2016/07/12

死は好奇心の事柄ではない

 死の問題は単なる好奇心の事柄ではない。自己の存在そのものの不安に動かされることなき好奇心は人間の主なる病気のひとつに過ぎない。「この無益なる好奇心にあるよりは、誤謬のうちにあることがむしろ彼には無害である」いかにも好奇心は我々においてひとつの不安を喚び起こすものであるが、この不安は好奇心が我々をあたかも自己の生の地盤から奪い去って終わることなき放浪に追遣るところに生まれる。あるいは生の根本的規定そのものでさえある不安とは明確に区別さるべきである。好奇心はひとつの虚栄に外ならぬ。ひとは最もしばしばただ何事かについて他に語らんがためにのみその事をちろうと欲する。
 しかし。死は人間の根本的規定によって必然的にされた問題である。それはパスカルが伝統的な神学から単に承けて来たものではなかった。なぜなら彼は彼の議論をすべて「彼すべてからの心臓において吟味する」ことをしたからである。それは彼に退却と譲歩の余裕もなく襲い来る問題であった。
 死について問うことは論理的には何らの必然性をもたぬであろう。私は死の必然性を演繹し得る如何なる論理も知らない。むしろ死はその前にはあらゆる論理的演繹も歩みを止めねばならなぬ単純なる事実、それに面してはあらゆる論理的明証も揺り動かされる残酷な現実である。論理の美しき水晶宮に安らう者にとっては、死を尋ねることは狂気でなく気紛れに過ぎないであろう。ひたすらに斉合的なる体型を欲する人々にとっては、死を論ずることはたかだか「均斉のために盲窓を作る」こと以外の意味をもたないであろう。
 しかしながら人間の存在が最も問わるべき存在であるのを知る者には死は退引ならぬ問題である。哲学が生の覚醒と振盪であることを理解する人々には死は最も考慮されるべき事件である。我々の存在に関するすべての問と反省はあたかも自然の重力に引きずられておのずからこの一点に集まって来る。この必然性を解釈するためには、何よりも人間的存在の基本的規定を考察せねばならない。そしてこのように死の問題が重要な位置を占めるところに存在論がいわゆる心理学から区別されるひとつの特質は見出されるであろう。

三木 清 「パスカルにおける人間の研究」

2016/07/11

思想が生涯の眼目

  早くも私はいかなる了見にも一面の真理があって、それがますます人を迷わせて了見を発作的に固執されるのだと悟った。この洞察は私の生涯が進んで行くに従ってますます著しくなって来た。その後は2人の人が私の目の前で真理について争う場合には、私はその真理を正に双方から知った。だから、私は決して好んで一方に味方するようなことはしなかった。しかも、それが私にとって幸福だった。
 私の内的生命の形成に同様な決定的影響を及ぼした一つの苦い経験があった。キリスト教を身に付け、キリストを生活に実現し、イエスに私没することが既成の協会宗教によってますます繰り返し要求された。これらの要求は、父の教育上の熱心さや生活上の熱心さのために幾度となく示された。
 その要求が児童の心情にしっくりする場合には、児童は全く制止することも知らずに要求を全体として受け入れた。認識もすればまた完全にそれを果たそうとする。この要求が度々繰り返されたので、私はこれをとても大切なことと思った。
 しかし、それを果たすことは大きな困難であり、実に全く不可能であると思われた。私はこのように信じた矛盾ははなはだしく、私を圧迫した。そこにやっと喜ばしい考えが浮かんだ。人間の本性そのものは本来人間をしてイエスの生活を再び純粋に生活しかつ実現することを不可能にするものではない。かえって人間はもしそれへの正しい道を歩むなら、純粋なイエスの生活を獲得できると考えた。
 これを思うたびに私の少年時代の境遇と事情とは帰属するような気がする。この思想はほぼこの時代の終わり頃のものだったろう。従ってこの時代の内的発展の叙述の終結としてもいい。この思想が後に私の生涯の眼目になったのである。

フリードリヒ・フレーベル「フレーベル自伝」


2016/07/10

精神の完全に無力化

  人間自身と同じように、社会生活もそれの世界なしにはすまされない。それの世界の上を汝の現存がおおうている。利潤への意志、権力への意志は、人間自身への意志と結びつき、これに支えられているかぎり、自然で正しい結果を生む。人間の衝動は、汝から分離しない限り、悪い衝動ではない。汝と結び、汝によって決定される衝動は、社会生活の原形質である。
 これに対して、汝からの分離は社会生活の解体となる。利潤への意志の領域たる経済、および権力への意志の領域たる国家とは、精神に参与する限り、生命に参与する。しかるに、もし経済や国家が、精神を放棄するならば、彼らの生命も終わりとなるであろう。その生命がつきてしまうまでには、むろん相当の時間がかかる。そのしばらくの時間を思い誤って、なお幻影を追い求めようともがくが、すでにその作用は渦を巻いている。
 事実、ここに至っては少しぐらいの直接的な力を導入しても無益である。経済機構や国家組織の膨大な力を多少ゆるめてみたところで、汝と呼びかける至上の精神が失われている事実を埋め合わせるわけにはゆかない。どのような改革を試みても、一時的な周辺的な逃れでは、生きた中心との関係を回復させることはできない。
 人間の社会生活は、その機構のすみずみに至るまでゆたかな汝との関係の力が浸透することによって、生命をもち、精神の中にこの関係の力を集中結合することによって、社会の具体的な形体を生み出すのである。この精神に忠実に従う政治家や経済人は、自己と関わり合う民衆を無造作に汝の担い手として取り扱うならば、彼らの事業を無駄にしてしまうことをよく知っている。
 しかし、それにもかかわらず、むろん無造作に行うのではなく、精神が彼らにぎりぎりの限界においてではあるにせよ、かかわり合う民衆を、汝の担い手として取り扱うのである。かくして汝から分離した社会機構を破壊するかもしれない狂気を、汝の現存の支配のもとにおさめることに成功する。こういった政治家や経済人は熱狂家ではない。
 国家が経済を支配しようと、あるいは、経済が国家に権威を与えようと、両者とりたたて変化がないならば、それは重大な事柄ではない。しかし国家の制度が以前よりさらに自由になり、経済が一掃公正となるならば、重大な問題であろう。社会生活の解体とともに、社会生活から無関係な一領域となれば、むろん精神が社会生活に生きることはあり得なくなるだろう。これは、その世界に転落してしまった諸領域が、まったく暴政にまかされてしまい、しかも精神が完全に無力化されてしまうことを意味する。

