2016/10/31

歴史は後から作り出される

 我々が現在の事象において未来の歴史家に最も関心を起こさせるものを正しく指摘するためには、都合のいい偶然、例外的な僥倖が必要である。この歴史家が我々の現在を考察する際には、そこにその人の現在の説明、特にその人の現在が含む新しいところの説明が必要である。その新しいところは、もしもそれが創作になるはずだとすれば、それについて我々は今日数々の事実のうちから、記録すべき事実を選ぶために行うというよりも、むしろこの指示に従って現在の事象を切り抜いては様々な事実を作り出すために、その新しさに合わせればいいのか。
 近世の重要な事実は民主政の到来である。その時代の人々が述べたような過去の中に民主政の先端となる徴候を我々が見出すということは疑いをいれない。しかしその時代の人々がこの方向に向かう人類の歩みを知らなかったならば、恐らく最も関心を引く指示を与えなかったであろう。ところでこの方向も他の方向もその時には気づかれずにいたというよりは、むしろまだ実在していなかったのであって、経路そのものによって、つまり民主政を漸次著想し実現した人々の前進運動によって、後から作り出されたのである。
 してみると、先端となる徴候が我々の目に徴候となっているのは。我々が今その経過を知るからであり、その経過が果たされているからである。経過もその方向も、従ってその終点も、それらの事実が行われていた時には与えられてなかったのであるから、これらの事実はまだ徴候ではなかった。

アンリ・ベルグソン「哲学の方法ー思想と動くものⅢー」

2016/10/30

兵は凶器なりとも兵法を講じる

 悪の技術はもはや一つとして、この統一せられた平和の社会に、入用なものはないはずであるが、かつて人間の智功が、敵に対して自ら守るために、これを修練した期間があまりにも久しかった故に、余勢が今日に及んで、なお生活興味の一隅を占めているのである。実際に我々の部落が一つの谷ごとに利害を異にした場合には、譎詐陰謀は常に武器と交互して用いられた。友に向かってこれを試みることは、弓・鉄砲以上に危険であったから、射栫も設けられず、同乗も他流試合も無く、「治に居て乱を忘れず」という格言すら、この方面には封じられていたけれども、如何せん別に何らかのその欠点を補充する教育がなかったから、到底安泰を期せられぬような国情が随分久しい間続いていたのである。『韓非子』とか『戦国策』とかマキャベリとかいう書物ばかりが、その役目を勤めたとも限らなかった。けちな人間同士のけつな争闘には、やはり微細な悪計も、習練しておく必要があった。
 悪は現代に入って更に一段の衰微を重ね、節制もなければ限度も知らず、時代との調和などは夢にも考えたことはなく、毒と血との差別をさえ知らぬ者に、まれには悪事の必要不必要を判別させようとしたのだから、この世の中もべら棒に住みにくくなったわけである。兵は凶器なりと称しつつ兵法を講じた人の態度に習い、或いは改めて伝世の技芸を研究し、悲しむべき混乱と零落を防ぐべきではないか。

柳田 国男「不幸なる芸術 」

2016/10/29

貧困市民の無知は社会の不正のため

 子供のときに、知識を獲得することが必要であるとよく教えられて来たのだが、生きるがために働かねばならなかったので、この考えはやがて失ってしまい、哀れにも知っていることは、無知なのは自然の意志によるのではなく、社会の不正のためなのだということだけである。
 貧困な市民に対して政府が言うべきことは、これまでは、諸君は親の財産の関係上、わずかに最も必要不可欠の知識を獲得ができたばかりだった。ところが、今や諸君には容易に知識を確保し、発展させる手段が保証されることとなった。諸君にして生まれながらの才能を持ってさえいれば、諸君はこれを発達させることができるだろう。しかも諸君のためにも、また祖国のためにも、これらの才能は決して滅却されることはないであろう。
 かくして教育は普遍的でなければならぬ。すなわちあらゆる市民に普及せられなければならぬ。教育は全く平等に教与されなければならぬが、この平等は必要な経費の範囲においてであり、国内の人口分布状態が許す限りにおいてであり、また多かれ少なけれ、児童が教育のために費すことのできる時間の許される限りにおいてである。教育は、その諸段階を通じて人間知識の全体系を包含しなければならず、全生涯を通じて誰でもこれらの知識を確保し、もしくは新たな知識を獲得し易からしめなければならぬ。
 如何なる政府といえども、新しい真理の発展を妨害し、政府の特殊な政策や一時的な利益に反する理論を教授することを妨害するような権威を持ってはならないし、かかる信頼さえも持ってはならない。

ニコラ・ド・コンドルセ「革命議会における教育計画」

2016/10/28

人民の嚢中より皆生じる

 かつ官とは何ぞや、本これ人民のために設けるものにあらずや、今やすなわち官史のために設くるものもの如し、誤れるの甚だしと言うべし、人民出願し及び請求すること有るに方りこれを却下する時はあたかもも過挙有るものを懲すが如く、これを許可する時はあたかも恩恵を与えるものもの如し、何ぞそれ理にみだれの著しきや、彼等元来誰れに頼りて衣食するか、人民より出る租税に頼るにあらずか、すなわち人民の挙養を受けて、もって生活を為しつつ有るにあらずか、およそ官の物金銭の論なく、いちもうといえども天より落つるにあらず地より出るにあらず、皆人民の嚢中より生ぜしあらざるなし、すなわちこれ人民は官史たる者の第一主人や、敬せざるを得可けんや、
 民権これしごく理なり、自由平等これ大義なり、これら理義に反する者は境にこれが罰を受けざる能はず、百の帝国主義有りといえどもこの理義を滅没することは終に得可らず、帝王尊しといえども、この理義を敬重してついにもってその尊を保つを得可し、この理や漢土に在ても孟軻、柳宗元早くこれを観破せり、欧米の専有にあらざるなり、
 王公将相無くして民ある者これに有り、民無くして王公将相ある者未だこれ非ざるなり、この理蓋し深くこれを考え可し、

