2016/06/30

死の同心円

 長崎被爆医師の記録である。1945(昭和40)年8月9日、爆心地から1400mの病院にいた。南西の方向に暗黒色の煙と黄赤色の炎を見る。27年間間この地点に固着された化石のようになる。「広島市新型爆弾を投下被害甚大なり」と軍は発表する。8日に広島を見て帰った長崎医大の角尾学長が学生全員を集めて、異例の訓辞を行う。日本の知恵は貧弱であり「貧すれば鈍する」の諺通りで「知らせれば国民は一度に戦意を喪失する」ので、指導者はそれだれを恐れた。日本は盲目的に破局に突入しつつあった。
 真珠湾攻撃の1941(昭和16)年12月8日の朝、プルダン校長や外国人司祭は警官に拉致される。神学校を結核療養所に転換することを考えついた。お百度詣の根気に負けて県庁は認可する。私は「長崎の鐘」で有名な永井隆博士の直弟子になる。
 高原病院より裏紙病院に鳥が立つように行く。天の配剤である食事療法をする。盗汗が出て発熱する。早くも肋膜炎を食事療法で直してみせると決意する。招集令状が届くも即日帰郷となる。総動員法の成立によって日本人の所有権はすべて軍部の手に移ったのも同様である。ここを陸軍病院に使いたいと軍は言う。有無を言わせぬ語調だ。病院を丘の上に移すどころか、司令部の疎開さえ考えねばならない状況である。人工気胸をやるようになる。市街地は強制疎開が始まったおかげで、浦上病院に薬品がたくさん集まる。
 広島の次は小倉市であったが、雲が多くなる理由で急に長崎になった。1945(昭和20)年8月9日午前11時に病院が直撃弾にやられた。南西の方向に視線を移して愕然とする。地上が火を吐き、のたうち噴火している様に上がって来る。「熱い、熱い、水をくれ」と呻く。X線機械が燃える。引き出しの中の物が全部飛び散る。圧力が圧力を生んで部屋の中は何があるかさっぱり解らない。病院は燃えたが、70名の入院患者は全員助かった。浦上病院が1000俵余りの玄米、みそ、醤油の倉庫にあてられたのが役に立った。天主堂には2000表を保存していた。人間の内部細胞を破壊する恐るべき放射線には気が付かなかった。アメリカの科学人は「爆心地には75年間生物は生息しえない」と確信する。
 城山小学校の女教師が、背中に無数のガラスをハリネズミの様に受けた。深く筋肉に食い込んでいる異物の傷をこれまでに見たことがない。10個抜いて「もうやめてください」と、痛みと疲労であえぐように言う。警備隊が来て救護病院に来たと300人の負傷者をつれて来る。医者なら治療してくれと言われる。一包の薬品を持って来ただけで、一日分の薬品にもならぬ。多数の負傷者を置き去りにした。一昼夜すると60人の負傷者がいない。逃げて帰ったか。飯粒と見たのは蛆の大きなかたまりであった。吉岡女医の顔の傷を手術する。不思議な患者が日を追って増加する。紫黒色になって絶命する奇怪さであった。無条件降伏で、阿南陸軍大臣が割腹自殺する。病院の職員・患者全員がレントゲン・カーターに似た自覚症状を感じながら、食塩のおかげで克服する。酒が良いという話が広まる。アルコールが効くとは、人間の腸粘膜の細胞は不思議なものである。味噌汁と玄飯にできるだけ塩分を摂取させ、砂糖を禁じた。爆心地から500メーター以内の人々は、8月15日までにすべて死んだ。500から2000メーターの距離で被爆した人は40日間にほとんどが死んだ。「死の同心円、魔の同心円だ」。
 大雨が9月2日に降る。洗い流された気がする。アメリカ軍は8月26日に長崎に進駐すると同時に、医薬品をどんどん陸揚げし、救護所を開設した。アルカンタラ修道士、プルダン神父が反って来る。永井先生は大学病院で診察中に被爆し、側頭部の出血を包帯圧迫で止め。負傷者の救出に当たられた。占領軍のトラックが荷を降ろす。アメリカの薬があると聞き患者が多数来る。メチルアルコールで死者が6名も出て、失明して死ぬ。永井先生は、「神は、天主は浦上の人々を愛しているが故にここに原爆を投下させた。幾度も苦しまなければならない。」という。私は首肯する事が出来ず、慰霊文を書きたいと思わなかった。怒りの広島、祈りの長崎。神学校を病院にしたのは、戦争下の弾圧を切り抜けるための便法であった。教育し司祭として布教に当たらせるのは、フランシスコ会三十年の悲願であった。私は、世俗を離れて炭焼き小屋に行く。家を建て、村上看護婦を妻として迎える。私は7年ぶりに浦上病院に反って来る。大きく建て変わり、1949(昭和24)年天皇行幸、ペトロ男マリヤ女の死者達の霊が残る。

秋山 辰一郞

無意味な混沌が戦争

 無力な人間の意志が厳格に定められた宇宙の法則に対して絶望的に打ち勝っている陰鬱な光景を描いた。いっさいの人間の情熱の空しさ、合理的体系の馬鹿馬鹿しさについて語った。また人間が、行為と感情の非合理なバネを理解するのに全面的に失敗したといっている。すべて肉体を有するものは苦しみを免れない、したがって人間そのものを最高度の静寂主義の状態に抑え、もはや情熱を失ったので不満や屈辱や傷には不感症になることによって、人間の弱さを抑えるのが望ましいとも語った。この有名なショーペンハウアーの教義は、人間がおおいに苦しむのは、あまりにも多くを望み、愚かな野心を抱き、奇怪なまでに自分の能力を過大評価するからであるというレフ・トルストイの見解に反映されていた。
 自由意志の幻想と世界を支配する鉄の法則の現実との間の周知の対照関係、特にこの幻想を消滅させることができないために、それが不可避に引き起こさざるをえない不可避な苦しみを激しく強調した。人生の中心的な悲劇であり、人間の中のもっとも利口なもの、もっとも才能のあるものにとっても、みずから統制できることはいかに小さいことか。世界史の秩序ある運動を動かしている無数の要因について、いかにわずかしか知りえないでいることか。なににもまして、秩序が存在しているはずだということを絶望的に信じることが唯一つの便りに秩序を知覚したと称することは、すかに図々しいナンセンスであることか。人間はそれを知らないでいる。現実に人が知覚しているのは、無意味な混沌である。この混沌の高度の形態、人生の無秩序さを高度に反映している小宇宙、それが戦争であった。
 「世間では戦いがなんであるかを知りもしないで、さかんに戦いについて話している。広大な地域があらゆる火砲とその他の兵器の響き、指揮官の声、吠えるもの、倒れるものの声に眼を回して心もうつつ、まわりには死者と瀕死の人々、手足をもぎ取らた死体に囲まれ、不安と希望と怒りにかわるがわる取りつかれ、幾度もさまざまな陶酔に陥る。そうなったとき、人はどうなるであうか。彼はなにを見るであろうか。数時間後になにを知っているだろうか。本人と周りの人々にになにが起こるであろうか。その日戦った兵士の中で、どちらが勝ったかを知っているものが一人もいないことが多い(ジョセフ・メーストル)。」

