2016/10/06

無知は奴隷同然に放置

 学者たちは人間的関心事についてはもう十分知悉しており、人間界の外にあって人間の心理発見能力を越えるような事物の研究のためには、そんな問題は無視したってやっていけるとでも思っているのかとソクラテスは尋ねるのである。かれらは基礎的な諸点においてさえ自分たちどうし意見が一致せず、互いに異論を唱えあっているのに。あるいは天空の事象を研究することで、天候や気象を制御できるとでも思っているのだろうか、それともどのようにして風が吹き、雨は降るのかを知りさえすればそれで満足なのだろうか。ソクラテス自身はただ人間的関心事ー何が人々を個人として、あるいはまた市民として善き者にするのかということだけを論じたとクセノポンは言う。この分野では知識は気高い人格の条件であり、無知は人を奴隷同然の状態に放置するものだった。
 クセノポンの報告を信頼してよいのなら、ソクラテスは当時行われていた自然について思索を二つの根拠から拒否した。それは独断的であり、役に立たないというのである。
 一つめは、自分たちの話すことが真実であると知りうるはずがないのに自信たっぷりに教える人々の話を信じるように求められたときの反論である。イオニアの自然学者たちが世界の起源を叙述する場合、かれらはそれを自分たちがそこに居合わせて目撃したような確かな口ぶりで語っていた。
 もう一つの反論は、そういう理論は役に立たないというものである。「役に立たない」という言葉でソクラテスが何を言おうとしていたのか、クラノホンの説明はその点のかれの無理解を露呈している。
 ソクラテスが「役に立たない」と言ったのは、どちらかというと、人間の主要かつ本来的関心事だと彼が思っていたものー自己自身と正しい生き方についての知識ーのためには役に立たないということだった。人生の終極目的はいまこの時この場所において知ることができる、そうソクラテスは思った。

フランシス・マクドナルド・コーンフォード「ソクラテス以前以後」