には、おなじように争いと侮辱とがおこる。
 たとえば大勢の人間がただひとつしかない窓のない部屋に閉じ込められると、この窓のそばの場所をとろうとして、殆どつねに争いと掴み合いがおこる、殺人さえおこりかねない。呼吸の次の切迫した必要は食べるととのむことである。この要求を十分に満たすための対策は、しばしば、多くの人間にとって不足している。この不足が大多数の悪行の根源であり、悪行の恒常的原因となっている殆どすべての事情や制度の根源である。この悪の原因の一つをのぞくことができれば、人間の社会から少なくとも悪の十分の九は消えてしまうだろう。犯罪の数は十分の一に減るだろう。粗野な習慣や考え方は一時代の経過のうちに人間的な習慣や考えかたでとってかわられるだろう。蛮風と無知とにもとづく拘束的な制度の支柱は取り去られるだろう。そして殆どすべてのの拘束が速やかになくなってしまうだろう。理論のそのような指示を実行するのには技術が不完全だから不可能だと以前では言われたものだ。このことが昔では正しかったかどうか知らないが、現在の工業と化学の状態と、これらの学問が農業に与える手段とのもとで、土地は温帯の各国では、これらの国の現在の住民の十倍も二十倍もの人口がたっぷりと食べられるのに必要な食料より比較にならないほど多く生産できることは論争の余地がない。

ニコライ・チェルヌイシェフスキー「哲学の人間的原理」

2016/11/27

広島原爆は世界の涙をのむ

     私達は比治山にのぼって、山の防空ごうに入りました、その途中父は、方々の家の屋根や、植木などに萌えている火を、水そうの水をかけて消してゆきました。しかしそんなことでは、とうていかなうことではありません。又その途中で、いく人か死んでいるのを見かけました。そのたびにごとに私は胸がつまって、とても見ていられませんでした。しかしだんだんと山をのぼっているうちに、たくさんの死人がごろごろしていたので、どうしても見ないわけにはゆきませんでした。その中には、私の知っている人もだいぶいました。やっと山の防空こうにたどりついたのですが、やはり父はおちつかないらしく、下の方へおりて行きました。まもなくバケツに水を入れそれにひしゃくをつけてあがってきました。山にのぼる途中でもう息もたえだえになって、「水をくれ、水をくれ。」と叫んでいる人々に役人が「水をやってはいけない。」と言うのもかまわず一口ずつ入れてやりながら、あがってきたのです。「どうせ水をやっても、やらなくても死ぬ人なら、ほとがる水くらいのものはやってもいい。」というのが父の考えでした。私も又父の考えがもっともだと思いました。
 山の途中のほら穴は、とても入ることのできるような穴ではありませんでした。けが人でいっぱいで、もう死んでいる人もたくさんいました。穴の中は真っ暗で、やけどや、きずの生々しいにおいで、息もつまりそうでした。頭の上ではぶんぶんとたくさんのアメリカの飛行機がとんでいます。そして今にもばくだんをおとしそうな気がして、一時もぐずぐすしてはいられません。しかしあとで分かったことですが、それらの飛行機はあの原爆を落とした後の有様はどんなかと、ていさつに来たのだということです。その時のあのむごたらしい様子を空から見て、アメリカ人はどう思ったでしょう。いかにわれわれの敵であったとはいえ、なみだをのまずにはいられなかったと思います。

山村百合子(広島原爆の当時小学校三年生)
「原爆の子ー広島の少年少女のうったえ」(長田新編)

2016/11/25

来世就来世いつの戦争の終わり

 歳暮珍重候。扨もさても天下一変の後、音信不通、旦夕床しく候。かやうにうつりかわる世の中とは、誰しも思ひながら、様々おはれとも申ても申しても叶わぬ事共、夏より己来候。心のままなる友もあらまし、目に見る有様も語り、慰めもあるべき、世の中の人は、富貴栄華の物語より外なく候得は、更々我等式の類ひは、独り無常の窓に向ひて、独言いふて暮す計に候。
 内々此冬は、都にも住馴ぬれは、いかなる山の奥へも分入、野狸子をふすへて、春を待へきかなと思ひより候まま、若は其國湯山温泉寺奥なとに、人知れす隠れ住をもし、ひとりには、かくしかくし下の浜なとへ立出て、語りあかし可申かなとと思ひ候得共、一日一日のうちに、後々寒という貧僧のかたき出頭せられ、何方へも可達出様候はねは、心のままにも任すへからす候。
 捨てだに此世の外はなきものをの、こころひとつをなくさむ計候。道もかはき、暖のもなり候はは、出石をも深く忍び、湯山邊へ、卒度可参候。たとへは、人界は水を釣瓶の事如し。くりかえしくりかえし、事の底にめくるか如し、鳥の林に遊か如し、帰りてはゆき、行きては帰り、前生また前生、何れの世より、うき世をめくるつなにかかり、今よりまた来世就来世いつの終わりを知るへきや。
 此理を知りなから、うけかたき人身を得、あひ難き仏方にあひ、むさむさとやみの夜におくり果へきや。此たひあひかた法にあひ、一つの心をさとり、真如の至りを宗にすまし、長夜の闇を照し、三無負可得の心を心の外に得て、在家の女人を帯しなから、正覚のくらいに到るへき事、思はさらめや、あとの悔からへらぬは、元の水のごとし、惜みても。

沢庵 宗彭「沢庵和尚書簡集」

2016/11/23

戦場武士の忌まわしき殺生

小林義繁討死
 小林上野守は、未馬にてひかえたりけるが、切り落とされては犬死しぬとおもひければ、権大夫を弓手に相付、駆寄て鐙をこえており立たり。鍔本まで血に染たる太刀をめ手の方に引そばめて、義弘に打てぞかかりける。権大夫は敵を小太刀と見たりければ、手もとへ近付けて勝負をせんとやおもひけん、長刀を茎みじかに取なをして、弓手の袖をゆりかけてこそ待たりけれ。義繁走かかてきらんとするに、更にすきなかりければ、元来小林手ききなれば、小膝を折て袖の下へあげ切に、すきもなく二太刀つづけて切たりけり。其太刀に権大夫弓手のかなを二ケ所きられて、今は物あひよしと見てんげれば、長刀を取なをして腰当のはずれ、内甲へすきまにあたれとこうだりけり。小林運命やつきたりけん、ほうあてのさげを、甲のしころへすぢかひさまに、こみ立られて、更にはたらきえざれば、其長刀を切はぞさんとふりあをのひで、仏切に二太刀・三太刀うつ処を、長刀を取なをして脛当のはずれをよこさまにしたたかにこそ切たりけれ。因幡はいだてのさねともに、片股をかけず切て落す。小林心はやたけにおもへども、片股なければ北枕に倒臥す。弓手の手をおさえて暫は太刀にて合けるが、次第によはりてみえければ、権大夫の兵落合て、頸をとらんとしける処を、草摺を取て引よせて、さしちがへて二人ながら同枕に死にけり。義繁己に討れければ、小林三郎一族若当七八騎合重て、義弘を真中に取り籠て、今はさてとみえける処へ、杉豊後・同備中・須江美作・平井入道分々合たる敵を打ち捨て、権大夫を先途と長刀を取のべて、小膝にのせて仏切にないでまわりける真中へ、皆みな走入て敵をむずと切へだてて、散々に闘ける処に、大内が兵大勢重てとりこめて、戦ければ、敵八騎の兵も矢庭に五人は討れにけり。

「明得記」(明徳二年十二月)


2016/11/21

イスラエル王国の撲滅と惨劇

   ペリシテ人はイスラエルと会戦し、イスラエルの人達はペリシテ人の前から敗走してギルボア山に至り傷つき倒れた。ペリシテ人は、サウルとその子らに追いつき、ペリシテ人はサウルの子らヨナタン、アビナダム、及びマルキシュアを殺した。戦闘はサウルに向けられ、遂に的の射手は弓をもってサウルを射当て、サウルはその射手によって甚く傷ついた。サウルは彼の武器を担ぐ従者に言った、「剣を抜いて、わたしを殺してくれ。これらの割礼なき者がやって来て、わしを辱めないように」。しかし従者は甚く恐れて、敢えて手を下そうとしなかった。そこでサウルが死んだことを見とどけ、自分も又彼の剣の上に倒れてサウルと共に死んだ。かくしてその日、サウルとその三人の子、サウルの従者は共に戦死した。谷の向こう側とヨルダンの窪地にいたイスラエルの兵士たちは、イスラエル勢が敗走し、サウルとその子らが戦死したのを見て町々を捨てて逃げ去った。ペリシテ人はやって来てその町に住んだ。
 翌日ペリシテ人は闘いに倒れた者に対する略奪の為にやって来た。そうして、サウルとその三人の子らがギルボア山上で戦死しているのを発見した。彼らはサウルの首を刎ね、その武具を奪い、それをあまねくペリシテ人の地に持ち回って、この戦勝の知らせをその偶像と民とに伝えさせた。又、サウルの武器をアシタロテの身やに納め、その死体をそのペテンシャンの城壁に曝した。
 ヤベシ・ギレアデの人々が、ペリシテ人のサウルになしたことを聞いた時、総ての武器をとる者達は、立ってよもすがら進み、サウルの死体とその子らの死体をペテンシャンの城壁から取り外し、これをヤベシの柳の下に梅、七日間断食した。

旧約聖書「サムエル記」

2016/11/19

操で死ぬ道理はない

 だいたい、操を立てて死ぬというほどまちがった考えははない。君も民も一人である。いや普通の民にくらべてまだ未のものなのだ。民と民の間柄でも相手のために死ぬ道理などない。それではむかし操を立てて死んだのはみな当たらぬことだったのか。きっぱり言ってしまえばね事のために死ぬ道理こそあれ、君のために死ぬ道理などないのである。君のために死んだのは、情に溺れた宦官、宮女であり、「律儀ものの愚物だった」。宦官、宮女たるに甘んじた人間や、まさにまとことの愚物の人物については、何もいうことはない。しかし、みんなで推挙したというからには、われわれが推挙したこの者のために自分で死ぬのだ。君のために死ぬのではない、ということはいえる。とはいえ後世の君はいずれも、強大な兵馬で強引に侵略して奪いとったものなので、あたりまえにみんなで推挙したものでないという点は、どう考えるのだ。ましてや彼らは満・漢という種族の意志で天下を奴隷にしている。天下を奴隷にしている彼らとしては、民が操を立てて死ぬのがひどくうれしいのは当然である。
 一王朝の興亡はなどは目にも当たらぬ小さなことで、民にとってなんの関係もない。であるのに操を立てて死ぬものが万で教えるほど、いやそれ以上もあったとは、これほど本末転倒があろうか。白夷、淑斉は死んだのだが(この兄弟は、周の武王が暴君の殷の紂王を滅ぼして天子となったのを不義として、周のものは食わぬと餓死した)、紂王のために死んだのではない。本人のことばに、「暴で暴にとり代えるだけのことなのだ」(暴君を暴力で排除して君となる。『史記』「伯夷列伝」)と言っているところからすると、君主の凶害を閉じてしまったのだ。それにまた、誰か前の君のために死ぬものがあると、後の君はひどくいやがるが、しかも事態がなんとかおさまると(国を奪い安定すると)、たちまち神に祭り、供物をし、祈りをさまたげる。これはやはり、今後も人がわがために死んでほとしいからである。「むかしある男が、(かつて挑んだら、ののしられたことがあった女なら)自分のためにも(いよいよ他の男を)ののしってくれるだろうと妻にえらんだ」(『戦国策』「秦策上})という。志を守って山林に身をひいた土地はいわば未婚のむすめである。これを出仕しろとおどしつけ、出仕しなければ殺した。つまり、不貞だったのだとののしり、操をけがしたしあばきたて、『弐臣伝』「ふたまた者伝」)までつくって辱しめた。これは、当人たちを辱しめるだけでなく、実は反逆させまいと天下後世を威嚇する意味があったのだ。

譚 嗣同「仁学」


2016/11/17

神は王や君主ではないこと

 神のことがあっちでもこっちでも言い伝えられたり、これがそうだと見せられたりするものですから、これはみな王や君主の事蹟なのだと考える人々がいます。際立った資質や勢力ゆえに赫々たる成果を挙げたのが、神だという名声によっていっそう輝かしくされた、しかしやがては運命に従わねばならなかったが、その事蹟と経験はいつまでも驚くべき偉大なものとして記憶される、というように。
 ですが、このように説明する人々は、正しい説明をすり抜けて、具合の悪いことは神から人間に移しかえています。そういう例なら言い伝えからいくらでも助けが得られますね。現にエジプト人は、ヘルメスの体は腕が短かったと言っておりますし、テュボンは赤ら顔でホメロスは色白、オシリスは黒かったなどと申しております。まるでこれらの神が本性人間だったのごとくにです。
 それだけではありません。エジプト人はオシリスを将軍と呼び、カノボスを舵取り、船長と呼んでいて、天の星にもこのカノボス(カノプス)という名がついている、そしてその船の方は、ギリシア人がアルゴ船と呼んでいるもので、これはオシリスの船の似像であり、オリオンと犬星(シリウス)からさして遠くない空を航行しているのだと言っております。そして、オリオンはホロスの、犬はイシスの聖なる星だとエジプト人は信じているのです。
 しかしながら、これは「動かすべからざるものを動かす」ことではないかと恐れてますし、シモニデスの言う(断片193)「古りにし時の間に挑む」ばかりではなく、多くの人間の種族、神々への敬虔な気持ちをしっかりと抱いている民族に対する挑戦ではないかと思います。これでは、人類誕生のはじめから、ほとんどすべの人々の胸に抱かれてきた、かくも古き尊き御名を天上から地上に引きずり下ろし、その尊崇の念、敬虔な気持ちを失わせ、また打ち壊すことになりましょうし、神を平面に引き下げることによって、レオン(前4世紀)のような著述家のために広々と道を空けてやり、メッセネのエウヘメロス(ヤコビ『ギリシア歴史家断片集』63T4e)の徒のいかさまに、自由な発言を許すことにより、光輝を添えることになりましょう。このエウヘメロスこそ、自分の手で、およそ信じるに足りぬ、ありもしない神話を作り上げてから、全世界に無神論を撒き散らした人です。

プルタルコス「エジプト神イシリスとオシリスの伝説について」


2016/11/15

太平の治世から困窮の乱世

 太平久しく続く時、漸々上下困窮し、それよりして紀綱乱れてついには乱を生ず。和漢古今ともに治世より乱世に移る事は、皆世の困究より出る事、歴代のしるし鏡にかけて明か也。故に国天下を治むるには、まず富豊かなるようにする事、これ治めの根本也。
 管仲が詞にも「衣食たりて栄辱を知る」といえり。孔子も「富まして後教える」とのたまえり。手前困究して衣食たらざれば、礼儀を嗜む心なくなりて、下に礼儀なければ、種々の悪事はこれより生じ、国ついに乱るる事、自然の道理也。
 何程法度を厳しく、上の威勢をもって下知するというとも、上下困究して動く力もなきようになりたる時節に至りては、その動く力もなき所偽りもなく真実なる故、用捨せずして叶わず。ひた物あそこをも用捨し、ここをも用捨すれば、後は法の破るる事になる也。法は国をつなぐ綱なる故、法破れては乱れずという事なし。その法の破るる所を愁いて、その動く力もなき者に用捨をせざれば、畢竟力にかなわぬ事を下知するというものになりて、無理の名を得る故、これまた乱を招く媒也。
 所詮の所皆困究より生ず。国の困究するは病人の元気尽るが如し。元尽きれば病生じて死する事必然の理也。元気盛んなれば、いかようの病気を受けても療治はなるものなる故に、上医は必ず病人の元気に心を付け、よく国を治むる人は古より国の困究せぬようにと心用ゆる事也。ここの境を会得して、国の豊かに富むようにする事、治めの根本也。されば何事も指置きても、当時上下の困究を救う道を詮索せずして叶わざ事也。

