2016/06/04

広島原子爆弾の苦しみの中で

   広島市の都心に向かう途中で「ピカッ」「ドーン」に会う。たつまきのような強風で吹き飛ばされそうだあった。何分か後に空を見上げたら原子爆弾による原子雲が吹き上がっていた。爆心地では、真っ黒に焼かれ、肌がぼろぼろに破れ、頭や胸から血を流しよろよろと歩く大集団に出会う。だれも声を出さないで、うつむいて歩き倒れてしまう。倒れた人につまずき、あとからも倒れて死体が重なる。死体を踏み越えたり、しゃがむ人もいる。死んだ赤ちゃんを背負って女性がばたんと倒れる。路面は血だらけになる。
 一瞬にして地獄に引きづられて化物に遭遇したと思う。行けば行くほど凄惨である。倒れた人には内蔵がはみ出し頭骨が圧壊されている。市電の中には死体がびっしりで生きている人はいない。死体で敷きつけられ、重なり、倒れうずくまり「暑いよ。痛いよ。」と声低く訴える。
 道の両側は火柱が高く盛りに燃え上がる。家の下敷きの人たつが「お父ちゃん助けて! 熱いよ。」と叫び、「わーわー死ぬる。焼ける。誰か・・・」と泣きわめく声。下敷きから飛び出た人は火だるまである。助けを求める人は何千人以上で、助けに応じれる人はいない。その甲高い声は断末魔のもがき叫ぶ。火柱を上げて焼ける家の下から「ドカン、ドカン。」と弾ける音、火の粉が舞う。
 歩ける人は暑く足早に去るしかない。その修羅場を前にして、頭が強烈に打倒され、涙が両目からあふれた。両手で拭いて顔がぐちゃぐちゃになる。泣けて泣けて涙が止まらない。おり重なっているたくさんの死体、うごめいて傷だらけの人。それは誰がしたのか。
 毎日毎日、広島中に肉親を探し回った。黒い雨をもろに浴び、放射能を吸いぱなし、死体を踏み、死体を焼く現場まで、へとへとになるまで探しまわったが、肉親はいない。どこで命つきたのか骨も拾われずである。
 私の戦後は一生終わらない。胸がしめつけられる毎日である。肉親を殺した呵責が今日までつきまとい、夢にもたびたび現れる。神様、私に奇跡を一度だけ与えてください。肉親が生きて帰ってくる奇跡を。私の戦前から戦中を廃業しましたから。

生きる 被爆者の自分史
被爆者の自分史編集委員会