中江 篤介「一年有半・続一年有半」

2016/10/27

戒厳令下では殺人は無罪

 特に上官が目の前でもう一人は殺してしまった。よくある例だ、もし吾々が厭だといったら、吾々が殺されるかも知れぬ、拒むほどの度胸があれば構わず逃げてしまう。誰が好んで人を殺すものか、厭で厭で仕方ないが自分の命、即座の脅迫が怖くて、悪い事罪な事と知りながら、本心ではなく無理にやらされたのだから無罪である、と判決すればよかったのを、ナマジッカ法律ぶって。バカの人真似、鳥の鵜真似でコンナ事に判決したから、今度は被告両名は、平常ならば常識に訴えてもよいが、厳戒令下では如何なる事でも上官の命には従うと思った。
 厳戒令で七歳の幼児でも何を仕出かすか判らなぬと思う。七歳でも男の子なら時には虐殺して差支えないと思う。現に上官がそう言うた。日本人としても、また兵隊の思想や犯行を取締る選ばれたる憲兵としても、戒厳令下では、人を殺す事や幼児を殺す事位、悪いと思う者はいない、これが憲兵の常識である。故に両名は罪となるべき事実即ち悪い事と思う事実、を知らず。正当当然の事と思うて幼児を殺したから無罪である。
 もし両名が、悪い事だが、上官の命令であって見れば、マサカ法律上罪にはならないと思ってヤッタなら、当然刑法三十八状の第三項目によって有罪であるが、クドクも繰り返す通す通り、両人は人を殺す事、特に小児を殺す事は悪事とは思わず遣り、また両名がコンナ事を悪事と思わなかったということは日本人の道徳として、はたまた憲兵の常識または軍隊の精神として当然で深く信用するに足りるから無罪である、と解釈するの止むなきに至ったのだ。実際執行猶予には誰も異議のなかった、二人だから、どうせ無罪にするなら、後世にも残る事だから、意識の喪失か命令服従の一点張りにすれぎよかったに惜しい事をしてくれた。

山崎 今朝「地震・憲兵・火事・巡査」

2016/10/26

思惟は戦争概念・原理・原因を基定する

 世界というもののなかへ、全ての感情や意志行為が、それが宿っている身体の場所的規定とそれに織り込まれた可視的構成要素によって組み込まれている。これらの感情または意志行為の中に与えられている全ての価値や目的や善は、世界のなかに配入されている。人間の生活は世界によって包まれている。
 ところで思惟が、経験的意志、経験及び経験科学において体験され与えているような、直感、体験、価値、目的の全内容を表現し、また結合しようと努めるとき、思惟は世界における物の連鎖や変化から去って世界概念へ向かって進み、世界原理へ、世界原因へ基定しつつ遡っていく。
 それは世界の価値、意味及び意義を規定しようと欲し、また世界の目的を問う。この普遍化、全体への排列、基定という方法が、知識がもっている傾向に動かされて、特殊的な要求や限定された関心から離れるその到る所で、思惟は哲学に移っていく。また彼の営みによってこの世界と交渉する主観が、同じ意味おいてみの彼の営みについて省察するようになるときは、この省察はいつでも哲学的である。
 従って、哲学の全ての機能がもっている根本的性質は、一定の、限りある、狭い関心への束縛から抜け出て、制限された要求から生まれたあらゆる理論を、究極的理念に配入しようとする精神の傾向である。この思惟の傾向は、それの法則性に基いている。それは、確実な分析をほとんど許さない人間本性の諸々の欲求に、知識の歓びに、世界に対する人間の立場の究極的な確実性の欲求に、生命がその限定された諸条件へ縛られているのを克服する努力に合致する。一切の心的態度は相対性から免れた確乎たる点を探し求める。

ヴィルヘルム・ディルタイ「哲学の本質」

2016/10/25

疑うか信じるかは反省しない解決法

 表面だけしか見ない観察者にとっては、科学の真理は疑いの余地のないものである。科学上の論理は誤ることはないし、学者はときおり思いちがいをすることがあっても、それは論理の規則を見損なったためである。
 少しでも反省したものは、仮説の占める領分が、どんなに広いかとうことに気がついた。そこで、はたしてこれらすべての構築が極めて堅固なものであるかどうかが疑われ、わずかの微風にあっても打倒されてしまうと信ずるようになった。こういうふうに懐疑的になるのは、これもまた表面的な考えである。すべてを疑うか、すべてを信じるかは、二つとも都合のよい解決法である、どちらにしても我々は反省しないですむからである。
 だから簡単に判決をくだしたりしないで、仮説の役割を、念入りに検しらべてみるべきである。そうすれば仮説の役割が必要であるというばかりでなく、たいていの場合に正当であることを認めるであろう。また仮説には多くの種類があって、或る種の仮説は確かめることができるし、ひとたび実験によって確認されれば、多くの結果を生む真理となること、またあるものは我々を誤りにおとし入れたりしないで思考に依り所を与える役にたつこと、もうひとつ第三種としては、見せかけだけが仮説であって、実は定義や規約が粉装をつけたものに過ぎないといことがわかるであろう。

アンリ・ポアンカレ「科学と仮説」

2016/10/24

日本主義は日本的ファシズム

 文献学主義は容易に復古主義へ行くことが出来る。復古主義とは、現実の歴史が前方に向かって展開しているのに、之を観念的に逆転し得たものとして解釈する方法の特殊なもので、古典的範疇を用いることによって、現代社会の現実の姿を歪曲して解釈して見せる手段のことだ。そして忘れてならぬ点は、それが結果において社会の進展の忠実な反映になると自ら称するのが常だということである。
 とかく議論はあるにしても、日本主義は日本型の一種のファシズムである。そうみない限り之を国際的な現象の一環として統一的に理解できないし、また日本主義に如何に多くヨーロッパのファシズム哲学が利用されているかという特殊な事実を説明出来なくなる。色々のニュアンスを持った全体主義的社会理論(ゲマンインシャフト・全体国家・等々)は日本主義者が好んで利用するファシズム哲学のメカニズムなのである。だが日本主義者は外来思想のメカニズムによっては決して辻褄の合った合理化を受け取ることは出来ないだろう。唯一の依り処は、国史というものの、それ自身初めから日本主義的である処の「認識」(?)以外にはあるまい(結論を予め仮定にしておくことは最も具合のいい論だ)。処でそのために必要な哲学方法は、ヨーロッパ的全体主義の範疇論や何かではなくて、正に例の文献学主義以外のものではなかったのである。ー併し実は、この文献主義者自身は、もはや決して日本だけ特有なものではなかい、寧ろドイツの最近の代表的な哲学が露骨な文献学主義者なのだが(M・ハイデッガーの如き)。だから日本主義において残るものはね日本主義的国史だけであって、もはや何等の哲学でもない、という結果なるのだ。

