また中央集権の世の中では、地方の人物はとかく中央の歴史に載らぬがちである。同一の事業でもそれに先鞭を着けながら成功しなかったものは聞こえぬ代わりに、その功を収めた人が盛名をほしいままにする。されば歴史上に現れた以外に人物がないと思うのは以てのほかである。歴史家は常にこの点に注目して遺漏なきを期せねばならぬが、別けても地方の人士はその地方の隠れたる人家を表彰する義務がある。さすればまた地方の人物と違って印象も深く、地方の人心に影響し風教に被補することも鮮少ではあるまい。近時各地に行われる先人頌徳の事業はこの点において意義ありというべきである。そもそも祖先を崇拝することは我が国体において特種の意義がある。
We could only watch the earthly citizen lying and suffering from the wars. It shall also depend on being unable to sympathize with the miserable memory of the wars. We would like to confer the “the earth memory of wars" which the peaceful earth took over from the wars and precious experiences. We will summarize the earth memories of wars for a global citizen spirit who shall be trying to return the war from peace wave. ; earth.nowar@gmail.com ; @Jan / 1/2016 ENW