2016/11/29

悪の表出は必要を満たす手段の不足

 実際問題の例にかえろう。どういう方法で人間が全となり、世の中で悪人がごく僅かになり、アクをなす場合が非常に少なくなり、其の結果、アクの性質があらわれるもっとも多い原因は必要を満たす手段の不足である。人間は自分に必要なものなしでいたくないために、他から何ものかを奪わねばならない時、犯罪やその他の悪行が法外にふえる。人びとは一片のパンのために互いに辱しめ、あざむく。心理学はさらに人間の欲求はその強さによって多種多様の段階に分かれることをつけ加える。あらゆる人間のオルガニズムにもっとも切迫した必要は呼吸しなければならないことになる。ところがこれを満たすに必要な対策は、殆どすべての場合人間にとって十分にあるので、空気にたいする必要からは殆ど何処でも悪行はおこらない。しかし、この対策が万人に十分でないという例外の場合には、おなじように争いと侮辱とがおこる。
 たとえば大勢の人間がただひとつしかない窓のない部屋に閉じ込められると、この窓のそばの場所をとろうとして、殆どつねに争いと掴み合いがおこる、殺人さえおこりかねない。呼吸の次の切迫した必要は食べるととのむことである。この要求を十分に満たすための対策は、しばしば、多くの人間にとって不足している。この不足が大多数の悪行の根源であり、悪行の恒常的原因となっている殆どすべての事情や制度の根源である。この悪の原因の一つをのぞくことができれば、人間の社会から少なくとも悪の十分の九は消えてしまうだろう。犯罪の数は十分の一に減るだろう。粗野な習慣や考え方は一時代の経過のうちに人間的な習慣や考えかたでとってかわられるだろう。蛮風と無知とにもとづく拘束的な制度の支柱は取り去られるだろう。そして殆どすべてのの拘束が速やかになくなってしまうだろう。理論のそのような指示を実行するのには技術が不完全だから不可能だと以前では言われたものだ。このことが昔では正しかったかどうか知らないが、現在の工業と化学の状態と、これらの学問が農業に与える手段とのもとで、土地は温帯の各国では、これらの国の現在の住民の十倍も二十倍もの人口がたっぷりと食べられるのに必要な食料より比較にならないほど多く生産できることは論争の余地がない。

ニコライ・チェルヌイシェフスキー「哲学の人間的原理」

2016/11/27

広島原爆は世界の涙をのむ

     私達は比治山にのぼって、山の防空ごうに入りました、その途中父は、方々の家の屋根や、植木などに萌えている火を、水そうの水をかけて消してゆきました。しかしそんなことでは、とうていかなうことではありません。又その途中で、いく人か死んでいるのを見かけました。そのたびにごとに私は胸がつまって、とても見ていられませんでした。しかしだんだんと山をのぼっているうちに、たくさんの死人がごろごろしていたので、どうしても見ないわけにはゆきませんでした。その中には、私の知っている人もだいぶいました。やっと山の防空こうにたどりついたのですが、やはり父はおちつかないらしく、下の方へおりて行きました。まもなくバケツに水を入れそれにひしゃくをつけてあがってきました。山にのぼる途中でもう息もたえだえになって、「水をくれ、水をくれ。」と叫んでいる人々に役人が「水をやってはいけない。」と言うのもかまわず一口ずつ入れてやりながら、あがってきたのです。「どうせ水をやっても、やらなくても死ぬ人なら、ほとがる水くらいのものはやってもいい。」というのが父の考えでした。私も又父の考えがもっともだと思いました。
 山の途中のほら穴は、とても入ることのできるような穴ではありませんでした。けが人でいっぱいで、もう死んでいる人もたくさんいました。穴の中は真っ暗で、やけどや、きずの生々しいにおいで、息もつまりそうでした。頭の上ではぶんぶんとたくさんのアメリカの飛行機がとんでいます。そして今にもばくだんをおとしそうな気がして、一時もぐずぐすしてはいられません。しかしあとで分かったことですが、それらの飛行機はあの原爆を落とした後の有様はどんなかと、ていさつに来たのだということです。その時のあのむごたらしい様子を空から見て、アメリカ人はどう思ったでしょう。いかにわれわれの敵であったとはいえ、なみだをのまずにはいられなかったと思います。

山村百合子(広島原爆の当時小学校三年生)
「原爆の子ー広島の少年少女のうったえ」(長田新編)