萩生 徂来「政談」

2016/11/13

イスラームは血塗られた歴史

 イスラーム(Islām)という言葉自身、アラビア語としては、すでに語源的に自己痛く、引き渡し、一切を相手に任せること、という意味なのです。つまりイスラームは宗教的には「絶対帰依」以外の何者でもないのです。ですから、ふつうイスラームの信者、イスラーム教徒の意味で使われている「ムスリム」(muslim)という語も、本来の意味は「絶対帰依者」、すなわち已のすべてを挙げて神の心に任せきり、神にどう扱われようとも、敢えて已の好悪は問わぬ、絶対無条件な神への委嘱、依存の態度をいつでもどこでも堅持して放さない人のことです。ついでながらmuslimは、文法的にはIslāmとまったく同じ語源SLMから派生した言葉で、muslimとIslāmとの違いは、前者が能動的分詞形、つまり「絶対に帰依した(人)」の意味、後者が動名詞形、つまり「絶対に帰依することの」の意、であるだけののことであります。
 イスラームの長い歴史を通じまして、各時代ごとに衆に優れた第一級の人物と認められた人たち、権威者が『コーラン』解釈の許容範囲を逸脱していると認めれば、ただちに正規の法的手続きを踏んで、それに異端宣告する義務がある。その政治的権力は実に絶大なものです。なぜなら、いったん異端を宣告されたが最後、その人あるいはグループは完全にイスラーム共同体から締め出されてします。イスラム教徒の一切の権利を剥奪されて、「イスラームの敵」語源的には「神の敵」('aduww Allāh)となるのです。「イスラームの敵」になったものの刑は死刑、全財産没収。個人の場合はもちろん死刑。異端宣告を受けたためにどれほど多くの人々が刑場に消えていったか、数えきれません。内面への道を行った人々は、たえざる死の危険に身をさらして生きねばならなかった人たちです。イスラームの歴史は文字通り血塗られた歴史です。

井筒 俊彦「イスラーム文化ーその根柢にあるもの」

2016/11/11

政略的に古典的価値を与える

民族的な性格をもっていること

 古典は、その規定において民族的感情から独立しえないであろう。元来古典は、人間の解放、人権の隔離という点で、世界的、世界市民的性格をもっているが、ギリシア古典のような絶対的な意味のもののほかに、各国民または民族の過去において持った偉大な作家、作品に対する尊敬と感情が、それぞれの国民または民族をして国民ないし民族的古典を形成せしめた。
 それは国民的感情や民族的自負の根源に接触するものである。どこの国でもそのような古典をもつことは国民の誇りでなくてはならない。亡国の民や遊牧の民は、そういう古典をもたない。ただしかし、そのような国民古典は、同時に世界古典もしくは人間古典の性格をもっていることが要請される。すでに外国人によって、An addition to the world's classics と認められている。国民的性格をもちながら、その本質まで世界的性格に高められるような作家作品であって、はじめて可能である。他のある特殊な目的のために、政略的な立場から古典的価値が与えられるようであってはならない。そういう古典は、偽われる古典である。国民的なものは、そのまま世界的なものでなければならない。

池田 亀鑑「古典学入門」

2016/11/10

戦争で市民は涙を絞り苦しむ

 戦争のために種々の変遷ありたり、戦争ありて、急にこの社会に対した要ありと覚えざる軍人輩が、急に社会に持てるようになるのは言うまでもなく、軍備の拡張せられたる結果は、にわかに貧乏世帯の日本政府の歳出八千万円(現在の3,400億円)は、三倍にして二億四千万円(現在の1兆2000億円)の巨額にのぼり、
 小作人の涙を絞る地租増税となり、労働者を苦しむ消費税賦課となり、なかにも塩もしくは米と等しく日用品なる醤油税法案は遠慮もなく国会の議題にのぼり、気楽なる議員諸公はなんの異議もなくこれわ可決したまい、思想の交通を制限する郵便税も可決せられ、かくのごとくにして終わることなければ、後日塩にも米にも税を課する到るやも知るべからず、こわや、これ戦争の結果が社会に与えたる影響の著しきものなり。
 戦争の結果は、政治上影響ありたるのみならず、これに関係する政治家、国会議員などいう連中の公聴に与えたる影響も被る大なり、昨年衆議院の解散せられたる時、弁当代を払わざる議員は五十七名ありと聞けり、議員先生が弁当代を払わざるを異しむなかれ、
 今の政治家という人達は、人民の利益降伏をはかるために、政治界に働くにあらずして、あたかも労働者が賃金を欲して労働に従事するが如く、今の政治家、国会議員は私利をむさぼらんがために、国会議員てふ資格の便宜あるを機として借りに政治家という職業に従事せるのみ、常に政府党は政府案に盲従し、反対党は一もニもなく反対して、その間に議論を闘はすことなく、いつも待合にて協議せらるるを見るも、よくこれを知る得べし、賄賂公行せらるる固より怪しむに足るべからず、賄賂を取りて意見を売らざる小山久之助あり、むしろこの人の如きは今の政治界にては利口にしてしっかりした人なり、今の政治家、議員などいう連中は、とうとう皆意思の薄弱なる小山久之助のみ、ああこれ等しく戦争の結果なり、以前より忌むべき事実多かりしといえども、かくの如く甚しきことなかりしなり。

横山 源之助「内地雑居後之日本」

2016/11/08

宗教の名で最悪の事柄はなされる

 この世に存在したすべての宗教が偽りであるという意味になるのであろうか。そうではないのである。なるほどたいていの宗教が、理性的信念に分析されるならば、偽りであることは明白である。そして私はこの世に存在する百万の宗教団体のどれか一つに属する徹頭徹尾正統派的な信仰をもつ人にとっては、この百万から一つを覗いたその他のものが悪しく偽りではないにしても兎も角も偽りであることは心中疑いの余地なく明白であるに相違ないと思うのである。それこそが私たちが明瞭に意識していなければならないことだと私は考える。しかもなお人間が自分の周囲をかこむ道標なき神秘的な人生の領域に対して何らかの関係をもたなければならないという事実は相変わらず残るのである。
 それこそ宗教に残された大いなる事実ではあるが、私たちはそれについて二つの事実を記憶せねばならない。第一に誤りを犯す可能性は大きく、事実ほとんど無限であり、第二に確信した誤りのもたらす結果は極めて恐ろしいものであるということがこれである。おそらく史上を通じてかつて一かどの人々によって大規模にこの世でなされた最悪の事柄は宗教の名においてなされたものであり、そしてその事は現在でも真理たることを全く止めたとは決して思われない。

ギルバァト・マレー「ギリシア宗教発展の五段階」

2016/11/07

真の虚言で一気に危険となる

 永楽庚子春、予、命を受けて日本に使す。東海に泛びて馬島に到り、兵余の地を見、残凶の俗に諭す。一岐に危ぶみ、九州に説び、志河を発して、赤間関に入り、唐島を歴て肥厚を過ぎ、我王の所に至る。乃ち国家馬島に行兵するの翌年の春なれば、島倭、朝鮮の兵船の再来を以謂い、中より浮動して守御を罷めず。
 予の帰くや、標語の代官王に報告す。その武衛・管領・外郞等以謂えらく、「吾が御所、朝鮮使臣の来るを知れば、則ち必ず入見せざらん。我が日本は、憔に琉球船を勾留するのみならず、大明に向かいて隙あり。今また朝鮮使臣を入れざれば、則ち甚だ負荷なり」と。我れを引きて通事魏天の家に入接せしめ、然るのちに王に告ぐ。王、人をして我れに言わしめて曰く、「経および礼物は等持寺に入れ置き、官人は出てて深修庵に在れ」と。猜心益ます深く、我れを待すること至って薄し。その終の吉凶、未だ知るべからざるなり。翌日予、深修庵に帰く。俄にして王の送る所の僧恵供・周頌等来たりて曰く。「昨年の夏、朝鮮、大明と同に日本を伐ちしは何ぞや」と。予いわく「此れ真の虚言なり」と。馬島を討罪するの由を歴陳し、力めてこれを弁ず。二僧予の言を聞きて還り、王に説く。王の惑い乃ち解けたり。後十六日、王、我が殿下の書契を見、後に我をして諸寺に遊覧せしめ、また諸寺をして次々に来賓せしむ。我を待すること特に厚し。予の回還に及び、その書契を修し、その礼物を備え、以ってその慕義和好の心を著わす。

宗 希「老松堂日本行録ー朝鮮使節の見た中世日本ー」

2016/11/06

第一成すは下に教えるは上に

国産考

 国を富ましむる経済は、まず下民を賑はし、而して後に領主の益となるべき事をはかる成るべし。第一成すは下にあり、教ふるは上にありて、定まれる作物の外に余分に得ることを教えさとしめば、一国潤ふべし。
 此教ふるといふは、桑を植ゑ養実の道を教え、あるひは楮を植ゑしむる事ども成。然れども土地に厚薄あり、山川に肥度あり、尚更南北の寒暖異なれば、其の事に委しき人を選び習はざれば、徒に土地と人力を費すのみならず、損毛ありて土地に罪を負はすることあり。是を熟得して行うときは、国富まずと云う事あるべからず。抑点地の造化を助け、無用の地を助けひき、其土地相応の利潤のある良木を植ゑ尚足らざるを補ひなば、年々に富まさりて、五穀あまり、材用を天地の間に満たしむべし。
 都て諸の産物となるべきものを選び植ゑなば、各生ぜずということなければ、下民にありては金銀を閉塞して子孫に譲らんより山野に良材を植ゑ育て譲るることを心がくるは、万金の計算なるべし。或國に貧寺ありて住職すべき僧なきを、旦越の人山をもとめ其寺に寄付し、杉檜を数万本を植ゑけるが、廿年を待たずして追々成長の材木を伐りて買りはひけるが、終に福寺となりて堂塔を修復したることあり。
 是等の事または諸国にて国産を行はせらる々ことありしかど、中途にして廃することを見及ぶこと多し。依りて僕が才の拙きを恥じず、諸国の遊歴から見聞したることども下記つづりて、おこがましくかま題して先に二巻を著す。尚続いて数冊を編纂せんことを念ふ。只一事にても農家の益となるべき見当ともなる事あれば、幸ひ是にしかざるべし。

大蔵 永常「広益国産考」

2016/11/05

殉教者は有に死んだ

 殉教者たちはひとつの命を失い、そしてひとつ有を見出したのである。ある師は、有ほどに神と等しいものは他にない、あるものが有を持つ限り、その限りにおいてそのものは神と等しいという。ある師は次のように言う。神である一切がひとつの有であるほどに、有とは純粋にして高きものである、神が認識するのは有より他になく、神の有以外神の有以外の何ものも知ることがない、有こそ神の指輪である、神は有以外愛するすることもなく、神の有以外思惟することもないと。
  わたしは、すべての被造物はひとつの有である、と言う。ある師は、被造物のあるものは、他の被造物に有を付与するほど神に近く、それほど多くの神的光をみずからの内に写し持っているのだと語る。
 これは正しいとはいえない。なぜかといえば、有はきわめて高くきわめて純粋で、神にきわめて似ているので、神が神自身の内に有を付与するときのほかは、いかなるものといえども有を付与することはできないからである。神の最も固有な本質は有である。ある師は、ある被造物が別な被造物に命であれば与えることは十分可能である、と言っている。
 まさにそれゆえにこそ、何であろうともすべてのものは、ただ有においてのみ基礎づけられているのである。有は原初なる名である。不完全なものはすべて有からの脱落である。わたしたちの命の全体はできるならひとつの有でなくてはならない。わたしたちの命がひとつの有であるかぎり、そのかぎりにおいてわたしたちの命は神の内にある。わたしたちの命が有の内に納れられるかぎり、そのかぎりにおいてわたしたちの命は神と似たものとなる。
 ひとつの命とは取るに足らないものでしかないかもしれない。しかし、人が有として命をつかむかぎり、その命は、これまでに命が手に入れたどんなものよりも高貴なものとなる。わたしは次のように確信している。魂が全く取るに足りないものを認識したとしても、それが有を持つならば、魂は一瞬たりといえどけっして二度とそれに背を向けることはないであろう。

マイスター・エックハルト「エックハルト説教集」

2016/11/04

独裁を好み民衆を憎む

独裁好み
 独裁好みとは、権力と利益を執拗に求める支配欲であると思われる。
 すなわち、執政官の補佐となって、祭礼の行列をとりしきる人には、どういう人たちを選んだものだろうと民会が審議している場合、彼は進み出てわが見解を述べる。「その人たちは独裁権をもつねのでなくてはならぬ」と。そして、他の人たつが、10人説を提案すると、彼は「一人で十分だ。だがその一人は、すぐれた人物でなくてはならぬ。支配者の数多きは善からず、支配者は一人たるべし。」と語る。だがそれ以外の句は、一つも心得ていない。
 「われわれだけで団結し、もってこの審議にあたらなくてはならぬ。烏合の民衆や広場の者どもから遠ざからねばならなぬ。要職選挙にあたって民衆に尻尾をふり、ときには彼等の侮辱を、ときにはその尊敬をうけたりすることはやめねばならぬ、いやしくも、彼ら民衆か、はた、われわれか、そのどちらかがこの国を治めるべき時であれば」などと。
 さらにまた、気取った風に上衣を肩にかけ、外出し、つぎのような文句を、悲劇の台詞よろしく朗々と口にしながら、誇らしげに闊歩する。「密告者ゆえ、この国には暮らしもならず」とか、「公務につかんと心はやる者たちの望むところ、そもそもいずくに在りや、これ、われのかねてより不審とするところなり」「忘恩の徒輩はこれ民衆、恩をふりまき、与える者の側につねにつく」「憎むべきは民衆の頭目なり」「テセウスは、12国を1つの国に統合し、もって民衆の勢力を増大せしめ、ついには王政も壊滅させて、万事の支配権を民衆の手にゆだねたればなり。されぱ当然の報いを彼はうけたり。彼ら民衆の手にほうむられた最初の者なれば」、と。その他それに類したことを、外国の人たちにも、また人生観、政治観ひとしくする同胞の者たちへも、彼は口にするのである。


テオプラテス「人さまざま」

2016/11/03

戦争は工業的な資本主義的な企業

 知識があり、技術敵に教育された労働者要員を増加する要求は、先進的な資本主義国家、とくに最近めざましい発達をとげたところーたとえば北米合衆国とドイツでは、きわめてはっきりと認識されてきた。最近、各国政府は、熟練労働者の要員を十分に多数つくろうと狂奔している。
 これについて政府は、軍国主義の要求にも言及している。べ・エヌ・ミリューコフは『武装した世界と軍縮』という著書の中で近代戦の特徴をのべている。
「戦争は、現在では、ある種の工業的な、資本主義的な企業である。」
「戦争の技術は、新しい発明が現れるごとに絶えず変化している高価な装備を要求する。」
「戦争そのものは、変化の一般的な過程に従ってきた。現代では、軍隊の指導者、武器の発明者と製造者は、普通の知的な職業とはほとんどちがわない生活をしている。勝利は、騎士的な功績によってではなく、計算の正確さと科学性、永年にわたる困難な事前の努力によって決定される。かくして戦争は、以前のロマンチックな魅力を失い、もっとも散文的な職業になった。」
 世界戦争は、もっとも雄弁にこの真理を確認した。戦争は、問題の技術的な面、改良された武器、工業の組織、無数のよく教育された技術陣が、どれほど大きな意義をもっているかを示した。
 そしてこの工業全般、とくに軍事工業が、全面的に教育された知識のある労働者を要求することは、資本主義諸国をして、技術教育の組織、それに関連して学校事業の再組織、即ち、詰め込み学校を労働学校にかえることにまじめな注意を向けさせた。

ナジェージダ・コンスタンチーノヴナ・クループスカヤ「国民教育と民主主義」

2016/11/02

誤れる観念が紛糾と混乱を永続する

 我々は、我々の無秩序と混乱との如何にに多くが、我々の社会をこれまで支配した野蛮人とか人々の無秩序と混乱との如何に多くが、我々の社会をこれまで支配した野蛮人とか俗物とかの人の階級・国体の間に存在する、正しき道理すなわち至高最善の自己に対する不信仰によるか、彼等がそれらの中においてただ彼等の日常の自己を主張し表現して永らく我々を支配して来た諸組織の、不可避な衰微と崩壊とによるか、彼等が正しき道理によってではなく彼等のの日常の自己によって建設し今なお支配していると良心に顧みて認めざるを得ない社会が、それの報復者を阻止せむとして激しく動揺するに際した場合の彼等のの優柔不断によるかを見たからであろう。
 しかし、我々ー正しき道理と、我々の最善の自己を解放し向上せしめる義務と可能性と、完全に向かう人類の進歩とを信じる我々ーにとっては社会の組織、この厳粛な劇がその上で展開しなければならないあの劇場は、神聖である。誰がそれを支配しようとも、また如何なる我々が彼等から支配権を奪うことを欲しようとも、なお、彼等が支配している間は、我々はしつかと、一意専心、無政府状態と無秩序とを鎮圧することにおいて彼等を支持する。それは、秩序なかりせば社会は存在し得ず、社会なかりせば人間の完全は有り得ないからである。
 我々の現在の紛糾と混乱との如何ほど多くを我々のうちの大多数の人々の誤れる観念がひき起こして永続させる傾向にあるかを、既に見たのである。それ故、教養の同情者の現在における真の任務は、この誤れる観念を消滅せしめ、正しき道理と、確実な明白な真理とに対する信仰を弘め、人々をとて無私に自由に彼等の思想と意識とを彼等のお定まりの概念や習慣の上に働かすやうにすること、人々をして不完全な知識を以って誠実に行動するよりも、行動するためのより堅実な知識の基礎を得るようにさせることである。