アイザー・バーリン 「ハリネズミと狐ー戦争と平和の歴史哲学」

2016/06/28

征服者の無数の大罪

 朝鮮人の暴動(1919(大正8)年に非武装的独立運動が朝鮮全土に拡大した三一独立運動)は、一時形勢すこぶる重大に見えたが、今や幸いにしてほぼ鎮定に帰した。しかしながら問題は今後にある、今後の善後処分にある。
 他民族の統治には、根本においすでに越えれない大溝があるのに、その上に、ややもすれば征服者の罪悪が無数に行われる。言うなれば被征服民族に対する征服民族の略奪である。朝鮮の合併以来幾年にもならない今日、朝鮮の富はすでにほとんど邦人に壟断され、いわゆる有利な事業という事業は挙げて邦人の手中に帰せる有様らしい。
 しかしてもし朝鮮人の中に極めて少数の産を成せるものあるか、そのごく少数の朝鮮人はことごとく邦人と結託し、邦人の手先となって働けるものならぬはないということだ。いう所に誇張もあろう。しかし邦人にこの種の壟断の事実の少なからずあるはいうまでもない。また朝鮮にいる邦人は犬馬を駆使するが如き態度をもって朝鮮人を駆使するとは、よく聞く話である。
 吾輩は邦人は世界においてまれに見る温和の市民なりと思うている。朝鮮人の富の壟断においても、朝鮮人の駆使においても、おそらくさまで酷烈ではなかろうかと思う。しかしながら、征服民族と被征服民族との間には自然に不平等の成り立つは争われない事実である。ただ長いものには巻かれろで、朝鮮人はやむなく屈従を装うも、心の中では、「今にも見よ」と叫びつつ隠忍しつつあるの状、想像して得て余りある。
 これを要するに、朝鮮人の暴動の根底は極めて深固であり、その意義はきわめて重大である。朝鮮人は自治を得るまでは、今回を手始めに機会あるごとに、暴動その他あらゆる方法において、絶えず反抗運動を起こすものと覚悟せねばならぬ。その結果時にあるいは、いかに悲惨なる大犠牲を払うことの起こらぬとも限らない。もし朝鮮人のこの反抗を緩和し、無用の犠牲を回避する道あるとすれば、つまりは朝鮮人を自治の民族たらしむほかにない。
 しかるに朝鮮人の暴動を見て、朝鮮人元気なし、腰抜けなり、いうて、朝鮮人の暴動を軽侮、はた朝鮮人の日本婦人凌辱を、朝鮮人の復讐と解せずして、単なる悪習と見去る如きは、何という無反省のことだろうか。はたまた、朝鮮人の生活(生活の根本義は自治)を奪いいることに気がつかぬか。かくの如き理解の下には、断じてなんら善後策もあり得る訳がない。

石橋 湛山1919(大正)8年5月15日号(東洋経済新報 社説)                     「石橋 湛山評論集」 

2016/06/27

他人に使われる手下

     辛亥革命(1911年)の後は、意気込みさらにものすごく、天下に難事なし、最善最美の世界も誰もが提唱し出しさえすれば立ちどころに実現できるものと私は考えた。種族の革命など、何でもないことである。もし無政府・無家庭・無財産の世界に到達できれば、その時こそ我々の革命の任務は終わるのだ。私はこういう最高の理想に酔うていたので、そのころ社会党をおこす人があるとすぐに参加した。そのから一年半の間、私はもっとも熱心な党員であった。しばしば党務を処理するために、夜遅くまで寝ずにいたこともあった。
   多くの親戚や先輩が、「これらの人たちはごろつきである。お前はどうしてわざわざ彼らのの仲間になるのだ。お前のなすべきことではないのに。」と忠告してくれた。このような功利的な見解は、ずっと前から私の承服できないものであった。ごろつきと紳士とは悪制度が区別した二つの階級にほかならないと思い込み、紳士たちがいろいろと革新運動のじゃまをするのが実にいとわしく、この階級を根こそぎするのではなければ気持ちがすっきりしないと思っていた。
  しかし入党して相当の時間がたつと、それらの党の同志たちが、次第にぶざなものに見えてきた。彼らには主義がない。会を開いて演説をやる時にはもちろん悲壮を極める。しかし会が終わるとその情熱はうやむやの世界へ消えてしまう。彼らの言う話は、いつもでたっても二、三のおきまりの文句で、口で言う主義を実際に研究しようとは誰も考えない。ひまな時は、永いテーブルを囲んで世間話や冗談を言っているばかりで、女遊びをする。私は極めて情熱敵な人間であり、同時に世間馴れない物であったから、彼らに向かってしばしば説教もし、注文もした。しかし一向に誰も聞き入れてくれない。私はこの仕事に関して極めて徹底した目標を持っていたけれども、私の学識が非常に浅薄で、主義を発揚することなどは全く思いもよらないことを、自分でよく知っていた。しかるに党の内部では、私の博学な文豪扱いにしてしまって、発表する文章がある時にはいつも私を引張出して筆をとらせるのである。
 このすべてが思いのままにならない境遇にいるうちに、一つのことが私にははっきりとわかった。この人たちは他人に使われて手下になることがやっとのことで、主義を抱いてそれをおのれの生命の如くにみなし、事業の順序を計画して進行させたりすることはできないのである。前にはまったく彼らを買いかぶりすぎた。私は、自分が他人の手下になることを欲しないからには、他人を自分の手下にすることもあり得ないことをよく知っていた。それならば、いつでも党にいてごだごたと日を過ごしてみても何の益もない。私は脱党した。
 しかしこの一年半の時間をでたらめに失った代わりに結局において世間と自分の才分とに対する認識を持つことになったのはありがたいことである。これから後、いかなる党や会にも二度と軽々しく加入することをしなかった。しかしこれは政治と社会の改革への希望を棄てたのでは決してない。私自身はこの方面に発揮すべき能力を持たない人間であることを知ったのである。私がこの方面の才能を持たなくとも恥じずべきこととは思わない。何となれば、私には、本来、自分にできる仕事がある。そして、元来、ひとりの人間がいろいろの事柄をみなわきまえなければならないものではないから。

顧 頡剛 「古史辨自序 ある歴史家の生い立ち」

2016/06/26

兵隊募集の本望


   兵備を設けるにはまず歩兵隊を編制するのが第一である。而してその兵員は領分から農民を集めるのが一番良い趣向である。しかしこれを集めるに至っては、深く注意をしなければならない。地方役人などがただ役向き一つ通りで募集したくらいでは、なかなか立派な兵隊を選ぶことができない。
 それには京都からの適任の人にこの募集方を命じられて領土内へ派遣する。一般の領民を各所に招集して能く今日の時勢を説き含める。募集の趣旨を会得させて、この応募は全く領民の義務であると、自ら進んで出るようにせねばならない。その御用を不肖ながら何卒私へ仰せつかるように願いたい。いかにも粉骨砕身して必ず相応の人を連れて来て兵備のお設けが速やかに立ち、各藩を凌駕するような立派な兵隊のできまするように致しますと不遠慮に言上した。
 もっとも自分の考えでは自分も田舎の農民から駆け出すほどの事だから、少し誘導したならば続々望む人があろうと見込みをつけてていた。さらに言葉をていねいに反復説愉した。一体、各々の量見では今日の時勢を何と心得ているか。世の中はいつまでも波風たたぬ太平無事ではないぞ、今にも戦がどこから始まる。己れは昔から百姓であると安心してはいられぬ。それゆえ血気壮な手前どもは今のうちに奉公を願ってご領主のためには働いたら、器量次第では立身功名のできる世の中である。土臭い百姓で生涯を終わらんよりは、一番奮発してでるがよい。深切に話したり、また厳格に諭したり、手を代え品を代えて感動するように色々と工夫凝らした。
 おれはこれまで一橋の家来のようん普通一般の食録を貪って無事に休んでいる役人とは大きな間違いである。事と品によっては荘屋の十人や十五人を斬り殺す事は何とも思わぬから、各方においても余りぐずぐずするとそのままには決して差置かれぬ。今の時勢を何と思うているのか。代官であろうが荘屋であろうが毛頭容赦はしない。成敗とともにこの一身を以って当る所存でいる。
 その後追々募集の人数が各地から集まって来着するから、それを訓練するために、軍制局において種々の評議をする。その大隊長は洋式の兵制を一通り心得ているが、指揮役などに乏しきゆえ、かれこれと人繰りをして、いささかの兵制の組み立てができた。

渋沢 栄一自伝「雨夜譚(あまよがたり)」

2016/06/25

日本固有の戦争運命

   歴史の曙光と共に大和民族は、戦に勇猛に、平和の文芸に温雅に、天孫降臨とインド神話の伝説を吹きこまれている民族として現れている。神道として知られているその宗教は祖先崇拝の儀式であった。すなわち太陽神を中心として霊山高天の原に存す諸々の神のお引きに預かった祖先の霊を敬ひ祭る事であった。
 日本の如何ともなし難い固有の運命、すなわち日本の地理的位置が、支那の一地方あるいはインドの植民地として知的任務を日本に提供したように思われるであろう。ただし我が国が民族的誇りと有機的統一体という盤石は、アジア文明の二大極地より打寄する強大な波々を物ともせずに千古ゆるぎなきものである。
 国民精神は未だかつて打倒せられたることなく、模倣が自由な創作力に取って代わったことも決してなかったのである。我々の被った影響がいかに強大なものであっても、常にこれを受け入れて再び適用するに十分有り余るほどの精気を備えていた。
 アジア大陸の日本への接触が常に新生活と捜索の関与に利する所があった。アジア大陸の栄誉である、天孫民族が他から征服を受けないでいる。単にある政治上の意味からのみあらず、更に一層深遠なる意味で、生活、思想、芸術における生きた「自由」の精神として、天孫民族の最も神聖なる光栄である。
 勇ましき神功皇后が御心を燃え立せ給うて、大陸帝国を物ともせず、朝鮮の属国を保護せんために雄々しく海を渡らせられたのは実にこの御自覚のためであった。隋朝の煬帝(隋第二代の皇帝(在位605-616))を「日没する国の天子」と呼んだので、驚嘆せしめたのもこの精神であった(邪馬台国は魏志倭人伝で日の出る国と称した)。
 元王朝の蒙古がウラル山脈を超えてモスクワに達することになっていた勝利と征服の絶頂にったゆるがせ必列の傲岸な脅威を無視したのもこの精神であった。日本が今日更に一層深い自尊心を取得する必要のある諸種の新問題に雄々しく直面して立っている。正に同じ勇猛なる精神に依るものである事を決して忘れないことが日本自らの為である。