マルティン・ブーバー 「我と汝・対話」

2016/07/09

憲兵隊に惨殺された征服の事実

   各種族は共通起源も失って、各々違った言語や風習や宗教を持つようになり、全く異なった種族を形づくってしまった。互いに接触するごとに、衝突となり戦争となって、残酷な敵同士となった。攻撃と防御の発明の有力な刺激となった。戦争の勝敗は今も昔も、個人の勇敢という事よりも、むしろ武器の器械的優劣によるものである。野心深い首長らは、互いに攻略を競い始めた。
 種族闘争は、他の種族の征服からである。勝利を占めて征服者となり、他の種族は被征服者に陥る。密接な接触をするが、到底同化する事ができず、両極に分かれる。征服者は常に被征服者を蔑視し、あらゆる方法で奴隷化する。被征服者は、仕方なしに服従しながらも、暴力以外の一切を認めない。互いに敵視し反感する社会の両極を形作る。
 不平等は、地位の不平等以上に、全く異なる種族は異なる言語や神を崇拝している。異なる風俗と習慣と制度を持っている。被征服種族は、それらを失うよりは、むしろ退治し尽くされる事を望んでいる。征服種族は、絶対的軽蔑をほしいままにしている。征服者が本当に被征服者を征服するための社会の諸制度が生まれた。
 征服者は、絶えず兵力を用いる困難と費用および部分的失敗が一大負担となった。一時は勝利の誇りに駆られて、権威に対する反逆者を、見つかり次第に厳罰に処した。犯される行為を圧伏するための一般的規則を設けた。甚だ経済的なので、広い範囲の行為にも、一般的規則を設けた。この法律に服する事が被征服者の義務であり、違反にならない行為が権利とした。
 同時に、征服者による教育が行われた。地位の不平等を維持するため、被征服者は劣等種族である観念を心中に増え付けねばならない。疑惑を挟めば、社会の安寧と秩序に大きな混乱を生じる。国民教育の起源にして基礎たる組織的に詐欺手段が行われた。種族の譲歩をさせ、空虚な誇りと諦めに陥り、両種族の間に皮相的詐欺を進めていく。
 この征服の事実は、過去と現在から未来の人類社会の根本的事実である。この征服の事が明瞭に意識されない間は、社会の出来事も正当に理解できない。征服とそれに対する反抗を触れないで、日常生活まで圧迫してくる事実を忘却させ諦めさす組織的詐欺の有力なる手段である。

大杉 栄 「大杉栄評論集」


2016/07/08

滅亡前に戦争をやめる

   サイパン陥落により、東条英機はその責任者として辞職に追い込まれた。天皇の意見も考慮せよとの事であった。東条の政策を批判した逓信院工務局長の松前重義は、熊本6師団から2等兵の招集令状が出て、最も危険な前線に送られる。憎まれる原因は「戦時日本製産計画」により米国に比較して生産力が劣っていると報告したからだ。一徹の頑固者は、熊本(肥後もっこす)、薩摩(けすいぼ)、土佐(いごっそ)、伊予(ほっこまい)と呼ぶ。
 松前が44歳の時、徴兵年齢が満45才に引き上げられる。東条は自分に反対する者を軍の権力を持って召集し、死地に追いやる。通信関係の技術者は重要人物として召集免除になっていたが、松前は2等兵になり、竹塚軍曹に上靴で頬を殴られる。松前は、古い電話器で雑音が多いのを、分解しすみやかに直す。古参兵の態度はかなり変わってくる。2年9か月政権を担当した東条政府は、独裁態勢によって崩壊した。
 1944(昭和19)年8月5日夜陰に出発する。松前薬局の前で小休息する。通知があったとみえて茶菓の接待を受け、兄が薬の入った袋をくれる。兄顕義は後に日本有数の柔道家になる。重義は、熊本の学習院の優等生になり「長大」と仇名が付いた。中学卒業の時、柔道は3段の実力がある。東北帝国大学の電気工学科を受験し、280人中で合格者の2人に入る。卒業して逓信省に入る。妻の信子は、鹿児島市の医師森三木の次女である。博多に着いて、停車7分あると電話しているうちに列車は発車している。山口課長に門司まで、木炭車で送ってもらい、危うく重営倉を免れる。工兵隊に入営する時に、勲三等旭日章を首に下げてゆくと、下士官が驚く。勲三等を吊れるのは連隊長、旅団長クラスしかいない。
 若松より淡路島の輸送船で南方に赴く。「積荷は全て爆薬です。東支那海でお陀仏」と言われる。松前の田中隊のみ乗船を命じられる。東条一派の松前を海の底に葬ろうと仕組まれた死刑である。他の吉田丸と福嶺丸が沈没した。看護婦や兵士が一瞬にして消えた。高雄に入港し、浦戸丸に乗り換える。淡路丸は大爆発する。電気の修理により、松前先生となる。そばにいると彼らは気強いのであろう。マニラに上陸し、寺前南方総軍司令官に「総司令部付、ただし平服着用を許可する」という辞令を作ってもらえる。サイゴンに移動後に「陸軍兵器学校に転属を命ず。直ちに空路東京に期間すべし」飛行機の車輪の事故の故障で遅れ一命を助かる。運の強い男である。東条一派の分子も鳴りをひそめる。
 近衛は女性的で優柔不断で「近衛文子嬢」である。広田は決断力がないので「雌」である。平沼棋一郎は「朝鮮のミイラ」である。東条は裏切り和平論者を一掃すれば戦力も増強できると考える。土壇場になった憲兵出身者はこれが思考方法であった。中野正剛の国政変乱罪には逮捕の物証がない。立法権の弾圧になる相手は、国会議員である。中野は憲兵隊で造言蜚語の件を自白したと言い、家に帰り「自らを笑う」と遺書を残し、何も言わず死んだ。松前の次男紀男が疫痢になり危篤、電話連絡し鈴木医師にみてもらうと、急性肺炎で助かる。無装荷ケーブル通信の成功のおかげである。
 1933(昭和8)年、松前は逓信省からドイツ留学、ヨーロッパ視察の命令を受けた。松前と筑原は、無装荷方式で新京ー京城ー東京をケーブルで結ぶ。満州に行くと匪賊の目標となる。完成し、明瞭な通話ができる。東北帝国大学は工学博士の学位を贈ってくる。浅野賞1000円で、キリスト教のため300坪の望星学塾を作る。無装荷ケーブルの発明で。毎日新聞から「大毎通信賞」を受賞する。
 敗戦後に逓信院総裁に就任する。松前は、東海大学を設立後に、公職追放解除となり、5年後に晴れて学長・理事長になる。東京野球場を造る。1952(昭和27)年より、6回代議士に当選する。FM東海放送の電波利用の通信教育を完成される。附属高校も北海道から九州まで各地にできる。柔道の山下泰裕選手を日本選手権保持者に育て上げる。兄も脳腫瘍で76才で逝去し、講道館は得に重義に9段を贈った。東条内閣の発表する軍需製産計画は、現実から遊離した空念仏にすぎない。滅亡する前に戦争をやめるべきであった。

