2016/11/07

真の虚言で一気に危険となる

 永楽庚子春、予、命を受けて日本に使す。東海に泛びて馬島に到り、兵余の地を見、残凶の俗に諭す。一岐に危ぶみ、九州に説び、志河を発して、赤間関に入り、唐島を歴て肥厚を過ぎ、我王の所に至る。乃ち国家馬島に行兵するの翌年の春なれば、島倭、朝鮮の兵船の再来を以謂い、中より浮動して守御を罷めず。
 予の帰くや、標語の代官王に報告す。その武衛・管領・外郞等以謂えらく、「吾が御所、朝鮮使臣の来るを知れば、則ち必ず入見せざらん。我が日本は、憔に琉球船を勾留するのみならず、大明に向かいて隙あり。今また朝鮮使臣を入れざれば、則ち甚だ負荷なり」と。我れを引きて通事魏天の家に入接せしめ、然るのちに王に告ぐ。王、人をして我れに言わしめて曰く、「経および礼物は等持寺に入れ置き、官人は出てて深修庵に在れ」と。猜心益ます深く、我れを待すること至って薄し。その終の吉凶、未だ知るべからざるなり。翌日予、深修庵に帰く。俄にして王の送る所の僧恵供・周頌等来たりて曰く。「昨年の夏、朝鮮、大明と同に日本を伐ちしは何ぞや」と。予いわく「此れ真の虚言なり」と。馬島を討罪するの由を歴陳し、力めてこれを弁ず。二僧予の言を聞きて還り、王に説く。王の惑い乃ち解けたり。後十六日、王、我が殿下の書契を見、後に我をして諸寺に遊覧せしめ、また諸寺をして次々に来賓せしむ。我を待すること特に厚し。予の回還に及び、その書契を修し、その礼物を備え、以ってその慕義和好の心を著わす。

宗 希「老松堂日本行録ー朝鮮使節の見た中世日本ー」