岡倉 覚三 「東方の理想」

2016/06/24

ローマ帝国の没落と軍隊

  ローマ帝国は共和国として繁栄と拡大を謳歌した。しかし、権力内部の自己抑制が崩れ、健全な分裂状態に終止符が打たれ、一方が他方を圧倒し勝利するような状態が生まれたことが没落の原因となる。社会全体が静穏になっているのが認められるような場合は、いつでも自由がもはやなくなっていると見て間違いがない。
 ローマ人は、戦争すべく運命づけられ、また戦争を唯一の手段とみていたので、自分達の精神と思想のすべてをこの技術の完成のために傾注した。ローマ人に軍団の構想を吹き込んだのは、疑いもなく、神である。ローマ人は、軍団の兵士たちに、攻守ともに適し、当時のどんな民族のよりも強力で、ローマ兵は荷を積んだ馬と変りなく重い武器を与えなければならないと判断した。軍団には騎兵、弓兵、投石兵も置き、敗走する敵を追撃して、勝利を達成するように計った。さらに、軍団には、携行できるあらゆる戦争用具を使って防戦して、それ自体が一種の要塞となることを望んだ。
 もっと重い武器を行使できるように、軍団は人間以上ものにしなければならなかった。このため軍団は不断の労働によって体力を増強させた。自分のもつ力の正しい配分を身につけた。
 軍隊が兵士たちの土掘り作業などの過重な労働のために多くの力を失っている。労苦はいつも続いて、極端な労働と極端な怠惰を絶えず繰り返し、我が身を滅ぼすのに適した。ローマ兵は、重荷を背負って軍隊歩調で行進するよう絶えず訓練された。
 軍隊はもはや肉体鍛錬の正しい観念をもっていない。肉体鍛錬に余りに時間をかけすぎている人間は軽蔑に値する。鍛錬の大部分が娯楽以外の目的をもたなくなる。戦争をあれこれと工夫するのは馬鹿げたとされ、喧嘩好きか臆病者だとみなされた。
 ローマ人が危険に直面したり、損失を償おうと欲した時は、いつも軍事規律を強化することが不変の方法であった。命令権を強化するためには身内まで処刑した。軍隊に旧来の制度を復活させると、直ちに恥辱も与えた。軍隊の兵士を極めて厳しく訓練することで、兵士の方から、苦痛を終わらせるために、戦闘に行かせて欲しいと頼み込ませた。なんらかの過ちを犯した兵士を衰弱させ血をとった。卑しい部族に属した兵士の脱走は頻繁に起こった。戦闘では、兵士は大集団の中にいなければ安心できないので、軍隊が不意に現れると、市民たちは血の凍る思いをした。最後に、兵士達にとって戦争は省察であり、平和は訓練であった。


 シャルルド・モンテスキュー ローマ人盛衰原因論

2016/06/23

自尊自大の尊王攘夷の明治政府

   いよいよ王政維新と定まって、政府の命に応じて親友は江戸から出る。私は一も二もなく病気で出られませぬと断わり。御用召でたびたび呼びに来ましたけれど、私は始終断るばかり。その親友が是非出ろと言って勧めて来たから、私は以下のように答えた。
「出処進退は銘々の好む通りにするのが良いではないか。世間一般はそうありたいものではないか。これに異論はなかろう。そこで僕の目から見ると、君が江戸から出たのは君の平生好むところを実行している。僕ははなはだ賛成するけれども、僕の身にはそれは嫌いだ。私は嫌いであるから江戸から出ない。これまた自分の好むところを実行するのだから、君の江戸から出ているのと同じ趣旨ではないか。されば僕は君の進路を賛成している。君もまた僕の進路を賛成して、福沢はよく引っ込んでいる。うまいと言ってほめてこそくれそうなものだ。それを誉めもせずに呼び出しに来るとは友達甲斐がないじゃないか。」と大いに論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎ねつけた。
 まだ文部省がない時に別の親友は「政府の学校の世話をしろ、どうしても政府においてただ捨てて置く理屈はないのだから、政府から君が国家に尽くした功労を誉めるようにしなければならない。」と親友が言うも、私は自分の説を主張して「誉めるのと誉められるのと全体そりゃ何のことだ。人間が人間当たり前の仕事をしているのに、何も不思議はない。車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をつくりて、書生は書を読むというのは人間当たり前の仕事をしているのだ。その仕事をして政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわねばならぬ。そんなことは一切よしなさい。」と言って私は断った事がある。
 このような調子で私はひどく政府を嫌うようにある。その真実の大本を言えば、前に申した通り、どうしても今度の明治政府は古風一点張りの攘夷政府と思い込でしまった。攘夷は私の何よりも嫌いことである。こんな始末ではたとい政府が変わっても、とても国はもたない。大切な日本国を滅茶苦茶にしてしまうだろう。こんな古臭い攘夷政府を造って馬鹿なことを働いている諸藩のわからず屋は、国を滅ぼしかねない奴らと思う。私の身は政府に近づかないように、ただ日本に居て近づかずに、ただ日本にいて何か勉めてみようと安心決定した。
 私が明治政府を攘夷政府と思ったのは、決して空に信じたのではない、おのずから憂うべき証拠がある。王政維新になり、イギリスの王子が東京城に参内して接待することは固より故障はない。夷狄の奴は不浄の者で、お祓で清めて内に入れた。日本は真実自尊自大の一小鎖国にて、外人を畜生同様に取り扱うのが常である。日本人の眼をもって見れば王子も不浄の畜生たるに過ぎない。私はこれを聞いて、実に苦々しい事で、泣きたく思いました。 

福沢諭吉の自伝

2016/06/22

戦争により奴隷

   他の人々に比べて、肉体が魂に、動物が人間に劣るのと同じほど劣る人々は、誰でも皆自然によって奴隷であって、その人々にとっては、劣れるものにも支配されることの方が善いことなら、その支配を受けることの方が善いことなのである。なぜなら他人のものであることのできる人間、すなわち道理をもっていないが、それを理解するくらいには関与している人間は自然によつて奴隷だからである。他の動物どもは道理を理解して従うことはなく、本能に仕えているからである。実は奴隷と動物の間に有用では大した相違は存在しない。生活必需品のために肉体をもって貢献することが両者の能力だからである。
 自然は肉体をも自由人と奴隷では異なった者として、奴隷は生活に必要な仕事に適する丈夫であり、自由人は真っ直ぐで労働には役に立たないが、国民としての戦争と平和に関する仕事には有用な生活を作る意向をもっている。逆にある奴隷は自由人の肉体をもち、魂をさえもつこともある。ただ肉体に関してだけでも、神の像と人間の姿との相違と同じ程度の相違が人々にあるなら、疑いもなくすべての人は、劣れる者が優れた者に奴隷として仕えるのは当然だろう。肉体の場合に真実であるなら、精神の場合に同じ規則を適用するのは、はるかに正当なことである。自然によって人々は自由人であり、ある人々は奴隷であることが有益なことであり、正しいことは明らかである。
 自然とよって奴隷、法によって奴隷、奴隷として仕えている奴隷もある。戦争中に征服された者は、征服者の者であると規定する法律が一種の約束として存在する。徳は必要な外的手段を手に入れば、力による征服を最もよくなし得る。力によって征服者にある者は善を常に非征服者よりも余計にもっている。力は徳なくして存じえないので奴隷にする事を正当化する。征服者と非征服者の相互間の好意が正当化する事になり、人々には力の優れた者の支配が無条件に正しいと思うからである。
 戦争はその起こりが正しくないこともあり、奴隷に適さないものが奴隷である事を承認はしない。捕われても自分自身を奴隷と呼ばれる事を好まず、自然によっての奴隷以外のものではない。人間からは人間、動物からは動物が生まれるように、善き親からは善き子供が生まれるのが当然である意向を自然は持っている。ある者は支配され、ある者は支配する、悪しく支配することは両者に不利益をもたらす。

