2016/10/12

国家の理乱は人牧の賢否に繋る

   それ天地の道理を察するに、混沌として未分の霊、混迷にして妙然たり。時にその霊動きて、清濁升降す。ここに於いて天地を全く生ず。この雲周くして万物を生ず。故に天にありてはすなわち元気と云い、万物に在りては即ち霊と云い、人に在りては即ち心と云う。蓋し人倫は天理真妙の性を具足して出生する所なれば、虚言不昧のものなり。天は広大なるを以て、万里万妙該ぬざる所なきなり。人は全体をうけ得れば、万理万妙を備えずという所なし、天は万理を該ぬる故に万物を生じ、人は万里を備ふるを以て、万理を備ふるを以て、万事に応じて円通す。
 国家の理乱は、風俗の美悪に懸り、風俗の美悪は、民心の情偽に繋り、民心の情偽は、人牧の畏否に繋る。この故に風を移し俗を易ふるは、王たる者の以て挽回する所なり。嗚呼風俗の繋る所、蓋し大なる哉。今此の偏は、往昔本邦の風俗を述べし者なり。或いは曰く、副元帥時頼の著しす所なりと。顧みるにその書たる、頗る疑ひなきこと能はず。然れども、海内を周流し、民情を検察せしに非ざれば、かくの若く詳らかに且つ尽すこと能はず。方今盛時、風移り俗化し、古昔に異なると謂も、民情の尚ぶ所、猶遺風あるがごときなり。蓋し民情は猶植物のごとし。土地に因りて栄弊を異にし、感慨に因りてその性を遂ぐ。この故に北方の強あり、南方の強あり。膏土の民は才ならず、隻土の民は義に向ふ。険阻幽谷は、木直にして溢、平原海浜は、文弁にして放なり。これ皆風気水土の然らしむ所以なり。但し、その善悪厚薄は、時と共に当世に徴すべければ、即ち蓋ぞ風化の規鑑と為さざらんや。

最明寺・関祖衡「人国記・新人国記」