2016/06/03

平和連盟

国際法は自由な諸国家の平和連盟

 諸国家が権利を要求するための方法は、言わば国際的な法廷に訴訟することではない。単に戦争によるほかなく、しかも戦争及びその幸運の結果たる戦勝によっては、その権利は決定されるものではないのである。
 また平和条約によって一応その時々の戦争は終結されるであろう。しかし、戦争状態が終結されるのではないのである。しかも、それに関わらず国家に対しては、無法的状態にある人間に対しては、自然法によって妥当する命令、すなわち「かかる状態から脱却すべきである。」との命令が国際法によって妥当するとも言えないのである。  
 しかし、それにも関わらずなお理性は依然として最高の道徳的立法権の王座から訴訟手続きとしての戦争を絶対に禁止する。これに反し平和状態を直接の義務なりとなす、しかもかかる平和状態は諸民族相互の間の契約なくしては樹立されず、また保証もされないのである。
 かくして以上に述べてきた理由よって、平和連盟(Foedus Pacificum : League of Peace)と呼ばれ得る特殊な種類の連盟が存在しなければならないことになる。この平和連盟なるものは平和条約(Pactum Pacis : Peace Treaty)とは区別されるであろう。その理由は、後者は単に一つの戦争を終結させんとするのに対し、前者はすべての戦争を永遠に終結させんと試みる点にあるのである。
 この平和連盟は、国家の何らかの権力の獲得を目的とするものではなく、単にある国家自体及びそれと同時に、それと平和連盟する他の諸国家の自由の維持の維持と保証とを目指すものなのである。しかも、これらの諸国家はその故をもって、公法及びその強制の下の下に立つを要しないのである。
 この平和連盟の理念は、徐々にすべての国家の上に繋がるべきであり、かくして永遠平和にまで導いていくのであるが、その実現性は誇示されえる得るのである。なぜかと言えば、もし幸運にも、ある権力に対して、かつ啓蒙された一民族が共和国を形成し得たとするならば、この共和国は他の国家に対して連盟的統一の中心点となり、かくして、これらの国家と結合し、国際方の理念にしたがって諸国家の自由状態を保証し、このような種類の結合をの多くを通じて徐々にますます遠くまで広がっていくからである。
 もともと、戦争への権利としての国際法なる概念の中には、何らの意味も認められない。だから、もしその概念に意味があるなら、たとえ次のようにのみ理解されるべきであろう。すなわち、かかる見解を有する人々は、やがて互いに殺戮を行うに至り、かくして永遠平和をば暴力行為のあらゆる残虐とその行為者とを一括として、それを覆うところの広き墳墓の中に見出すことになるであろう。それは正常なことが起こったにすぎないのである。
 相互関係にある諸国家にとって単に戦争しか含まないような、その無法則的状態から脱するためには、理性によれば、ただ次の仕方しかないあり得ない、すなわち、国家もまさに人間と動揺に、その未開な自由を放棄して公的なる強制法に服し、かくして一つの、そしてついには地上のあらゆる民族を包含するに至るであろうところの国際国家(Civlitas Gentium : State of Nation)を構成するより他には道はない。 
永久平和のために
イマヌエル・カント