2016/11/25

来世就来世いつの戦争の終わり

 歳暮珍重候。扨もさても天下一変の後、音信不通、旦夕床しく候。かやうにうつりかわる世の中とは、誰しも思ひながら、様々おはれとも申ても申しても叶わぬ事共、夏より己来候。心のままなる友もあらまし、目に見る有様も語り、慰めもあるべき、世の中の人は、富貴栄華の物語より外なく候得は、更々我等式の類ひは、独り無常の窓に向ひて、独言いふて暮す計に候。
 内々此冬は、都にも住馴ぬれは、いかなる山の奥へも分入、野狸子をふすへて、春を待へきかなと思ひより候まま、若は其國湯山温泉寺奥なとに、人知れす隠れ住をもし、ひとりには、かくしかくし下の浜なとへ立出て、語りあかし可申かなとと思ひ候得共、一日一日のうちに、後々寒という貧僧のかたき出頭せられ、何方へも可達出様候はねは、心のままにも任すへからす候。
 捨てだに此世の外はなきものをの、こころひとつをなくさむ計候。道もかはき、暖のもなり候はは、出石をも深く忍び、湯山邊へ、卒度可参候。たとへは、人界は水を釣瓶の事如し。くりかえしくりかえし、事の底にめくるか如し、鳥の林に遊か如し、帰りてはゆき、行きては帰り、前生また前生、何れの世より、うき世をめくるつなにかかり、今よりまた来世就来世いつの終わりを知るへきや。
 此理を知りなから、うけかたき人身を得、あひ難き仏方にあひ、むさむさとやみの夜におくり果へきや。此たひあひかた法にあひ、一つの心をさとり、真如の至りを宗にすまし、長夜の闇を照し、三無負可得の心を心の外に得て、在家の女人を帯しなから、正覚のくらいに到るへき事、思はさらめや、あとの悔からへらぬは、元の水のごとし、惜みても。

沢庵 宗彭「沢庵和尚書簡集」

2016/11/23

戦場武士の忌まわしき殺生

小林義繁討死
 小林上野守は、未馬にてひかえたりけるが、切り落とされては犬死しぬとおもひければ、権大夫を弓手に相付、駆寄て鐙をこえており立たり。鍔本まで血に染たる太刀をめ手の方に引そばめて、義弘に打てぞかかりける。権大夫は敵を小太刀と見たりければ、手もとへ近付けて勝負をせんとやおもひけん、長刀を茎みじかに取なをして、弓手の袖をゆりかけてこそ待たりけれ。義繁走かかてきらんとするに、更にすきなかりければ、元来小林手ききなれば、小膝を折て袖の下へあげ切に、すきもなく二太刀つづけて切たりけり。其太刀に権大夫弓手のかなを二ケ所きられて、今は物あひよしと見てんげれば、長刀を取なをして腰当のはずれ、内甲へすきまにあたれとこうだりけり。小林運命やつきたりけん、ほうあてのさげを、甲のしころへすぢかひさまに、こみ立られて、更にはたらきえざれば、其長刀を切はぞさんとふりあをのひで、仏切に二太刀・三太刀うつ処を、長刀を取なをして脛当のはずれをよこさまにしたたかにこそ切たりけれ。因幡はいだてのさねともに、片股をかけず切て落す。小林心はやたけにおもへども、片股なければ北枕に倒臥す。弓手の手をおさえて暫は太刀にて合けるが、次第によはりてみえければ、権大夫の兵落合て、頸をとらんとしける処を、草摺を取て引よせて、さしちがへて二人ながら同枕に死にけり。義繁己に討れければ、小林三郎一族若当七八騎合重て、義弘を真中に取り籠て、今はさてとみえける処へ、杉豊後・同備中・須江美作・平井入道分々合たる敵を打ち捨て、権大夫を先途と長刀を取のべて、小膝にのせて仏切にないでまわりける真中へ、皆みな走入て敵をむずと切へだてて、散々に闘ける処に、大内が兵大勢重てとりこめて、戦ければ、敵八騎の兵も矢庭に五人は討れにけり。

「明得記」(明徳二年十二月)


