「神道」は元来が政治思想であって、厳密には、宗教的信仰性のものではない。霊性そのものは顕現ではない。これを霊性まで転向させようとする時は、「外来」と言われている思想および情緒に摂食し、これを摂取して自分を育てあげなければならぬ。この矛盾はは「神道」に内在的なものであるから、何かの機会に他の精神的なものと衝突する危険性がある。「神道」では僅かにその萌芽を見る。これを浄土思想など組織的に進展し発展するのに比べると、まだまだと言わねばならない。真の霊性なものはこれからである。
鎌倉時代に、日本的霊性のもっている最も深遠なところが発揮せられた。それまでは、日本民族の霊性はちょっと頭をもちあげたにすぎない。鎌倉時代になって、根本から動いてみずから主体性をもつようになった。何か外来の事変に出くわすと、内に蔵せられてきがつかなかったものが、こつ然と首をを動かして事物の表面に出るのである。何か刺激をもたなぬと心の動きが鈍るのは、個人の生活はもとより、集団生活でも実に動揺である。
鎌倉時代に、それまで長いあいだ外国との交通が途絶えしていたのが、また初められた。平安時代が政治上に崩壊的気勢を示し、文化的に爛熟期をすぎて頽廃期に入ったとき、何かの衝撃が与えられないと、民族精神はいび不振、ついに取り返しのつかぬほど腐敗するのであった。
そこへ大地の声が、農民を背景とする武家階級から上がって来た。そこへ南宋を圧迫した勢いで、日本の西辺を侵しきたらんとする蒙古民族の猛進が頻繁に伝わってくる。入宋の僧侶たちは新しき大陸の空気を呼吸して帰ってくる。今まで沈黙を守るしかなかった庶民階級の思想と感情が、武家文化ー大地文化ーを通じて聞かれるようになる。何が日本民族の霊性そのものの響きが、この間に鳴りわたらなければならぬのである。果然、武家階級は禅堂に入り、庶民階級は浄土思想を草案した。武家文化は更に公卿文化を統摂することによりて、善精神をして日本人の生活および芸術の中に深く浸透した。一方浄土系思想は日本霊性の直接的顕現として大地に親しむものの中にに結実した。