  豊田 穰「二等兵は死なず」

2016/07/07

ニーチェの戦争実施4要項

   戦いとなると、本性上は戦闘的である。攻撃することは私の本能の一つである。敵となりうること、敵であること、強い天性を前提とする。すべての強い天性の所有者に起こることである。天性は抵抗するものを必要とする、抵抗するものを求める。攻撃的な感情が強さに必然的に伴うものであることは、復讐や遺恨の感情が弱さに伴うのと同様である。復讐心が強いのは弱さに由来して、他人の苦しみに感じやすいのが弱さに基いている。
 攻撃する者の力の強さを測定するには、どのような敵を必要としているかが一種の尺度となる。ひとの成長度を知るには、どれほど強力な敵対者を、どれほどの手ごわい問題を、求めているかを見ればよい。戦闘的な者は、問題に対しても決闘を挑むのである。めざすことは、抵抗するものに勝ちさえすればいいのでなく、自らの力と敏活さと武技の全量あげて戦わなければならない相手すなわち自分と対等の相手に打ち勝つことである。
 敵と対等であることは誠実な決闘の第一前提である。相手を軽視している場合、戦いということはありえない。相手に命令をくだし、いくぶんでも見下している場合には、戦うに及ばない。
 私においては戦争を実施する要項は、4箇条に要約できる。
第一に、勝ち誇こっている事柄だけを攻撃するあるいは勝ち誇るようになるまで待つ。
第二に、同盟者がみつからない事柄、孤立し、危険にさらされる事柄だけを攻撃する。
第三に、決して個人を攻撃しない、強力な拡大鏡のように害悪を利用するだけである。
第四に、個人的不和の影は帯びず、いやな背後の因縁が全くない対象だけを攻撃する。
 攻撃することは、私においては好意の表示であり、あるいは感謝の表示と思い込む。私においては、名のある事柄や人物の名に関わらせることによって、それらに敬意を表し、顕彰すると思い込む。私においては、それらに味方してか、それらに敵対してか、どちらも同じことだ。私においては、キリスト教に戦いを挑むが、その資格を許すのは、キリスト教の側から何の危害も障害も受けていないからである。最もまじめなキリスト教徒は、私にいつも好意をよせていた。私自身においても、キリスト教の苛烈な敵であるが、何千年来の宿命であるものを、個人に対して根にもつなどということは、思いにもよらぬことである。

 フリードリヒ・ニーチェ「このひとを見よ

2016/07/06

宇宙は無限で火刑

令名いと高き騎士殿。もしも私めが、小作を生業として羊を飼い菜園を耕し衣服の繕いに精出す身でありましたならば、私に目もとめるなど誰一人ございますまい。まず咎めだてされることもなく、すべの方々のお気に召すこともたやすくできるでしょう。
 しかるに私は自然の野の設計者として、魂の飼育をこととし、能才の栽培を目指し、知性の衣を織る熟練工なのです。それ故に、人々は威嚇の眼差しを私に送り、ある者は凝視して飛びかかろうとし、あるものは来り捕らえて咬みつきくらい殺そうとするのです。それは一人、いや少人数の者にかぎらず、大勢の、むしろほとんどすべての人々がそうだと言ってもよろしい。
 それは何故かと申しますと、私が世間を忌み俗流を嫌って、大衆に満足しえずに、ただ一者のみを愛するがためです。それによって私は、隷属の身ながらも自由でうあり、苦しみのうちに悦びを見出し、貧しながら富み、死にながら生きてあることができるのです。それ故にまた私は、自由でありながら奴隷となり、快楽のうちに苦しみを抱き、富ながら貧しく、生きながら死してある者たちになんの羨望をも感じないのです。
 彼らは肉体のうちにこれを囚縛する鎖を、精神のうちにこれを沈倫させる地獄を、魂のうちにこれをむしばむ病を、心のうちにこれを死に至らしめる昏睡を、秘めている。しかも、鎖を解き放つ勇気も、浮き上がるだけの忍耐力も、照射一層する光輝も、蘇生すべき知識も持ちあわせていないのです。
 だからこそ私は、困憊して、険しい歩みから踵を返すようなこともせず、怠け者のように、目の前の仕事も放棄するようなこともせず、絶望のあまり、立ち向かう敵に背を向けたり、眩惑して、神々しい目標から目をそむけたりしないのです。こういう自分がソフィストだと噂を立てられることは、私も感づいております。
 誠実であるよりも鋭さをひけらす学者だとか、古い真理を確認するよりも新しい誤謬の闇をまきちらして名声の光を追いまわす鳥追い人だとか、正しい訓練所を打ち壊していかさま装置を作り出す変質者だとか。
 私の努力がこの世に役立つ立派な実を結んで、光を仰ぎ見ることのできなかった人々の精神を揺り起こし、感情の花咲かせますように。自分のために勝利を手に入れたいためではありません。真実の知恵への愛、真の瞑想への憧れのためであり、そのために私はかくも心を砕き傷め苦悶しているのです。
 生き生きとした理性にもとづき、統制ある感覚から生じるもので、真の死者として自然の主体存在から離脱してやってくる偽りならぬ形象によって通告するものであります。これを求め注視するものに現われ開示され、これを理解するものに解明されるものんのです。ここに無限、宇宙および無数の諸世界に関する私の瞑想を捧げるゆえんです。