2016/11/21

イスラエル王国の撲滅と惨劇

   ペリシテ人はイスラエルと会戦し、イスラエルの人達はペリシテ人の前から敗走してギルボア山に至り傷つき倒れた。ペリシテ人は、サウルとその子らに追いつき、ペリシテ人はサウルの子らヨナタン、アビナダム、及びマルキシュアを殺した。戦闘はサウルに向けられ、遂に的の射手は弓をもってサウルを射当て、サウルはその射手によって甚く傷ついた。サウルは彼の武器を担ぐ従者に言った、「剣を抜いて、わたしを殺してくれ。これらの割礼なき者がやって来て、わしを辱めないように」。しかし従者は甚く恐れて、敢えて手を下そうとしなかった。そこでサウルが死んだことを見とどけ、自分も又彼の剣の上に倒れてサウルと共に死んだ。かくしてその日、サウルとその三人の子、サウルの従者は共に戦死した。谷の向こう側とヨルダンの窪地にいたイスラエルの兵士たちは、イスラエル勢が敗走し、サウルとその子らが戦死したのを見て町々を捨てて逃げ去った。ペリシテ人はやって来てその町に住んだ。
 翌日ペリシテ人は闘いに倒れた者に対する略奪の為にやって来た。そうして、サウルとその三人の子らがギルボア山上で戦死しているのを発見した。彼らはサウルの首を刎ね、その武具を奪い、それをあまねくペリシテ人の地に持ち回って、この戦勝の知らせをその偶像と民とに伝えさせた。又、サウルの武器をアシタロテの身やに納め、その死体をそのペテンシャンの城壁に曝した。
 ヤベシ・ギレアデの人々が、ペリシテ人のサウルになしたことを聞いた時、総ての武器をとる者達は、立ってよもすがら進み、サウルの死体とその子らの死体をペテンシャンの城壁から取り外し、これをヤベシの柳の下に梅、七日間断食した。

旧約聖書「サムエル記」

2016/11/19

操で死ぬ道理はない

 だいたい、操を立てて死ぬというほどまちがった考えははない。君も民も一人である。いや普通の民にくらべてまだ未のものなのだ。民と民の間柄でも相手のために死ぬ道理などない。それではむかし操を立てて死んだのはみな当たらぬことだったのか。きっぱり言ってしまえばね事のために死ぬ道理こそあれ、君のために死ぬ道理などないのである。君のために死んだのは、情に溺れた宦官、宮女であり、「律儀ものの愚物だった」。宦官、宮女たるに甘んじた人間や、まさにまとことの愚物の人物については、何もいうことはない。しかし、みんなで推挙したというからには、われわれが推挙したこの者のために自分で死ぬのだ。君のために死ぬのではない、ということはいえる。とはいえ後世の君はいずれも、強大な兵馬で強引に侵略して奪いとったものなので、あたりまえにみんなで推挙したものでないという点は、どう考えるのだ。ましてや彼らは満・漢という種族の意志で天下を奴隷にしている。天下を奴隷にしている彼らとしては、民が操を立てて死ぬのがひどくうれしいのは当然である。
 一王朝の興亡はなどは目にも当たらぬ小さなことで、民にとってなんの関係もない。であるのに操を立てて死ぬものが万で教えるほど、いやそれ以上もあったとは、これほど本末転倒があろうか。白夷、淑斉は死んだのだが(この兄弟は、周の武王が暴君の殷の紂王を滅ぼして天子となったのを不義として、周のものは食わぬと餓死した)、紂王のために死んだのではない。本人のことばに、「暴で暴にとり代えるだけのことなのだ」(暴君を暴力で排除して君となる。『史記』「伯夷列伝」)と言っているところからすると、君主の凶害を閉じてしまったのだ。それにまた、誰か前の君のために死ぬものがあると、後の君はひどくいやがるが、しかも事態がなんとかおさまると(国を奪い安定すると)、たちまち神に祭り、供物をし、祈りをさまたげる。これはやはり、今後も人がわがために死んでほとしいからである。「むかしある男が、(かつて挑んだら、ののしられたことがあった女なら)自分のためにも(いよいよ他の男を)ののしってくれるだろうと妻にえらんだ」(『戦国策』「秦策上})という。志を守って山林に身をひいた土地はいわば未婚のむすめである。これを出仕しろとおどしつけ、出仕しなければ殺した。つまり、不貞だったのだとののしり、操をけがしたしあばきたて、『弐臣伝』「ふたまた者伝」)までつくって辱しめた。これは、当人たちを辱しめるだけでなく、実は反逆させまいと天下後世を威嚇する意味があったのだ。