マシュー・アーノルド「教養と無秩序」

迷信から言葉と概念の奴隷

   美学は、本来的な芸術事実に即していえば、極めて制限された適用範囲しかもたないという認識が生まれざるをえないのである。この除痛体は実際的に、芸術史家と美学者との間にみられるところの、蔽うべからざる相互的な反目として、すでに昔から現れているものである。客観的芸術学と美学とは現在においても未来においても和解できない部門である。その材料の大部分を放棄して、美学者の用に適するように仕立てられた芸術史に満足するか、それともあらゆる美学的高識を断念するかどうかのという選択の前に立たされた場合、芸術史家は、いうまでもなく、後者を選択するであろう。対象によって密接に関係している二つの部門はいつまでも相互に触れることなく併行的に研究せられるであろう。
 ところでこのような不和の原因はおそらく単に芸術という言葉の概念に対する迷信にすぎないのである。この迷信に囚われて、我々は種々の減少の多様な意味を一義的な概念に還元しようという、まさに犯罪的な努力のうちへいつも閉じ込められるのである。それにもかかわらず、我々はこの迷信から脱出することができない。吾々はいぜんとして言葉の奴隷であり、概念の奴隷である。原因はどこにあろうとも、即ち芸術的事実の総体は美学の問題提議のうちには現れずして、芸術の歴史と芸術の教理論の二者はむしろ一致することのない、また共通尺度のないものであることは、何れにしても動かし難い事実である。

ヴィルヘルム・ヴォリンゲル「抽象と感情移入ー登用芸術と西洋芸術ー」

2016/10/31

歴史は後から作り出される

 我々が現在の事象において未来の歴史家に最も関心を起こさせるものを正しく指摘するためには、都合のいい偶然、例外的な僥倖が必要である。この歴史家が我々の現在を考察する際には、そこにその人の現在の説明、特にその人の現在が含む新しいところの説明が必要である。その新しいところは、もしもそれが創作になるはずだとすれば、それについて我々は今日数々の事実のうちから、記録すべき事実を選ぶために行うというよりも、むしろこの指示に従って現在の事象を切り抜いては様々な事実を作り出すために、その新しさに合わせればいいのか。
 近世の重要な事実は民主政の到来である。その時代の人々が述べたような過去の中に民主政の先端となる徴候を我々が見出すということは疑いをいれない。しかしその時代の人々がこの方向に向かう人類の歩みを知らなかったならば、恐らく最も関心を引く指示を与えなかったであろう。ところでこの方向も他の方向もその時には気づかれずにいたというよりは、むしろまだ実在していなかったのであって、経路そのものによって、つまり民主政を漸次著想し実現した人々の前進運動によって、後から作り出されたのである。
 してみると、先端となる徴候が我々の目に徴候となっているのは。我々が今その経過を知るからであり、その経過が果たされているからである。経過もその方向も、従ってその終点も、それらの事実が行われていた時には与えられてなかったのであるから、これらの事実はまだ徴候ではなかった。

アンリ・ベルグソン「哲学の方法ー思想と動くものⅢー」

2016/10/30

兵は凶器なりとも兵法を講じる

 悪の技術はもはや一つとして、この統一せられた平和の社会に、入用なものはないはずであるが、かつて人間の智功が、敵に対して自ら守るために、これを修練した期間があまりにも久しかった故に、余勢が今日に及んで、なお生活興味の一隅を占めているのである。実際に我々の部落が一つの谷ごとに利害を異にした場合には、譎詐陰謀は常に武器と交互して用いられた。友に向かってこれを試みることは、弓・鉄砲以上に危険であったから、射栫も設けられず、同乗も他流試合も無く、「治に居て乱を忘れず」という格言すら、この方面には封じられていたけれども、如何せん別に何らかのその欠点を補充する教育がなかったから、到底安泰を期せられぬような国情が随分久しい間続いていたのである。『韓非子』とか『戦国策』とかマキャベリとかいう書物ばかりが、その役目を勤めたとも限らなかった。けちな人間同士のけつな争闘には、やはり微細な悪計も、習練しておく必要があった。
 悪は現代に入って更に一段の衰微を重ね、節制もなければ限度も知らず、時代との調和などは夢にも考えたことはなく、毒と血との差別をさえ知らぬ者に、まれには悪事の必要不必要を判別させようとしたのだから、この世の中もべら棒に住みにくくなったわけである。兵は凶器なりと称しつつ兵法を講じた人の態度に習い、或いは改めて伝世の技芸を研究し、悲しむべき混乱と零落を防ぐべきではないか。

柳田 国男「不幸なる芸術 」

2016/10/29

貧困市民の無知は社会の不正のため

 子供のときに、知識を獲得することが必要であるとよく教えられて来たのだが、生きるがために働かねばならなかったので、この考えはやがて失ってしまい、哀れにも知っていることは、無知なのは自然の意志によるのではなく、社会の不正のためなのだということだけである。
 貧困な市民に対して政府が言うべきことは、これまでは、諸君は親の財産の関係上、わずかに最も必要不可欠の知識を獲得ができたばかりだった。ところが、今や諸君には容易に知識を確保し、発展させる手段が保証されることとなった。諸君にして生まれながらの才能を持ってさえいれば、諸君はこれを発達させることができるだろう。しかも諸君のためにも、また祖国のためにも、これらの才能は決して滅却されることはないであろう。
 かくして教育は普遍的でなければならぬ。すなわちあらゆる市民に普及せられなければならぬ。教育は全く平等に教与されなければならぬが、この平等は必要な経費の範囲においてであり、国内の人口分布状態が許す限りにおいてであり、また多かれ少なけれ、児童が教育のために費すことのできる時間の許される限りにおいてである。教育は、その諸段階を通じて人間知識の全体系を包含しなければならず、全生涯を通じて誰でもこれらの知識を確保し、もしくは新たな知識を獲得し易からしめなければならぬ。
 如何なる政府といえども、新しい真理の発展を妨害し、政府の特殊な政策や一時的な利益に反する理論を教授することを妨害するような権威を持ってはならないし、かかる信頼さえも持ってはならない。

ニコラ・ド・コンドルセ「革命議会における教育計画」

2016/10/28

人民の嚢中より皆生じる

 かつ官とは何ぞや、本これ人民のために設けるものにあらずや、今やすなわち官史のために設くるものもの如し、誤れるの甚だしと言うべし、人民出願し及び請求すること有るに方りこれを却下する時はあたかもも過挙有るものを懲すが如く、これを許可する時はあたかも恩恵を与えるものもの如し、何ぞそれ理にみだれの著しきや、彼等元来誰れに頼りて衣食するか、人民より出る租税に頼るにあらずか、すなわち人民の挙養を受けて、もって生活を為しつつ有るにあらずか、およそ官の物金銭の論なく、いちもうといえども天より落つるにあらず地より出るにあらず、皆人民の嚢中より生ぜしあらざるなし、すなわちこれ人民は官史たる者の第一主人や、敬せざるを得可けんや、
 民権これしごく理なり、自由平等これ大義なり、これら理義に反する者は境にこれが罰を受けざる能はず、百の帝国主義有りといえどもこの理義を滅没することは終に得可らず、帝王尊しといえども、この理義を敬重してついにもってその尊を保つを得可し、この理や漢土に在ても孟軻、柳宗元早くこれを観破せり、欧米の専有にあらざるなり、
 王公将相無くして民ある者これに有り、民無くして王公将相ある者未だこれ非ざるなり、この理蓋し深くこれを考え可し、

中江 篤介「一年有半・続一年有半」

2016/10/27

戒厳令下では殺人は無罪

 特に上官が目の前でもう一人は殺してしまった。よくある例だ、もし吾々が厭だといったら、吾々が殺されるかも知れぬ、拒むほどの度胸があれば構わず逃げてしまう。誰が好んで人を殺すものか、厭で厭で仕方ないが自分の命、即座の脅迫が怖くて、悪い事罪な事と知りながら、本心ではなく無理にやらされたのだから無罪である、と判決すればよかったのを、ナマジッカ法律ぶって。バカの人真似、鳥の鵜真似でコンナ事に判決したから、今度は被告両名は、平常ならば常識に訴えてもよいが、厳戒令下では如何なる事でも上官の命には従うと思った。
 厳戒令で七歳の幼児でも何を仕出かすか判らなぬと思う。七歳でも男の子なら時には虐殺して差支えないと思う。現に上官がそう言うた。日本人としても、また兵隊の思想や犯行を取締る選ばれたる憲兵としても、戒厳令下では、人を殺す事や幼児を殺す事位、悪いと思う者はいない、これが憲兵の常識である。故に両名は罪となるべき事実即ち悪い事と思う事実、を知らず。正当当然の事と思うて幼児を殺したから無罪である。
 もし両名が、悪い事だが、上官の命令であって見れば、マサカ法律上罪にはならないと思ってヤッタなら、当然刑法三十八状の第三項目によって有罪であるが、クドクも繰り返す通す通り、両人は人を殺す事、特に小児を殺す事は悪事とは思わず遣り、また両名がコンナ事を悪事と思わなかったということは日本人の道徳として、はたまた憲兵の常識または軍隊の精神として当然で深く信用するに足りるから無罪である、と解釈するの止むなきに至ったのだ。実際執行猶予には誰も異議のなかった、二人だから、どうせ無罪にするなら、後世にも残る事だから、意識の喪失か命令服従の一点張りにすれぎよかったに惜しい事をしてくれた。

山崎 今朝「地震・憲兵・火事・巡査」

2016/10/26

思惟は戦争概念・原理・原因を基定する

 世界というもののなかへ、全ての感情や意志行為が、それが宿っている身体の場所的規定とそれに織り込まれた可視的構成要素によって組み込まれている。これらの感情または意志行為の中に与えられている全ての価値や目的や善は、世界のなかに配入されている。人間の生活は世界によって包まれている。
 ところで思惟が、経験的意志、経験及び経験科学において体験され与えているような、直感、体験、価値、目的の全内容を表現し、また結合しようと努めるとき、思惟は世界における物の連鎖や変化から去って世界概念へ向かって進み、世界原理へ、世界原因へ基定しつつ遡っていく。
 それは世界の価値、意味及び意義を規定しようと欲し、また世界の目的を問う。この普遍化、全体への排列、基定という方法が、知識がもっている傾向に動かされて、特殊的な要求や限定された関心から離れるその到る所で、思惟は哲学に移っていく。また彼の営みによってこの世界と交渉する主観が、同じ意味おいてみの彼の営みについて省察するようになるときは、この省察はいつでも哲学的である。
 従って、哲学の全ての機能がもっている根本的性質は、一定の、限りある、狭い関心への束縛から抜け出て、制限された要求から生まれたあらゆる理論を、究極的理念に配入しようとする精神の傾向である。この思惟の傾向は、それの法則性に基いている。それは、確実な分析をほとんど許さない人間本性の諸々の欲求に、知識の歓びに、世界に対する人間の立場の究極的な確実性の欲求に、生命がその限定された諸条件へ縛られているのを克服する努力に合致する。一切の心的態度は相対性から免れた確乎たる点を探し求める。

ヴィルヘルム・ディルタイ「哲学の本質」

2016/10/25

疑うか信じるかは反省しない解決法

 表面だけしか見ない観察者にとっては、科学の真理は疑いの余地のないものである。科学上の論理は誤ることはないし、学者はときおり思いちがいをすることがあっても、それは論理の規則を見損なったためである。
 少しでも反省したものは、仮説の占める領分が、どんなに広いかとうことに気がついた。そこで、はたしてこれらすべての構築が極めて堅固なものであるかどうかが疑われ、わずかの微風にあっても打倒されてしまうと信ずるようになった。こういうふうに懐疑的になるのは、これもまた表面的な考えである。すべてを疑うか、すべてを信じるかは、二つとも都合のよい解決法である、どちらにしても我々は反省しないですむからである。
 だから簡単に判決をくだしたりしないで、仮説の役割を、念入りに検しらべてみるべきである。そうすれば仮説の役割が必要であるというばかりでなく、たいていの場合に正当であることを認めるであろう。また仮説には多くの種類があって、或る種の仮説は確かめることができるし、ひとたび実験によって確認されれば、多くの結果を生む真理となること、またあるものは我々を誤りにおとし入れたりしないで思考に依り所を与える役にたつこと、もうひとつ第三種としては、見せかけだけが仮説であって、実は定義や規約が粉装をつけたものに過ぎないといことがわかるであろう。

アンリ・ポアンカレ「科学と仮説」

2016/10/24

日本主義は日本的ファシズム

 文献学主義は容易に復古主義へ行くことが出来る。復古主義とは、現実の歴史が前方に向かって展開しているのに、之を観念的に逆転し得たものとして解釈する方法の特殊なもので、古典的範疇を用いることによって、現代社会の現実の姿を歪曲して解釈して見せる手段のことだ。そして忘れてならぬ点は、それが結果において社会の進展の忠実な反映になると自ら称するのが常だということである。
 とかく議論はあるにしても、日本主義は日本型の一種のファシズムである。そうみない限り之を国際的な現象の一環として統一的に理解できないし、また日本主義に如何に多くヨーロッパのファシズム哲学が利用されているかという特殊な事実を説明出来なくなる。色々のニュアンスを持った全体主義的社会理論(ゲマンインシャフト・全体国家・等々)は日本主義者が好んで利用するファシズム哲学のメカニズムなのである。だが日本主義者は外来思想のメカニズムによっては決して辻褄の合った合理化を受け取ることは出来ないだろう。唯一の依り処は、国史というものの、それ自身初めから日本主義的である処の「認識」(?)以外にはあるまい(結論を予め仮定にしておくことは最も具合のいい論だ)。処でそのために必要な哲学方法は、ヨーロッパ的全体主義の範疇論や何かではなくて、正に例の文献学主義以外のものではなかったのである。ー併し実は、この文献主義者自身は、もはや決して日本だけ特有なものではなかい、寧ろドイツの最近の代表的な哲学が露骨な文献学主義者なのだが(M・ハイデッガーの如き)。だから日本主義において残るものはね日本主義的国史だけであって、もはや何等の哲学でもない、という結果なるのだ。

戸坂 潤「日本イデオロギー論」


1945(昭和20)年5月に長野刑務所で酷暑と栄養失調で獄死。

2016/10/23

習慣は変容を絶えず減じる

 生命は、外面的世界において、孤立して他にたつところなき一世界なのではない、それは自己の存在条件によって外面的世界につながれ、この世界の一般的法則に服している。生命は、絶えず外からの影響を受ける、唯、絶えずこれをうち超え、これにうち克つのである。故に生命は、自己の条件いいかえけば質料なる、存在のより低き形式との関係によって変化を受けるのであるが、また自己の本性そのものなる、より高き能力によって、変化を自ら始めると見られる。生命は受容性と自発性の対立を含んでいる。
 生物が自分以外のものから受取る変化と反復の一般的結果は、この変化がその生物体を破壊するに至らぬ限り、生物体がそれから受ける変容は絶えず減じて行く、ということである。これに反して、生物は、自身から発する変化を繰り返し或は長くつづけたならば、後尚もその変化を生む、そしてそれを再び生む傾向を強めるやうに思はれる。すなわち、外来の変化は生物にとって次第に無縁のものとなり、自ら起こした変化は反復にゆって自らに固有のものとなる。感受性は減じ、自発性は増す。これが、一変化の連続または反復によってあらゆる生物の中に生ずると見える素質即ち習慣の、一般的法則なのである。ところで、生命を形成する自然の特質は、受容性に対する自発性の優越ということであるから、習慣は単に自然を前提にしているのみではない、それは正に自然の進む方向へと発展するのである。同じ方向に力を添えるのである。