ジョルダーノ・ブルーノ「無限、宇宙および諸世界について」

2016/07/05

汚名「九大生体解剖事件」の真相

   1940(昭和20)年5月17日、熊本県小國村の上空でB29編隊の後尾を日本の戦闘機が攻撃し、パラシュートで米兵が脱走した。1人は自殺し、1人は松の木にかかり死亡した。そのうちの1人は大群衆の中にさらされた。アメリカ留学した坂本獣医は捕虜をかばう。暴行を加える団長の猟犬が先導して射撃する。生存者5名の捕虜が西部軍司令部へ護送された。捕虜は裏の拘禁所に留置される。ワトキンズ機長だけ東京へ贈り、残りの4名は合法的処置が必要と思われた。上海では東京無差別爆撃を行った者は、戦時特別重罪人として、3名が死刑、無期懲役が5名となった。3月27日、福岡太刀飛行場がB29に襲われ、小学生32名が死亡する。
 2人の高級将校には、実験のため片肺摘出手術をすると話し合う。ポキポキと肋骨が5・6本切り取られるた。片方の肺臓が摘出された。「人間は片肺でも生きられる」と説明している。手術台の上に2人目の捕虜にエーテルの全身麻酔を充分にかけている。紫紅色の薄汚れた海綿体のような肺が取り出される。透明な輸血が血液の代用剤として実験敵に使用されて、軍医による抜血で生命を奪われた屍体が乗っている。血液が取られ、南京虫に殺虫剤と血液を一緒にして食べさせた。3人目の捕虜には、エーテル麻酔がかけられる。ウィリアム・アール・フレドリック少尉は、胃の手術のために胸骨の先端からヘソまで一直線に開腹され、ボギボギと音をさせて肋骨の何本かが切除される。心臓を停止して5分間心臓マッサージをし、蘇生できるか実験する。4人目の捕虜は肝臓の手術をする。腹膜が開かれ、胆のうが開かれ、胆のうのそばの大きいのが肝臓で、血の塊であり、メスを入れるが縫合はできない。その一分を切除しようとしていたが、血圧が下がる。その日も血液を撮り瓶に入れる。棺桶に入れられて2、3日間実習室に放置されていた。
 海軍大将の肩書を持つ百武源吾が九大総長に就任して以来、軍の配下に置かれる。5月25日、1人の捕虜が連行され実習台の上にのぼる。頭部の3分2が剃毛されて、頭蓋骨が糸鋸で口字型に開かれて、顔面神経痛の手術が行われた。切開の箇所が違って、出血多量で致命傷となって息を引き取る。6月2日、股に切開の傷、他2人は胸と下腹部にも傷があった。戦争の飛散と愚劣により8名の捕虜が死んだ。大森軍医は30代半ばの豪放崩落な人物であった。外科医の手術は等しく認める。なぜ吸血鬼に化したか謎である。6月19日、大森軍医は西部司令部の門前で右大腿部に焼夷弾が命中する。一夜にして福岡市の7割が焼けた朝、九大に運ばれ、右足切断となった。7月9日、20日間余り苦痛にさいなまれて、桃太郎さんを口ずさみ息絶えた。6月20日、B29搭乗員8人が処刑される。8月15日、油山で17人処刑される。
 1945(昭和20)年8月15日、日本は無条件降伏し、戦死者204万人、民間人110万人、空襲による死亡20万人、被災都市96、消失家屋143万戸であった。ワトキンズ機長は8月17日に釈放されていることが大本営より判明した。敗戦と同時に隠ぺい工作の指揮の乗り出した。関係書類は一括消去する。民間人の骨をもらい、福岡空襲で爆死と16名を市内の陸軍墓地に埋葬する。8名が広島の原爆で死亡、31名が飛行機墜落、全員が死亡と工作する。1946(昭和21)年7月12日連合軍から九大教授8名に逮捕命令が出る。石村教授はベルトで首を吊って死んだ。鬼才と呼ばる存在であった。
 54歳の小間使いの証言では、2つの遺体の首が切断され、腹は六寸決断されていた。肝臓の人食の探索がされる。「九大生体解剖事件」をいやがうえにも猟奇的な残虐行為として、人々を驚かせた事件であった。肝臓を食べた点を大見出しにあつかう。西部軍の偕行社病院の宴会で肝臓料理が出た事実がある。醤油で煮てあった豚の肝臓の方が人間よりも薄い色をしていたらしく、味では区別つかなかった。1948(昭和23)年8月27日判決された。絞首刑は西部軍の元司令官 横山勇、参謀大佐 加藤直吉、九大関係では高須太郎、広岡健三、森岡良雄が終身刑、森田健治、千田加孝、平光教授が重労働25年の刑を受ける。平光教授が巣鴨の拘置所を出たのは1955年11月27日でも約9年6か月の獄中生活であった。B29搭乗員を生体実験で殺害したのは中央からの指示で「適宜の処置」を部下が誤解したことから生じた。

東野 利夫


2016/07/04

西田哲学-権力的倫理の悪

   純粋な他律的倫理、すなわち権力的倫理について述べる。我々が道徳的善は、一面において自己の快楽あるいは満足というごとき人生の要求と趣とは異なり、厳粛な命令の意味をする。道徳は吾に対して絶大なる威厳あるいは勢力を有する者の命令より起こる。我々が道徳の法則に従うのは、自己の権害や得失のためではなく、単に此の絶大なる権力者の命令に従うのである。
     善と悪とはこの如き権力者の命令によって定まる。すべて我々の道徳的判断の基は、教師の教訓、法律、習慣等によって養成される。かかる倫理が起こるのも無理はない。良心の命令に代えて外界の権威による。
  外界の権力者と考えられる者は、もちろん我々に対して、絶大の威厳と勢力をもたなければならない。権力的倫理が歴史上に現れたのは、君主を基にとした君権的権力の倫理と、神を基にした神権的権力の倫理がある。神権的倫理は、キリスト教あるいはイスラム教が無上の勢力をもっていた中世時代に行われた。神は我々に対して無限の勢力を有するので、神意はまったく自由である。神が善または理なるがゆえに命ずるのではなく、神が命ずるものが善なるのである。極端に至ると、もし神が我々に殺害を命じたなら、殺害をも善と至る。
 君主的倫理を主張したのは近代に出たホッブスである。人性は全く悪であって弱肉強食が自然の状態である。これによる人生の不幸を脱するのには、各々がすべての権力を一人の君主に託して絶対にその命令に服従する。なんでも君主の命令に従うのが善であり、背くのが悪である。その他中国では荀子がすべて先王の道に従うのが善であるのも、一種の権力的倫理である。
 権力的倫理はなぜ我々は善をなすべきか説明ができず、本来は説明できないのが権力的倫理である。唯一に権威であるからこれに従うのである。人は恐怖が権威に従うための最適な動機である。我々は、何でも絶大なる勢力を有する者に接する時は、その絶大なる勢力に驚嘆する。これは恐怖や苦痛でもなく、外界の雄大なる事物にかもにされて、平服し没入する。その絶大なる勢力者が意志を持つと、その命令に尊敬の念を持って服従するようになる。尊敬の念が、権威に従う動機に至る。
 我々が尊敬するのは、全く理由もない尊敬ではなく、不可能な理想を実現する可能性のために尊敬する。厳密なる権力的倫理は道徳は盲目的な服従となる。無意義の恐怖が権力的倫理が最も適当な道徳的動機と考えてとまう。人間が進歩発展するには、一日も早くその道徳の束縛を脱せなければならない。