譚 嗣同「仁学」


2016/11/17

神は王や君主ではないこと

 神のことがあっちでもこっちでも言い伝えられたり、これがそうだと見せられたりするものですから、これはみな王や君主の事蹟なのだと考える人々がいます。際立った資質や勢力ゆえに赫々たる成果を挙げたのが、神だという名声によっていっそう輝かしくされた、しかしやがては運命に従わねばならなかったが、その事蹟と経験はいつまでも驚くべき偉大なものとして記憶される、というように。
 ですが、このように説明する人々は、正しい説明をすり抜けて、具合の悪いことは神から人間に移しかえています。そういう例なら言い伝えからいくらでも助けが得られますね。現にエジプト人は、ヘルメスの体は腕が短かったと言っておりますし、テュボンは赤ら顔でホメロスは色白、オシリスは黒かったなどと申しております。まるでこれらの神が本性人間だったのごとくにです。
 それだけではありません。エジプト人はオシリスを将軍と呼び、カノボスを舵取り、船長と呼んでいて、天の星にもこのカノボス(カノプス)という名がついている、そしてその船の方は、ギリシア人がアルゴ船と呼んでいるもので、これはオシリスの船の似像であり、オリオンと犬星(シリウス)からさして遠くない空を航行しているのだと言っております。そして、オリオンはホロスの、犬はイシスの聖なる星だとエジプト人は信じているのです。
 しかしながら、これは「動かすべからざるものを動かす」ことではないかと恐れてますし、シモニデスの言う(断片193)「古りにし時の間に挑む」ばかりではなく、多くの人間の種族、神々への敬虔な気持ちをしっかりと抱いている民族に対する挑戦ではないかと思います。これでは、人類誕生のはじめから、ほとんどすべの人々の胸に抱かれてきた、かくも古き尊き御名を天上から地上に引きずり下ろし、その尊崇の念、敬虔な気持ちを失わせ、また打ち壊すことになりましょうし、神を平面に引き下げることによって、レオン(前4世紀)のような著述家のために広々と道を空けてやり、メッセネのエウヘメロス(ヤコビ『ギリシア歴史家断片集』63T4e)の徒のいかさまに、自由な発言を許すことにより、光輝を添えることになりましょう。このエウヘメロスこそ、自分の手で、およそ信じるに足りぬ、ありもしない神話を作り上げてから、全世界に無神論を撒き散らした人です。

プルタルコス「エジプト神イシリスとオシリスの伝説について」


2016/11/15

太平の治世から困窮の乱世

 太平久しく続く時、漸々上下困窮し、それよりして紀綱乱れてついには乱を生ず。和漢古今ともに治世より乱世に移る事は、皆世の困究より出る事、歴代のしるし鏡にかけて明か也。故に国天下を治むるには、まず富豊かなるようにする事、これ治めの根本也。
 管仲が詞にも「衣食たりて栄辱を知る」といえり。孔子も「富まして後教える」とのたまえり。手前困究して衣食たらざれば、礼儀を嗜む心なくなりて、下に礼儀なければ、種々の悪事はこれより生じ、国ついに乱るる事、自然の道理也。
 何程法度を厳しく、上の威勢をもって下知するというとも、上下困究して動く力もなきようになりたる時節に至りては、その動く力もなき所偽りもなく真実なる故、用捨せずして叶わず。ひた物あそこをも用捨し、ここをも用捨すれば、後は法の破るる事になる也。法は国をつなぐ綱なる故、法破れては乱れずという事なし。その法の破るる所を愁いて、その動く力もなき者に用捨をせざれば、畢竟力にかなわぬ事を下知するというものになりて、無理の名を得る故、これまた乱を招く媒也。
 所詮の所皆困究より生ず。国の困究するは病人の元気尽るが如し。元尽きれば病生じて死する事必然の理也。元気盛んなれば、いかようの病気を受けても療治はなるものなる故に、上医は必ず病人の元気に心を付け、よく国を治むる人は古より国の困究せぬようにと心用ゆる事也。ここの境を会得して、国の豊かに富むようにする事、治めの根本也。されば何事も指置きても、当時上下の困究を救う道を詮索せずして叶わざ事也。

萩生 徂来「政談」

2016/11/13

イスラームは血塗られた歴史

 イスラーム(Islām)という言葉自身、アラビア語としては、すでに語源的に自己痛く、引き渡し、一切を相手に任せること、という意味なのです。つまりイスラームは宗教的には「絶対帰依」以外の何者でもないのです。ですから、ふつうイスラームの信者、イスラーム教徒の意味で使われている「ムスリム」(muslim)という語も、本来の意味は「絶対帰依者」、すなわち已のすべてを挙げて神の心に任せきり、神にどう扱われようとも、敢えて已の好悪は問わぬ、絶対無条件な神への委嘱、依存の態度をいつでもどこでも堅持して放さない人のことです。ついでながらmuslimは、文法的にはIslāmとまったく同じ語源SLMから派生した言葉で、muslimとIslāmとの違いは、前者が能動的分詞形、つまり「絶対に帰依した(人)」の意味、後者が動名詞形、つまり「絶対に帰依することの」の意、であるだけののことであります。
 イスラームの長い歴史を通じまして、各時代ごとに衆に優れた第一級の人物と認められた人たち、権威者が『コーラン』解釈の許容範囲を逸脱していると認めれば、ただちに正規の法的手続きを踏んで、それに異端宣告する義務がある。その政治的権力は実に絶大なものです。なぜなら、いったん異端を宣告されたが最後、その人あるいはグループは完全にイスラーム共同体から締め出されてします。イスラム教徒の一切の権利を剥奪されて、「イスラームの敵」語源的には「神の敵」('aduww Allāh)となるのです。「イスラームの敵」になったものの刑は死刑、全財産没収。個人の場合はもちろん死刑。異端宣告を受けたためにどれほど多くの人々が刑場に消えていったか、数えきれません。内面への道を行った人々は、たえざる死の危険に身をさらして生きねばならなかった人たちです。イスラームの歴史は文字通り血塗られた歴史です。