フェリックス・ラヴェッソン「習慣論」

2016/10/22

戦争は経済没落と知識思想の欠陥

 貧民はその生活に欠陥あると共に、知識思想の上においてもこれに等しき程度をもって、むしろその以上の欠陥を有す、すなわち貧民は経済上の欠乏者たると共に、その思想の上の大欠陥者たり。駿河橋万年町の路次に住めるものにして、手紙を書き得るものとは言わじ、わずかに自己の姓名を帰し得るもの幾人あるべきや、余輩はみぞ等が経済上の欠乏者たるを憐むと共に、思想の欠乏者たるを憐むこと最も切なりとす。
 如何なる時代如何なる社会においても、貧民なきはあらじ、しかも社会の進歩につれて貧民の数増加しゆくが如く、我が国のごときも近年人口の増殖現著なるとともに、到る所の窮迫を訴ふる声聞こゆ、特に日清戦争役以来、物価は騰貴せるのみならず、各種の事業は没退したれば、細民の困難一層を加えたり、識者一考する所なくして可ならんや、しかも富者の贅沢日に増長し、しかして年一年貧民の増加する傾向あるにおいてをや。
 既に工業社会は年々発達を示し、労働者を収むること代うなると共に劣敗者を出すことも多く、かつ当今の我が政府及び国会は細民の消息に注意せず帝にみぞ等を保護せざるのみならず、かえって細民を虐ぐる幾多の祝目を儲えこいおに細民を困窮の地に陥れんとす、この物質社会の進歩はますます生存競争を激しからしめ、経世者たる者注意する所なくして可なるべけんや。

横山 源之助「日本の下層社会」

2016/10/21

国家と社会による支配と矛盾

 人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない。宗教や文芸、あに独り人を人として生かしむものであろう。人の形づくり、人の工夫する一切が、人を人として生かしむることを唯一の目的とせるものである。
 しからんばいかにして宗教と国家、文芸と国家との相衡突することがあるのかと。曰く、国家と文芸もしくは宗教とはその目的からいえば矛盾撞着すべきものではないが、しかる或る時代において、その時代の人間の生活様式に相応して、形づくられ、工夫せられた制度、思想が既にその時代をすぎたにもかかわらず残存し、而して一方には新たな生活様式に相応すべく、或る制度、思想が起リ、もしくは起らんとしつつある時には、その旧き制度、思想と新しき制度、思想とは衝突する。ここに国家と宗教とが相容れなかったり、国家と文芸とが相悖ったりするのである。
 しかしその衝突するのは決してその本来の目的、その本来の立場が異なっておるがためでなくして、一つの目的を達するため、一つの立場をとるため、一時矛盾撞着するのである。言い換えれば、時代に相応せざる制度、思想を時代に相応するものに改造せんとする努力である。
 しかし思え、実際の我々の生活はいかに今国家というものに支配せられているか、いかに今社会制度によって支配せられているか。もし人生を徹底的に具体的に考えるならば、ぜひともここへ触れて来ねばならぬのである。

国家と宗教および文芸『東洋時論』「文芸 教学」1911(明治44)年5月号「石橋湛山評論集」

2016/10/20

罪は誤れる歴史的把握も作用

 不安は感性が罪性を意味しうる点ににおいて成立している。罪が一体何を意味しているかということについての漠然たる知識も一緒に作用しているのである。それにはさらに、歴史的なるものについて誤れる歴史的把握も一緒に作用しているのであり、その際、急所即ち個体的根源が捨て去られて、個体は無造作に人類ならびに人類の歴史と混同されている。我々は感性が罪性であると言うのではなしに、罪が感性を罪性たらしめると言うのである。さて我々がその後の個体のことを考えるならば、たしかにかかる個体は、そこにおいて感性が罪性を意味しうることが顕わになるところの歴史的環境をもっている。個体それ自身にとっては感性が罪性を意味してはいないにしても、かかる知識が不安を増し加えることになるのである。いまや精神はただに感性に対してのみならず、さらに罪性に対して対立的な関係に立たされることになる。無垢な個体がかかる知識を未だ理解していないことは言うまでもない、なぜならそれはそれが質的に理解せられる場合に始めて理解せられるのだからである。ところでかかる知識はまたもやひとつの新しい可能性なのであり、従って自由ーこれはおのが可能性において自らを感性的なものにたいして関係づけられるのだからーにたいして不安が増し加えられるのである。

セーレン・キルケゴール「不安の概念」

2016/10/19

霊魂は善悪のいずれかである

 霊魂の諸運動は、原因としていっさいの身体的運動に先立ち、思想・記憶・願望・希望・恐怖のごときがすなわち霊魂の諸運動である。自然学の対象たるいっさいの運動すなわち直動・回転・収縮・膨張およびその他の運動は霊魂の諸運動に依存する。在来の哲学者たちによってなされた大なる誤謬はかかる自然的運動をそれ以上説明を要しないものと考えたことである。この点において彼らは自然の背後には意図も理性も存在しないと主張する妄説に道をひらいた。さて霊魂は善悪そのいずれかである。善なる霊魂は、まさにその善に比例して、秩序ある定まれる運動、すなわち天体の運動はきわめて一定で秩序がある。その帰結として、いっさいの霊魂のうち最高なるものは完全に善なる霊魂でなければならない。しかし、無秩序なる運動も存するがゆえに、これが唯一の霊魂ではありえない、すくなくともひとつよりおおく霊魂がなければこの秩序の錯乱は説明されない。しかしひとつまたはそれ以上の無秩序の霊魂はあきらかに劣っており隷属的である。
 かくのごときが神の存在についてのプラトンの論証である。この論証は、もとよりたしかに一神論を唱えるものではない。もっともプラトンその人がひつとなる神を信じていた疑いえないが。じつのところ、これは当時の教養あるアテナイ人のすべての信じているところであった。

ジョン・バーネット「プラトン哲学」

2016/10/18

戦争の達成には軍隊が最優先

   マヌ法典は、数多いインド法典中、最も重要な位置を占めている。インドで、ダルマすなわち「法」というのは法律だけでなく、宗教、道徳、習慣の遵守の根拠と認められた。紀元前200年の成立から紀元後200年に現形を整えた。
 【王国の七要素】
294  王、大臣、首府、国土、実物、軍隊、及びその友邦は王国の七要素なり。ゆえに王国は七肢を有するものなりと言わる。
295  しかしてこの順序に従い、これら七つの王国の構成要素のうちにて、各々先に名を挙げられたるものは、後のものより重要にして、その破壊はより大なる惨禍なることを知るべし。
296  しかも苦行者の三杖の如く支えられたる七肢を有する王国において、如何なるものも各々の性質の重要さの点よりは、他より更に重要なるものは一つも存せざるなり。
297  されど、それぞれの目的の達成において、各々の部分は他より優位に在り、ある目的がそれによりて達成せらるる時、そはその点において最も重要なるものと宣べらる。

田辺 繁子「マヌの法典」

2016/10/17

兵士は哀れな敗北者

プレスラウ、1917(大正16)年12月中旬

 わたしはここで胸をさされるような痛々しい経験を味わいました。いつも散歩する広場に、よく行嚢や、血痕がこびりついていることがしばばある古ぼけた兵士の上衣や肌着を満載した軍用馬車がやってきます・・・荷はこり広場で下ろされて、おのおのの監房にふれぶれ分配され。そこで繕われて再び積み込まれて軍隊に届けられるのです。ついこの間も、そういう馬車が一台入ってきましたが、こんどの馬車には馬ではなくて水牛が繋がれていました。この動物は、われわれの国の召す牡牛よりも力強く、身幅が広く、そして頭が平べったくて、折れ曲がっている角み平たいのです。
 かれらは正しく「哀れな哉、敗北者」といことばがよく当てはまるほどにむごたらしくむち打たれたのです。兵士はいやな薄笑いを頬にうかべてながら「おれたち人間さまにだって、だれも可哀そうがってくれ奴なんかいやしねえんだ」と答え、いよいよはげしく打ちつづけたのです・・・水牛は、やっとのことで、どうにか関所を乗り越えることはできたのですが、肌には血がにじみ・・・水牛の皮膚がずたずた引き裂かれてしまった。
 荷降ろしが始まったのですが、その間中、水牛たちはへとへとに疲れ切って、息も絶え絶えにじっとしていました。それはちょうどひどく叱られながら、乱暴な仕打ちを受けないようにするにはどうしたらよいのかわからず、またこのような苦しみや乱暴な仕打ちを受けないようにするにはどうしたらよいのかわからぬ、といった子供の表情にそつくりそのままといってよいものでした。
 こうして、壮絶な戦争なるものの実際のすがたがそっくりそのままのかたちで。私の目の前を通りすぎていったのです。

ローザ・ルクセンブルク「獄中からの手紙」

2016/10/16

平和は風に吹かれて

Blowin' In The Wind : Bob Dylan

  How many roads must a man walk down
  Before you call him a man?
  Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
  Before she sleeps in the sand?
  Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
  Before they're forever banned?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

  How many years can a mountain exist
  Before it's washed to the sea?
  Yes, 'n' how many years can some people exist
  Before they're allowed to be free?
  Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
  Pretending he just doesn't see?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

  How many times must a man look up
  Before he can see the sky?
  Yes, 'n' how many ears must one man have
  Before he can hear people cry?
  Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
  That too many people have died?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.
風に吹かれて
  どれほどの道を歩かねばならぬのか
  人と呼ばれるために
  どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾がうたれねばならぬのか
  殺戮をやめさせるために
  友よその答えは風に吹かれて
  その答えは風に吹かれて

  どれほど悠久の世紀が流れるのか
  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか
  ほんとに自由になれるために
  どれほど首をかしげねばならぬのか
  何もみてないというために
  友よその答えは風に吹かれて
  その答えは風に吹かれて

  どれほど人は見上げねばならぬのか
  本当の空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  友よその答えは風に吹かれて
  その答えは風に吹かれて

ボブ・ディラン「風に吹かれて」ノーベル文学賞2016年

2016/10/15

自分の世界の外は野蛮人

 ヨオロッパが漸くヨオロッパになろうとしていた時代にこれを結束させたものがキリスト教徒であるという意識だったことはそうでないもの、したがってヨオロッパの県外にある国々の人間を凡て異端ということで人間以下に見る結果になり、当然ヨオロッパの一部と考えるべき東方のビザンチン帝国も異端の名目の下に敵視されて、ここで指摘したいのは支那の中華の思想と同様に自分と違った人間であることが非羽化の奇人になるしゆるいの独善がその理由はどうだろうと自分ドブンであることを求めた許す上で邪魔になるということである。
 自分たちだけが人間で自分たちの世界の外の住んでいるのが化ものか人間以下の人間であるとみることが自分もどこの人間でもなくし、その人間の観念自体を怪しくするるたしかに十五世紀になってヨオロッパ人は盛んに海外で活動を始め、その結果の接触が世界全体に瓦りはしてもそれが別に彼らの人間観を変えるに至らなかったことはメキシコやペルウのスペイン人による制服にも見られ、相手が異端であっても野蛮人でないことが余りにも明らかである場合はこれキリスト教に改宗させてその魂を救うことが他のことに優先した。それはキリスト教徒であるというヨオロッパ人の自覚を強めるばかりであり、その自覚を前にしてヨオロッパ人であるという意識が生じる余地はなかった。またオランダ人が十七世紀に自分たちの国し布教は行わないという理由で日本の要路に通商を続けることを求めたのは彼らが初めから布教ではなくて通商に関心があったので日本人を人間と認めた訳ではない。

吉田 健一「ヨオロッパの世紀末」

2016/10/14

適口は習慣等から困難

 適口とは食物が口に合うことである。すべては口に合うものが一番美味である。宗の太宗が或る時近臣の蘇易簡に問う「口に合うたものが珍品(適口者珍)でございます。臣は口に合うことが美味なのをつくづくと感じました。」誠にその通りで、何でもかまわぬ、新鮮な物を口に合うようにして食えばよいのである。
 昔織田信長の軍に生け捕られた三次家の料理人が、調理して御意に叶わず、もって外の不興を蒙り、御許しを願って更に調進したところが、今度は御口に合って大いに褒美に預かった。それは信長の体質によるものであろうが、主としてその習慣によるもので、つまり味覚の訓練が劣っていたからである。
 看来れば、適口ということは質素なようで実は贅沢であり、容易なようで実は困難である。心の持ち方や時と場合によっては何でも口に合い、嗜好の点からすると口に合うものは少ない。嗜好は固より品質の適口にあるが、味の付け方によることも多い。畢竟それは人々の体質や健康状態及び習慣から来るので、千差万別であるが、その中に幾種かの類型が見出されるものらしい。
 いわゆる蓼食う虫もすきずきで、何でも自分の口に合うようにして、なるべく味よく食べるのが一楽である。それには自分で味を加減するのが便法で、洋食のように調味料を食卓に備えることは最も合理的で、日本でも是非学ぶべきである。

青木 正児「酒の肴・抱樽酒話」

2016/10/13

倫理には義務・強制・命令の存在

 倫理は普通なにか義務を意味している。それは強制を含み、命令として存在する。このような倫理は格率において示されるのがつねである。我々はこれを格率的倫理と称することができる。倫理と通常いわれるものは諸格率の一体系として与えられる。
 このような倫理をその純粋な姿において観察するならば、その特性は、それがまさに格率的であって、没人格的であるというところに見出される。格率的な倫理は二重の意味において没人格的或いは没人間的であろう。先ず一方において、それにとって実際に我々に向かって或る格率に服従することを命ずる者自身が倫理的に如何なる種類の人間であるかは問題にならない。不徳の人も有徳の人も他に対して同じように命令することができる。命令する人間如何は、そこでは多くの問題にならない。このことは、それを命令するものが究極において個々の人間ではなく社会であって、個人はいわばただこの社会を代表する視覚で命令するに過ぎぬということを現しているであろう。格率は非人格的な命題である。そして他方において、格率的な倫理は個個の人間、個性に対してそれぞれ個性的な関係を含むのではなく、すべての人間に向って一様に命令する。人間は個性としてではなく、むしろ社会として見られている。かような社会的人間として人間は「ひと」である。「ひとししかじかのこを為さねばならぬ」というように格率は命じている。格率的倫理においては「ひと」という範疇が支配的である。この「ひと」はテイデッゲル的な"das Man" であって、日常的における、或いは平均性または凡庸性における人間てある。格率的倫理はその意味で日常倫理にほかならない。かようにして格率的倫理はまさにその没人格性のために法則性もしくは普遍性を示している。

三木 清「哲学ノート」

2016/10/12

国家の理乱は人牧の賢否に繋る

   それ天地の道理を察するに、混沌として未分の霊、混迷にして妙然たり。時にその霊動きて、清濁升降す。ここに於いて天地を全く生ず。この雲周くして万物を生ず。故に天にありてはすなわち元気と云い、万物に在りては即ち霊と云い、人に在りては即ち心と云う。蓋し人倫は天理真妙の性を具足して出生する所なれば、虚言不昧のものなり。天は広大なるを以て、万里万妙該ぬざる所なきなり。人は全体をうけ得れば、万理万妙を備えずという所なし、天は万理を該ぬる故に万物を生じ、人は万里を備ふるを以て、万理を備ふるを以て、万事に応じて円通す。
 国家の理乱は、風俗の美悪に懸り、風俗の美悪は、民心の情偽に繋り、民心の情偽は、人牧の畏否に繋る。この故に風を移し俗を易ふるは、王たる者の以て挽回する所なり。嗚呼風俗の繋る所、蓋し大なる哉。今此の偏は、往昔本邦の風俗を述べし者なり。或いは曰く、副元帥時頼の著しす所なりと。顧みるにその書たる、頗る疑ひなきこと能はず。然れども、海内を周流し、民情を検察せしに非ざれば、かくの若く詳らかに且つ尽すこと能はず。方今盛時、風移り俗化し、古昔に異なると謂も、民情の尚ぶ所、猶遺風あるがごときなり。蓋し民情は猶植物のごとし。土地に因りて栄弊を異にし、感慨に因りてその性を遂ぐ。この故に北方の強あり、南方の強あり。膏土の民は才ならず、隻土の民は義に向ふ。険阻幽谷は、木直にして溢、平原海浜は、文弁にして放なり。これ皆風気水土の然らしむ所以なり。但し、その善悪厚薄は、時と共に当世に徴すべければ、即ち蓋ぞ風化の規鑑と為さざらんや。

最明寺・関祖衡「人国記・新人国記」

2016/10/11

The liberated of the victor enslaved the losers.