西田 幾太郎 「善の研究」

2016/07/03

闘争の概念

   行為が、単数あるいは複数の相手の抵抗を排して自分の意志を貫徹しようという意図へ向けられているような社会的関係は、「闘争」と呼ばれる。現実の物理的暴力行為を内容とせぬ闘争手段は「平和的」闘争手段と呼ばれる。平和的闘争が、他の人々も同様に得ようとする利益に対して自己の支配権を確立しようとする平和的形式の努力であれば。これは「競争」と呼ばれる。競争の目的および手段が或る秩序に従っている場合は、「ルールのある競争」と呼ばれる。諸個人や類型の間で生存或いは残存のチャンスをめぐって行われる、闘争的意図という意味を欠いた潜在的な生存競争は「淘汰」と呼ばれる。個人の一生におけるチャンスが問題であれば、「社会的淘汰」と呼ばれ、遺伝的素質の残存のチャンスが問題であれば「生物的淘汰」と呼ばれる。
 相手の生命を狙って、何一つ闘争のルールを守らぬ残虐な闘争があるかと思えば、騎士たちの闘争、交換における利益をめぐって市場の秩序に競争的闘争がある。それらの間には無数の段階がある。暴力的闘争の特有の手段の性質を考え、その使用から生ずる社会学的結果の特殊性から考えれば、暴力的闘争を概念的に区別することは当然のことである。
 すべて類型的かつ大量的に行われている闘争や競争では、いろいろの決定的な偶然とか運命があるにしろ、結局、平均的に見て、闘争の勝利に不可欠な個人的性質を多くもつ人間が選び出される結果に落ち着くものである。その性質は、闘争や競争の条件によって決定される決定される。社会的淘汰は、経験的な意味で闘争の排除排除を阻止し、生物学的淘汰は、原理的な意味で闘争の排除を阻止する。
 社会的淘汰は、諸関係の間の淘汰や闘争というのは、時間の経過に伴って、ある行為が他の行為によって駆逐される。戦争や革命によって国家を、残酷な弾圧によって反乱を、警察によって蓄妾を、法的保護の停止や処罰によって暴力的取引を妨害する。社会的行為の過程と各種条件とから、意外な副次的結果が生まれ、存続や成立のチャンスが減ることもある。これらの原因は多様なので、一つの言葉で表現すると、どうしても、経験的研究の中へ勝手な評価を持ち込む危険が生まれる。理論的に弁明するという危険が生まれる。

マックス・ウェーバー 「社会学の概念」

2016/07/02

リヴァイアサン (Leviathan)

 全人類の一般的性向として、つぎからつぎへ力をもとめ、死によってのみ消滅する。永久不断の意欲をあげる。これらの原因は、かならずしもつねに、人がすでにえたよりも強度の歓喜をのぞむということではなく、またかれが適当な力に満足できないということでもなくて、かれが現在もっているところの、よく生きるための力と手段を、確保しうるには、それをさらにそれ以上獲得しなければならないからである。そしてここから、つぎのことが生ずる。すなわち、最大の力の所有者たる王は、国内では法により、国外では戦争によって、それを確保すべく努力し、それがなしとげられると、あたらしい意欲がそれにつづくのである。ある王は、あたらしい征服による名誉を、他の王は、安楽と肉感的なたのしみを、また他の王は、ある芸術やその他の精神の能力がすぐれているとしょうさんされへつらわれることを、欲するのである。
 平和の原因にたいする無知よって、人々は、すべての事件を、直接にして手段的な原因に帰せしめようとする。かかるものが、かれらがかんがえる原因のすべてを、直接にして手段的な原因に帰せしめようとする。かかるものが、かれらがかんがえる原因のすべてであるからである。そして、ここからつぎのことが生じる。すなわち、あらゆるところで、公共体への支払いをなげく人々は、かれらの怒を、収税者、すなわち微税請負人や徴収に人、およびその他の公収入役人にたいして注ぎ、そして、公共体統治の欠点をさがすような人々につきしたがう。さらに、こうして、正当とされる可能性のないことをしたばあいには、罰せられることのおそれや、寛恕をうけることのはずかしさのたるに、至上権威をも攻撃するのである。
 社会状態のそとには、つねに各人対各人にの戦争が存在する。人々が威圧しておく共通の力なしに、生活していねーる時代には、かれらは戦争と呼ばれる状態にあるのであり、かかる戦争は、戦闘や闘争行為のみに存するのではなく、戦闘によってあらわそうとする意志が十分にしられている期間に、存する。そして、したがって、時間の概念は、戦争の本質に関しては、不良な天候の本質は、ひと降りふた降りの雨にあるのではなくて、おおくの日をいっしょにした、それへの傾向にあるのであるが、それとおなじく戦争の本質は、実際の闘争に存するのではなくて、おおくの日をいっしょにした、それへの傾向にあるのであるが、それとおなじく、戦争の本質は、実際の闘争に存するのではなくて、その反対にむかうなんの保証もないときの全期間における、それへのあきらかな志向に存するのである。その他のすべての期間は、平和である。
 人々を平和にむかわせる諸情念は、死の恐怖であり、快適な生活に必要なものごとへの意欲であり、かれらの勤労によってそれらを獲得する希望である。そして、理性は、平和にかんする、つごうのよい諸条件を示唆し、人々はそれについて協定するようにみちびかれる。これらの諸条件は自然の諸法とよばれるものである。
 正義および不正という名辞が、その地位をもちうるためには、そのまえにそこになんらかの強制力があって、人々が新約破棄から期待する利益よりも大きな罰により、かれらに平等にに信約履行を強制しなければならず、かつまた、人々が相互の契約によって、かれらが放棄する普遍的権利のかわりに獲得する、所有権を、維持しなければならない。そのようなような力は共和政体(Common Wealth)の樹立以前には存在しないのである。そして、このことは正義についてのスコラ学派の通常定義からも推察されうる。かれらのいうところでは、正義は各人に各自のものをあたえようとする不断の意志である。したがって、各自のものがないばあい、すなわち所有権がない場合には、不正義は存在しない。また強制力が樹立されていないところでは、すなわち共和政体がないところでは、所有権は存在しない。すべての人々は、すべての物にたいして権利を有するのだからである。そこで、共和政体がないところでは、なにごとも不正ではない。このようにして、正義の本質は、有効な信約をまもるところに存するが、信約の有効性は、人々をしてそれをまもらせるのに十分な、社会的権力の設立によってはじまり、それと同時にに所有権もまた、はじまるのである。
 わたしは、人間の性質を、かれらの統治者のおおきな力といっしょに、のべてきた。神は、リヴァイアサン (Leviathan: ヨブ記第41章)の大きな力をのべて、かれを高慢の王とよんでいる。地上においてかれと比較されるべきものもない、かれはおそれをもたすようにつくられている。かれはすべてのたかいものをみくだし、あらゆる高慢の子たちの王である。

