子供のときに、知識を獲得することが必要であるとよく教えられて来たのだが、生きるがために働かねばならなかったので、この考えはやがて失ってしまい、哀れにも知っていることは、無知なのは自然の意志によるのではなく、社会の不正のためなのだということだけである。
貧困な市民に対して政府が言うべきことは、これまでは、諸君は親の財産の関係上、わずかに最も必要不可欠の知識を獲得ができたばかりだった。ところが、今や諸君には容易に知識を確保し、発展させる手段が保証されることとなった。諸君にして生まれながらの才能を持ってさえいれば、諸君はこれを発達させることができるだろう。しかも諸君のためにも、また祖国のためにも、これらの才能は決して滅却されることはないであろう。
かくして教育は普遍的でなければならぬ。すなわちあらゆる市民に普及せられなければならぬ。教育は全く平等に教与されなければならぬが、この平等は必要な経費の範囲においてであり、国内の人口分布状態が許す限りにおいてであり、また多かれ少なけれ、児童が教育のために費すことのできる時間の許される限りにおいてである。教育は、その諸段階を通じて人間知識の全体系を包含しなければならず、全生涯を通じて誰でもこれらの知識を確保し、もしくは新たな知識を獲得し易からしめなければならぬ。
如何なる政府といえども、新しい真理の発展を妨害し、政府の特殊な政策や一時的な利益に反する理論を教授することを妨害するような権威を持ってはならないし、かかる信頼さえも持ってはならない。
ニコラ・ド・コンドルセ「革命議会における教育計画」