民族的な性格をもっていること
古典は、その規定において民族的感情から独立しえないであろう。元来古典は、人間の解放、人権の隔離という点で、世界的、世界市民的性格をもっているが、ギリシア古典のような絶対的な意味のもののほかに、各国民または民族の過去において持った偉大な作家、作品に対する尊敬と感情が、それぞれの国民または民族をして国民ないし民族的古典を形成せしめた。
それは国民的感情や民族的自負の根源に接触するものである。どこの国でもそのような古典をもつことは国民の誇りでなくてはならない。亡国の民や遊牧の民は、そういう古典をもたない。ただしかし、そのような国民古典は、同時に世界古典もしくは人間古典の性格をもっていることが要請される。すでに外国人によって、An addition to the world's classics と認められている。国民的性格をもちながら、その本質まで世界的性格に高められるような作家作品であって、はじめて可能である。他のある特殊な目的のために、政略的な立場から古典的価値が与えられるようであってはならない。そういう古典は、偽われる古典である。国民的なものは、そのまま世界的なものでなければならない。