井筒 俊彦「イスラーム文化ーその根柢にあるもの」

2016/11/11

政略的に古典的価値を与える

民族的な性格をもっていること

 古典は、その規定において民族的感情から独立しえないであろう。元来古典は、人間の解放、人権の隔離という点で、世界的、世界市民的性格をもっているが、ギリシア古典のような絶対的な意味のもののほかに、各国民または民族の過去において持った偉大な作家、作品に対する尊敬と感情が、それぞれの国民または民族をして国民ないし民族的古典を形成せしめた。
 それは国民的感情や民族的自負の根源に接触するものである。どこの国でもそのような古典をもつことは国民の誇りでなくてはならない。亡国の民や遊牧の民は、そういう古典をもたない。ただしかし、そのような国民古典は、同時に世界古典もしくは人間古典の性格をもっていることが要請される。すでに外国人によって、An addition to the world's classics と認められている。国民的性格をもちながら、その本質まで世界的性格に高められるような作家作品であって、はじめて可能である。他のある特殊な目的のために、政略的な立場から古典的価値が与えられるようであってはならない。そういう古典は、偽われる古典である。国民的なものは、そのまま世界的なものでなければならない。

池田 亀鑑「古典学入門」

2016/11/10

戦争で市民は涙を絞り苦しむ

 戦争のために種々の変遷ありたり、戦争ありて、急にこの社会に対した要ありと覚えざる軍人輩が、急に社会に持てるようになるのは言うまでもなく、軍備の拡張せられたる結果は、にわかに貧乏世帯の日本政府の歳出八千万円(現在の3,400億円)は、三倍にして二億四千万円(現在の1兆2000億円)の巨額にのぼり、
 小作人の涙を絞る地租増税となり、労働者を苦しむ消費税賦課となり、なかにも塩もしくは米と等しく日用品なる醤油税法案は遠慮もなく国会の議題にのぼり、気楽なる議員諸公はなんの異議もなくこれわ可決したまい、思想の交通を制限する郵便税も可決せられ、かくのごとくにして終わることなければ、後日塩にも米にも税を課する到るやも知るべからず、こわや、これ戦争の結果が社会に与えたる影響の著しきものなり。
 戦争の結果は、政治上影響ありたるのみならず、これに関係する政治家、国会議員などいう連中の公聴に与えたる影響も被る大なり、昨年衆議院の解散せられたる時、弁当代を払わざる議員は五十七名ありと聞けり、議員先生が弁当代を払わざるを異しむなかれ、
 今の政治家という人達は、人民の利益降伏をはかるために、政治界に働くにあらずして、あたかも労働者が賃金を欲して労働に従事するが如く、今の政治家、国会議員は私利をむさぼらんがために、国会議員てふ資格の便宜あるを機として借りに政治家という職業に従事せるのみ、常に政府党は政府案に盲従し、反対党は一もニもなく反対して、その間に議論を闘はすことなく、いつも待合にて協議せらるるを見るも、よくこれを知る得べし、賄賂公行せらるる固より怪しむに足るべからず、賄賂を取りて意見を売らざる小山久之助あり、むしろこの人の如きは今の政治界にては利口にしてしっかりした人なり、今の政治家、議員などいう連中は、とうとう皆意思の薄弱なる小山久之助のみ、ああこれ等しく戦争の結果なり、以前より忌むべき事実多かりしといえども、かくの如く甚しきことなかりしなり。