トマス・ホッブス

2016/07/01

敵になるという事

 敵になるといふは、我が身を敵になり替へて思ふべきという所也。世中をみるに、ぬすみなどして家の内へと取り籠るやうなるものをも。敵をつよく思いなすもの也。敵になりておもへば、世中の人を皆相手とし、にげこみて、せんかたなき心なり。取籠るものは雉子也、打果しに入る人は鷹也。能々工夫あるべし。大ききなる兵法にしても、敵をいへば、つよく思ひて、大事にかくもの也。よき人数を持ち、兵法の道理を能く知り、敵に勝つという所をよくうけては、気遣すべき道にあらず。一分の兵法も、敵になりておもうべし。兵法よく心得て、道理とよく、其道達者なるものにあいては、必ずまくると思う也。能々吟味すべし。
 崩れという事は、物毎ある物也。其家のくづる々、身のくづる々、敵のくづる々事も、時のあたりて、拍子ちがいになりてくづるる所也。大分の兵法にしても、敵のくづる々所也。大分の兵法にしても、敵のくづる々拍子を得て、其間をぬかさぬやうに追ひたつる事肝要也。くずる々所のいきをぬかしては、たてかへす所あるべし。又一分の兵法にも、戦ふ内に、敵の拍子ちがいてくづれめのつくもの也。其のほどを油断すれば、又たちかえり、新敷なりて、はかゆかざる所なり、其くづれめにつき、敵のかほたてなをさざるやうに、慥に追ひかかる所肝要也。追縣くるは直につよき敵也。滝たてかへさざるやうに打ちはなす也。打ちはなふ事、能々分別有るべし。はなれざればしだる心有り。工夫すべきもの也。
 打つという事、あたるといふ事、二つ也。打つという心は、いずれの打にても、思ひ受けて慥かに打つ也。あたるはゆきあたるほどの心にて、何と強くあたり、忽ち敵の死ぬるほどにしても、是はあたる也。打つといふは、心得て打つ所也。吟味すべし。敵の手にても足にても、あたるとうことは、先づあたる也。あたるはさわるほどの心、能くならひ得ては、格別の事也。工夫すべし。

宮本 武蔵 「五輪書」

2016/06/30

死の同心円

 長崎被爆医師の記録である。1945(昭和40)年8月9日、爆心地から1400mの病院にいた。南西の方向に暗黒色の煙と黄赤色の炎を見る。27年間間この地点に固着された化石のようになる。「広島市新型爆弾を投下被害甚大なり」と軍は発表する。8日に広島を見て帰った長崎医大の角尾学長が学生全員を集めて、異例の訓辞を行う。日本の知恵は貧弱であり「貧すれば鈍する」の諺通りで「知らせれば国民は一度に戦意を喪失する」ので、指導者はそれだれを恐れた。日本は盲目的に破局に突入しつつあった。
 真珠湾攻撃の1941(昭和16)年12月8日の朝、プルダン校長や外国人司祭は警官に拉致される。神学校を結核療養所に転換することを考えついた。お百度詣の根気に負けて県庁は認可する。私は「長崎の鐘」で有名な永井隆博士の直弟子になる。
 高原病院より裏紙病院に鳥が立つように行く。天の配剤である食事療法をする。盗汗が出て発熱する。早くも肋膜炎を食事療法で直してみせると決意する。招集令状が届くも即日帰郷となる。総動員法の成立によって日本人の所有権はすべて軍部の手に移ったのも同様である。ここを陸軍病院に使いたいと軍は言う。有無を言わせぬ語調だ。病院を丘の上に移すどころか、司令部の疎開さえ考えねばならない状況である。人工気胸をやるようになる。市街地は強制疎開が始まったおかげで、浦上病院に薬品がたくさん集まる。
 広島の次は小倉市であったが、雲が多くなる理由で急に長崎になった。1945(昭和20)年8月9日午前11時に病院が直撃弾にやられた。南西の方向に視線を移して愕然とする。地上が火を吐き、のたうち噴火している様に上がって来る。「熱い、熱い、水をくれ」と呻く。X線機械が燃える。引き出しの中の物が全部飛び散る。圧力が圧力を生んで部屋の中は何があるかさっぱり解らない。病院は燃えたが、70名の入院患者は全員助かった。浦上病院が1000俵余りの玄米、みそ、醤油の倉庫にあてられたのが役に立った。天主堂には2000表を保存していた。人間の内部細胞を破壊する恐るべき放射線には気が付かなかった。アメリカの科学人は「爆心地には75年間生物は生息しえない」と確信する。
 城山小学校の女教師が、背中に無数のガラスをハリネズミの様に受けた。深く筋肉に食い込んでいる異物の傷をこれまでに見たことがない。10個抜いて「もうやめてください」と、痛みと疲労であえぐように言う。警備隊が来て救護病院に来たと300人の負傷者をつれて来る。医者なら治療してくれと言われる。一包の薬品を持って来ただけで、一日分の薬品にもならぬ。多数の負傷者を置き去りにした。一昼夜すると60人の負傷者がいない。逃げて帰ったか。飯粒と見たのは蛆の大きなかたまりであった。吉岡女医の顔の傷を手術する。不思議な患者が日を追って増加する。紫黒色になって絶命する奇怪さであった。無条件降伏で、阿南陸軍大臣が割腹自殺する。病院の職員・患者全員がレントゲン・カーターに似た自覚症状を感じながら、食塩のおかげで克服する。酒が良いという話が広まる。アルコールが効くとは、人間の腸粘膜の細胞は不思議なものである。味噌汁と玄飯にできるだけ塩分を摂取させ、砂糖を禁じた。爆心地から500メーター以内の人々は、8月15日までにすべて死んだ。500から2000メーターの距離で被爆した人は40日間にほとんどが死んだ。「死の同心円、魔の同心円だ」。
 大雨が9月2日に降る。洗い流された気がする。アメリカ軍は8月26日に長崎に進駐すると同時に、医薬品をどんどん陸揚げし、救護所を開設した。アルカンタラ修道士、プルダン神父が反って来る。永井先生は大学病院で診察中に被爆し、側頭部の出血を包帯圧迫で止め。負傷者の救出に当たられた。占領軍のトラックが荷を降ろす。アメリカの薬があると聞き患者が多数来る。メチルアルコールで死者が6名も出て、失明して死ぬ。永井先生は、「神は、天主は浦上の人々を愛しているが故にここに原爆を投下させた。幾度も苦しまなければならない。」という。私は首肯する事が出来ず、慰霊文を書きたいと思わなかった。怒りの広島、祈りの長崎。神学校を病院にしたのは、戦争下の弾圧を切り抜けるための便法であった。教育し司祭として布教に当たらせるのは、フランシスコ会三十年の悲願であった。私は、世俗を離れて炭焼き小屋に行く。家を建て、村上看護婦を妻として迎える。私は7年ぶりに浦上病院に反って来る。大きく建て変わり、1949(昭和24)年天皇行幸、ペトロ男マリヤ女の死者達の霊が残る。

