貴族の身分、先祖のの偉功によって、少年たちに対しても、長老の主従が与えられる。青年らは、より長老の成人として、すでに世に認められている他の人々の周囲に集まる。家来の間の姿をあらわすことは、少しも恥辱とはならない。それどころか、家来の間には、家来をひきいる人の判断によって、そこに階級ができる。
ここで激しいのは、長老の許の第一席は誰によって占められるかの長老たちの争い、最も多くのかつ最も精鋭な家来たちを得ているかの長老たちの競い合いである。選ばれた青年の大群によって常に囲まれることは、平和には誇りであり、戦場では防衛である。
長老の権威であり、これが力である。家来の数と意気に優越を示す長老も、みずからの部族のみならず、近隣の諸邦にさえ、名誉と尊ばれ、光栄として仰がれる。長老は諸邦から来る使節来訪の名誉を受け、贈物に飾られ、単にその名声にて戦勝を左右すると思う。
戦列についた以上、勇気にて家来に負けるのは長老の恥辱であり、長老の勇気に及ばないのは家来の恥辱である。長老の戦死をさしおき、家来が生を全うして戦列を退いたら、生涯の恥辱であり、不面目である。長老は勝利のために戦い、家来は長老のために戦う。
もし母国が永い平和と無為のために英気を喪失していると、高い身分の青年の大部分は、みずから進んで、なんらかの戦争をを行っている部族を求めて出かける。
平静をこの種族は喜ばず、功名は危機の間に立てやすい。多くの家来は力で戦いをしなければ保養できないからである。血潮したたるかの戦勝を勝ち取らんことを、家来たちは主人の寛大さに期待し、ゆたかな供養は家来に対する賞与となるからである。この寛大さの材料は、もっぱら戦争と略奪による。もし家来に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くならば、家来に敵に挑んで、名誉の負傷を被ることを勧めるのは容易ではないとに悟る。血をもって光栄を受けるものを、あえて額の汗して収穫を獲得するのは怠惰でありち、無能であるとさえ、家来は考えているのである。