横山 源之助「内地雑居後之日本」

2016/11/08

宗教の名で最悪の事柄はなされる

 この世に存在したすべての宗教が偽りであるという意味になるのであろうか。そうではないのである。なるほどたいていの宗教が、理性的信念に分析されるならば、偽りであることは明白である。そして私はこの世に存在する百万の宗教団体のどれか一つに属する徹頭徹尾正統派的な信仰をもつ人にとっては、この百万から一つを覗いたその他のものが悪しく偽りではないにしても兎も角も偽りであることは心中疑いの余地なく明白であるに相違ないと思うのである。それこそが私たちが明瞭に意識していなければならないことだと私は考える。しかもなお人間が自分の周囲をかこむ道標なき神秘的な人生の領域に対して何らかの関係をもたなければならないという事実は相変わらず残るのである。
 それこそ宗教に残された大いなる事実ではあるが、私たちはそれについて二つの事実を記憶せねばならない。第一に誤りを犯す可能性は大きく、事実ほとんど無限であり、第二に確信した誤りのもたらす結果は極めて恐ろしいものであるということがこれである。おそらく史上を通じてかつて一かどの人々によって大規模にこの世でなされた最悪の事柄は宗教の名においてなされたものであり、そしてその事は現在でも真理たることを全く止めたとは決して思われない。

ギルバァト・マレー「ギリシア宗教発展の五段階」

2016/11/07

真の虚言で一気に危険となる

 永楽庚子春、予、命を受けて日本に使す。東海に泛びて馬島に到り、兵余の地を見、残凶の俗に諭す。一岐に危ぶみ、九州に説び、志河を発して、赤間関に入り、唐島を歴て肥厚を過ぎ、我王の所に至る。乃ち国家馬島に行兵するの翌年の春なれば、島倭、朝鮮の兵船の再来を以謂い、中より浮動して守御を罷めず。
 予の帰くや、標語の代官王に報告す。その武衛・管領・外郞等以謂えらく、「吾が御所、朝鮮使臣の来るを知れば、則ち必ず入見せざらん。我が日本は、憔に琉球船を勾留するのみならず、大明に向かいて隙あり。今また朝鮮使臣を入れざれば、則ち甚だ負荷なり」と。我れを引きて通事魏天の家に入接せしめ、然るのちに王に告ぐ。王、人をして我れに言わしめて曰く、「経および礼物は等持寺に入れ置き、官人は出てて深修庵に在れ」と。猜心益ます深く、我れを待すること至って薄し。その終の吉凶、未だ知るべからざるなり。翌日予、深修庵に帰く。俄にして王の送る所の僧恵供・周頌等来たりて曰く。「昨年の夏、朝鮮、大明と同に日本を伐ちしは何ぞや」と。予いわく「此れ真の虚言なり」と。馬島を討罪するの由を歴陳し、力めてこれを弁ず。二僧予の言を聞きて還り、王に説く。王の惑い乃ち解けたり。後十六日、王、我が殿下の書契を見、後に我をして諸寺に遊覧せしめ、また諸寺をして次々に来賓せしむ。我を待すること特に厚し。予の回還に及び、その書契を修し、その礼物を備え、以ってその慕義和好の心を著わす。

宗 希「老松堂日本行録ー朝鮮使節の見た中世日本ー」

2016/11/06

第一成すは下に教えるは上に

国産考

 国を富ましむる経済は、まず下民を賑はし、而して後に領主の益となるべき事をはかる成るべし。第一成すは下にあり、教ふるは上にありて、定まれる作物の外に余分に得ることを教えさとしめば、一国潤ふべし。
 此教ふるといふは、桑を植ゑ養実の道を教え、あるひは楮を植ゑしむる事ども成。然れども土地に厚薄あり、山川に肥度あり、尚更南北の寒暖異なれば、其の事に委しき人を選び習はざれば、徒に土地と人力を費すのみならず、損毛ありて土地に罪を負はすることあり。是を熟得して行うときは、国富まずと云う事あるべからず。抑点地の造化を助け、無用の地を助けひき、其土地相応の利潤のある良木を植ゑ尚足らざるを補ひなば、年々に富まさりて、五穀あまり、材用を天地の間に満たしむべし。
 都て諸の産物となるべきものを選び植ゑなば、各生ぜずということなければ、下民にありては金銀を閉塞して子孫に譲らんより山野に良材を植ゑ育て譲るることを心がくるは、万金の計算なるべし。或國に貧寺ありて住職すべき僧なきを、旦越の人山をもとめ其寺に寄付し、杉檜を数万本を植ゑけるが、廿年を待たずして追々成長の材木を伐りて買りはひけるが、終に福寺となりて堂塔を修復したることあり。
 是等の事または諸国にて国産を行はせらる々ことありしかど、中途にして廃することを見及ぶこと多し。依りて僕が才の拙きを恥じず、諸国の遊歴から見聞したることども下記つづりて、おこがましくかま題して先に二巻を著す。尚続いて数冊を編纂せんことを念ふ。只一事にても農家の益となるべき見当ともなる事あれば、幸ひ是にしかざるべし。