アリストテレスの政治学

2016/06/21

非暴力非服従の聖書

   真理は存在さらに実在を意味するが、物の本質を究明すれば、世の中に存在するのはただ真理だけである。すなわち「神は真理である。」というよりも「真理が神である。」のが一層正しい。真理が性格で完全で唯一のものである。我々が肉体の虜である限り真理の実現は不可能である。思考によって永遠の生命のある真理を体得することもできない。そこで結局は信仰に頼るようになる。
 多くの人々が神の名に心を奪われたこと、及び神の援助を求めて筆にしがたい暴挙をあえてしたことである。注意すべきは、唯一の神のみが存在し、その他何物も存在しないこと明らかにすることである。「真理が神」であり神たる真理を見出すために、避けることができないのは暴力否定である。完全なる暴力の否定は生命あるものに対して、全然悪意を持たない事である。暴力の背後には過激なる意図をもち、独断に敵へ悪をなす希望である。
 暴力否定は悪に対して現実の闘争を止めるだけでは成立しない。悪に対抗して結局これを拡大するような復讐よりも、一層積極かつ現実なる暴力否定か必要である。不道徳と戦うため、精神的すなわち道徳的抵抗をする。尖鋭なる刀剣で暴者と衝突するのではなく、相手の物的抵抗の期待を誤らせて、暴者の剣を完全に鈍らせるのである。
 自己に困難を与える人々を広い心で許すべきか、あるいはこれらを打倒すべきか。結局は闘争に執着する人々は永遠の生命のある真理に向かって少しも進めない。これに反して自己に困難を与える人々を広い心で許せば、目的に近づき、指導することにも至る。試みた闘争で求める真理は外部には存在しない。反って真理は自己の内部にある。外部に求めた敵に闘争する間は、内部の敵を忘れるから、暴力に訴えるのでいよいよ真理と遠ざかるのである。
 我々は盗賊に苦しめられるから、盗賊に制裁を加える。盗賊が遠ざかったとすれば、我々が他の人を襲っているからである。一方盗賊は盗みを職業であると考えるから盗難はますます増加する。結局は盗賊に制裁を加えるよりも、広い心で許すのが良いこと気づく。盗賊もまた我々と異ならない人々であり、市民でり、友人でもあり、制裁をしてはならない。盗賊を広い心で許しても、悪には忍従してはならず、卑怯に悪い状態に陥ってはならない。
 欲望が生命のための肉体を創造するのは正当である。欲望がなくなれば、もはや肉体の必要はなく、生死の迷路から解放される。なんの必要があって籠にも比すべき肉体内に欲望を幽閉し、籠を愛するために悪事を働き、また殺人をもあえてするのだろうか。純粋なる真理の見地よりすれば、肉体もまた一つの独占物である。
 負債を精算して重荷を下ろし、義務を果たして自己に奉仕する。自分の力を人類一般に提供するように要請される。単に善人に対してのみならず、我々全部に対する要望である。このような原則を遵守すれば、執着から離れる境地に入り、利己追求の欲望から離れることができる。これが人間と禽獣とか異なる点である。

マハトマ・ガンジー




 

2016/06/20

最暗黒の下層社会

   生活は一大疑問なり、尊きし王公より下乞食に至るまで、いかにして金銭を得、いかにして食をもとめ、いかにして楽しみ、いかにして悲しみ、楽は如何、苦は如何、何によったか希望、何によってか絶望。
 利益は上に壟断されて下層に金銭の流液するなく、すでに絶対してまさに絶命に陥らんとす。彼らには予防する策はなく、思想知識はなく、高尚なる議論はなく、元より社会的思想はなく、世事のことよりも、まず生計に忙しく、未来の進歩あるいは退却するのも別に心痛できない。
 戦争においては炊き出し方となり、軍旅においては運送方となり、いかなる場合においても、身を働かすのほかに向かって希望をいだかず、常に人生生活の下段を働く所の彼らの覚悟はいかに。蒼々たる故郷の山岳、穣々たる田間の沃野を最後の楽園として思うほかには何も見ざる生涯。
 ああ恐るべかな経済の原理、つばさなくして飛び、足なくして探り、ついにこの暗黒界に潜り込み、その残飯たる乞食めしの間を周旋するに至らんとは。
「はあ、つまらねえつまらねえ、世の中はもう飽きたちゅうに不思議はあるめえ。もう苦労をする物あねえぜ、苦労したちて一人前食らうほど稼げねえだ。店賃はがみがみ言われる、内の者には面倒がられる。
 車屋じゃ善顔して貸さない、こりゃもう首でも縊れよう。野郎め、屋根代ガミガミ言って見ろい。てめえの軒下へつっしゃがんで、ふくどし括りつけてやるぞ。車屋の因業ばばめ、もしおれの車を没収でもしやがると台所からはいしゃがんでくたばってやるぞ。べらぼうめ、六十八おやじ知らねえか。」
【翌年頃の1994(明治27)年から日清戦争が勃発して近代戦争に突入する。】

松原 岩五郎

2016/06/19

戦争の歴史とは何ぞや

 歴史的知識と表現法は、1.物語的歴史 2.教訓的歴史 3.発生的歴史の三段階的に発展する。常に歴史の進行につれて知識は分化し、歴史が古くなるほど変化もますます著しい。
 1.物語的歴史 歴史的素材を時と場所の順序で物語り満足する。素材は様々な方向に向かい種々の再現の形式が生まれる。政治、宗教、祭祀の目的のため、ある素材を確保し安全に後世に伝えようとする。民族が異なれば、歴史観や素材の再現は著しく相違する。意識して偽作的捏造される。
 2. 教訓的歴史 過去の類似な歴史に明確な観念を与える。人間の本性と行為とは類似しているとして、政治の形成に対して教訓を与える。その教訓には道徳的、政治的、ことに愛国的傾向をとりやすい。一切を個人の衝動から解釈するで、偶然かつ不要な動機を加重するに至る明白な大欠点がある。
 3. 発生的歴史 歴史の作用が相互関連して、歴史現象や時代の生成や作用を認識する。歴史の発生産物として把握するためには、精神文化総体が高度になるまで発展する必要がある。歴史は継続的に変化している。歴史の関係や活動は、因果関係と相互作用に寄るために、多くの時代錯誤が生まれる。
 
 歴史の直接の観察が、認識の素材を唯一に与え、歴史事象の目撃や直接の見聞の限られた範囲だけである。歴史と離れられないのは、体験した事象の思い出(Erinnerung)である。思い出の真実は素質・年齢・体性にも素材の理解や関心、観察力に依存する。視界を離れ久しいと、思い出はかすかとなり歪曲も付け加わる。
 歴史は素材を実に一度だけ直接の観察を受け入れる特性がある。各事象が演じ終われば知覚から消え去るやいなや、記憶の影像のみが心に残る。いかに直接の観覧や思い出も、写真や写音(Phonographie)のような忠実さで事件を再現できない。先入観や暗示は、関心、注意、知覚にさえ偏見で定め、盲目的に妄想誤解するに至る。時代全体の気分や党派心にも至る。

エルンスト・ベルンハイム

2016/06/18

特攻カタカナ検閲済み遺書

正憲、紀代子へ
父は姿がこそ見えざるも何時でもお前たちを見ている。
良くお母さんの言いつけを守って、お母さんに心配をかけないようにしなさい。
そして大きくなったなれば、自分の好きな道に進み、立派な日本人になることです。
人のお父さんを羨んではいけませんよ。
「正憲」「紀代子」のお父さんは神様になって、二人をじっと見ています。
二人仲良く勉強をして、お母さんの仕事を手伝ってください。
お父さんは「正憲」「紀代子」のお父さまにはなれませんけれど、
二人仲良くしなさいよ。
お父さんは大きな重爆に乗って、敵を全部やっつけた元気な人です。
お父さんに負けない人になって、お父さんの敵を打ってください。
父より
正憲
   紀代子へ
二恵


正憲 紀代子へ
父ハスガタカタチハミエザルモイツデ
モオマエタチヲ見テイル.ヨクオ
カアサンノイヒツケヲマモッテ
オカアサンニシンパイヲカケナイ
ヨウニシナサイ.ソシテオオキク
ナツタナレバ ヂブンノスキナミチニ
ス 、ミリッパナニホンヂンニホンヂンニナルコト
デス.ヒトノオトウサンヲウラヤン
デハイケマセンヨ.「マサノリ」「キヨコ」
ノオトウサンハカミサマニナッテ
フタリヲ ヂット見テヰマス.
フタリナカヨクベンキョウヲシテ
オカアサンノシゴトヲテツダナ
サイ、オトウサンハ「マサノリ.」「キヨコ」
ノオトウサマニハナレマセンケレドモフタ
リナカヨク シナサイヨ. オトウサン
ハオホキナヂュウバクニノッテテ
キヲゼンブ、ヤッケタ、ゲンキナ
ヒトデス  オトウサンニマケナイヒト
ニナッテオトウサンノカタキヲウ
ッテクダサイ.
父ヨリ
マサノリ
フタエへ
キヨコ