戸坂 潤「日本イデオロギー論」


1945(昭和20)年5月に長野刑務所で酷暑と栄養失調で獄死。

2016/10/23

習慣は変容を絶えず減じる

 生命は、外面的世界において、孤立して他にたつところなき一世界なのではない、それは自己の存在条件によって外面的世界につながれ、この世界の一般的法則に服している。生命は、絶えず外からの影響を受ける、唯、絶えずこれをうち超え、これにうち克つのである。故に生命は、自己の条件いいかえけば質料なる、存在のより低き形式との関係によって変化を受けるのであるが、また自己の本性そのものなる、より高き能力によって、変化を自ら始めると見られる。生命は受容性と自発性の対立を含んでいる。
 生物が自分以外のものから受取る変化と反復の一般的結果は、この変化がその生物体を破壊するに至らぬ限り、生物体がそれから受ける変容は絶えず減じて行く、ということである。これに反して、生物は、自身から発する変化を繰り返し或は長くつづけたならば、後尚もその変化を生む、そしてそれを再び生む傾向を強めるやうに思はれる。すなわち、外来の変化は生物にとって次第に無縁のものとなり、自ら起こした変化は反復にゆって自らに固有のものとなる。感受性は減じ、自発性は増す。これが、一変化の連続または反復によってあらゆる生物の中に生ずると見える素質即ち習慣の、一般的法則なのである。ところで、生命を形成する自然の特質は、受容性に対する自発性の優越ということであるから、習慣は単に自然を前提にしているのみではない、それは正に自然の進む方向へと発展するのである。同じ方向に力を添えるのである。

フェリックス・ラヴェッソン「習慣論」

2016/10/22

戦争は経済没落と知識思想の欠陥

 貧民はその生活に欠陥あると共に、知識思想の上においてもこれに等しき程度をもって、むしろその以上の欠陥を有す、すなわち貧民は経済上の欠乏者たると共に、その思想の上の大欠陥者たり。駿河橋万年町の路次に住めるものにして、手紙を書き得るものとは言わじ、わずかに自己の姓名を帰し得るもの幾人あるべきや、余輩はみぞ等が経済上の欠乏者たるを憐むと共に、思想の欠乏者たるを憐むこと最も切なりとす。
 如何なる時代如何なる社会においても、貧民なきはあらじ、しかも社会の進歩につれて貧民の数増加しゆくが如く、我が国のごときも近年人口の増殖現著なるとともに、到る所の窮迫を訴ふる声聞こゆ、特に日清戦争役以来、物価は騰貴せるのみならず、各種の事業は没退したれば、細民の困難一層を加えたり、識者一考する所なくして可ならんや、しかも富者の贅沢日に増長し、しかして年一年貧民の増加する傾向あるにおいてをや。
 既に工業社会は年々発達を示し、労働者を収むること代うなると共に劣敗者を出すことも多く、かつ当今の我が政府及び国会は細民の消息に注意せず帝にみぞ等を保護せざるのみならず、かえって細民を虐ぐる幾多の祝目を儲えこいおに細民を困窮の地に陥れんとす、この物質社会の進歩はますます生存競争を激しからしめ、経世者たる者注意する所なくして可なるべけんや。

横山 源之助「日本の下層社会」

2016/10/21

国家と社会による支配と矛盾

 人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない。宗教や文芸、あに独り人を人として生かしむものであろう。人の形づくり、人の工夫する一切が、人を人として生かしむることを唯一の目的とせるものである。
 しからんばいかにして宗教と国家、文芸と国家との相衡突することがあるのかと。曰く、国家と文芸もしくは宗教とはその目的からいえば矛盾撞着すべきものではないが、しかる或る時代において、その時代の人間の生活様式に相応して、形づくられ、工夫せられた制度、思想が既にその時代をすぎたにもかかわらず残存し、而して一方には新たな生活様式に相応すべく、或る制度、思想が起リ、もしくは起らんとしつつある時には、その旧き制度、思想と新しき制度、思想とは衝突する。ここに国家と宗教とが相容れなかったり、国家と文芸とが相悖ったりするのである。
 しかしその衝突するのは決してその本来の目的、その本来の立場が異なっておるがためでなくして、一つの目的を達するため、一つの立場をとるため、一時矛盾撞着するのである。言い換えれば、時代に相応せざる制度、思想を時代に相応するものに改造せんとする努力である。
 しかし思え、実際の我々の生活はいかに今国家というものに支配せられているか、いかに今社会制度によって支配せられているか。もし人生を徹底的に具体的に考えるならば、ぜひともここへ触れて来ねばならぬのである。

国家と宗教および文芸『東洋時論』「文芸 教学」1911(明治44)年5月号「石橋湛山評論集」

2016/10/20

罪は誤れる歴史的把握も作用

 不安は感性が罪性を意味しうる点ににおいて成立している。罪が一体何を意味しているかということについての漠然たる知識も一緒に作用しているのである。それにはさらに、歴史的なるものについて誤れる歴史的把握も一緒に作用しているのであり、その際、急所即ち個体的根源が捨て去られて、個体は無造作に人類ならびに人類の歴史と混同されている。我々は感性が罪性であると言うのではなしに、罪が感性を罪性たらしめると言うのである。さて我々がその後の個体のことを考えるならば、たしかにかかる個体は、そこにおいて感性が罪性を意味しうることが顕わになるところの歴史的環境をもっている。個体それ自身にとっては感性が罪性を意味してはいないにしても、かかる知識が不安を増し加えることになるのである。いまや精神はただに感性に対してのみならず、さらに罪性に対して対立的な関係に立たされることになる。無垢な個体がかかる知識を未だ理解していないことは言うまでもない、なぜならそれはそれが質的に理解せられる場合に始めて理解せられるのだからである。ところでかかる知識はまたもやひとつの新しい可能性なのであり、従って自由ーこれはおのが可能性において自らを感性的なものにたいして関係づけられるのだからーにたいして不安が増し加えられるのである。

