内々此冬は、都にも住馴ぬれは、いかなる山の奥へも分入、野狸子をふすへて、春を待へきかなと思ひより候まま、若は其國湯山温泉寺奥なとに、人知れす隠れ住をもし、ひとりには、かくしかくし下の浜なとへ立出て、語りあかし可申かなとと思ひ候得共、一日一日のうちに、後々寒という貧僧のかたき出頭せられ、何方へも可達出様候はねは、心のままにも任すへからす候。
捨てだに此世の外はなきものをの、こころひとつをなくさむ計候。道もかはき、暖のもなり候はは、出石をも深く忍び、湯山邊へ、卒度可参候。たとへは、人界は水を釣瓶の事如し。くりかえしくりかえし、事の底にめくるか如し、鳥の林に遊か如し、帰りてはゆき、行きては帰り、前生また前生、何れの世より、うき世をめくるつなにかかり、今よりまた来世就来世いつの終わりを知るへきや。
此理を知りなから、うけかたき人身を得、あひ難き仏方にあひ、むさむさとやみの夜におくり果へきや。此たひあひかた法にあひ、一つの心をさとり、真如の至りを宗にすまし、長夜の闇を照し、三無負可得の心を心の外に得て、在家の女人を帯しなから、正覚のくらいに到るへき事、思はさらめや、あとの悔からへらぬは、元の水のごとし、惜みても。