   元来、日本にはながく一定の地に住んでいるものが、後れてその地に居住するに至ったものに対し幅を利かし、「他人」ないし「来り人」として擯斥する風習は、今もなお地方には牢固として存在する。今日においても生活に影響するほどの強さをもっているかような謬見が、往昔においていかに甚しかったかは想像に余りあるものである。
 生存競争に敗れたものが浮浪していずれかに住処を見出し、ここに居住せんとする時には、専従者の承認を得なければならぬ。またたとえ承認されて居住するに至っても、「来り人」として疎外は免れなかった。浮浪民が法制上において公民と認められなかった時代の落魄者には種々の苦しみがあったであろう。
 敗戦者が落胆して賤民になることは多い。中世以後、戦乱が相次ぐに至って、これらの治乱興亡の裡には、戦敗の結果、惨めな結果に陥るものが多かった。戦国時代に滅亡した武門の後が落ちて特殊部落に入りきたったものも少なくない。いずれの時代においてもいかなる世にても、戦争には必ず一方が勝ち、一方が敗れて、敗者の運命に殺されるか、自殺するか、降伏するか、逃亡するかより途はない。奴隷が降伏して捕虜となったものに始まり、逃亡者の運命も決してよきものではない。その多くは永代の日陰者である。肥後の五箇ノ庄のごとく、敗戦者が一族一群をなして、山間不便の地に移り住んだと伝えられるような型をとることが多い。

高橋 貞樹「被差別部落一千年」

2016/10/10

仏教徒は生に縁って老と死あり

 仏教徒は世界の基盤として恒久的実体や根本原質ーすなわち、あらゆる事物や現象の実体的基盤を認めない。認めるのは、ただ非実体的な諸法だけである。現象は次々に起こってくる。一つが存し、これに続いて他が生じる。仏教の唯一の目的である解脱のため、輪廻の真相を見極める。
 輪廻の縁起説は、「何ある時、老と死ありや、何に縁ってそれは生ずるや。ーただ生のある時のみ、老と死あり。生に縁って老と死あり。・・・何ある時、生・・・あるや。ただ生存あるときのみ・・・」「生存、有」は文字通りには「生成」の意味である。受胎に際して肉体の形を採るようになることと考え、外の人々は、再生を惹き起す業、いわば「業による」生成の意味に解している。
 縁起説は、通俗的解釈の立場からすれば、縁起説は、意識ある存在の生存状態を、前世での「無知」と、この無知に基づく潜在意識の構成力が、新しい今日の生存の原因または誘引であり、今日の生存における最初の成因は、意識の目覚めである。
 「生存」は、次の世での出生をと老・死とを生じることになる。最初り誘因たる「無知」は何に基づくのであろうか。「無知に際限なし」と仏陀は教えた。それはあたかも樹木と種子、鶏と卵の関係であると説かれる。この悠久のドラマの究極原因が何であるかを、潜在力の入り交う循環論的思惟から期待することはできない。まして精神と物質の区別や、主体と主体を成り立たせている条件の区別など期待することはできないのである。

ジャン・ゴンダ「インド思想史」

2016/10/09

労苦の市民に厳しく恒常的な威嚇

 社会的範疇の区別がきわめて厳格なとき、往々にして驚くべき成果がある。種々の労働について決定をくだす者が、このうえない痛みや苦しみや危険を切実に感じないばかりか、それらのなんたるかを知ることすらない状況におかれる一方で、そうした決定を実行に移し労苦をひきうける者が、いっさいの選択の余地なく、多少なりとも偽装された死の厳しい威嚇に恒常的にさらされるときである。
 そのとき人間があてにならぬ自然の気まぐれから些かでも逃れようとすれば、権力への闘争の負けず劣らずあてにならなぬ気まぐれに身を投じるしかない。人間が自然の諸力を制御できるまでに進歩した技術を手にするときき、つまりわれわれの状況がそうなのだが、このことはまさしく妥当する。かかる状況にあっては、協働がきわめて広範囲な段階にわたって実現される必要があるので、指導者たちは自身の制御能力をはるかにこえる大量の要件をかかえこむことになるからだ。
 この事実のゆえに、人類は自然の諸力に翻弄される玩具ともなる。技術の進歩が与えるあらたな形態をとるとはいえ、原始時代にそうであったのと変わらぬ程度まで。われわれはこの苦い経験を過去にも現在にも味わっているが、将来においても味わうだろう。
 抑圧を払いのけつつ技術の保全を図る企てはというと、たちどころに極度の怠惰と混乱をひきおこすので、かかる企てに加担しようものなら、しばしば時をおかずして自身の首をくびきに差し出す憂目をみる。

シモーヌ・ヴェイユ「自由と社会的抑圧」

2016/10/08

戦争で土地と小作人を求める

 不幸な時期においては、人間精神がこれまで立っていた高い場所から急激に下降し、代って無知のために、ここでは野蛮性が、かしこで巧妙な残忍性が、そして到るところに堕落と不誠実とが発揮されているのを、われわれは見るであろう。才能のある人々のひらめきも、心の寛大性や善意をもっている人々の特徴も、この深い暗闇を通しては、ほとんど何らこれを透視することはできなかった。神学的夢想や迷信的偽善が人間の唯一の精神であったし、宗教的不寛容が人間の唯一の道徳であった。聖職者の暴政と軍隊の専制政治によって両側から圧伏されていたヨーロッパは、新しい光明によって自由・人間性・徳が再生できる瞬間を、血と涙とのうちに待望していたのである。
 勝利者の無知と野蛮な風習とはよく知られているとおりである。けれどもこの愚劣な野蛮時代のさ中に、かの教養高き自由なギリシャの盛時を汚職した家内奴隷制度が破壊されるようになったのである。
 土地附属の農奴は勝利者の土地を耕作していた。この圧迫された階級は、勝利者の家庭のために奴婢を供給していたのであって、この従属関係は、勝利者の自負と気概とを満足させるに足るものであった。それゆえ、勝利者たちは戦争において、奴隷ではなく、土地と小作人を求めた。
 かつまた勝利者が侵略した地方にいた奴隷たちは大部分、戦勝民族が征服したある種族のなかから得た捕虜またはその子孫たちであった。かれらの大多数は征服された瞬間に逃亡するか、勝利者の軍隊に加わった。

ニコラ・ド・コンドルセ「人間精神進歩史」

2016/10/07

死を嫌い避ける天性より霊魂不死

されば人心進歩の有様を考えふるに、最初には全く想像もなす事なく、更に禽獣に異ならざりしが、死を嫌ふの天性よりして、霊魂の死せざる事と、霊魂の帰する処とを想像し、次に死を避けんとの天性よりして、自然の怪力を敬するの心起り、次に言動の粗なるよりして、祖先を神聖と想像するの心起こり、次に霊魂不死の考えよりして、祖先の霊魂天地に照臨なしますと想像し、次に祖先の霊魂神となりて、之を祭れば諸の災害を治し給うの威力のあることを思い、是より神威愈々盛にして、人間万般の諸行を指揮賞罰せらるるに至れり。もし未開の世に当て、人の心には道理を窮むる猶像なければ、風浪の忽ち動き、雲切の俄に起こるも、皆な怪力の仕業なりし事も尋常の事となり、怪力の仕業大に減少すべきけれども、人の幽瞑に心を注ぐ事、亦た次第に進むべければ、怪力亦た性質を変じて神となり、神の領する処次第に高尚幽瞑の地位に登れり。故に其尊厳亦た隋って増加し、信仰の心愈々深くして、神道の基礎となりにけり。然れども未だ黄泉に於て神の威力ある事と、現世の所業の善悪に因て、死後霊魂の帰する所に差別ある事を想像するに至らず、黄泉と云える語は、仏法にて所謂天堂地獄を兼ね称するの語なり。故に其想像未だ十分に成熟せりとも思はれざるなり。

田口 卯吉「日本開化小史」

2016/10/06

無知は奴隷同然に放置

 学者たちは人間的関心事についてはもう十分知悉しており、人間界の外にあって人間の心理発見能力を越えるような事物の研究のためには、そんな問題は無視したってやっていけるとでも思っているのかとソクラテスは尋ねるのである。かれらは基礎的な諸点においてさえ自分たちどうし意見が一致せず、互いに異論を唱えあっているのに。あるいは天空の事象を研究することで、天候や気象を制御できるとでも思っているのだろうか、それともどのようにして風が吹き、雨は降るのかを知りさえすればそれで満足なのだろうか。ソクラテス自身はただ人間的関心事ー何が人々を個人として、あるいはまた市民として善き者にするのかということだけを論じたとクセノポンは言う。この分野では知識は気高い人格の条件であり、無知は人を奴隷同然の状態に放置するものだった。
 クセノポンの報告を信頼してよいのなら、ソクラテスは当時行われていた自然について思索を二つの根拠から拒否した。それは独断的であり、役に立たないというのである。
 一つめは、自分たちの話すことが真実であると知りうるはずがないのに自信たっぷりに教える人々の話を信じるように求められたときの反論である。イオニアの自然学者たちが世界の起源を叙述する場合、かれらはそれを自分たちがそこに居合わせて目撃したような確かな口ぶりで語っていた。
 もう一つの反論は、そういう理論は役に立たないというものである。「役に立たない」という言葉でソクラテスが何を言おうとしていたのか、クラノホンの説明はその点のかれの無理解を露呈している。
 ソクラテスが「役に立たない」と言ったのは、どちらかというと、人間の主要かつ本来的関心事だと彼が思っていたものー自己自身と正しい生き方についての知識ーのためには役に立たないということだった。人生の終極目的はいまこの時この場所において知ることができる、そうソクラテスは思った。

フランシス・マクドナルド・コーンフォード「ソクラテス以前以後」

2016/10/05

既成の秩序のために生存を犠牲

 日本人にとっては、已の民族の既成の秩序になんの摩擦もなしに順応するのは当然のことであるのみならず、その秩序のためには自己の生存をさえも泰然として犠牲にししかもそのために仰々しく騒ぎ立てられることはない。ここに初めて、仏教の及ぼした影響の成果と、同時にそれに基づくもろもろの術の持つともなしに持っている教育的な価値形成とが、明らかに現われる。この内面の光によって、死も、祖国のためにみずから進んで求める死さえも、崇高な清祓を受け、同時にあらゆる恐怖が跡形もなく消え失せる。仏教ならびにすべて真の術の鍛磨が要求する沈思とは単純に言うならば、現世および自己から訣別ができ、無に帰し、しかもそのためにかえって無限に満たされることを意味する。これが幾度も修練され、実際に経験されるならば、そして、決定的に理解された思想としてではなく、意識的に持ち出された決意としてでもなく、非有の中の現実の有として生きられるならば、これは死をも、また意識しながら死んで行くことも、沈思そのものに対するように少しも恐れないあの自若とした落着きを生み出す。じじつ、人間の生存がただ数瞬にして取り消されるものにせよ、あるいは持続するものにせよ、いずれにしてもそれは非有野中の有に移されることに変わりはない。
 同時に、ここにかの武士道精神の根源がある。日本人がこの精神を已れにもっとも特有なものとするのは当然と言っていい。そのもっとも純粋な象徴は朝日の光の中に散る桜の花びらである。このように寂然として内心揺ぎもせずに生から已れを解き放つことができるというそのことにこそ、終わりが初めに流れ入る生存の、唯一ではないが究極の意義を実現し、かつ開示する。

オイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」

2016/10/04

服従は憤り恨むよりは慄然と恐れ畏む

 人生における最も深刻なる経験は、われ意志す、しかしてわが意志に手むかう者実在することである。何故ならばこの経験においてわれらは現実に自己と自己にあらざる他者との実在に触れるからである。圧倒的な他者の抵抗素子に会うて、見るかげもなく崩れついえる経験である。これ以上に痛烈深刻な他者他力の体験はない。
 深刻に自己よりも大なる者に立脚せしめる。手痛く神に投げ放たれ打ちすえられて、人は始めて絶対的に神の愛護を信じ、徹底的無条件に神意に服従するようになる。それは深刻なる抵抗の経験であると同時に。又最も強烈にこの抵抗する者の実在と実力を思い知らせしめる。その時われわれは已が石の阻まれたことを憤り恨むよりは、慄然として地に伏し魂をふるわして恐れ畏む。或る圧倒的実在者への畏怖である。痛烈深刻におのれの微力無力さをさとられたのである。しかもこのさとりが我らを小さく萎縮させずして、却って我らを安住せしめるのである。そうして暢びしめるのである。かくして我らは初めて全く新なるいのちに溢れるのである。一度死して再び生きるのである。この旺なる更生は痛烈なる苦悩を通してのほか得られない。そしてここに苦悩がもたらす福音がもたらす秘密があるのである。

三谷 隆正「幸福論」

2016/10/03

戦争は気味悪く心は弾む

 1872(慶応4)年辰年の5月15日、私の17歳の時、上野の戦争がありました。今から考えてみると、徳川様のあの大身代がゆらぎ出して、とうとう傾いてしまった時であった。
 上野へ彰義隊が立て籠もっていましょう。それが官軍と手合わせをはじめるんだそうで。どうも、そう聞いては安閑とはしていにられないんで、夜夜中だが、こちらにも知らせて上げようと思って、やって来たんです。
 戦争と聞いては何となく気味悪く、また威勢の好いことのようにも思われて心は弾む。上野町の方へ曲がって行こうとすると、其所に異様な風体をした武士の一団を見たのであった。武士たちは袴の股立ちを高く取り、抜き身の槍を立て、畳をガンギに食い違えてに積み、往来を厳重にしているのである。
 ドドーンゝゝという恐ろしい音が上野方で鳴り出しました、それは大砲の音である。ドドン、ドドン、パチパチパチという。陰気な暗い天気にこの不思議な音響が響き渡る。10時頃と思う時分、上野の山の中から真っ黒な火が見えて来ました。彰義隊は苦戦奮闘したけれども、とうとう勝てず、散々に落ちて行き、昼過ぎには戦がやみました。
 その戦後の状態が大変で、死屍が累々としている。二つ三つの無残な死骸を見ると、もう嫌な気がして引っ返しました。その戦後の惨景は目も当てられず、戦いやんで昼過ぎ、騒ぎは一段落付いたようなもの、それから人騒ぎ起こったというのは、跡見物に出掛けた市民で、各自に刺子絆纏などを着込んで押して行き、非常な雑踏。すると人心は恐ろしいもので欲張り出したのであります。

高村 光雲「幕末維新回顧録」

2016/10/02

自由の危機が抑圧と戦争に導く

 自由の第1条件は経済的発展である。自由が危機に瀕するのは1社会の経済が縮小始める時である。経済的発展に失敗した暁にも政府が依然権威を維持しようとすれば、1つは国内抑圧、他は戦争である。
 生活に不足なく、かつ、考える余裕をもつということ、これが自由な人間の根本条件である。財産の所有者たちは、一応ある点までは、社会改良の手段によって資本主義の敵対者を籠絡しようとする。しかし、いったん財産かデモクラシーかの決定点に達すると、已の財産を択んでデモクラシーを破壊するという重大な危険が常に発生する。
 誰でも、欠乏からの自由は望ましいということにかけては原理的に一致している。アメリカ合衆国については望み薄である。というのもその莫大な生産力に拘らず、富の配分の合理的解決に遠い。報酬は個人の労働と節約とに比例する代わりに、むしろほとんど反比例をなす。最も少なく受け取る人こそ最も多く労働し節約する。
 自由とは本質的に拘束の欠如の欠陥である。権力は、自由な活動を埃ってはじめて発揮できる種々の能力の行使を阻害する。自由がその目的へと進み行くためには、平等の存在が大切である。平等とは社会がある人々の幸福の要求に対し、他の人々に対するよりも余計な障害を設けないことである。
 個人に残されたただ一つの道は、市民としての行動の導き手である良心に従うことである。それ以外のやり方は自由を裏切ることに外ならない。抑圧すべきものの選択を委託する人々は、単に、社会福祉に熱心であるでは全く不適当である。知的盲目者が、自分の建てた勝手極まる基準に市民を従わせようとするのである。純潔は、全くひどい無知に過ぎず、よれによって自由は滅殺され、人間の人格は、全く容赦し難いまで拘束される。