【1945(昭和20)年5月25日特別攻撃隊爆死 国吉 秀俊  遺書】

2016/06/17

人間不平等等と戦争

   自然の不平等が組み合せによる不公平等ともに知らずしらずの間に発展し、状況の相違によって発展した人々の間の相違は、その成果の点で一層に著しくなり、同じ割合で個々の人間の運命に影響した。自尊心は利害に目覚め、理性は活発になり、精神は可能な限りの完成の局地に達しようとする。それらの素質は人々の尊敬を引き寄せる事が可能となるので、自分の利益のためには、それが存在するか、存在するふりをする事が必要になる。
 この区別のため、いかめしい威厳と欺瞞的な策略、お共をうけるあらゆる悪徳が出てくる。無数の新しい欲求のために、同胞に屈従するようになり、同胞の主人になりながら、その奴隷となっている。支配と屈従、あるいは暴力と略奪が生まれた。富める者は、支配する快楽を知ると、新しい奴隷を服従させるために古い奴隷を使い、隣人たちを征服し、隷属することしか考えなくなる。
 強い者、弱い者が、力または欲求を、他人の財産に対する一種の所有権とするので、その均衡が破られると続いてもっとも恐ろしい無秩序が到来する。富める者の横領と貧しい者の略奪と、万人の淫らな情念が、人々を強欲に、野心家に、邪悪にした。
 強者の権利と最初の所有者の権利の間に、はてしない紛争が起こる。それは闘争と殺害とによって終息するほかなくなる。社会はこの上もなく恐ろしい戦争状態になる。堕落し、悲嘆にくれる人類は、もはやもと来た道に引き帰すこともできず、不幸にして自ら獲得したものを捨てることもできず、自分の名誉となる諸能力を濫用することによって、自ら滅亡の前夜に臨む。
 悲惨な状態について、富者は自分たちだけがその一切の費用を負担する恒久的な戦争が不利益であるとすぐに感じる。戦争では、生命の危険があるだけでなく、財産の危険は個人的である。富者の横領は、単に一時的で不当な権利が盾なので、略奪されても文句をいう理由をもたない。そのため富者は、すべてを相互に対抗して武装させ、所有以上の負担の大きい状況、安全を見出せない恐怖を与える。その弊害を富者は予感してもそれを利用とする。利益を感じれても、その危険を見通す事ができない。若干の野心家が利益のために、以後の人類を労働と隷属と貧困に服従させたのである。

ジャン・ジャック・ルソー

2016/06/16

貧乏が戦争の問題

   経済の下における利己心の作用をもって、経済社会進歩の根本動力と見なす。経済上における個々人の利己心の最も自由なる活動をもって、社会公共の最大福利を増進する最善の手段となす。しかるに、元来人は教えずして自己の利益を追求する性能を有する者である。この派の思想に従えば、自由放任はすなわち政治の最大の秘訣である。
  個人ををしてほしいままに各自の利益を追求せしめておけば、これにより期せずして社会全体の福利を増進しうる。それが経済の最も巧妙なるゆえんである。すなわち経済を謳歌し、その組織の下における利己心の妙用を嘆美する。自由放任ないし個人主義をもって政治の原則とすることが、いわゆる経済の趣旨とする。
 経済の下において、国家の保護干渉を是認し、利己心の自由なる発動になんらかの制御を加えんとするかの国家主義、社会政策のごときは、いずれも皆異端である。個人主義者は、幾百万の人々が種々雑多の欲望をもって目覚めると説く。いかに偉い経営者が出て、あらかじめに計画を立てたとて、数百万の人々の種々雑多の欲望を、規則正しく満たして行くことは、到底企て及べない事である。個人主義者は経済を謳歌するのであるが、今の世の中は、金ある者にとってはまことに重宝な世界である。
 よけい金をもっている者は、広い世間に数限りなくいるが、その人々は他人のためには一挙手一投足の労を費やすことなくても、争いてよけい金を持っている者に対して、さらに人々は多くの親切をしている。金のある人は、その世の中ほど都合よくできているものはない。命令するでもなく計画したでもないのに、世界中の人が一生懸命になって他人のために働く、人知でも不思議に巧妙をきわめている。
 しかし、気の毒なのは金のない市民である。一文もなくなったら、市民は追い出されて、この広い世界に枕も置くべき所もない。世の中は便利しごくのしくみはないが、しかし金ののない者にとっては、不便しごくのしくみはない。
 今日多数人に経済が届かないのは、経済という大切な事業が私人の金儲けの仕事に一任されている。一国の軍備でも教育でも、私人の金儲けの仕事に任せれば、到底その目的を達せられない。それで各種の方面に遺憾な事が絶えないのである。
河上 肇

2016/06/15

国家の戦争と平和

  実に人間にしても自然状態においてはお互いに敵である。だから国家の外にあって自然権を保持するものは皆敵たるを失わない。ゆえにもし国家が戦争をして自己の権利の非常手段を用いようと欲する場合、それをなす権利を有する。戦争を行うにはただ戦争の意欲を持ちさえすれば十分だからである。
 これに反して、平和に関しては、国家の意思が平和に合致していなければ何事も決められない。戦争の権利は国家に属するが、平和に関する権利は一国家にではなくて少なくとも二国家に属することである。これらの国家は盟約国と呼ばれる。
 平和の盟約は、盟約を締結する原因すなわち損害への恐怖や利得の希望が存在する間は確固として存続する。それがなくなれば、再び相互に結合していた靭帯は溶ける。任意の時に盟約を解消する全ての権利を有する。平和の存続を前提として未来に向かって契約を結ぶ。だから国家が欺かれたと訴える場合、責めうるのは盟約国家の不信義ではなく、ただ自己の愚かさだけである。
 相互に平和条約を締結した国家は、平和の諸条件や諸規約に関して、係争問題を解決する権利が帰属する。平和の権利は、国家の所有ではなくて、盟約国家共同の所有である。問題に関して国家が意見の一致を見ることができなければ戦争状態に立ち返る。
 相互に平和条約が多ければ多いだけ、国家は戦争をなす力が少なくなり、平和の諸条件を守るように拘束されることが多くなる。国家は自己の権利が少なくなり、盟約国家の共同の意志に順応するように拘束される。

バールーフ・デ・スピノザ

2016/06/14

原爆の子

   息詰まるような空襲警報が朝になるとともに解除されて、ほっと一息ついたのだから、あの時の爆音が聞えようはずなかった。それこそB29にとっては、絶好のチャンスに違いなかった。おまけに広島の空は快晴で、原爆第一号にとっては絶好の日和で、まったく願ってもない好条件だったらしい。そして8時15分。
 広島市は炎上の真っ最中で、7つの清流には見るも無惨な老若男女の死体が流れていたのである。家族を燃え上がる中に残したまま、隣近所の崩れた家の下から助けを呼ぶ声から去って、どうすることもできない悲しさを今なお胸の中に焼きついて永遠に消え去ることはない。一夜燃えつづけた広島はやがて死の街になり、その後は地獄であった。
 鉄骨だけ残っている電車の中には、白骨がずらりとならび、もがいた人々の足がはみ出したま白骨化していた。学徒動員の男女の中等生たちは、まだかすかに残っている命の燈火を燃やして、家族らの名前をか細い声で呼びつづていた。原爆の放射能のため焼きただれた身体を冷やそうとして川の中に入り、そのまま没していった。
 幾日か広島の雲には死体を焼く煙がただよっていた。川べりの土手の上から昇って、煙を方針したようにながめていた。とめどもなくこほれ落ちる涙は、焼けはてた広島の大地にしみこんでいった。
 かろうじて生き残った人々には、原爆症の恐怖がおそってきた。放射能は、実は無傷に見えた人々の骨髄までも深くしみこんでいた。髪は抜け落ち、歯ぐきからは出血し、やがては体中に紫色の斑点が生じると、ばたばたと倒れていった。
 猫もしゃくしも民主主義と自由と同じように平和も唱えられた時代がにあった。日本が迎えたような平和が、果たして真の平和と言えるものであったか。世界でいけなかったら広島だけでよい。果たして広島に真の平和が訪れたのか。
 原爆30万人の犠牲を売りものにした平和記念年は単なる観光都市であってよいのか。ケロイド性症状のいたわしい人間は、見世物小屋の見世物であってようのか。元安川の川べりの産業奨励会館であった原爆ドームを訪れる旅人よ。あれは見世物ではないですよ。
 我々は厳粛に、そして敬虔に8月6日を迎えよう。原爆の犠牲者に、広島から真の平和を築くことを誓いつつ、祈りをささげよう。売りもの、見せしもの原爆広島ではなく、今こそ真実の平和広島を築いていこう。その時にはじめて、広島は原爆と平和のメッカとしての第一歩を踏み出すであろう。

