ローマ人は、戦争すべく運命づけられ、また戦争を唯一の手段とみていたので、自分達の精神と思想のすべてをこの技術の完成のために傾注した。ローマ人に軍団の構想を吹き込んだのは、疑いもなく、神である。ローマ人は、軍団の兵士たちに、攻守ともに適し、当時のどんな民族のよりも強力で、ローマ兵は荷を積んだ馬と変りなく重い武器を与えなければならないと判断した。軍団には騎兵、弓兵、投石兵も置き、敗走する敵を追撃して、勝利を達成するように計った。さらに、軍団には、携行できるあらゆる戦争用具を使って防戦して、それ自体が一種の要塞となることを望んだ。
もっと重い武器を行使できるように、軍団は人間以上ものにしなければならなかった。このため軍団は不断の労働によって体力を増強させた。自分のもつ力の正しい配分を身につけた。
軍隊が兵士たちの土掘り作業などの過重な労働のために多くの力を失っている。労苦はいつも続いて、極端な労働と極端な怠惰を絶えず繰り返し、我が身を滅ぼすのに適した。ローマ兵は、重荷を背負って軍隊歩調で行進するよう絶えず訓練された。
軍隊はもはや肉体鍛錬の正しい観念をもっていない。肉体鍛錬に余りに時間をかけすぎている人間は軽蔑に値する。鍛錬の大部分が娯楽以外の目的をもたなくなる。戦争をあれこれと工夫するのは馬鹿げたとされ、喧嘩好きか臆病者だとみなされた。
ローマ人が危険に直面したり、損失を償おうと欲した時は、いつも軍事規律を強化することが不変の方法であった。命令権を強化するためには身内まで処刑した。軍隊に旧来の制度を復活させると、直ちに恥辱も与えた。軍隊の兵士を極めて厳しく訓練することで、兵士の方から、苦痛を終わらせるために、戦闘に行かせて欲しいと頼み込ませた。なんらかの過ちを犯した兵士を衰弱させ血をとった。卑しい部族に属した兵士の脱走は頻繁に起こった。戦闘では、兵士は大集団の中にいなければ安心できないので、軍隊が不意に現れると、市民たちは血の凍る思いをした。最後に、兵士達にとって戦争は省察であり、平和は訓練であった。