ハノルド・J・ラスク「近代国家における自由」

2016/10/01

感情のみに走る国権主義と忠君愛国

 十七歳の時には妾(わらわ: 女性がへりくだって自分をいう語)に取りて一生忘れがたき年なり。吾が郷里には自由民権の論客が多く集まりて、日頃兄弟のごく親しみ合へる。時の政府に国会開設の請願をなし、諸懸に先立ちて民衆の迷夢を破らんとはなしぬ。
 かかりし程に、一日朝鮮動乱に引き続いて、日清の談判開始せられたりとの報、端なくも妾の書窓を驚かしぬ。我が当局の恥辱を賭して、偏に一時の詠歌を衒い、百年の患いを遺して、唯だ一身の苟安を翼ふに汲々たる様子を見ては、いちど感情にのみ奔るの癖ある妾は、憤慨の念燃えるばかり、遂に巾国の身をも打ち忘れて、いかで吾奮い起ち、優柔なる当局及び惰民の眠をさまし呉れでは已むまじの心となりしこそ端たなき限りなりしか。
 嗚呼斯の如くにて妾は断然書を投げ打つの不幸を来せるなり。当時の妾の感情を洩らせる一片の文あり、素より狂信の言に近きけれども、当時妾が黒鍵主義に心酔し、忠君愛国てふ事に熱中したりし其有様を知るものに足るものあれば、叙事の順序として、抜粋することを許したまえ。斯は大阪未決監獄入監中に起草せるものなりき。妾はここに自白す、妾は今貴族豪商の喧騒を憂ふると共に、又昔時死生を共にせし自由党有志者の堕落軽薄を厭へり。我等女子の身なりとも、国のためてう念は死に抵るまでも已まざるべく、此の一念は、やがて妾を導きて、頻りに社会主義者の説を聴くを喜ばしめ、漸く彼の私欲私利に汲々たる帝国主義者の云為を厭はしめぬ。
 嗚呼学識なくして、徒らに感情のみに支配されし当時の思想の誤れりしことよ。されど其頃の妾は憂世愛国の女志士として、人も容されき、妾も許しき。姑らく女志士として語らしめよ。
 獄中述懐(1885(明治18)年12月19日大阪未決監獄に於いて、時に19歳)
  元来儂は我国民権の拡張せず、従って婦女が古来の陋習に慣れ、卑々屈々男子の奴隷ためを甘んじて、天賦自由の権利あるを知らず己れがために如何なる弊制悪法あるも恬として意に介せず、一身の小栄に安んじ錦衣玉食するのを以て、人生最大の幸福名誉となすのみ、豈事体の何物ためを知らんや、況や邦家の休戚をや。未だ嘗て念頭に懸けざるは、滔々たる日本婦女皆是にして、恰も度外物の如く自ら卑屈し、政事に関する事は女子の知れざる事となし一も顧慮する意なし。

福田 英子「妾の半生涯」


女性解放運動の先駆者「東洋のジャンヌ・ダルク」

2016/09/29

欲望は悪を好み善を目の敵

 スペイン人は、王が部下を小刀と綱以外戦闘用の武器も身を守る道具を携えず、全員率いてカルマルカの町に近づいて来たことを知り、町から一レグワ半離れたコノクまで出向き、彼らを迎えた。インディオが集合していた広場に通じる出入り口を四カ所占領し、その結果広場は完全に封鎖されてしまった。
 インディオは、ひとり残らず、まるで羊のように閉じ込められた。インディオは大勢いたので、身動きがとれず、また、武器も携帯していなかった。スペイン人は凄まじい勢いで広場の中央を目指して襲いかかった。彼らは、インディオたちが喚声を上げていたので、馬、県、火縄銃をくしして、さながら羊を屠殺するかのように、インディオを殺し。スペイン人に刃向かったインディオはひとりもいなかった。その場に居合わせた一万人のインディオのうち、惨殺を免れたのは二百人にも満たなかった。殺戮を終えると、スペイン人はインディア王のアタグゥルパを牢に連行し、その夜一晩中、首に鎖をかけ、裸のまま監禁した。
 しばらくすると、スペイン人が暮らせていけるよう、部下ひとりひとりに例外なく貢ぎ物を差し出させた。その一方で、先祖代々受け継いだ莫大な量の財宝をスペイン人に差し出した。スペイン人たちは受け取ってすかり満足した。
 ところが、人間の欲望は測り知れないほど深く、数年経過すると、スペイン人もすっかりその虜になってしまった。スペイン人はあらゆる悪を好み善を目の敵にする悪魔に魅入られ、どのように責め立てれば、すでに手に入れた金銀をインディオからせしめることができるかを密かに謀議を図るようになった。

テイトゥ・クシ・ユパンギ「インカの反乱ー被征服者の声」

2016/09/28

自尊心が宗教に次いで悪徳を押さえる

 このベレンサレムの国ほど貞潔な国、汚職と悪弊を免れている国はないのです。人間世界の中で、この国民の純潔な精神ほど美しく、誉むものはないからです。あなた方は結婚を無用のものとして、不倫な欲望を癒すものてして定められている。ところが卑しい欲望をもっと暗にに癒す薬が手近にあると結婚はお払い箱になります。結婚して繋がれるよりは放縦不純な独身生活を選ぶ人が多くみられ、結婚しても、年をとり青春の活力が失われてから結婚する人が多いのです。求められるのは姻戚関係とか字残金とか名声とかで、子孫を残すことは付けたりの望みです。また勢力を卑しく浪費してしまった者は、貞潔な人々のように、子供を大切にするはずはありません。こういう、放蕩が、どうしても止むを得ざることしてのみ許されるならば、結婚したら止むはずですが、果たして結婚で事態は多いに改善されますか。いや相変わらず放蕩は続き、結婚はないがしろにされます。変化を求める悪しき習性と罪が芸となるの快楽が、結婚を退屈なもの、一種の懲罰か税金のようなものにしている。
 これらの悪習を、自然にもとる情欲のような、より大きな悪徳をさけるためだと弁護されるそうですが、本末転倒の知恵である。いやそればかりでなく、そんなことをしてもほとんど何の益にもならぬ、同じ悪徳と肉欲が跳梁している。背徳の情欲は炉のようなもので、焔を全部消せばいったんは消えるが、排け口を与えればまたもえさかると言うのです。男色については、ここではいったんは消えるが、ここでせはその気配さえありませんが、それでいて。この国でみられるほど信義に厚く、破られることのない友情は、他のどの国にもありません。要するに、この国の人々ほど貞潔な国民は聞いたことがなく、彼らの口癖は、「貞潔でない人は自分を尊敬できない」で、こうも言っています。「自尊心は、宗教に次いで、あらゆる悪徳を押さえる最大の手綱である」

フランシス・ベーコン「ニュー・アトランティス」

2016/09/27

日本臣民は分子にして護る徴兵者

伊藤博文が勅令を奉じて起草した大日本帝国憲法の草案と半官的な遂上や説明書である「憲法義解」(1889(明治22)年)。

第二章 臣民権利義務
第二十条 日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す

日本臣民は、日本帝国成立の分子にして、共に国の生存独立及び光栄を護る物うなり。上古依頼我が臣民は事あるに当てその身家の私を犠牲にし本国を防護するを保って丈夫の事とし、忠義の精神は、栄誉の感情と共に人々祖先依頼の遺伝に根院おし、心肝に浸漸して持ってう一般の風気を結成したり。聖武天皇の詔に曰。「大伴佐伯の宿祝は常も言うごとく、天皇が朝守りつかえ奉る事顧みなき人塔にあれば、汝等の祖ども言ひ来らく、『海行かば、みづく屍、山行かば草むす屍、王のへにこそ死なめ、のどには死なじ』と言ひ来る人等ともなも聞しめす」と。この歌即ち武臣の相伝へて以て忠武の教育をなせる所なり。大実以来軍団の設あり。海内壮兵役に耐ふる者を募る。持統天皇の時毎国正丁四分の一を取れるは即ち徴兵の制の由て始まる所なり。武門執権の際に至て兵農職を分ち、兵武の事を以て一種族の専業とし、万制久しく失ひたりしに、維新の後、明治四年武士の常職を解き、五年古制に基き徴兵の令を履行し、全国男児二十歳に至る者は陸軍海軍の役に充たらしめ、平時毎年の徴員は常備軍の編成に従い、而して十七際より四十歳迄の人員はこと悉く国民軍とし、戦時に当たり臨時招集するの制としたり。此れ徴兵法の現行する所なり。本条は法律の定むる所に依り全国臣民をして兵役に服するの義務を執らしめ、類族門葉に拘らず、又一般に其の志気身体を併せて平生に教育せしめ、一国雄武の風を保持して将来に失墜せしめざることを期すなり。

伊藤 博文「憲法義解」

2016/09/26

戦争の記憶は代理経験と空想

 人間が他の動物と違うのは、自分の過去の経験を保存する点にある。過去に怒ったえことは、もう一遍、記憶の中で経験される。けれども、記憶の再生が正確なことは稀である。私たちにとって興味あるものを、興味あるゆえに記憶する。記憶というものには、危険や不安だけを除いて、戦いの興奮がすべて含まれている。それを生き返らせて楽しむのは、戦いや過去に属している意味とは別のある意味によって現在の瞬間を豊かにすることにほかならない。記憶とは、実際の経験に伴う緊張、不安、苦悩を抜きにした経験の情緒的価値のすべてを含む代理的経験である。
 戦闘の勝利は、勝利の瞬間よりも、戦勝祝賀の舞踏の時の方が痛切であるし、狩猟が意識的な、本当に人間的な経験になるのは、それを語り、その真似をする時である。人間が過去の経験を再生するのは、そのままでは空虚な現在に興味を添えるためである。記憶の本来の働きは、性格な想起というより、空想や想像の働きである。結局、大切なのは、物語であり、ドラマである。
 私たちは、普通の人間の普通の意識は、知的な研究、探求、試作の産物ではなく、さまざまな欲望の産物であるという事実を認める必要がある。私たちは、とかく自分を規準にして他人を判断し易い。合理性な非合理性というのは、知的訓練を受けていない人間性にとっては全く縁もなく重要でもないということ、人間は、思考よりも記憶によって支配されるものであること、その記憶も、実際の事実の想起ではなく、連想、暗示、ドラマティクな空想である。
 本質的な善は、恒常性と緊急とのゆえに大衆の関心事である日常利害から切り離されている。この区別を利用すると、奴隷や労働者階級は国家ー共和国ーにとって必要ではあるが、国家の構成員ではない。単に手段的と考えられるものは、機械的価値に近いわけで、本質的に価値を書くうと考えられたら最後、みな無価値になってしまう。

ジョン・デューイ「哲学の改造」

2016/09/25

他と区別する自我が自由を殺す

 考えると美醜の二元相対は、人間の分別が作為したもので本来の面目ではあるまい。丁度天候それ自身に、寒暖の二はなく、立場を異にするとある人には暑く、ある人には寒いと呼ばれるに過ぎない。だからそれは人間の作為による区別に他なるまい。本来は無記である。
 同じく美悪美醜の分別も人間の作為に過ぎぬ。故にこれに囚われるのはあたらな妄想を描いて、これに煩わすに外ならぬ。本来は清浄であるのに、強いて美醜の二つの葛藤妄想を起こすから、とにかく濁るのである。濁ればなかなか救いが来ない。故に不二に居ればおのずから救いが与えられよう。不二に居るとは、二つに囚われない身となる事である。だから知的分別を振り回す者はとかく道を謝る。作為に囚われて、道を失うからである。
 二つの世界に在る事は、不自由に在る事である。この自由を殺す最も大きな力は自我である。「他」と区別する「自」である。自我への執着は人間を奴隷にする。作為をこらせば作為に倒れる。しかし作為を意識的に殺せば、新たな行為で、循環するに過ぎぬ。分別に縛られては、人間を殺すに等しい。どうしても分別に在って分別に終わらぬ世界に出なければならぬ。
 どうしてこんな悲喜劇が起こるのか。知る事と見る事、知る事と行う事、知る事と味わう事とが一致しないのである。あるいは一致というよりも、前後しているという方がよいかも知れぬ。即ち、見て知るのではなく、知って見ようとするからである。行って知るのではなく知って行おうとするからである。味わう事で知るのではなく知れば味わえると思うからである。あの善悪の標準を見ましても、程度の差であったり、立場の差であったり、国状の別に依ったり致します。時代で国土でどんな内容を異にするのでありましょう。

柳 宗悦「新編 美の法門」

2016/09/24

帝国主義政策の併合行為

 トゥバの地域の重要性は、それが相互に抗争し合う人種、宗教、政治権力の前哨戦をなしていることにある。そこにはシベリアから追い出されて、地下資源と魚と毛皮獣に富んだこの地にやってきたロシア人の入植者がいる。偉大な過去の相続人でありながら、堕落したラマ教の腐敗敵な影響によって、とっくに骨抜きにされてしまったモンゴル人の諸族がいる。ジュンガル平原には、イスラム教の最前哨をなす人たちがいる。そこには注目すべき活力と活動を展開しているシナがある。カラザースがその研究と施策の背景にあって、繰り返し問うた問題は、かつて世界史の中で、これほど大きな役割を演じ、また再び未来を持つに違いない。秘密に満ちたこの一体において、未来はいったい誰のものかということだ。ただひとつの回答だけだ。
 未来はロシアのものだった。今日、中央アジア北部のこの地域を支配しているのはソビエトだ。新しい庇護者となったロシアは、この国でまったく自分の国のようにのびのびと振る舞った。新しいモンゴル政府、聖なるホトクトとその大臣たちは、ロシアの総督が命じた通りを実行しなければならなかった。
 トゥバがロシア領にされたやり方は、トゥバの併合が帝国主義政策の行為であり、イタリアがトリポリを、イギリスがスーダンを併合したのと異ならないのは疑いのないところだ。トゥバにおいてソビエトがやったことを見れば、このすばらしい具体例から、新ロシアの外交政策の本質がどんなものであるか、判断を得ることができるだろう。

メンヒェン・ヘルフェン「トゥバ紀行」

2016/09/23

慣習から複雑から単純の体制は認め悪い

生命は真実には何によって構成されるか、またこの自然的現象が一つの固体内に生じその存続期間を打長し得るために必要な条件は如何なるものであるか。あらゆる体制の中で最も単純なものが生命の存在に必要なる諸条件の必須のものだけを示し、それ以上に迷わすような何も示していないので、外見上かくも困難な問題に解決を与える適確な手段が見出されるのかは単純なる体制以外にはない。
 生命の存在に必須な諸条件は、複合程度の最も少ない体制に、最も単純なな限度に限られてではあるが揃って見出されるので、問題は、如何にしてこの体制が何等かのの変化原因により、より複雑な体制を生ずることができ、動物段階の全域について観察される段々とより複雑な体制を発生させ得たかを知るにあった。観察の結果到達した次の二つの考察を用いて、この問題の解決の途を見出した。
 第一に、一器官の反復使用はその発達を助成しそれを大きくすることさえあり、これに反して、一器官の使用の廃止は、それが習性的となれば、その発達を妨げそれを萎縮させ次第に小さくし、そしてこの使用の廃止が、生殖にとって相次いで生じるすべての個体によって長期間継続されると、その器官の消失を来すということを、多数の既知事実が証明している。これによって、環境条件の変化が動物のある種類の個体にその習性を変更するよう強制すると、使用度の減じた器官は少しづつ萎縮し、使用度の増した器官はますます発達し、それらの個体が習性的に行う使用の度に力と大きさを獲得される。
 第二に、流動体を含む非常に柔軟な部分におけるその流動体の運動力について、生物体内の流動体の運動が加速されるに従ってその流動体が運動の場としている細胞組織に、変化を与え、そこに通路を開き種々の脈管を形成し、ついにその流動体が見出される体制の状態に従って各種の器官を造るに到る。
 諸動物に関する我々の全般的配類は、今日までの状態では、自然が生命を有する成生物を次々に発生させるにあって遡った序次そのものとは逆な配位を表しているのであって、しばらく慣習に従って、最も複雑なものから最も単純なものに進めば、体制の構成における進歩の知識を補足することが困難となり、この進歩の諸原因、此の方彼方でその進歩を中断させている諸原因の何れわも認め悪い状態に置かれるのである。

