トゥバの地域の重要性は、それが相互に抗争し合う人種、宗教、政治権力の前哨戦をなしていることにある。そこにはシベリアから追い出されて、地下資源と魚と毛皮獣に富んだこの地にやってきたロシア人の入植者がいる。偉大な過去の相続人でありながら、堕落したラマ教の腐敗敵な影響によって、とっくに骨抜きにされてしまったモンゴル人の諸族がいる。ジュンガル平原には、イスラム教の最前哨をなす人たちがいる。そこには注目すべき活力と活動を展開しているシナがある。カラザースがその研究と施策の背景にあって、繰り返し問うた問題は、かつて世界史の中で、これほど大きな役割を演じ、また再び未来を持つに違いない。秘密に満ちたこの一体において、未来はいったい誰のものかということだ。ただひとつの回答だけだ。
未来はロシアのものだった。今日、中央アジア北部のこの地域を支配しているのはソビエトだ。新しい庇護者となったロシアは、この国でまったく自分の国のようにのびのびと振る舞った。新しいモンゴル政府、聖なるホトクトとその大臣たちは、ロシアの総督が命じた通りを実行しなければならなかった。
トゥバがロシア領にされたやり方は、トゥバの併合が帝国主義政策の行為であり、イタリアがトリポリを、イギリスがスーダンを併合したのと異ならないのは疑いのないところだ。トゥバにおいてソビエトがやったことを見れば、このすばらしい具体例から、新ロシアの外交政策の本質がどんなものであるか、判断を得ることができるだろう。