セーレン・キルケゴール「不安の概念」

2016/10/19

霊魂は善悪のいずれかである

 霊魂の諸運動は、原因としていっさいの身体的運動に先立ち、思想・記憶・願望・希望・恐怖のごときがすなわち霊魂の諸運動である。自然学の対象たるいっさいの運動すなわち直動・回転・収縮・膨張およびその他の運動は霊魂の諸運動に依存する。在来の哲学者たちによってなされた大なる誤謬はかかる自然的運動をそれ以上説明を要しないものと考えたことである。この点において彼らは自然の背後には意図も理性も存在しないと主張する妄説に道をひらいた。さて霊魂は善悪そのいずれかである。善なる霊魂は、まさにその善に比例して、秩序ある定まれる運動、すなわち天体の運動はきわめて一定で秩序がある。その帰結として、いっさいの霊魂のうち最高なるものは完全に善なる霊魂でなければならない。しかし、無秩序なる運動も存するがゆえに、これが唯一の霊魂ではありえない、すくなくともひとつよりおおく霊魂がなければこの秩序の錯乱は説明されない。しかしひとつまたはそれ以上の無秩序の霊魂はあきらかに劣っており隷属的である。
 かくのごときが神の存在についてのプラトンの論証である。この論証は、もとよりたしかに一神論を唱えるものではない。もっともプラトンその人がひつとなる神を信じていた疑いえないが。じつのところ、これは当時の教養あるアテナイ人のすべての信じているところであった。

ジョン・バーネット「プラトン哲学」

2016/10/18

戦争の達成には軍隊が最優先

   マヌ法典は、数多いインド法典中、最も重要な位置を占めている。インドで、ダルマすなわち「法」というのは法律だけでなく、宗教、道徳、習慣の遵守の根拠と認められた。紀元前200年の成立から紀元後200年に現形を整えた。
 【王国の七要素】
294  王、大臣、首府、国土、実物、軍隊、及びその友邦は王国の七要素なり。ゆえに王国は七肢を有するものなりと言わる。
295  しかしてこの順序に従い、これら七つの王国の構成要素のうちにて、各々先に名を挙げられたるものは、後のものより重要にして、その破壊はより大なる惨禍なることを知るべし。
296  しかも苦行者の三杖の如く支えられたる七肢を有する王国において、如何なるものも各々の性質の重要さの点よりは、他より更に重要なるものは一つも存せざるなり。
297  されど、それぞれの目的の達成において、各々の部分は他より優位に在り、ある目的がそれによりて達成せらるる時、そはその点において最も重要なるものと宣べらる。

田辺 繁子「マヌの法典」

2016/10/17

兵士は哀れな敗北者

プレスラウ、1917(大正16)年12月中旬

 わたしはここで胸をさされるような痛々しい経験を味わいました。いつも散歩する広場に、よく行嚢や、血痕がこびりついていることがしばばある古ぼけた兵士の上衣や肌着を満載した軍用馬車がやってきます・・・荷はこり広場で下ろされて、おのおのの監房にふれぶれ分配され。そこで繕われて再び積み込まれて軍隊に届けられるのです。ついこの間も、そういう馬車が一台入ってきましたが、こんどの馬車には馬ではなくて水牛が繋がれていました。この動物は、われわれの国の召す牡牛よりも力強く、身幅が広く、そして頭が平べったくて、折れ曲がっている角み平たいのです。
 かれらは正しく「哀れな哉、敗北者」といことばがよく当てはまるほどにむごたらしくむち打たれたのです。兵士はいやな薄笑いを頬にうかべてながら「おれたち人間さまにだって、だれも可哀そうがってくれ奴なんかいやしねえんだ」と答え、いよいよはげしく打ちつづけたのです・・・水牛は、やっとのことで、どうにか関所を乗り越えることはできたのですが、肌には血がにじみ・・・水牛の皮膚がずたずた引き裂かれてしまった。
 荷降ろしが始まったのですが、その間中、水牛たちはへとへとに疲れ切って、息も絶え絶えにじっとしていました。それはちょうどひどく叱られながら、乱暴な仕打ちを受けないようにするにはどうしたらよいのかわからず、またこのような苦しみや乱暴な仕打ちを受けないようにするにはどうしたらよいのかわからぬ、といった子供の表情にそつくりそのままといってよいものでした。
 こうして、壮絶な戦争なるものの実際のすがたがそっくりそのままのかたちで。私の目の前を通りすぎていったのです。

ローザ・ルクセンブルク「獄中からの手紙」

2016/10/16

平和は風に吹かれて

Blowin' In The Wind : Bob Dylan

  How many roads must a man walk down
  Before you call him a man?
  Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
  Before she sleeps in the sand?
  Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
  Before they're forever banned?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

  How many years can a mountain exist
  Before it's washed to the sea?
  Yes, 'n' how many years can some people exist
  Before they're allowed to be free?
  Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
  Pretending he just doesn't see?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

  How many times must a man look up
  Before he can see the sky?
  Yes, 'n' how many ears must one man have
  Before he can hear people cry?
  Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
  That too many people have died?
  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.
風に吹かれて
  どれほどの道を歩かねばならぬのか
  人と呼ばれるために
  どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾がうたれねばならぬのか
  殺戮をやめさせるために
  友よその答えは風に吹かれて
  その答えは風に吹かれて

  どれほど悠久の世紀が流れるのか
  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか
  ほんとに自由になれるために
  どれほど首をかしげねばならぬのか
  何もみてないというために
  友よその答えは風に吹かれて
  その答えは風に吹かれて

  どれほど人は見上げねばならぬのか
  本当の空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  友よその答えは風に吹かれて
  その答えは風に吹かれて

ボブ・ディラン「風に吹かれて」ノーベル文学賞2016年

2016/10/15

自分の世界の外は野蛮人

 ヨオロッパが漸くヨオロッパになろうとしていた時代にこれを結束させたものがキリスト教徒であるという意識だったことはそうでないもの、したがってヨオロッパの県外にある国々の人間を凡て異端ということで人間以下に見る結果になり、当然ヨオロッパの一部と考えるべき東方のビザンチン帝国も異端の名目の下に敵視されて、ここで指摘したいのは支那の中華の思想と同様に自分と違った人間であることが非羽化の奇人になるしゆるいの独善がその理由はどうだろうと自分ドブンであることを求めた許す上で邪魔になるということである。
 自分たちだけが人間で自分たちの世界の外の住んでいるのが化ものか人間以下の人間であるとみることが自分もどこの人間でもなくし、その人間の観念自体を怪しくするるたしかに十五世紀になってヨオロッパ人は盛んに海外で活動を始め、その結果の接触が世界全体に瓦りはしてもそれが別に彼らの人間観を変えるに至らなかったことはメキシコやペルウのスペイン人による制服にも見られ、相手が異端であっても野蛮人でないことが余りにも明らかである場合はこれキリスト教に改宗させてその魂を救うことが他のことに優先した。それはキリスト教徒であるというヨオロッパ人の自覚を強めるばかりであり、その自覚を前にしてヨオロッパ人であるという意識が生じる余地はなかった。またオランダ人が十七世紀に自分たちの国し布教は行わないという理由で日本の要路に通商を続けることを求めたのは彼らが初めから布教ではなくて通商に関心があったので日本人を人間と認めた訳ではない。