ジャン・バティスト。ラマルク「動物哲学」

2016/09/22

人は不実に流れ、国は乱を機ざす。

  世の風俗の移り変わる事、雲の起こるが如く、水の流れるが如く、人身の老いゆくが如く、昼夜止まらざるなり。人は不実に流れ、国は乱を機さず。人情一度軽薄に流れなば、再び性善に復しがたく、国家一度乱るるれば、再び収まりがたきし。古来の歴史にも見えし如く、治は保ちがたく、乱は鎮めがたし。すでに中古南北両朝の戦より、国々兵乱打ち続き、干戈止む時なく、世上道理絶え、礼儀廃り、君臣の道を失い、上君徳に背き、下臣道を絶ち、臣として君を失はん事を計り、君または臣を失はん事を思ひ、あまつさえ主君を弑して国郡を押領し、あるいは親子兄弟拒みて領地を争い剣鎗に及び、また同列朋友互いに計りて、権威を逞しくせん事を欲し、あるいは受領口宣なくしてほしいままに国の守を名乗り、さらに官職のためのみなく、尊卑の次第を失い、人心雲水の如く、危々として薄氷を渉り、耕田荒廃し、鰥寡孤独の類のみ多くでき、神仏仏閣破壊し、奸盗殺害、常の業となり、誠に天地の道理を失ひて、二百有余年を経るといへども、なお治むること能わず。時に当たりて城郭を砕き、国郡を犯し奪へる英雄豪傑はあまたありといへども、国を治め果せる人傑もなく、稀有に治め得る主将もその徳薄く、仁政の至らざるにや、永く保つこと能わず。
 しかるにかかる御治世の結構に倦み誇りたるというべきか、実に安逸鼓腹に余りたるか、近来風俗転変し、奢侈超過し、上下その分限の程を失い、花麗日々に増し、月々に盛んになりて、人情うき立ち、根元の信義薄くなり、治世のありがたき御恩沢の程も弁えず、下賤のものまでも気象高ぶり、我儘に構え、得手勝手に身の栄耀を調ふる事のみ欲し、それに随つて内申に私欲の情募り、我より下たる者への権威をふるまひ、上たるには媚び諂い、虚言偽りて人を犯し奪う事を欲し、万事軽薄にのみ走り、表向きは穏和にして、礼儀も厚く見えて内心の実意薄く、忠孝の志もはるかに劣り、慈愛の情も薄くなり、物事すべて義理によらず、また賢愚に拘らず、とかく財利により、貧福を眼目とし、身の奢り飾りの美事なると、また見ぐるしくて、人の勝劣を沙汰する当時の振合ひなる故に、その身高くまた道を正しく守るといへども、貧しきは世に疎まれ、人に遠ざれらるるなり。その身卑しくまた愚かなるとも、財宝を貯えたるは世の上に敬し挙げられ、楽しみを貴人・高位と等しく極るなり。

武陽 隠士「世事見聞録」


2016/09/21

犠牲を軍艦に変える富国強兵

あゝ飛騨が見える厳しい冬将軍があたりを覆い尽くす頃、みねという名の製糸女工が野麦峠の長上で死んだ。
口減らしのため岡谷の製糸工場へ出かせぎに行き過酷な労働と折檻に耐え青春を過ごした。
明治政府が強引に推し進めてきた生糸を、軍艦に変える富国強兵政策を底辺で担ったのは、無数の女工たちであった。
女の生きるための哀歌であるとともに、数百の聞き書きによって浮き彫りにした素顔の日本近代史である。
無学の女性が大多数、産めよふやせよ、戦争の兵士にするために、青春時代を戦いにあけくれ敗戦となる。
人間は何のために生きているのか。
無智な親を持って我が身がいとおしいと過ぎた人生を語る。
仕事のできる人は幸せなりと、只一人泣く。

山本 茂美「あゝ野麦峠ーある製糸工女哀史」

2016/09/20

感情主義は保守主義を含意

 誰もが自分の推論の能力を過大評価しているといこと自体が、この能力がいかに浅薄なものであるかを示すのに十分である。実際にうぬぼれるのはつねに、姿の美しさとか特殊な技術のうまさなど、無意味な資質の方である。魂の実質的部分をなしているのは本能であり感情である。
 感情主義は保守主義を含意する。そして保守主義はその本質からして、いかなる実践的な原理についても極端にまで推し進めることを拒否する。保守主義者が言いたいのはただ、突発的に損なわれるにまかせたり、あるいは倫理的な規範を急速に変えたりする人は、賢くない人だということである。決定的な重要性をもつ事柄は、感情に、いいかえれば本能に委ねられている。すべての力を発揮する過程で主として頼りにすることができるのは、魂の部分のなかでももっとも深く確実な部分ー本能ーの方である。
 思考における、感情における、行為における一般化、連続的体系の豊かな拡がりこそ人生の真の目的である。人間のすべての知的発展が可能になったのは、あらゆる行動に誤りの可能性があるという事実のためである。「過つは人間の性」こそ、もっとも熟知している心理である。生命の無いものはまったく誤りを犯さない。
 観念は類似性にとくに価値を認め、強調する性質をもっている。ある感覚質が鮮明な意識をもたらされるなら、直ちにいくつかの別の質の鮮明さも増加する。概念は観念ではなく精神の習慣である。一般観念が繰り返し生じ、その有用性が経験されるならば、一個の習慣が形成される。

チャールズ・サンダース・パース「連続性の哲学」

2016/09/19

戦争に生死の権利を握る首領

自分たちの身柄も財産も掠奪から守られず、目の前で土地を荒らされ、子供を奴隷に連れられ町を落とされないようにカエサルに援助を求めた。
カエサルに降伏の使節をよこすと、カエサルは人質と武器と奴隷を求めた。
勝った者が負けた者に思いのままの命令をするのは戦争の掟である。当たり前の状態をまもって年貢を納めている限り、不当な戦争はしないとおどす。
敵も最後の望みをかけて奮戦し、先頭のものが倒れば次のものは倒れたものの上にたって屍の中で戦い、これらのものも倒れると生き残ったものはさらに死体を積み重ねた。
兵士は命ぜられたとおり飛び出し、陣地を取るつもりで来たものを到る処で取り囲んで殺し、その野蛮人3万余りの3分1以上を殺し、その村の家をすべて焼き払った。
すべての若者、智略や名望のある年寄りは集り、町の護りようもなく、身柄財産をカエサルにあげて、元老をすべて殺し、残りは奴隷として売り払った。
カエサルに平和と友情を求めるのに対して、人質を差し出すように命じ、村と家とをことごとく焼き払い、穀物も刈り倒した。
ローマ軍の大軍に迫られると、塹壕の中に投げ込み、闘いながら死んだ、夜まで攻撃を支えたが、夜になると救われることを諦めて自殺した。
国境をできるだけ広く荒廃させて無人が最大の名誉である。隣が土地をおわれて去り、誰も住もうとしない、不意の侵入の恐れがなくなり、一層安全と思っている。
部族が戦争をしたり、しかれられて防いだりする場合には、戦争を指揮して生死の権利を握る首領が選ばれ、平和の時には一般の首領はおらず、裁判をして論争を沈める。

ガリウス・ユリウス・カエサル「ガリア戦記」


2016/09/18

日本軍隊は警察国家日本の産物

いかなる制度にも長短はある。そして、その制度での人間の優劣賢愚によって、制度は生きもし死にもする。党員のなかにも愚劣な人間がいて、制度の短所を一新に集めているかと思うと、実にほれぼれするような人間的な党員もいる。非党員のなかには、新しい制度に納得がゆかぬながらも、巧みに制度から利己的な甘い知るのも吸おうとする人々もいるし、今更新しい制度に希望は持てないにしても、周囲にいる人間に対する愛情を活かして、下積みの苦しい生活を静かに送っている人々もいる。
 ソヴィエト権力の触手が、蜘蛛の巣のように小さい身体の上に覆いかぶさっている。その権力に対しては、どんな真実も、釈明も役に立たないように思われるし、その権力は個々の人間の生命や、その家族の幸福などは全く無視して顧みないようにさえ思われる。
 あらゆる善意にもとづく努力にもかかわらず、その権力がおそろしく官僚主義的・秘密主義的で、暗くおそろしいものだという印象を拭い去ることができなかった。個々の囚人の切実な訴えに耳を傾ければ、罰日が不明だったり、その処罰が余りにも非人間的だったりする。それは理性を超えた闇の力ーテロリズムではないか。
 日本の軍隊であったなら、軍曹は殴打、重営倉、降等、場合によっては銃殺を以って酬いられることは明らかだ。あらゆる政治組織は、自身の姿に似せて、その軍隊を作り上げる。兵隊が完全に無権利な状態に抑圧された日本の軍隊は、まさに民衆の基本的人権が無視されたいた警察国家日本の産物であった。

 高杉 一郎「極光のかげにーシベリア俘虜記」

2016/09/17

偏狭な非情で萎縮さす野蛮な愛国主義

    愛国とは何ぞ。如何なる人士に負はしむるに愛国といへる栄名を以ってすべきや。世間似て非なるもの多し。紫の朱を奪うは、古今の通弊に非ずや。
 常に其の眼前に遮りて遠征の人を悩殺す。此れ吾が祖宗の国なり。我等の汗は、其の土壌に滴りぬ。我らの血は、その誉ある幾多の戦場に流れたり。我らの痕跡は、吾が衣装に、慣習に、言語に、終にまた文章に残りて甚だ鮮やかなり。吾人が国を愛するは、単に郷土を愛するのみに非ず。愛国の真意は、国民を愛するに在り、其の歴史を忘れ難く覚ゆるに在り、夢床の間に其の英雄と交通するに在り。
 真正の愛国は、既往に束縛せらるるものに非ず、今に居て能く過去を継承し、其の精神を拡充して、大いに新田地を開拓するを期するものなり。祖宗の偉業を弘め、粛々として、其の大成を図るは、国を愛するものの志す所なり。往を承け来に継ぐの大義を忘れ、漫に国粋の主義を唱え、鎖国的の国民論を主張するのは、抑また愛国の本義を誤れるものに非ずや。此の主義に由りて、政治を論ずるものは、実に固弊にして其の国に害すること甚だし。
 一国の民、其の自己を執りて、固く立たず、妄りに外国の風習、文物に屈従し、奴隷の如く其の模倣に奔走するのは、吾人の非難する所なり。吾人は当然なる国民主義に左袒す。偏狭なる区域に躊躇して、広く人類の同情同感を求めず、固弊な国民の視覚を萎縮せしむること甚だしき。これを名付けて、野蛮と称す。

斉藤 勇「上村正久文集」



2016/09/16

紫禁城から日本公使館に脱走皇帝

 紫禁城の内務府はありふれた、型どおりの皇帝(溥儀: 清国の最後)の従順な僕であるだけでは十分ではない。もし自分達がいなかったら、皇帝は道徳的にも、肉体的にも、精神的にも、いっそう貧しくなってしまうであろうと思うところまで奉仕に徹する必要があったのである。実際はこれとはまったく逆で、革命前はもちろんその後も、彼らは一貫して内務府とは自分達の危篤の利益を計るための機関であり、自分自身の存在を継続させる口実を見つけ出すことにあった。
 皇帝は、優待条件に関する清室側の立案者の真の目的が、皇帝や一族を保護することにはなく、世間へ出て自分の力で生計をたてることに恐怖を感じ、王室は滅亡しようとも自分たちは無傷でいたい大勢の宮廷官史と宦官たち、そしてあらゆる種類の寄生虫たちの生活を維持するためであった、という意見をもっています。
  紫禁城の財宝は1933(昭和8)年の満州事変で、日本と満州国の軍隊の北京にたいする軍事的脅威によって、中国中部のいくつかの場所に急遽疎開しなければならなくなった際に、一般の注意をひくこことなった。
 北京での差し迫った内乱についての奇怪な噂はありがたいことに外国公使館にも何の情報も入っていないようだ。1934(昭和9)年11月29日最初に日本公使館に入った。外国公司のうちでも日本は、紫禁城から脱走する皇帝を受け入れるだけでなく、十分な保護を叶えてくれるであろう唯一の公使であったからだ。その他の外国公使館は、中国の内政に干渉すると解釈し、ひどく冷淡な態度をとる。
 特別列車が爆破された張作霖の死は、従来の満州における法と秩序の崩壊のきっかけとなる。1931(昭和6)年9月18日から有名な満州事変が起こったのである。1934(昭和9)年3月1日に皇帝は日本か強権をもって作り上げた傀儡国家「満州国皇帝」となった。

 レジナルド・ジョンストン「紫禁城の黄昏」

抽象的精神から可視的的に歩む文化

 印刷された書物は中世期に大伽藍の果たした役割を引きつぎ、民衆の精神の担い手になった。しかしながら、千冊の書物は、大伽藍に集中された一つの精神を千の意見に引き裂いた。言葉は石を粉砕した。
 見える精神はかくして読まれる精神に変わり、視覚の文化に変わった。この変化が生の相貌を一般的に大きく変えてしまったことは周知の通りである。概念と言葉の下に生き埋めになつている人間を再び直接人の眼に見えるように引き出す。
 使用されない器官は退化し畸型化するというのが自然の法則である。言葉の文化にあっては、表現手段としての我々の肉体は使用されず、そのために表現能力を失い、ぶきっちょで、幼稚で、鈍重で、粗暴なものになってしまった。文化は抽象的精神から可視的肉体への道を歩むかにみえる。意識的な知が無意識的な知覚力になる。
 人間における外的なものとは何か。地位・習慣・財産・着物、これらすべてが変容させ、おおい隠している。しかし人間はとりまくものに対して反作用する。人間は変容されつつ、こんどは自己のまわりのものを変容する。自己が大きな広い世界の中におかれていることを知る人は、その中に垣や壁をめぐらせた小さな世界を作り、それを自分のイメージに従って飾る。
 印章主義は、つねに全体の代わりに部分だけを示し、補足は観客の想像に委ねる。表現主義は、環境の全体像を示す。豊かな表情をも相貌にまで様式化して、まず第一に観客の感じとるような情緒を醸し出すことを、観客の想像に委ねたりはしない。
 カメラマンは意識的な画家でなければならない。第一に、視覚的芸術として映画はまた特に目を愉しませるものでもなければならない。第二に、一定の情緒を表現するからである。カメラマンは意識的に一定の情緒を表現するからである。だからカメラマンは意識的に一定の情緒を表現すべく勤めなければならない。

ベラ・バージュ「視覚的人間ー映画のラマーベラベラ」

2016/09/14

踊らされ中国に「征伐の役」

 神道では正邪の観念は浄、不浄の観念に置き換えられる。不幸や病気、とりわけ死および人間や動物の死体との接触は不浄なものとみなされた。かくしてある種の職業にたずさわる人々は、慢性的な癒しがたい不浄を背負わされることになった。そしてこのことが、社会から排斥された身分を生むのである。ひとたび穢れた死者は、不浄なものの「払い清め」ないし「叩き出し」の助けをかりて、清められるのが普通である。神道のいたって単純な儀式的側面は、この祓いあるいは浄化作用に尽きるといってもいい。
 幕末に対する天皇の回答は、彼自身、即刻厳格な断食の行に入り、祖国が異国の襲撃を免れるべく、全国でそれ相応の献祭をとりおこなうよう命じたという主旨のものだった。またこれとは別に、火急の事態にそなえるため、天皇は特別に頌歌をものした。他方最高会議は、この件でなんらかの合意を得ることができなかった。徳川が遺した法律も含め、この際何世紀にもわたる鎖国政策をきっぱりと捨てるべきと考えるものもいた。またあるものは、諸外国との関係の開始は災難にちがいないが、さりとて抵抗することもできないと認めている。
 明治維新からの国民教育省すなわち文部省自体が、きわめて困難な立場に追い込まれてしまう。異常に膨れ上がったこれら多数の生徒全員を官費でまかなうだけでも容易でなかったのに、これに加えて国民教育予算が、海軍省、陸軍省の兵備増強による財政危機のあおりをくって、とつぜん大幅に削減されてしまったからである。なぜ陸海軍省が増強されたかというと、イギリスに踊らされて「征伐の役」を不当とし日本側に屈辱的対応をとりだした中国とのあいだに、戦争が起こるのではないかと予想されたからだ。

