今も昔も、国々が戦争をはじめ、たがいに攻撃するようになる、その原因はいろいろあるが、よく研究してみると、帝王または将軍、宰相といった連中の、功名を好み武威を喜ぶという感情、これがいつもわざわいのきっかけとなる。
だから、すべての国々がみな、民主制をとるのでなければ、戦争をやめることは、とうてい望むことはできない。この点を考慮せず、当時の各国の現実情勢には少しも注意を払わないで、ただ昔ながらの制度を踏襲するだけで、あまり改革を加えようともせず、もっぱら条約や同盟といった枝葉末節だけをたのみとして平和を実現しようと考えている。あにはからんや、帝王、将軍、宰相といった連中は、ただおたがいの力の強弱だけを比べて、むこうが強くてこちらが弱ければ、仕方なく一時的に講和し、条約を結んでひと息つこうと試みるが、いったん国が富み兵は強くなったあかつきには、たとい千枚の条約があったところで、彼らの不逞の欲望を妨げることはできない。
さまざまな国際法を道徳のなかに入れて、法律のなかに入れようともしなかった。およそ法律というものは、それを司り施行する役人というものが必ずおり、しかもそれを犯すものがあれば、必ず懲罰する。そうでなければ、真の法律はとうていできない。道徳は守ろうと守るまいと、ただ人々の良心の問題にすぎない。国際法も、施行にたずさわる役所もなく、懲罰をつかさどる役人もいない。
帝王や宰相が功名を立てるために、わずかなことを口実にして武器を振り始める。民主国では、理法、平等、博愛という感情の3点を社会の基礎にしている。他国に勝とうと思うのは、ただ学問の精密さ、経済の豊かさこの2点だけである。君主国は有形の腕力によって隣国に勝とうし、民主国は無形の思想によって隣国に勝とうとしつ、民主国は無形の思想によって隣国に勝とうとする。
地球上の多くの君主国は、君主制を守って、禍を招こうとしている。地球上の強固は、わたがいに恐れあって、兵隊をやしない、軍艦ををならべて、かえって危険におちいっている。もろもろの弱国は、自発的に断固として兵隊を撤退して、軍艦を解散して、平安を選ぶ。自国の生命を守るために、ひたすら自己防衛して、警官の来るのを待つのがなりよりである。良策とは、世界のどの国とも平和友好関係を深め、万やむを得ない場合になっても、あくまで防衛戦略をとり、遠く軍隊を出征させる労苦や費用を避けて、人民の重荷を軽くするように尽力することである。