秋山 辰一郞

無意味な混沌が戦争

 無力な人間の意志が厳格に定められた宇宙の法則に対して絶望的に打ち勝っている陰鬱な光景を描いた。いっさいの人間の情熱の空しさ、合理的体系の馬鹿馬鹿しさについて語った。また人間が、行為と感情の非合理なバネを理解するのに全面的に失敗したといっている。すべて肉体を有するものは苦しみを免れない、したがって人間そのものを最高度の静寂主義の状態に抑え、もはや情熱を失ったので不満や屈辱や傷には不感症になることによって、人間の弱さを抑えるのが望ましいとも語った。この有名なショーペンハウアーの教義は、人間がおおいに苦しむのは、あまりにも多くを望み、愚かな野心を抱き、奇怪なまでに自分の能力を過大評価するからであるというレフ・トルストイの見解に反映されていた。
 自由意志の幻想と世界を支配する鉄の法則の現実との間の周知の対照関係、特にこの幻想を消滅させることができないために、それが不可避に引き起こさざるをえない不可避な苦しみを激しく強調した。人生の中心的な悲劇であり、人間の中のもっとも利口なもの、もっとも才能のあるものにとっても、みずから統制できることはいかに小さいことか。世界史の秩序ある運動を動かしている無数の要因について、いかにわずかしか知りえないでいることか。なににもまして、秩序が存在しているはずだということを絶望的に信じることが唯一つの便りに秩序を知覚したと称することは、すかに図々しいナンセンスであることか。人間はそれを知らないでいる。現実に人が知覚しているのは、無意味な混沌である。この混沌の高度の形態、人生の無秩序さを高度に反映している小宇宙、それが戦争であった。
 「世間では戦いがなんであるかを知りもしないで、さかんに戦いについて話している。広大な地域があらゆる火砲とその他の兵器の響き、指揮官の声、吠えるもの、倒れるものの声に眼を回して心もうつつ、まわりには死者と瀕死の人々、手足をもぎ取らた死体に囲まれ、不安と希望と怒りにかわるがわる取りつかれ、幾度もさまざまな陶酔に陥る。そうなったとき、人はどうなるであうか。彼はなにを見るであろうか。数時間後になにを知っているだろうか。本人と周りの人々にになにが起こるであろうか。その日戦った兵士の中で、どちらが勝ったかを知っているものが一人もいないことが多い(ジョセフ・メーストル)。」

アイザー・バーリン 「ハリネズミと狐ー戦争と平和の歴史哲学」

2016/06/28

征服者の無数の大罪

 朝鮮人の暴動(1919(大正8)年に非武装的独立運動が朝鮮全土に拡大した三一独立運動)は、一時形勢すこぶる重大に見えたが、今や幸いにしてほぼ鎮定に帰した。しかしながら問題は今後にある、今後の善後処分にある。
 他民族の統治には、根本においすでに越えれない大溝があるのに、その上に、ややもすれば征服者の罪悪が無数に行われる。言うなれば被征服民族に対する征服民族の略奪である。朝鮮の合併以来幾年にもならない今日、朝鮮の富はすでにほとんど邦人に壟断され、いわゆる有利な事業という事業は挙げて邦人の手中に帰せる有様らしい。
 しかしてもし朝鮮人の中に極めて少数の産を成せるものあるか、そのごく少数の朝鮮人はことごとく邦人と結託し、邦人の手先となって働けるものならぬはないということだ。いう所に誇張もあろう。しかし邦人にこの種の壟断の事実の少なからずあるはいうまでもない。また朝鮮にいる邦人は犬馬を駆使するが如き態度をもって朝鮮人を駆使するとは、よく聞く話である。
 吾輩は邦人は世界においてまれに見る温和の市民なりと思うている。朝鮮人の富の壟断においても、朝鮮人の駆使においても、おそらくさまで酷烈ではなかろうかと思う。しかしながら、征服民族と被征服民族との間には自然に不平等の成り立つは争われない事実である。ただ長いものには巻かれろで、朝鮮人はやむなく屈従を装うも、心の中では、「今にも見よ」と叫びつつ隠忍しつつあるの状、想像して得て余りある。
 これを要するに、朝鮮人の暴動の根底は極めて深固であり、その意義はきわめて重大である。朝鮮人は自治を得るまでは、今回を手始めに機会あるごとに、暴動その他あらゆる方法において、絶えず反抗運動を起こすものと覚悟せねばならぬ。その結果時にあるいは、いかに悲惨なる大犠牲を払うことの起こらぬとも限らない。もし朝鮮人のこの反抗を緩和し、無用の犠牲を回避する道あるとすれば、つまりは朝鮮人を自治の民族たらしむほかにない。
 しかるに朝鮮人の暴動を見て、朝鮮人元気なし、腰抜けなり、いうて、朝鮮人の暴動を軽侮、はた朝鮮人の日本婦人凌辱を、朝鮮人の復讐と解せずして、単なる悪習と見去る如きは、何という無反省のことだろうか。はたまた、朝鮮人の生活(生活の根本義は自治)を奪いいることに気がつかぬか。かくの如き理解の下には、断じてなんら善後策もあり得る訳がない。

石橋 湛山1919(大正)8年5月15日号(東洋経済新報 社説)                     「石橋 湛山評論集」 

2016/06/27

他人に使われる手下

     辛亥革命(1911年)の後は、意気込みさらにものすごく、天下に難事なし、最善最美の世界も誰もが提唱し出しさえすれば立ちどころに実現できるものと私は考えた。種族の革命など、何でもないことである。もし無政府・無家庭・無財産の世界に到達できれば、その時こそ我々の革命の任務は終わるのだ。私はこういう最高の理想に酔うていたので、そのころ社会党をおこす人があるとすぐに参加した。そのから一年半の間、私はもっとも熱心な党員であった。しばしば党務を処理するために、夜遅くまで寝ずにいたこともあった。
   多くの親戚や先輩が、「これらの人たちはごろつきである。お前はどうしてわざわざ彼らのの仲間になるのだ。お前のなすべきことではないのに。」と忠告してくれた。このような功利的な見解は、ずっと前から私の承服できないものであった。ごろつきと紳士とは悪制度が区別した二つの階級にほかならないと思い込み、紳士たちがいろいろと革新運動のじゃまをするのが実にいとわしく、この階級を根こそぎするのではなければ気持ちがすっきりしないと思っていた。
  しかし入党して相当の時間がたつと、それらの党の同志たちが、次第にぶざなものに見えてきた。彼らには主義がない。会を開いて演説をやる時にはもちろん悲壮を極める。しかし会が終わるとその情熱はうやむやの世界へ消えてしまう。彼らの言う話は、いつもでたっても二、三のおきまりの文句で、口で言う主義を実際に研究しようとは誰も考えない。ひまな時は、永いテーブルを囲んで世間話や冗談を言っているばかりで、女遊びをする。私は極めて情熱敵な人間であり、同時に世間馴れない物であったから、彼らに向かってしばしば説教もし、注文もした。しかし一向に誰も聞き入れてくれない。私はこの仕事に関して極めて徹底した目標を持っていたけれども、私の学識が非常に浅薄で、主義を発揚することなどは全く思いもよらないことを、自分でよく知っていた。しかるに党の内部では、私の博学な文豪扱いにしてしまって、発表する文章がある時にはいつも私を引張出して筆をとらせるのである。
 このすべてが思いのままにならない境遇にいるうちに、一つのことが私にははっきりとわかった。この人たちは他人に使われて手下になることがやっとのことで、主義を抱いてそれをおのれの生命の如くにみなし、事業の順序を計画して進行させたりすることはできないのである。前にはまったく彼らを買いかぶりすぎた。私は、自分が他人の手下になることを欲しないからには、他人を自分の手下にすることもあり得ないことをよく知っていた。それならば、いつでも党にいてごだごたと日を過ごしてみても何の益もない。私は脱党した。
 しかしこの一年半の時間をでたらめに失った代わりに結局において世間と自分の才分とに対する認識を持つことになったのはありがたいことである。これから後、いかなる党や会にも二度と軽々しく加入することをしなかった。しかしこれは政治と社会の改革への希望を棄てたのでは決してない。私自身はこの方面に発揮すべき能力を持たない人間であることを知ったのである。私がこの方面の才能を持たなくとも恥じずべきこととは思わない。何となれば、私には、本来、自分にできる仕事がある。そして、元来、ひとりの人間がいろいろの事柄をみなわきまえなければならないものではないから。

