2016/10/04

服従は憤り恨むよりは慄然と恐れ畏む

 人生における最も深刻なる経験は、われ意志す、しかしてわが意志に手むかう者実在することである。何故ならばこの経験においてわれらは現実に自己と自己にあらざる他者との実在に触れるからである。圧倒的な他者の抵抗素子に会うて、見るかげもなく崩れついえる経験である。これ以上に痛烈深刻な他者他力の体験はない。
 深刻に自己よりも大なる者に立脚せしめる。手痛く神に投げ放たれ打ちすえられて、人は始めて絶対的に神の愛護を信じ、徹底的無条件に神意に服従するようになる。それは深刻なる抵抗の経験であると同時に。又最も強烈にこの抵抗する者の実在と実力を思い知らせしめる。その時われわれは已が石の阻まれたことを憤り恨むよりは、慄然として地に伏し魂をふるわして恐れ畏む。或る圧倒的実在者への畏怖である。痛烈深刻におのれの微力無力さをさとられたのである。しかもこのさとりが我らを小さく萎縮させずして、却って我らを安住せしめるのである。そうして暢びしめるのである。かくして我らは初めて全く新なるいのちに溢れるのである。一度死して再び生きるのである。この旺なる更生は痛烈なる苦悩を通してのほか得られない。そしてここに苦悩がもたらす福音がもたらす秘密があるのである。

三谷 隆正「幸福論」