大蔵 永常「広益国産考」

2016/11/05

殉教者は有に死んだ

 殉教者たちはひとつの命を失い、そしてひとつ有を見出したのである。ある師は、有ほどに神と等しいものは他にない、あるものが有を持つ限り、その限りにおいてそのものは神と等しいという。ある師は次のように言う。神である一切がひとつの有であるほどに、有とは純粋にして高きものである、神が認識するのは有より他になく、神の有以外神の有以外の何ものも知ることがない、有こそ神の指輪である、神は有以外愛するすることもなく、神の有以外思惟することもないと。
  わたしは、すべての被造物はひとつの有である、と言う。ある師は、被造物のあるものは、他の被造物に有を付与するほど神に近く、それほど多くの神的光をみずからの内に写し持っているのだと語る。
 これは正しいとはいえない。なぜかといえば、有はきわめて高くきわめて純粋で、神にきわめて似ているので、神が神自身の内に有を付与するときのほかは、いかなるものといえども有を付与することはできないからである。神の最も固有な本質は有である。ある師は、ある被造物が別な被造物に命であれば与えることは十分可能である、と言っている。
 まさにそれゆえにこそ、何であろうともすべてのものは、ただ有においてのみ基礎づけられているのである。有は原初なる名である。不完全なものはすべて有からの脱落である。わたしたちの命の全体はできるならひとつの有でなくてはならない。わたしたちの命がひとつの有であるかぎり、そのかぎりにおいてわたしたちの命は神の内にある。わたしたちの命が有の内に納れられるかぎり、そのかぎりにおいてわたしたちの命は神と似たものとなる。
 ひとつの命とは取るに足らないものでしかないかもしれない。しかし、人が有として命をつかむかぎり、その命は、これまでに命が手に入れたどんなものよりも高貴なものとなる。わたしは次のように確信している。魂が全く取るに足りないものを認識したとしても、それが有を持つならば、魂は一瞬たりといえどけっして二度とそれに背を向けることはないであろう。

マイスター・エックハルト「エックハルト説教集」

2016/11/04

独裁を好み民衆を憎む

独裁好み
 独裁好みとは、権力と利益を執拗に求める支配欲であると思われる。
 すなわち、執政官の補佐となって、祭礼の行列をとりしきる人には、どういう人たちを選んだものだろうと民会が審議している場合、彼は進み出てわが見解を述べる。「その人たちは独裁権をもつねのでなくてはならぬ」と。そして、他の人たつが、10人説を提案すると、彼は「一人で十分だ。だがその一人は、すぐれた人物でなくてはならぬ。支配者の数多きは善からず、支配者は一人たるべし。」と語る。だがそれ以外の句は、一つも心得ていない。
 「われわれだけで団結し、もってこの審議にあたらなくてはならぬ。烏合の民衆や広場の者どもから遠ざからねばならなぬ。要職選挙にあたって民衆に尻尾をふり、ときには彼等の侮辱を、ときにはその尊敬をうけたりすることはやめねばならぬ、いやしくも、彼ら民衆か、はた、われわれか、そのどちらかがこの国を治めるべき時であれば」などと。
 さらにまた、気取った風に上衣を肩にかけ、外出し、つぎのような文句を、悲劇の台詞よろしく朗々と口にしながら、誇らしげに闊歩する。「密告者ゆえ、この国には暮らしもならず」とか、「公務につかんと心はやる者たちの望むところ、そもそもいずくに在りや、これ、われのかねてより不審とするところなり」「忘恩の徒輩はこれ民衆、恩をふりまき、与える者の側につねにつく」「憎むべきは民衆の頭目なり」「テセウスは、12国を1つの国に統合し、もって民衆の勢力を増大せしめ、ついには王政も壊滅させて、万事の支配権を民衆の手にゆだねたればなり。されぱ当然の報いを彼はうけたり。彼ら民衆の手にほうむられた最初の者なれば」、と。その他それに類したことを、外国の人たちにも、また人生観、政治観ひとしくする同胞の者たちへも、彼は口にするのである。