広島の少年少女のうったえ

2016/06/13

怒りと平和

   怒りが自然に合ったものかどうかは、人間を見れば明らかであろう。人間が正しい精神状態にあるときほど平和なことがあるだろうか。しかし、怒りほど無情なものがあろうか。人間ほど他人に愛情をもったものがあったろうか。怒りほど敵意のもったものがあろうか。
 人間は相互扶助のために生まれたが、怒りは相互破壊のために生まれた。相互扶助は結合を望むが、怒りは離反を望む。相互扶助は利することを望むが、怒りは害することを望む。相互扶助は見知らぬ人々をも助けようとするが、怒りは最愛の者たちをも襲おうとする。相互扶助は他人の利益のために自分を消耗させようとさえしているが、怒りは他人を追い出すことができるなら、危険をもおかそうとしている。
 それゆえ、この野蛮で有害な悪徳の原因を、最良で完全な自然の働きに帰する者ほど、自然の本姓を知らない者があろうか。怒りは、依然として、報復に熱心であって、そのような欲望の存在するどころか、最も平和な人間の胸のなかであるとは、人間の自然の本姓に最もそぐわないことである。人間生活は善行と協調のうえに成り立っており、脅迫によってではなく、相互愛によって、睦み合い助け合うために結び付けられているからである。

  怒りはしばしば同情心によって静められるものである。というのは、怒りは本当の力強さをもっているわけではなく、中身はからに膨れあがったものである。激しいのは初めだけだからである。怒りはものすごい勢いで始まるが、やがてはまもなく疲れて弱まる。そして、初めは残虐な仕打ちや新奇な処罰の仕方を思いめぐらしていたものの、いざ処罰をする段になると、すでに腰が碎けて、おとなしくなっている。激情は急速に衰え、理性が怒りに釣り合うようになる。
  怒りは全く移の気である。限度を越えてはるか遠くに突っ走るかと思うと、当然に行くべきところので行かないうちに止まってしまう。怒りは自分勝手のことしか考えず、気まぐれに判断し、何ごとも聞こうとはせずに、弁護の余地を認めず、襲いかかったものは離さず、たとえ自分の意見が間違っていても捨て去ろうとはしない。

ルキウス・アンナエウス・セネカ

2016/06/12

暗黒日記

   何人の頭の中にも、現下の最大の問題点が陸海軍の統合融和にあり、そこにはまず省改変のメスが下されるはずたと考えているのに、一言もこれに言及するものはない。
 問題がなくなると「統制強化」「宣伝機関の一元化の必要性」「発注の徹底的一元化」といった具合に一元化を説いている。「一元化、一元化で戦争終わりにけり」
 日本は何をめがけて大きくなったろう? 戦争そのものだというのは明らかに嘘だ。戦争をやると何かが達成すると考えるから戦うのだ。征服欲というのも不完全だ。征服して何を求めるのか。やはり、日本的なものを世界の布こうという考えと、それからそれにより自己が利益とようとの二つだろう。日本人は干渉好きだ。しかし何か行動によってこれをなすことはしない。例えば昨日、電車の中で網の上に鞄を載せようとしたのを何人も手助けしない。日本人の干渉は思想的なものに対してだ。
 英米人は干渉嫌いだ。しかしそれは思想に対してであって、他が困っている場合にこれを助ける。町で考えこんでいると「何を探すんですか。」といって必ずヘルプしようとするのはその例だ。電車の中でも必ず助ける。とすれば干渉は同じだ。相違は「何をめがけて?」という点に帰する。それは習慣と傾向の相違といっていいだろう。
 二等車には必ず土木請負人のような野卑な連中が乗っている。第一次世界大戦の時にいわゆる成金が日本を一変させた。今度も同じである。資本主義の欠点は確かにそこにある。しかし社会主義化、共産主義化しても別の弊害がある。要は教養の向上のみ。
1943年10月
清沢 洌

2016/06/11

ゲルマーニアの戦争と平和

   青年たちは、公事と私の事を問わず、なにごとも武将してでなければならない。武器を帯びることは、その民族(civitas)団体が資格あると認めるまでは、一般に青年にも許されない習いである。それが認められた時、同じ会議において、長老、あるいは父、または近縁のものが、武器とをもって青年を飾る。これらが青年服であり、青年に与えられる最初の名誉である。これまでは彼はただ家族集団の一部であった。今後は、民族(res publica)の正員として見なされる。
 貴族の身分、先祖のの偉功によって、少年たちに対しても、長老の主従が与えられる。青年らは、より長老の成人として、すでに世に認められている他の人々の周囲に集まる。家来の間の姿をあらわすことは、少しも恥辱とはならない。それどころか、家来の間には、家来をひきいる人の判断によって、そこに階級ができる。
 ここで激しいのは、長老の許の第一席は誰によって占められるかの長老たちの争い、最も多くのかつ最も精鋭な家来たちを得ているかの長老たちの競い合いである。選ばれた青年の大群によって常に囲まれることは、平和には誇りであり、戦場では防衛である。
 長老の権威であり、これが力である。家来の数と意気に優越を示す長老も、みずからの部族のみならず、近隣の諸邦にさえ、名誉と尊ばれ、光栄として仰がれる。長老は諸邦から来る使節来訪の名誉を受け、贈物に飾られ、単にその名声にて戦勝を左右すると思う。
 戦列についた以上、勇気にて家来に負けるのは長老の恥辱であり、長老の勇気に及ばないのは家来の恥辱である。長老の戦死をさしおき、家来が生を全うして戦列を退いたら、生涯の恥辱であり、不面目である。長老は勝利のために戦い、家来は長老のために戦う。
 もし母国が永い平和と無為のために英気を喪失していると、高い身分の青年の大部分は、みずから進んで、なんらかの戦争をを行っている部族を求めて出かける。
 平静をこの種族は喜ばず、功名は危機の間に立てやすい。多くの家来は力で戦いをしなければ保養できないからである。血潮したたるかの戦勝を勝ち取らんことを、家来たちは主人の寛大さに期待し、ゆたかな供養は家来に対する賞与となるからである。この寛大さの材料は、もっぱら戦争と略奪による。もし家来に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くならば、家来に敵に挑んで、名誉の負傷を被ることを勧めるのは容易ではないとに悟る。血をもって光栄を受けるものを、あえて額の汗して収穫を獲得するのは怠惰でありち、無能であるとさえ、家来は考えているのである。

ゲルマーニア
コルネーウス・タキトゥス

2016/06/10

ナポレオンの戦争論

軍隊とは服従する市民である。
あらゆる攻撃的戦争は侵略戦争である。
軍隊は好んで前進して侵略戦争が好きである。
ひとたび戦争と決めたら、勝つか滅びなければならない。
戦争の大きな失敗は、常に誰かが大罪とされる。
戦争を知るには永いこと戦争をする必要がある。
戦争では一人の人間こそがすべてある。
戦争は必要であれば最後の一兵まで投入する。
兵員を救ったり保持することは第二義的にすぎない。
兵隊を動かしている唯一のものは名誉である。
兵隊は退却する敵を追う場合は疲れを知らない。
避けられない戦争は常に正戦とする。
戦争は自然の状態である。
戦争のすべを知るには、服従するすべを知る。
勝利しても敗北しても軍隊は決して休息させない。
ほとんど常に臆病な策は最悪である。
下士官は、兵卒を服従させるだけでなく引きずって行く。
戦争の名誉から、敗戦に屈辱を感じる。
生命を大切にする者は、軍隊の一員ではない。
平和はいろいろな国の名誉ある利害に基礎をおくシステムである。
ボナパルト・ナポレオン

