歴史の曙光と共に大和民族は、戦に勇猛に、平和の文芸に温雅に、天孫降臨とインド神話の伝説を吹きこまれている民族として現れている。神道として知られているその宗教は祖先崇拝の儀式であった。すなわち太陽神を中心として霊山高天の原に存す諸々の神のお引きに預かった祖先の霊を敬ひ祭る事であった。
日本の如何ともなし難い固有の運命、すなわち日本の地理的位置が、支那の一地方あるいはインドの植民地として知的任務を日本に提供したように思われるであろう。ただし我が国が民族的誇りと有機的統一体という盤石は、アジア文明の二大極地より打寄する強大な波々を物ともせずに千古ゆるぎなきものである。
国民精神は未だかつて打倒せられたることなく、模倣が自由な創作力に取って代わったことも決してなかったのである。我々の被った影響がいかに強大なものであっても、常にこれを受け入れて再び適用するに十分有り余るほどの精気を備えていた。
アジア大陸の日本への接触が常に新生活と捜索の関与に利する所があった。アジア大陸の栄誉である、天孫民族が他から征服を受けないでいる。単にある政治上の意味からのみあらず、更に一層深遠なる意味で、生活、思想、芸術における生きた「自由」の精神として、天孫民族の最も神聖なる光栄である。
勇ましき神功皇后が御心を燃え立せ給うて、大陸帝国を物ともせず、朝鮮の属国を保護せんために雄々しく海を渡らせられたのは実にこの御自覚のためであった。隋朝の煬帝(隋第二代の皇帝(在位605-616))を「日没する国の天子」と呼んだので、驚嘆せしめたのもこの精神であった(邪馬台国は魏志倭人伝で日の出る国と称した)。
元王朝の蒙古がウラル山脈を超えてモスクワに達することになっていた勝利と征服の絶頂にったゆるがせ必列の傲岸な脅威を無視したのもこの精神であった。日本が今日更に一層深い自尊心を取得する必要のある諸種の新問題に雄々しく直面して立っている。正に同じ勇猛なる精神に依るものである事を決して忘れないことが日本自らの為である。
岡倉 覚三 「東方の理想」