テオプラテス「人さまざま」

2016/11/03

戦争は工業的な資本主義的な企業

 知識があり、技術敵に教育された労働者要員を増加する要求は、先進的な資本主義国家、とくに最近めざましい発達をとげたところーたとえば北米合衆国とドイツでは、きわめてはっきりと認識されてきた。最近、各国政府は、熟練労働者の要員を十分に多数つくろうと狂奔している。
 これについて政府は、軍国主義の要求にも言及している。べ・エヌ・ミリューコフは『武装した世界と軍縮』という著書の中で近代戦の特徴をのべている。
「戦争は、現在では、ある種の工業的な、資本主義的な企業である。」
「戦争の技術は、新しい発明が現れるごとに絶えず変化している高価な装備を要求する。」
「戦争そのものは、変化の一般的な過程に従ってきた。現代では、軍隊の指導者、武器の発明者と製造者は、普通の知的な職業とはほとんどちがわない生活をしている。勝利は、騎士的な功績によってではなく、計算の正確さと科学性、永年にわたる困難な事前の努力によって決定される。かくして戦争は、以前のロマンチックな魅力を失い、もっとも散文的な職業になった。」
 世界戦争は、もっとも雄弁にこの真理を確認した。戦争は、問題の技術的な面、改良された武器、工業の組織、無数のよく教育された技術陣が、どれほど大きな意義をもっているかを示した。
 そしてこの工業全般、とくに軍事工業が、全面的に教育された知識のある労働者を要求することは、資本主義諸国をして、技術教育の組織、それに関連して学校事業の再組織、即ち、詰め込み学校を労働学校にかえることにまじめな注意を向けさせた。

ナジェージダ・コンスタンチーノヴナ・クループスカヤ「国民教育と民主主義」

2016/11/02

誤れる観念が紛糾と混乱を永続する

 我々は、我々の無秩序と混乱との如何にに多くが、我々の社会をこれまで支配した野蛮人とか人々の無秩序と混乱との如何に多くが、我々の社会をこれまで支配した野蛮人とか俗物とかの人の階級・国体の間に存在する、正しき道理すなわち至高最善の自己に対する不信仰によるか、彼等がそれらの中においてただ彼等の日常の自己を主張し表現して永らく我々を支配して来た諸組織の、不可避な衰微と崩壊とによるか、彼等が正しき道理によってではなく彼等のの日常の自己によって建設し今なお支配していると良心に顧みて認めざるを得ない社会が、それの報復者を阻止せむとして激しく動揺するに際した場合の彼等のの優柔不断によるかを見たからであろう。
 しかし、我々ー正しき道理と、我々の最善の自己を解放し向上せしめる義務と可能性と、完全に向かう人類の進歩とを信じる我々ーにとっては社会の組織、この厳粛な劇がその上で展開しなければならないあの劇場は、神聖である。誰がそれを支配しようとも、また如何なる我々が彼等から支配権を奪うことを欲しようとも、なお、彼等が支配している間は、我々はしつかと、一意専心、無政府状態と無秩序とを鎮圧することにおいて彼等を支持する。それは、秩序なかりせば社会は存在し得ず、社会なかりせば人間の完全は有り得ないからである。
 我々の現在の紛糾と混乱との如何ほど多くを我々のうちの大多数の人々の誤れる観念がひき起こして永続させる傾向にあるかを、既に見たのである。それ故、教養の同情者の現在における真の任務は、この誤れる観念を消滅せしめ、正しき道理と、確実な明白な真理とに対する信仰を弘め、人々をとて無私に自由に彼等の思想と意識とを彼等のお定まりの概念や習慣の上に働かすやうにすること、人々をして不完全な知識を以って誠実に行動するよりも、行動するためのより堅実な知識の基礎を得るようにさせることである。

マシュー・アーノルド「教養と無秩序」

迷信から言葉と概念の奴隷

   美学は、本来的な芸術事実に即していえば、極めて制限された適用範囲しかもたないという認識が生まれざるをえないのである。この除痛体は実際的に、芸術史家と美学者との間にみられるところの、蔽うべからざる相互的な反目として、すでに昔から現れているものである。客観的芸術学と美学とは現在においても未来においても和解できない部門である。その材料の大部分を放棄して、美学者の用に適するように仕立てられた芸術史に満足するか、それともあらゆる美学的高識を断念するかどうかのという選択の前に立たされた場合、芸術史家は、いうまでもなく、後者を選択するであろう。対象によって密接に関係している二つの部門はいつまでも相互に触れることなく併行的に研究せられるであろう。
 ところでこのような不和の原因はおそらく単に芸術という言葉の概念に対する迷信にすぎないのである。この迷信に囚われて、我々は種々の減少の多様な意味を一義的な概念に還元しようという、まさに犯罪的な努力のうちへいつも閉じ込められるのである。それにもかかわらず、我々はこの迷信から脱出することができない。吾々はいぜんとして言葉の奴隷であり、概念の奴隷である。原因はどこにあろうとも、即ち芸術的事実の総体は美学の問題提議のうちには現れずして、芸術の歴史と芸術の教理論の二者はむしろ一致することのない、また共通尺度のないものであることは、何れにしても動かし難い事実である。

ヴィルヘルム・ヴォリンゲル「抽象と感情移入ー登用芸術と西洋芸術ー」