2016/06/09

小さな戦士達への子守歌

おやすみなさい
遠い地に 離れ離れに 眠る子よ
おやすみなさい
今夜も楽しい夢をみるように
お前のいないこの家は、カンテラのない 山小屋のようさ
帰っておいで 私のところに
戦いのベッドから解かれて
祈っているよ どうか朝まで 夢の世界に遊べるように
グッドナイト マイ リトル エンジェル
今宵は安らかに眠れ 朝までめざめることなく
おやすみなさい
遠い街の 白い館に眠る子よ
おやすみなさい
今夜も美しい夢を見るように
あなたのいないこの家は 燈なくして さまよう小舟よ
戦いのベッドを 放たれて
祈っているわ どうぞ朝まで夢の世界を たのしめるように
グッドナイト マイ リトル エンジェル
今宵は やすらかに眠れ
朝まで目覚めることなく

風になって伝えて
妙見 幸子

2016/06/08

平和の訴え

  幾度も失望を味わったあげく、不幸な私は、いったいどこへ向かえばようのでしょうか。考えてみれば、君主たちは物知りというよりも力の人。正しい判断力というよりもむしろ野心によって導かれているのです。
 ですからほんの小指の先ぐらいの事でも、決して意見の一致を見ることがありません。この連中ときたら、まことに取るにたりない問題について、死にもの狂いの激論を繰り返しているのです。激論が白熱して誹謗中傷を変じて殴り合いとなるのですが、さすがに血を洗うまでは至らぬようですね。まさか、あいくちや槍をふるって黒白の決着をつけることはないまでも、毒を塗ったペンを互いに突き刺し合い、荒々しい言葉で議論のやりとりをし、めいめいが論的の面目を葬り去るような毒舌の矢を放ち合っている醜態です。
 なんどとなく、ただの言葉だけをむなしく便りにしては裏切られて棄て去られてきた私はいったいどこに足を向けたらよいのでしょう?

  悪辣極まりないことは、民衆の和合は自分達の権勢を揺るがし、民衆の不和はその権勢を安定させる、と感じている君主たちがいることです。彼らは、虎視たんたんと戦争を企んでいる連中を、極悪非道な手口でそそのかして、平和に結びき合っているものの仲を裂き、そして勝手気ままに掠めとろうとしているのです。平時には国家に対する極悪ひとでなしの偽政者といえましょう。

 戦争が問題となった時には、君主は若者たちを招いて諮問すべすべきではありません。若者たちは戦争がどんなにひどい災禍をもたらすかについて自ら体験がないため、戦争を愉しいものと思いがちですから。それにまた、公共の安寧秩序の混乱によって利益を得、民衆の不幸を食い物にして私腹を肥やす連中も斥けるなければなりません。慎重に偏見に捉われず、しかも確固とした祖国愛をいだいている年をとった人びとを呼んで、その意見を聞くべきでしょう。要するに君主であるほどの者は、あれこれ好戦的や輩の気まぐれにつられて、無謀な戦争を起こしてはなりません。と申しますのも、戦争は一たび始まってしまったならば、容易なことではおいそれと終わらないものだからです。

デンシデリウス・エラスムス

2016/06/07

カチンの森の大虐殺

  歴史の中のポーランドは、天然の要塞のない平原に位置したため、ナチスドイツ側の敗北が明らかになって来ると、ポーランド人の独立運動や反乱が起こり、ついに共和国を宣言した。なじみ深いポーランド人の楽聖ショパンやラジウムを発見したキュリー夫人、ノーベル文学賞のシェンキュウィチがいた。
 ドイツとソビエトは秘密裏に不可侵条約を結ぶ。ソビエト軍に捉えられたポーランド将校の数は18万人である。ドイツ軍はカチンの森で数千にのぼるポーランド士官の遺体を発見した。9ミリ口径のピストルが射ち込まれている。誰しも慄然とせざるを得ない地獄絵図である。ソ連側検事は、ナチスドイツの犯罪として、カチンの森事件を取り上げるように動いた。しかし、立証は困難という反対で起訴は成立しなかった。
 ソ連の容疑が濃厚だったから、戦後30年を経ても、この犯人探しには結論が出ていない。アメリカ特別委員会は、ソ連の犯行とした。予備将校、医師、弁護士、教師などの知識人が多かった。根絶やしにしようという狙いがあったのではと推測している。この事件は、後々まで断絶をもたらし、尾を引いてゆくのである。行く不明になった士官は8,000余人で、カチンの森で発見された死体は4,000余体である。まだ発見されずに有るかもしれない。
   緒戦にポーランドに快進撃したドイツ軍は、開戦初年度の1941年の冬早くもモスクワ全面でつまづいた。赤軍の頑強な抵抗の内、冬を迎えた。雪と厳寒を利用した反撃に会い、後退を迫られた。スターリングラードで、ソビエト軍に包囲され、降伏した。1941年6月ノルマンディ上陸による反抗では、銃後では若者の姿を見ないと言われる壮絶な2正面の戦いになった。
 過去の歴史は、西からの侵入者であるナポレオンも、ヒトラーも、必ずポーランドを通って入って来た事を教えている。ワルシャワ蝶起で使用された近代火器は、手製の銃投擲弓器であり、まさに絶望的な戦いである。ヒトラーは「必要あればワルシャワの全ての住民を射殺すべきである。街を焦土とせよ。」と命じた。ドイツ軍は、ナパーム、ロケット弾、100トンのカール臼砲を使用した。破壊力はすさまじい。ワルシャワ市に雨あられと撃ち込んだ。ワルシャワ市民は、弓で火炎ビンを飛ばして立ち向かった。ドイツ軍が、兵を進めたあとは廃墟となり、人影は消え失せた。暴行と略奪をした。あまりの非道さに、総統本部はカミンスキ大佐を処刑した。市民の死者は、30万人にのぼった。市民は街から追い立てられた。ドイツ軍の破壊するシーンは活字では伝えられず。火炎放射器で、内部を焼かれて、ダイナマイトで粉砕されて、一瞬にして瓦礫の山に変貌してしまう.。
   スターリンはポーランドの亡命政権は早晩消滅し、ポーランドのソビエト化は容易に進むと違いないと衛星国化する強い覚悟でいた。

   あのとき世界は

2016/06/06

ヒロシマ・ノート

   顔に醜いケロイドのある数多くの娘たちが、自分を恥じてひきこもって暮らしているのがヒロシマだ。この原爆体験の被害者たちが、みずから感じている恥ずかしさというものを、それこそみずから恥じることなしに、どう受けとめることができるだろう? それはまったくなんという恐ろしい感覚の転倒だろうか。 
 娘が原子爆弾によるケロイドのある顔を恥じている。彼女の心のなかではこの恥を別れ道として、地球上のすべての人間をふたつのグルーブに分けることができるわけだ。すなわち、ケロイドのある娘たちと、そうでない他のすべての人間たち。ケロイドのある娘たちは、自分のケロイドを、それをもたないすべての他の人間に対して、恥ずかしく感じる。ケロイドのある娘たちは、それをもたないすべての他の人間たちの視線に、屈辱を感じる。
 ケロイドのある娘たちはみずからの恥、屈辱の重みをになってどのように生きることを選んだのか? そのひとつ生き方は、暗い家の奥に閉じこもって他の人の眼から逃げることである。この逃亡型の娘たちが、おそらくはもっと多いにに違いない。彼女たちは広島の家々の奥にじっとひそんでいる。そしてすでに若くはなくなりつつある。
 もう片方の、逃亡しないタイプもまた、おのずから、ふたつにわかれるだろう。その ひとつは、この世界に再び原水爆が落下し、地上すべての人間が彼女とおなじくケロイドにおかされるのを希望することで、自分の恥ずかしさ、屈辱感に対抗する心理的支えをえる人たちであろう。そのとき、彼女のケロイドを見つめる他人の眼はすべてうしなわれ、他者は存在しなくなって、この地上のもっとも恐ろしい分裂は失われる。もちろんその呪いは心理的支えの域を出ない。このような娘たちは、やがて沈黙しむなしく逃亡型のうちにはいるほかなかっただろう。
 そして、もう一つのタイプ。それは核兵器の廃止を求める活動に加わることで、人類すべてのかわりに自分たちが体験した、原爆の悲惨を逆手にとり、自分の感じている恥あるいは屈辱に、そのままみずからの武器として価値をあたえようとする人びとである。
 こうした迂遠な文るは、本当は必要ではない。ヒロシマで人びとが体験し、いまもそれを体験しつつある、人間の悲惨さ、恥または屈辱、あさましま、それらすべてを、直ちに逆転して、価値あらしめるためには、そしてそれらの被爆者たちの人間的名誉を、真に回復するためには、ヒロシマが、核兵器全廃の活動のための、もっとも本質的な思想的根幹として威力を発しなければならない。その威力を、ケロイドのある人間たちと、それをもたないすべのの他の人間たちが、こぞって確認しなければならない。その他に広島の被爆者たちをそのもっとも悲惨な死の恐怖から救う、いかなる人間の手段があろう?
 ヒロシマの人間の悲惨が人間全体の回復という公理を成立させる方向にこそ、すべての核兵器への対策を秩序だてるべきではないか。この地球上の人類のみな誰もが、ヒロシマと、そこでおこなわれた人間の最悪の悲惨さを、すっかり忘れようとしているのだ。核兵器保有国のすべての指導者と国民のすべては、かれらの記憶からヒロシマを抹殺したがっているはずでないか。平和をまもるための威力としての核兵器保持である。しかし、現存する核兵器を、威力とみなすことから出発しているのはあきらかだ。
大江 健三郎

