2016/06/26

兵隊募集の本望


   兵備を設けるにはまず歩兵隊を編制するのが第一である。而してその兵員は領分から農民を集めるのが一番良い趣向である。しかしこれを集めるに至っては、深く注意をしなければならない。地方役人などがただ役向き一つ通りで募集したくらいでは、なかなか立派な兵隊を選ぶことができない。
 それには京都からの適任の人にこの募集方を命じられて領土内へ派遣する。一般の領民を各所に招集して能く今日の時勢を説き含める。募集の趣旨を会得させて、この応募は全く領民の義務であると、自ら進んで出るようにせねばならない。その御用を不肖ながら何卒私へ仰せつかるように願いたい。いかにも粉骨砕身して必ず相応の人を連れて来て兵備のお設けが速やかに立ち、各藩を凌駕するような立派な兵隊のできまするように致しますと不遠慮に言上した。
 もっとも自分の考えでは自分も田舎の農民から駆け出すほどの事だから、少し誘導したならば続々望む人があろうと見込みをつけてていた。さらに言葉をていねいに反復説愉した。一体、各々の量見では今日の時勢を何と心得ているか。世の中はいつまでも波風たたぬ太平無事ではないぞ、今にも戦がどこから始まる。己れは昔から百姓であると安心してはいられぬ。それゆえ血気壮な手前どもは今のうちに奉公を願ってご領主のためには働いたら、器量次第では立身功名のできる世の中である。土臭い百姓で生涯を終わらんよりは、一番奮発してでるがよい。深切に話したり、また厳格に諭したり、手を代え品を代えて感動するように色々と工夫凝らした。
 おれはこれまで一橋の家来のようん普通一般の食録を貪って無事に休んでいる役人とは大きな間違いである。事と品によっては荘屋の十人や十五人を斬り殺す事は何とも思わぬから、各方においても余りぐずぐずするとそのままには決して差置かれぬ。今の時勢を何と思うているのか。代官であろうが荘屋であろうが毛頭容赦はしない。成敗とともにこの一身を以って当る所存でいる。
 その後追々募集の人数が各地から集まって来着するから、それを訓練するために、軍制局において種々の評議をする。その大隊長は洋式の兵制を一通り心得ているが、指揮役などに乏しきゆえ、かれこれと人繰りをして、いささかの兵制の組み立てができた。

渋沢 栄一自伝「雨夜譚(あまよがたり)」