吉田 健一「ヨオロッパの世紀末」

2016/10/14

適口は習慣等から困難

 適口とは食物が口に合うことである。すべては口に合うものが一番美味である。宗の太宗が或る時近臣の蘇易簡に問う「口に合うたものが珍品(適口者珍)でございます。臣は口に合うことが美味なのをつくづくと感じました。」誠にその通りで、何でもかまわぬ、新鮮な物を口に合うようにして食えばよいのである。
 昔織田信長の軍に生け捕られた三次家の料理人が、調理して御意に叶わず、もって外の不興を蒙り、御許しを願って更に調進したところが、今度は御口に合って大いに褒美に預かった。それは信長の体質によるものであろうが、主としてその習慣によるもので、つまり味覚の訓練が劣っていたからである。
 看来れば、適口ということは質素なようで実は贅沢であり、容易なようで実は困難である。心の持ち方や時と場合によっては何でも口に合い、嗜好の点からすると口に合うものは少ない。嗜好は固より品質の適口にあるが、味の付け方によることも多い。畢竟それは人々の体質や健康状態及び習慣から来るので、千差万別であるが、その中に幾種かの類型が見出されるものらしい。
 いわゆる蓼食う虫もすきずきで、何でも自分の口に合うようにして、なるべく味よく食べるのが一楽である。それには自分で味を加減するのが便法で、洋食のように調味料を食卓に備えることは最も合理的で、日本でも是非学ぶべきである。

青木 正児「酒の肴・抱樽酒話」

2016/10/13

倫理には義務・強制・命令の存在

 倫理は普通なにか義務を意味している。それは強制を含み、命令として存在する。このような倫理は格率において示されるのがつねである。我々はこれを格率的倫理と称することができる。倫理と通常いわれるものは諸格率の一体系として与えられる。
 このような倫理をその純粋な姿において観察するならば、その特性は、それがまさに格率的であって、没人格的であるというところに見出される。格率的な倫理は二重の意味において没人格的或いは没人間的であろう。先ず一方において、それにとって実際に我々に向かって或る格率に服従することを命ずる者自身が倫理的に如何なる種類の人間であるかは問題にならない。不徳の人も有徳の人も他に対して同じように命令することができる。命令する人間如何は、そこでは多くの問題にならない。このことは、それを命令するものが究極において個々の人間ではなく社会であって、個人はいわばただこの社会を代表する視覚で命令するに過ぎぬということを現しているであろう。格率は非人格的な命題である。そして他方において、格率的な倫理は個個の人間、個性に対してそれぞれ個性的な関係を含むのではなく、すべての人間に向って一様に命令する。人間は個性としてではなく、むしろ社会として見られている。かような社会的人間として人間は「ひと」である。「ひとししかじかのこを為さねばならぬ」というように格率は命じている。格率的倫理においては「ひと」という範疇が支配的である。この「ひと」はテイデッゲル的な"das Man" であって、日常的における、或いは平均性または凡庸性における人間てある。格率的倫理はその意味で日常倫理にほかならない。かようにして格率的倫理はまさにその没人格性のために法則性もしくは普遍性を示している。

三木 清「哲学ノート」

2016/10/12

国家の理乱は人牧の賢否に繋る

   それ天地の道理を察するに、混沌として未分の霊、混迷にして妙然たり。時にその霊動きて、清濁升降す。ここに於いて天地を全く生ず。この雲周くして万物を生ず。故に天にありてはすなわち元気と云い、万物に在りては即ち霊と云い、人に在りては即ち心と云う。蓋し人倫は天理真妙の性を具足して出生する所なれば、虚言不昧のものなり。天は広大なるを以て、万里万妙該ぬざる所なきなり。人は全体をうけ得れば、万理万妙を備えずという所なし、天は万理を該ぬる故に万物を生じ、人は万里を備ふるを以て、万理を備ふるを以て、万事に応じて円通す。
 国家の理乱は、風俗の美悪に懸り、風俗の美悪は、民心の情偽に繋り、民心の情偽は、人牧の畏否に繋る。この故に風を移し俗を易ふるは、王たる者の以て挽回する所なり。嗚呼風俗の繋る所、蓋し大なる哉。今此の偏は、往昔本邦の風俗を述べし者なり。或いは曰く、副元帥時頼の著しす所なりと。顧みるにその書たる、頗る疑ひなきこと能はず。然れども、海内を周流し、民情を検察せしに非ざれば、かくの若く詳らかに且つ尽すこと能はず。方今盛時、風移り俗化し、古昔に異なると謂も、民情の尚ぶ所、猶遺風あるがごときなり。蓋し民情は猶植物のごとし。土地に因りて栄弊を異にし、感慨に因りてその性を遂ぐ。この故に北方の強あり、南方の強あり。膏土の民は才ならず、隻土の民は義に向ふ。険阻幽谷は、木直にして溢、平原海浜は、文弁にして放なり。これ皆風気水土の然らしむ所以なり。但し、その善悪厚薄は、時と共に当世に徴すべければ、即ち蓋ぞ風化の規鑑と為さざらんや。

最明寺・関祖衡「人国記・新人国記」

2016/10/11

The liberated of the victor enslaved the losers.