2016/06/04

広島原子爆弾の苦しみの中で

   広島市の都心に向かう途中で「ピカッ」「ドーン」に会う。たつまきのような強風で吹き飛ばされそうだあった。何分か後に空を見上げたら原子爆弾による原子雲が吹き上がっていた。爆心地では、真っ黒に焼かれ、肌がぼろぼろに破れ、頭や胸から血を流しよろよろと歩く大集団に出会う。だれも声を出さないで、うつむいて歩き倒れてしまう。倒れた人につまずき、あとからも倒れて死体が重なる。死体を踏み越えたり、しゃがむ人もいる。死んだ赤ちゃんを背負って女性がばたんと倒れる。路面は血だらけになる。
 一瞬にして地獄に引きづられて化物に遭遇したと思う。行けば行くほど凄惨である。倒れた人には内蔵がはみ出し頭骨が圧壊されている。市電の中には死体がびっしりで生きている人はいない。死体で敷きつけられ、重なり、倒れうずくまり「暑いよ。痛いよ。」と声低く訴える。
 道の両側は火柱が高く盛りに燃え上がる。家の下敷きの人たつが「お父ちゃん助けて! 熱いよ。」と叫び、「わーわー死ぬる。焼ける。誰か・・・」と泣きわめく声。下敷きから飛び出た人は火だるまである。助けを求める人は何千人以上で、助けに応じれる人はいない。その甲高い声は断末魔のもがき叫ぶ。火柱を上げて焼ける家の下から「ドカン、ドカン。」と弾ける音、火の粉が舞う。
 歩ける人は暑く足早に去るしかない。その修羅場を前にして、頭が強烈に打倒され、涙が両目からあふれた。両手で拭いて顔がぐちゃぐちゃになる。泣けて泣けて涙が止まらない。おり重なっているたくさんの死体、うごめいて傷だらけの人。それは誰がしたのか。
 毎日毎日、広島中に肉親を探し回った。黒い雨をもろに浴び、放射能を吸いぱなし、死体を踏み、死体を焼く現場まで、へとへとになるまで探しまわったが、肉親はいない。どこで命つきたのか骨も拾われずである。
 私の戦後は一生終わらない。胸がしめつけられる毎日である。肉親を殺した呵責が今日までつきまとい、夢にもたびたび現れる。神様、私に奇跡を一度だけ与えてください。肉親が生きて帰ってくる奇跡を。私の戦前から戦中を廃業しましたから。

生きる 被爆者の自分史
被爆者の自分史編集委員会



2016/06/03

平和連盟

国際法は自由な諸国家の平和連盟

 諸国家が権利を要求するための方法は、言わば国際的な法廷に訴訟することではない。単に戦争によるほかなく、しかも戦争及びその幸運の結果たる戦勝によっては、その権利は決定されるものではないのである。
 また平和条約によって一応その時々の戦争は終結されるであろう。しかし、戦争状態が終結されるのではないのである。しかも、それに関わらず国家に対しては、無法的状態にある人間に対しては、自然法によって妥当する命令、すなわち「かかる状態から脱却すべきである。」との命令が国際法によって妥当するとも言えないのである。  
 しかし、それにも関わらずなお理性は依然として最高の道徳的立法権の王座から訴訟手続きとしての戦争を絶対に禁止する。これに反し平和状態を直接の義務なりとなす、しかもかかる平和状態は諸民族相互の間の契約なくしては樹立されず、また保証もされないのである。
 かくして以上に述べてきた理由よって、平和連盟(Foedus Pacificum : League of Peace)と呼ばれ得る特殊な種類の連盟が存在しなければならないことになる。この平和連盟なるものは平和条約(Pactum Pacis : Peace Treaty)とは区別されるであろう。その理由は、後者は単に一つの戦争を終結させんとするのに対し、前者はすべての戦争を永遠に終結させんと試みる点にあるのである。
 この平和連盟は、国家の何らかの権力の獲得を目的とするものではなく、単にある国家自体及びそれと同時に、それと平和連盟する他の諸国家の自由の維持の維持と保証とを目指すものなのである。しかも、これらの諸国家はその故をもって、公法及びその強制の下の下に立つを要しないのである。
 この平和連盟の理念は、徐々にすべての国家の上に繋がるべきであり、かくして永遠平和にまで導いていくのであるが、その実現性は誇示されえる得るのである。なぜかと言えば、もし幸運にも、ある権力に対して、かつ啓蒙された一民族が共和国を形成し得たとするならば、この共和国は他の国家に対して連盟的統一の中心点となり、かくして、これらの国家と結合し、国際方の理念にしたがって諸国家の自由状態を保証し、このような種類の結合をの多くを通じて徐々にますます遠くまで広がっていくからである。
 もともと、戦争への権利としての国際法なる概念の中には、何らの意味も認められない。だから、もしその概念に意味があるなら、たとえ次のようにのみ理解されるべきであろう。すなわち、かかる見解を有する人々は、やがて互いに殺戮を行うに至り、かくして永遠平和をば暴力行為のあらゆる残虐とその行為者とを一括として、それを覆うところの広き墳墓の中に見出すことになるであろう。それは正常なことが起こったにすぎないのである。
 相互関係にある諸国家にとって単に戦争しか含まないような、その無法則的状態から脱するためには、理性によれば、ただ次の仕方しかないあり得ない、すなわち、国家もまさに人間と動揺に、その未開な自由を放棄して公的なる強制法に服し、かくして一つの、そしてついには地上のあらゆる民族を包含するに至るであろうところの国際国家(Civlitas Gentium : State of Nation)を構成するより他には道はない。 
永久平和のために
イマヌエル・カント

2016/06/01

人間と悪

悪の意識と良心

 客観的にはある意思、または、ある行為が悪であることが明らかであると思われている場合でも、それを指して「それは悪である。」と言うことは難しい。それができるには、厳密には、それを意思した本人自身またはその行為者自身が、心の中で何らかの「やましさ」「はずかしさ」等を感じているのではなければならない。
 言い換えれば、自身によって「それは悪である」ことが明白に恥等として意識されているのではなければならない。そうなれば根本の問題は不問にされ。慚愧と自責の念だけが残される。しかし、その意識が本人自身に欠けているなら、困ったことが「それは悪である。」という言葉は永遠に一方的な非難語に終わるであろう。
 もちろん。この意識がなくても法的制裁は可能であって、実際に処罰は行われているし、違法までには至らない場合には、社会がそれに対して慣習道徳を規範とした社会的制裁を加えるであろう。しかし、いずれの場合でも、この意識の存在が前提にされていなければ、どんな制裁も集団の他のの成員に対する見せしめであるにすぎず、その行為者に対してその真の意味をもつこはないであろう。
 それは良心による裁く倫理的な形式にそれを求めるよりほかはないであろう。それは良心による裁き、いわゆる良心の呵責をまつ事である。道徳的評価は本来他者に向かって行われるものではなく、自己に向けられるものであると言われるのは、この理由からである。
 最もわたし自身に呼ばれるにふさわしい、内奥にある道徳感情である。これが動かされるのは、悪自身ではなく、「それは悪である。」という意識によってである。だから、それは多様な悪事自体の中から道徳的に「それは悪である。」いう特殊な意識と同行していると考えられる。
 この意識は、悪を恥辱または罪過として知覚する道徳感情である。恥等の意識は主に、人間本性に根ざし、それが原因で人間は過ちを犯す欠陥性または不完全性から、罪の意識は主に、人間本性の一般的傾向であり、それが原因で思い上がった気後れしたりする逸脱性から、それぞれ恥等と罪と呼ばれるものを選り分け、それらを道徳的悪とする。良心はこの同行する悪の意識に対して拒否権をもつだけである。
                                                                                                     人間と悪

河野 真 編