レフ・メーチニコフ「回想の明治維新ーロシア人革命家の手記ー」

2016/09/13

深層意識は天国にも地獄にもなる

   底の知られないように、人間の意識は不気味なものだ。それは奇怪なものたちの棲息する世界。その深みに、一体、どのようなものがひそみ隠れているのか、誰にも知らない。そこから突然どんなものが立ち現れてくるのか、誰にも予想できない。
 人間の内的深淵に棲む怪物たちは、時としてー大抵は思いかけない時にー妖しい心象を放出する。その性質によって、人間の意識は一時的に天国にもなり、地獄にもなる。だが怪物たちは、普段は表に姿を現さない。ということは、彼らの働く場所が、もともと表層意識ではないということだ。
 だから人間の、あるいは自分の、表層意識面だけ見ている人にとっては、それらの怪物は存在しないにひとしい。怪物たちの跳梁しない表層意識こそ、人は正常な心と呼ぶ。平凡な常識的人間の平凡な意識は、まさに平穏無事。もし怪物たちが自由勝手に表層意識に現れてきて、その意識面を満たし支配するに至れば、世人はこれを狂人と呼ぶ。つまりそのような表層意識の現れ方、表層意識としては、異常な事態なのである。
 そしてこのことは同時に、彼ら、内的怪物たち、の本来的な場所が、表層意識ではなくて深層意識であることを示唆する。深層意識領域という本来あるべき場所にあって、あるべき形で働く限り、どんなに醜悪妖異なものにも、それぞれの役割があって、そこにあるといことが、時には幽玄な絵画ともなり、感動的な詩歌をも生みもする。汚物を貪り食う餓鬼の類ですら、深層意識的現実の世界秩序の中では然るべき已れの位置をもっている。胎蔵界の外縁、外金剛部院を満たす地獄、餓鬼、畜生、阿修羅などの輪廻の衆生。
 こういうものたちが、その本来の場所である深層意識の観念領域を離れて、表層的意識面に出没し、日常世界をうろつき廻るようになる時、はじめてそこに人間にとって深刻な実存的、あるいは精神的問題が起こるのだ。

井筒 俊彦「意識と本質ー精神的東洋を索めて」

2016/09/12

日本は全体と英国は自由を尊重

  わたしたちイギリス人の間では家族の結束はずっと弱いといえます。自分だけ金持ちでも仕方ないのでもちろん他の人の助けはしますが、家族に対する態度を比べると日本人とわたしたちの間には大きな違いがあります。一万キロも離れていることによる違いです。ここ東洋では個人の自由は重要ではありません。日本人は国民の幸せのためには個人の権利を放棄しなくてはならないと考えます。それで個人の自由を大切にする私たち西洋人が、日本時と同じように国民の幸福を望んでいることが理解できないのです。
 現在の変化しつつある世の中では、よいものを一部の人が占領するのではなく、みんなが共有するためには自由を制限を加える必要があるというのはもっともな意見で、私たちイギリス人も賛成です。それでも私たちにとっては命ともいえる個人の自由を放棄することは拒みます。どちらを向いたも目に入る他国の重苦しい全体主義の考えより、個人の自由を尊重する私たちの考え方がいいと思います。
 過程の中の一員が、その家族にとって資質を持つことがあります。肉体的な欠陥ならともかく、思想上の欠陥の場合には、例えば、旺盛な探究心に取り付かれたというような場合には、家族の中心的な人たちは、このまま放っておくと、一族の昔からの平和が荒らされることをちょ感敵に感じ取ります。あるいは、彼の方が自由を拘束する慣習に従おうとしないかもしれません。そんな時は、大人たちが勝手に本人のためと考えて、家族全員で事の解決にあたります。いかなる行動を起こすにせよ、両者ともに伝統に従って厳かに行います。何世紀にもわたって培われてきた家族に対する愛情は、その家独特の階層を作り出し、下の者は上に従順で礼儀正しく、またお互いが、あまり自由がない組織の中でできる限りの思いやりを持つようににりました。ある個人を愛するという自然で強い感情が、日本では、家族の愛に取って替わったのです。従って、団結した家族とその外の世界との境界線はイギリスよりもはっきりしています。

キャサリン・サムソン「東京に暮らす living in Tokyo 1928-1936」

2016/09/11

コペルニクスは天の回転

 この天体の回転の書の中で、地球に運動を与えている意見を抱いている私は直ちに罰せられると言って騒ぎ出すであろうことを私はよく存じています。けれども私の意見は他人の判断を考慮していない点で満足していません。
 哲学者の仕事は神が人間の理性に許し給うた範囲にてあらゆる事物について探求するから、その思想は愚人の判断に従うべきでないですが、正義と真理に全く反する意見は避けるべきです。
 私が地球が動くことを肯定したならば、地球は不動で空の真中に中心であるという意見が何世紀もの間の判断している人々が、どんな不合理であると評価しようとするかで、私はその運動の証明のために著述を公にすべきであるか、あるいは反対に哲学の神秘は友人や身近な人だけしか、それも書物によってではなく、口だけでしか知らせない方がよいと長い間考えました。彼らはある人々が考えるように意見を伝えることを惜しんでそうしたのでは決していないと私は思います。
 そうではなくて非常に偉い人々によって熱心に研究された非常に美しい事柄が何か得にならないと学問に真面目な働きを捧げようとしない人々や、他の日と日度の例と勧めによって哲学の自由な研究に勧奨されても精神の愚鈍のために哲学者のなかにあることも恰も蜂蜜のなかの黄蜂のような人々によって軽視されるのを恐れたからだと思います。このように考えまして私の意見の新奇と不条理に対する恐れが私をして、とうに完成している著述を発表せずにおくところでした。
 しかし私の友人たちは私が長い間躊躇し、彼等に反抗さえしたのを思い返させました。彼等は既にその4倍もの私のしまってある研究を本に書いて公にすることを度々私に勧めたばかりでなく、私がそうしないでいる事を何度も非難しました。その他の優れた学識のある人々が同じように私に求め、数学にたずさわるすべての人々の利益のために私の研究を公にすることを、私の懸念のためにも拒絶しないようにと勧めました。
 地球が動くという私の理論は多くの人々に不条理に見えようとも、私の著述が出版されて不条理の雲が明瞭な説明によって消えて行けば、それは多くの称賛と感謝を喚び起こすであろうと彼等は申しました。長い間彼等が私に求めていた私の著述を出版することを友人たちに許すに至りましたのは、このような勧めとこのような希望によってであります。

ニクラウス・コペルニクス「天体の回転について」

2016/09/10

無知は権門し派閥を尊敬

  住民のあいだにひとりの統治者がいます。聖職者で「太陽」と呼ばれています。この人が、精神面でも世俗面でも全住民の指導者で、あらゆる政務が採取的にはかれによって決定されます。「力」は戦争・和平・軍略をつかさどります。軍事においては最高指導者ですが、「太陽」にまさるものではありません。「武官、戦士、兵士、軍需、築城、攻城を管轄します。「太陽」は「力」とともに、こうしたあらゆる仕事をつかさどります。無知な人たちが権門の生まれだとか強大な派閥によって推されたとかいう理由だけで、かれらを統治の適任者とみなして尊敬しているのです。
 太陽市民は、極度の貧困は人間を堕落させ、卑劣・狡猾・泥棒・詐欺・浮浪・嘘つき・は偽証になり、富もまた、傲慢・うぬぼれ・無知・裏切り・冷酷・知ったかぶりなどの原因になりますが、共和制のもとではすべての人が富者にして貧者となります。あらゆるものを所有しているがゆえに富者であり、物に仕えることに執着せず、あらゆるものを所有しているがゆえに貧者なのです。
 太陽市民は名誉のためにしか争いませんが、そんなかれらのあいだで、侮辱その他の原因から何か争いが起こったとします。怒りにかられて、つい腕力で相手を侮辱してしまったりすると、統治者「太陽」とその役人により、犯罪者としてひそかに処罰されます。くちさきだけの侮辱なら、いずれ戦争の機械を待って決着をつけます。鬱憤晴らしはただ敵だけに向けるべきだというわけです。そして戦場で武勲にまさる者のほうが、名誉の問題においても理があるとみなされ、他方が負けになります。しかし正義の問題にかんしては刑罰が存在します。ただし、決闘は許されません。自分のほうが理があることを示したいなら、国の戦争においてそれを示せというのです。

トラソ・カンパネッラ「太陽の都」

2016/09/09

後世名誉のための万民を使役

 われわれが名をこの世の中に遺したいというのでございます。この一代のわずかなの生涯を終ってそのあとは後世の人にわれわれの名を誉めたってもらいたいという考え、それはなるほどある意味からいいますると私どもにとっては持ってはならない考えであると思います。ちょうどエジプトの昔の王様が已れの名が万世に伝わるようにと思うてピラミッドを作った、すなわち世の中の人に彼は国の王であったということを知らしむるために万民の労力を使役して大きなピラミッドを作ったようなことは、実にキリスト信者としては持つべからざる考えだと思われます。
 それゆえに思想を遺すことは大事業であります。もしわれわれが事業を遺すことができぬならば、思想を遺して将来にいたってわれわれの事業をなすことができると思う。文学はわれわれがこの世に戦争をするときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。それゆえに文学者が机の前に立ちますときには、この社会、この国を改良しよう、この世界の敵なる悪魔を平らげようとの目的をもって戦争をするのであります。事業を今日なさんとするのではない。将来未来までにわれわれの戦争を続ける考えから事業を筆と紙とにのこして、そうしてこの世を終わろうというのが文学者の持っている大志で有ります。
 それならば最大の遺産とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。この世はこれは決して悪魔が支配する世の中にあにずして、神が支配する世の中であることを信じることです。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信じることである。

内村 鑑三「後世への最大遺物」

2016/09/08

全ユダヤ人を罪人

   聖パウロは、ユダヤ人をすべて罪人であると論断し、律法を行う者が初めて神の前に義とせられると述べている。この場合彼は、何人も行いによって律法を行う者となると言うているのではなく、反対にユダヤ人達に向かって「汝は姦淫するなかれと教えて自ら姦淫す」と言い、又「汝の人を審くによって、汝自ら罰するなり。汝その審くところのことを自ら行へばなり」と言っているが、「汝は外的には律法の行いに於いて立派に生活し、そしてそのような生活をしない人々を審き、又何れの人をも教えようとする。汝は人の眼にある塵を見るが、已が目にある梁木に気づかない」と言おうとしているやうである。
 パウロは更に進んで、外面的には義しく見えながら秘かに罪を犯している人々へも誹謗を向ける。ユダヤ人がそれであったが、今日においてもなお、熱心もなく愛もなしに安らかに生活し、心の中では神の律法を敵視しつつしかも他の人々を審くことを好む偽善者達はすべてそれである。貪欲と増悪と高慢をあらゆる汚穢とをもって満たされるのは、すべて偽聖者の性である。正に彼等こそ、神の仁慈を軽んじ、その頑固によって神の怒りを集め積む者である。かく聖パウロは律法の正しい解明者として、何人をも罪なしには置かない。むしろ彼は、自然の性すなわち自由意志から安らかに生きようと欲する凡ての人々に対して神の怒りを告知し、ユダヤ人をして明白な罪人に何の優るところも無い者たらしめる。いや、彼はユダヤ人を頑固にして悔悛なき者であると言っている。

マルティン・ルター「キリスト者の自由」

2016/09/07

宗教は集団により極度な危険

    諸君のうちには、宗教を単に心の疾病にすぎないように見離す者がいる。そしてかかる人々が良く懷く考えに依ると、この疾病は、個々の者が別個に襲われるだけなら、禍ではあろうが辛抱し易くもあるし、恐らくこれを制御することすらできよう。しかしこの種の不幸な患者の間にあまりにも親しい集団が成立すると、共通な危険が極度に増大し、すべてが失われてしまうと言うのである。
 前の場合には、適宜の処置、いわば炎症を抑える食養生とか新鮮な空気によって発作は弱め、例え全快はおぼつかなくともその特有の病素を無害な程度に薄めることができる。
 しかし後者の場合は、あらゆる治療の希望を放棄しなければなるまい。即ちもしも他の患者にあまりにも、接近して、禍が個々の患者の治療のもとで助長激化されれば、この禍は一層破壊的なものとなり、極めて危険な徴候を伴って来る。かくして少数の者によって全体の空気が忽ち毒され、極めて健康な身体すらこれに感染し、生命の過程が経過する通路はすべて破壊され、体液は悉く分解し、一様に熱病的精神錯乱に陥り、時代も国民も、こぞって回復困難となろう。
 かくして諸君が教会及び宗教の伝達を目的とするあらゆる施設に対して抱く嫌悪は、宗教自体に対する嫌悪よりも一層烈しく、ことに教職者は、かかる施設を支持し且つ特にこれを運営する一員として、諸君にとっては人類中最も悪むべき者である。
 だが諸君の中で宗教に関して寛容な見解を有ち、宗教は心の錯乱と言うよりもむしろその特別な現れ、危険な現象と言うよりはむしろ無意味な現象だと考える考える人々も、やはりすべての団体的制度に対しては全然同一な有害だと言う見解を抱いている。彼等の見解によると、かかる制度は必然的に、独特で自由なものを奴隷のように犠牲にし、精神無き機械、空虚な習慣と言う結果を伴う。而もこれは無に等しいか、然らざれば誰にでも等しく充分成し遂げれ得る事物から、信じられない程の結果を以って大成功を収める者がやる人為的な業績だと言うのである。そこでももし私が、諸君をこれに対する正しい見地に立てようとする努力を惜しならば、私が重大だと思うこの問題について諸君に心を披露しても、それは極めて不十分なものに過ぎないであろう。

フリードリヒ・シュライマッヘル「宗教論」


2016/09/06

死にて神魂と穢き亡骸

   人の死にて、神魂と亡骸との二つに別れたる上にては、亡骸は穢きものの限りとなり、さては夜見国の物に属く理なれば、その骸に触れたる火に、汚れの出で来るなり。
 また神魂は、骸と分りては、なほ清潔かる謂の有りと見えて火の穢をいみじく忌み、その祭を為すにも、汚れのありては、その享を受けざるなり。
 現に見たる、事実に試し考えもたるも、浄と不浄とその差別の灼熱を、かく汚穢をかく汚穢を忌み悪む魂の、その穢の本つ国または汚穢の行き留まる処なる、夜見に帰く由の、いかで、あらためや。
 もし黄泉に帰り居る霊魂の祭するごとに招かれて、此国土に来り享くるとなれば、然おごさかに、火の汚穢は忌み悪むべからぬ理なり。
 さるは、此国土の火、たとひいささか汚れたらしむも、彼の国の火にくらべては、何ばかりの穢れも有るまじければなり。
 また、一度も、彼国の戸喫をすれば、この国土へは来たがりたき謂は、是こそは、伊佐美命の、帰り坐しがたくおもほししにて、かしかなる例もあるを、此方に招かれ来て、祭りの饗を享くることも、また、霊異なる所為のあるもいぶしく、此はもしくは、その時々に、具かに黄泉神と相論ひて、来り享くるといわむか、然はあるまじくこそ、おぼゆれ。

平田 篤胤「霊の真柱」

2016/09/05

非国民の愛校心

  コペル君の精神的成長に託して語りかける「人生いかに行くべきかと問うとき、常にその問いが社会科学的とは何かをという問題を切り離すことなく問わなければならぬ。」というメッセージであった。
  上級生が中心となって、学校の気風をもっと引き上げてゆこうという運動が、おこりました。このままでゆけば学校が創立以来誇りとして来た気風が非常に乏しくなり、やがて亡びてしまうだろう。この連中しきりにこう唱えていました。
 「愛校心のない学生は、社会に出ては、愛国心のない国民になるにちがいない。だから、愛校心のない学生はいわば非国民の卵である。われわれは、こういう非国民の卵に制裁を加えねばならない」というのが、その人たちの主張でした。
 しかし、これら人々は自分たちの唱えていることが正しいと信じると同時に、自分たちの判断も一々正しいと思いこんでしまっていました。そして、自分たちの気に喰わない人間は、みんな校風にそむいた人間であり、間違った奴らだと、頭からきめてかかるのでした。だが、それよりも大きな誤りは、この人々が、他人の過ちを責めたり、それを制裁する資格が自分にあると、思いあがっていることです。同じ連中にそういう資格はないはずです。

吉野 源三郎「君たちはどう生きるか」