   元来、日本にはながく一定の地に住んでいるものが、後れてその地に居住するに至ったものに対し幅を利かし、「他人」ないし「来り人」として擯斥する風習は、今もなお地方には牢固として存在する。今日においても生活に影響するほどの強さをもっているかような謬見が、往昔においていかに甚しかったかは想像に余りあるものである。
 生存競争に敗れたものが浮浪していずれかに住処を見出し、ここに居住せんとする時には、専従者の承認を得なければならぬ。またたとえ承認されて居住するに至っても、「来り人」として疎外は免れなかった。浮浪民が法制上において公民と認められなかった時代の落魄者には種々の苦しみがあったであろう。
 敗戦者が落胆して賤民になることは多い。中世以後、戦乱が相次ぐに至って、これらの治乱興亡の裡には、戦敗の結果、惨めな結果に陥るものが多かった。戦国時代に滅亡した武門の後が落ちて特殊部落に入りきたったものも少なくない。いずれの時代においてもいかなる世にても、戦争には必ず一方が勝ち、一方が敗れて、敗者の運命に殺されるか、自殺するか、降伏するか、逃亡するかより途はない。奴隷が降伏して捕虜となったものに始まり、逃亡者の運命も決してよきものではない。その多くは永代の日陰者である。肥後の五箇ノ庄のごとく、敗戦者が一族一群をなして、山間不便の地に移り住んだと伝えられるような型をとることが多い。

高橋 貞樹「被差別部落一千年」

2016/10/10

仏教徒は生に縁って老と死あり

 仏教徒は世界の基盤として恒久的実体や根本原質ーすなわち、あらゆる事物や現象の実体的基盤を認めない。認めるのは、ただ非実体的な諸法だけである。現象は次々に起こってくる。一つが存し、これに続いて他が生じる。仏教の唯一の目的である解脱のため、輪廻の真相を見極める。
 輪廻の縁起説は、「何ある時、老と死ありや、何に縁ってそれは生ずるや。ーただ生のある時のみ、老と死あり。生に縁って老と死あり。・・・何ある時、生・・・あるや。ただ生存あるときのみ・・・」「生存、有」は文字通りには「生成」の意味である。受胎に際して肉体の形を採るようになることと考え、外の人々は、再生を惹き起す業、いわば「業による」生成の意味に解している。
 縁起説は、通俗的解釈の立場からすれば、縁起説は、意識ある存在の生存状態を、前世での「無知」と、この無知に基づく潜在意識の構成力が、新しい今日の生存の原因または誘引であり、今日の生存における最初の成因は、意識の目覚めである。
 「生存」は、次の世での出生をと老・死とを生じることになる。最初り誘因たる「無知」は何に基づくのであろうか。「無知に際限なし」と仏陀は教えた。それはあたかも樹木と種子、鶏と卵の関係であると説かれる。この悠久のドラマの究極原因が何であるかを、潜在力の入り交う循環論的思惟から期待することはできない。まして精神と物質の区別や、主体と主体を成り立たせている条件の区別など期待することはできないのである。

ジャン・ゴンダ「インド思想史」

2016/10/09

労苦の市民に厳しく恒常的な威嚇

 社会的範疇の区別がきわめて厳格なとき、往々にして驚くべき成果がある。種々の労働について決定をくだす者が、このうえない痛みや苦しみや危険を切実に感じないばかりか、それらのなんたるかを知ることすらない状況におかれる一方で、そうした決定を実行に移し労苦をひきうける者が、いっさいの選択の余地なく、多少なりとも偽装された死の厳しい威嚇に恒常的にさらされるときである。
 そのとき人間があてにならぬ自然の気まぐれから些かでも逃れようとすれば、権力への闘争の負けず劣らずあてにならなぬ気まぐれに身を投じるしかない。人間が自然の諸力を制御できるまでに進歩した技術を手にするときき、つまりわれわれの状況がそうなのだが、このことはまさしく妥当する。かかる状況にあっては、協働がきわめて広範囲な段階にわたって実現される必要があるので、指導者たちは自身の制御能力をはるかにこえる大量の要件をかかえこむことになるからだ。
 この事実のゆえに、人類は自然の諸力に翻弄される玩具ともなる。技術の進歩が与えるあらたな形態をとるとはいえ、原始時代にそうであったのと変わらぬ程度まで。われわれはこの苦い経験を過去にも現在にも味わっているが、将来においても味わうだろう。
 抑圧を払いのけつつ技術の保全を図る企てはというと、たちどころに極度の怠惰と混乱をひきおこすので、かかる企てに加担しようものなら、しばしば時をおかずして自身の首をくびきに差し出す憂目をみる。

シモーヌ・ヴェイユ「自由と社会的抑圧」

2016/10/08

戦争で土地と小作人を求める

 不幸な時期においては、人間精神がこれまで立っていた高い場所から急激に下降し、代って無知のために、ここでは野蛮性が、かしこで巧妙な残忍性が、そして到るところに堕落と不誠実とが発揮されているのを、われわれは見るであろう。才能のある人々のひらめきも、心の寛大性や善意をもっている人々の特徴も、この深い暗闇を通しては、ほとんど何らこれを透視することはできなかった。神学的夢想や迷信的偽善が人間の唯一の精神であったし、宗教的不寛容が人間の唯一の道徳であった。聖職者の暴政と軍隊の専制政治によって両側から圧伏されていたヨーロッパは、新しい光明によって自由・人間性・徳が再生できる瞬間を、血と涙とのうちに待望していたのである。
 勝利者の無知と野蛮な風習とはよく知られているとおりである。けれどもこの愚劣な野蛮時代のさ中に、かの教養高き自由なギリシャの盛時を汚職した家内奴隷制度が破壊されるようになったのである。
 土地附属の農奴は勝利者の土地を耕作していた。この圧迫された階級は、勝利者の家庭のために奴婢を供給していたのであって、この従属関係は、勝利者の自負と気概とを満足させるに足るものであった。それゆえ、勝利者たちは戦争において、奴隷ではなく、土地と小作人を求めた。
 かつまた勝利者が侵略した地方にいた奴隷たちは大部分、戦勝民族が征服したある種族のなかから得た捕虜またはその子孫たちであった。かれらの大多数は征服された瞬間に逃亡するか、勝利者の軍隊に加わった。

