神道では正邪の観念は浄、不浄の観念に置き換えられる。不幸や病気、とりわけ死および人間や動物の死体との接触は不浄なものとみなされた。かくしてある種の職業にたずさわる人々は、慢性的な癒しがたい不浄を背負わされることになった。そしてこのことが、社会から排斥された身分を生むのである。ひとたび穢れた死者は、不浄なものの「払い清め」ないし「叩き出し」の助けをかりて、清められるのが普通である。神道のいたって単純な儀式的側面は、この祓いあるいは浄化作用に尽きるといってもいい。
幕末に対する天皇の回答は、彼自身、即刻厳格な断食の行に入り、祖国が異国の襲撃を免れるべく、全国でそれ相応の献祭をとりおこなうよう命じたという主旨のものだった。またこれとは別に、火急の事態にそなえるため、天皇は特別に頌歌をものした。他方最高会議は、この件でなんらかの合意を得ることができなかった。徳川が遺した法律も含め、この際何世紀にもわたる鎖国政策をきっぱりと捨てるべきと考えるものもいた。またあるものは、諸外国との関係の開始は災難にちがいないが、さりとて抵抗することもできないと認めている。
明治維新からの国民教育省すなわち文部省自体が、きわめて困難な立場に追い込まれてしまう。異常に膨れ上がったこれら多数の生徒全員を官費でまかなうだけでも容易でなかったのに、これに加えて国民教育予算が、海軍省、陸軍省の兵備増強による財政危機のあおりをくって、とつぜん大幅に削減されてしまったからである。なぜ陸海軍省が増強されたかというと、イギリスに踊らされて「征伐の役」を不当とし日本側に屈辱的対応をとりだした中国とのあいだに、戦争が起こるのではないかと予想されたからだ。