ニコラ・ド・コンドルセ「人間精神進歩史」

2016/10/07

死を嫌い避ける天性より霊魂不死

されば人心進歩の有様を考えふるに、最初には全く想像もなす事なく、更に禽獣に異ならざりしが、死を嫌ふの天性よりして、霊魂の死せざる事と、霊魂の帰する処とを想像し、次に死を避けんとの天性よりして、自然の怪力を敬するの心起り、次に言動の粗なるよりして、祖先を神聖と想像するの心起こり、次に霊魂不死の考えよりして、祖先の霊魂天地に照臨なしますと想像し、次に祖先の霊魂神となりて、之を祭れば諸の災害を治し給うの威力のあることを思い、是より神威愈々盛にして、人間万般の諸行を指揮賞罰せらるるに至れり。もし未開の世に当て、人の心には道理を窮むる猶像なければ、風浪の忽ち動き、雲切の俄に起こるも、皆な怪力の仕業なりし事も尋常の事となり、怪力の仕業大に減少すべきけれども、人の幽瞑に心を注ぐ事、亦た次第に進むべければ、怪力亦た性質を変じて神となり、神の領する処次第に高尚幽瞑の地位に登れり。故に其尊厳亦た隋って増加し、信仰の心愈々深くして、神道の基礎となりにけり。然れども未だ黄泉に於て神の威力ある事と、現世の所業の善悪に因て、死後霊魂の帰する所に差別ある事を想像するに至らず、黄泉と云える語は、仏法にて所謂天堂地獄を兼ね称するの語なり。故に其想像未だ十分に成熟せりとも思はれざるなり。

田口 卯吉「日本開化小史」

2016/10/06

無知は奴隷同然に放置

 学者たちは人間的関心事についてはもう十分知悉しており、人間界の外にあって人間の心理発見能力を越えるような事物の研究のためには、そんな問題は無視したってやっていけるとでも思っているのかとソクラテスは尋ねるのである。かれらは基礎的な諸点においてさえ自分たちどうし意見が一致せず、互いに異論を唱えあっているのに。あるいは天空の事象を研究することで、天候や気象を制御できるとでも思っているのだろうか、それともどのようにして風が吹き、雨は降るのかを知りさえすればそれで満足なのだろうか。ソクラテス自身はただ人間的関心事ー何が人々を個人として、あるいはまた市民として善き者にするのかということだけを論じたとクセノポンは言う。この分野では知識は気高い人格の条件であり、無知は人を奴隷同然の状態に放置するものだった。
 クセノポンの報告を信頼してよいのなら、ソクラテスは当時行われていた自然について思索を二つの根拠から拒否した。それは独断的であり、役に立たないというのである。
 一つめは、自分たちの話すことが真実であると知りうるはずがないのに自信たっぷりに教える人々の話を信じるように求められたときの反論である。イオニアの自然学者たちが世界の起源を叙述する場合、かれらはそれを自分たちがそこに居合わせて目撃したような確かな口ぶりで語っていた。
 もう一つの反論は、そういう理論は役に立たないというものである。「役に立たない」という言葉でソクラテスが何を言おうとしていたのか、クラノホンの説明はその点のかれの無理解を露呈している。
 ソクラテスが「役に立たない」と言ったのは、どちらかというと、人間の主要かつ本来的関心事だと彼が思っていたものー自己自身と正しい生き方についての知識ーのためには役に立たないということだった。人生の終極目的はいまこの時この場所において知ることができる、そうソクラテスは思った。

フランシス・マクドナルド・コーンフォード「ソクラテス以前以後」

2016/10/05

既成の秩序のために生存を犠牲

 日本人にとっては、已の民族の既成の秩序になんの摩擦もなしに順応するのは当然のことであるのみならず、その秩序のためには自己の生存をさえも泰然として犠牲にししかもそのために仰々しく騒ぎ立てられることはない。ここに初めて、仏教の及ぼした影響の成果と、同時にそれに基づくもろもろの術の持つともなしに持っている教育的な価値形成とが、明らかに現われる。この内面の光によって、死も、祖国のためにみずから進んで求める死さえも、崇高な清祓を受け、同時にあらゆる恐怖が跡形もなく消え失せる。仏教ならびにすべて真の術の鍛磨が要求する沈思とは単純に言うならば、現世および自己から訣別ができ、無に帰し、しかもそのためにかえって無限に満たされることを意味する。これが幾度も修練され、実際に経験されるならば、そして、決定的に理解された思想としてではなく、意識的に持ち出された決意としてでもなく、非有の中の現実の有として生きられるならば、これは死をも、また意識しながら死んで行くことも、沈思そのものに対するように少しも恐れないあの自若とした落着きを生み出す。じじつ、人間の生存がただ数瞬にして取り消されるものにせよ、あるいは持続するものにせよ、いずれにしてもそれは非有野中の有に移されることに変わりはない。
 同時に、ここにかの武士道精神の根源がある。日本人がこの精神を已れにもっとも特有なものとするのは当然と言っていい。そのもっとも純粋な象徴は朝日の光の中に散る桜の花びらである。このように寂然として内心揺ぎもせずに生から已れを解き放つことができるというそのことにこそ、終わりが初めに流れ入る生存の、唯一ではないが究極の意義を実現し、かつ開示する。

オイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」

2016/10/04

服従は憤り恨むよりは慄然と恐れ畏む

 人生における最も深刻なる経験は、われ意志す、しかしてわが意志に手むかう者実在することである。何故ならばこの経験においてわれらは現実に自己と自己にあらざる他者との実在に触れるからである。圧倒的な他者の抵抗素子に会うて、見るかげもなく崩れついえる経験である。これ以上に痛烈深刻な他者他力の体験はない。
 深刻に自己よりも大なる者に立脚せしめる。手痛く神に投げ放たれ打ちすえられて、人は始めて絶対的に神の愛護を信じ、徹底的無条件に神意に服従するようになる。それは深刻なる抵抗の経験であると同時に。又最も強烈にこの抵抗する者の実在と実力を思い知らせしめる。その時われわれは已が石の阻まれたことを憤り恨むよりは、慄然として地に伏し魂をふるわして恐れ畏む。或る圧倒的実在者への畏怖である。痛烈深刻におのれの微力無力さをさとられたのである。しかもこのさとりが我らを小さく萎縮させずして、却って我らを安住せしめるのである。そうして暢びしめるのである。かくして我らは初めて全く新なるいのちに溢れるのである。一度死して再び生きるのである。この旺なる更生は痛烈なる苦悩を通してのほか得られない。そしてここに苦悩がもたらす福音がもたらす秘密があるのである。

三谷 隆正「幸福論」

2016/10/03

戦争は気味悪く心は弾む

 1872(慶応4)年辰年の5月15日、私の17歳の時、上野の戦争がありました。今から考えてみると、徳川様のあの大身代がゆらぎ出して、とうとう傾いてしまった時であった。
 上野へ彰義隊が立て籠もっていましょう。それが官軍と手合わせをはじめるんだそうで。どうも、そう聞いては安閑とはしていにられないんで、夜夜中だが、こちらにも知らせて上げようと思って、やって来たんです。
 戦争と聞いては何となく気味悪く、また威勢の好いことのようにも思われて心は弾む。上野町の方へ曲がって行こうとすると、其所に異様な風体をした武士の一団を見たのであった。武士たちは袴の股立ちを高く取り、抜き身の槍を立て、畳をガンギに食い違えてに積み、往来を厳重にしているのである。
 ドドーンゝゝという恐ろしい音が上野方で鳴り出しました、それは大砲の音である。ドドン、ドドン、パチパチパチという。陰気な暗い天気にこの不思議な音響が響き渡る。10時頃と思う時分、上野の山の中から真っ黒な火が見えて来ました。彰義隊は苦戦奮闘したけれども、とうとう勝てず、散々に落ちて行き、昼過ぎには戦がやみました。
 その戦後の状態が大変で、死屍が累々としている。二つ三つの無残な死骸を見ると、もう嫌な気がして引っ返しました。その戦後の惨景は目も当てられず、戦いやんで昼過ぎ、騒ぎは一段落付いたようなもの、それから人騒ぎ起こったというのは、跡見物に出掛けた市民で、各自に刺子絆纏などを着込んで押して行き、非常な雑踏。すると人心は恐ろしいもので欲張り出したのであります。

高村 光雲「幕末維新回顧録」

2016/10/02

自由の危機が抑圧と戦争に導く

 自由の第1条件は経済的発展である。自由が危機に瀕するのは1社会の経済が縮小始める時である。経済的発展に失敗した暁にも政府が依然権威を維持しようとすれば、1つは国内抑圧、他は戦争である。
 生活に不足なく、かつ、考える余裕をもつということ、これが自由な人間の根本条件である。財産の所有者たちは、一応ある点までは、社会改良の手段によって資本主義の敵対者を籠絡しようとする。しかし、いったん財産かデモクラシーかの決定点に達すると、已の財産を択んでデモクラシーを破壊するという重大な危険が常に発生する。
 誰でも、欠乏からの自由は望ましいということにかけては原理的に一致している。アメリカ合衆国については望み薄である。というのもその莫大な生産力に拘らず、富の配分の合理的解決に遠い。報酬は個人の労働と節約とに比例する代わりに、むしろほとんど反比例をなす。最も少なく受け取る人こそ最も多く労働し節約する。
 自由とは本質的に拘束の欠如の欠陥である。権力は、自由な活動を埃ってはじめて発揮できる種々の能力の行使を阻害する。自由がその目的へと進み行くためには、平等の存在が大切である。平等とは社会がある人々の幸福の要求に対し、他の人々に対するよりも余計な障害を設けないことである。
 個人に残されたただ一つの道は、市民としての行動の導き手である良心に従うことである。それ以外のやり方は自由を裏切ることに外ならない。抑圧すべきものの選択を委託する人々は、単に、社会福祉に熱心であるでは全く不適当である。知的盲目者が、自分の建てた勝手極まる基準に市民を従わせようとするのである。純潔は、全くひどい無知に過ぎず、よれによって自由は滅殺され、人間の人格は、全く容赦し難いまで拘束される。

ハノルド・J・ラスク「近代国家における自由」

2016/10/01

感情のみに走る国権主義と忠君愛国

 十七歳の時には妾(わらわ: 女性がへりくだって自分をいう語)に取りて一生忘れがたき年なり。吾が郷里には自由民権の論客が多く集まりて、日頃兄弟のごく親しみ合へる。時の政府に国会開設の請願をなし、諸懸に先立ちて民衆の迷夢を破らんとはなしぬ。
 かかりし程に、一日朝鮮動乱に引き続いて、日清の談判開始せられたりとの報、端なくも妾の書窓を驚かしぬ。我が当局の恥辱を賭して、偏に一時の詠歌を衒い、百年の患いを遺して、唯だ一身の苟安を翼ふに汲々たる様子を見ては、いちど感情にのみ奔るの癖ある妾は、憤慨の念燃えるばかり、遂に巾国の身をも打ち忘れて、いかで吾奮い起ち、優柔なる当局及び惰民の眠をさまし呉れでは已むまじの心となりしこそ端たなき限りなりしか。
 嗚呼斯の如くにて妾は断然書を投げ打つの不幸を来せるなり。当時の妾の感情を洩らせる一片の文あり、素より狂信の言に近きけれども、当時妾が黒鍵主義に心酔し、忠君愛国てふ事に熱中したりし其有様を知るものに足るものあれば、叙事の順序として、抜粋することを許したまえ。斯は大阪未決監獄入監中に起草せるものなりき。妾はここに自白す、妾は今貴族豪商の喧騒を憂ふると共に、又昔時死生を共にせし自由党有志者の堕落軽薄を厭へり。我等女子の身なりとも、国のためてう念は死に抵るまでも已まざるべく、此の一念は、やがて妾を導きて、頻りに社会主義者の説を聴くを喜ばしめ、漸く彼の私欲私利に汲々たる帝国主義者の云為を厭はしめぬ。
 嗚呼学識なくして、徒らに感情のみに支配されし当時の思想の誤れりしことよ。されど其頃の妾は憂世愛国の女志士として、人も容されき、妾も許しき。姑らく女志士として語らしめよ。
 獄中述懐(1885(明治18)年12月19日大阪未決監獄に於いて、時に19歳)
  元来儂は我国民権の拡張せず、従って婦女が古来の陋習に慣れ、卑々屈々男子の奴隷ためを甘んじて、天賦自由の権利あるを知らず己れがために如何なる弊制悪法あるも恬として意に介せず、一身の小栄に安んじ錦衣玉食するのを以て、人生最大の幸福名誉となすのみ、豈事体の何物ためを知らんや、況や邦家の休戚をや。未だ嘗て念頭に懸けざるは、滔々たる日本婦女皆是にして、恰も度外物の如く自ら卑屈し、政事に関する事は女子の知れざる事となし一も顧慮する意なし。

福田 英子「妾の半生涯」


女性解放運動の先駆者「東洋のジャンヌ・ダルク」