顧 頡剛 「古史辨自序 ある歴史家の生い立ち」

2016/06/26

兵隊募集の本望


   兵備を設けるにはまず歩兵隊を編制するのが第一である。而してその兵員は領分から農民を集めるのが一番良い趣向である。しかしこれを集めるに至っては、深く注意をしなければならない。地方役人などがただ役向き一つ通りで募集したくらいでは、なかなか立派な兵隊を選ぶことができない。
 それには京都からの適任の人にこの募集方を命じられて領土内へ派遣する。一般の領民を各所に招集して能く今日の時勢を説き含める。募集の趣旨を会得させて、この応募は全く領民の義務であると、自ら進んで出るようにせねばならない。その御用を不肖ながら何卒私へ仰せつかるように願いたい。いかにも粉骨砕身して必ず相応の人を連れて来て兵備のお設けが速やかに立ち、各藩を凌駕するような立派な兵隊のできまするように致しますと不遠慮に言上した。
 もっとも自分の考えでは自分も田舎の農民から駆け出すほどの事だから、少し誘導したならば続々望む人があろうと見込みをつけてていた。さらに言葉をていねいに反復説愉した。一体、各々の量見では今日の時勢を何と心得ているか。世の中はいつまでも波風たたぬ太平無事ではないぞ、今にも戦がどこから始まる。己れは昔から百姓であると安心してはいられぬ。それゆえ血気壮な手前どもは今のうちに奉公を願ってご領主のためには働いたら、器量次第では立身功名のできる世の中である。土臭い百姓で生涯を終わらんよりは、一番奮発してでるがよい。深切に話したり、また厳格に諭したり、手を代え品を代えて感動するように色々と工夫凝らした。
 おれはこれまで一橋の家来のようん普通一般の食録を貪って無事に休んでいる役人とは大きな間違いである。事と品によっては荘屋の十人や十五人を斬り殺す事は何とも思わぬから、各方においても余りぐずぐずするとそのままには決して差置かれぬ。今の時勢を何と思うているのか。代官であろうが荘屋であろうが毛頭容赦はしない。成敗とともにこの一身を以って当る所存でいる。
 その後追々募集の人数が各地から集まって来着するから、それを訓練するために、軍制局において種々の評議をする。その大隊長は洋式の兵制を一通り心得ているが、指揮役などに乏しきゆえ、かれこれと人繰りをして、いささかの兵制の組み立てができた。

渋沢 栄一自伝「雨夜譚(あまよがたり)」

2016/06/25

日本固有の戦争運命

   歴史の曙光と共に大和民族は、戦に勇猛に、平和の文芸に温雅に、天孫降臨とインド神話の伝説を吹きこまれている民族として現れている。神道として知られているその宗教は祖先崇拝の儀式であった。すなわち太陽神を中心として霊山高天の原に存す諸々の神のお引きに預かった祖先の霊を敬ひ祭る事であった。
 日本の如何ともなし難い固有の運命、すなわち日本の地理的位置が、支那の一地方あるいはインドの植民地として知的任務を日本に提供したように思われるであろう。ただし我が国が民族的誇りと有機的統一体という盤石は、アジア文明の二大極地より打寄する強大な波々を物ともせずに千古ゆるぎなきものである。
 国民精神は未だかつて打倒せられたることなく、模倣が自由な創作力に取って代わったことも決してなかったのである。我々の被った影響がいかに強大なものであっても、常にこれを受け入れて再び適用するに十分有り余るほどの精気を備えていた。
 アジア大陸の日本への接触が常に新生活と捜索の関与に利する所があった。アジア大陸の栄誉である、天孫民族が他から征服を受けないでいる。単にある政治上の意味からのみあらず、更に一層深遠なる意味で、生活、思想、芸術における生きた「自由」の精神として、天孫民族の最も神聖なる光栄である。
 勇ましき神功皇后が御心を燃え立せ給うて、大陸帝国を物ともせず、朝鮮の属国を保護せんために雄々しく海を渡らせられたのは実にこの御自覚のためであった。隋朝の煬帝(隋第二代の皇帝(在位605-616))を「日没する国の天子」と呼んだので、驚嘆せしめたのもこの精神であった(邪馬台国は魏志倭人伝で日の出る国と称した)。
 元王朝の蒙古がウラル山脈を超えてモスクワに達することになっていた勝利と征服の絶頂にったゆるがせ必列の傲岸な脅威を無視したのもこの精神であった。日本が今日更に一層深い自尊心を取得する必要のある諸種の新問題に雄々しく直面して立っている。正に同じ勇猛なる精神に依るものである事を決して忘れないことが日本自らの為である。

岡倉 覚三 「東方の理想」

2016/06/24

ローマ帝国の没落と軍隊

  ローマ帝国は共和国として繁栄と拡大を謳歌した。しかし、権力内部の自己抑制が崩れ、健全な分裂状態に終止符が打たれ、一方が他方を圧倒し勝利するような状態が生まれたことが没落の原因となる。社会全体が静穏になっているのが認められるような場合は、いつでも自由がもはやなくなっていると見て間違いがない。
 ローマ人は、戦争すべく運命づけられ、また戦争を唯一の手段とみていたので、自分達の精神と思想のすべてをこの技術の完成のために傾注した。ローマ人に軍団の構想を吹き込んだのは、疑いもなく、神である。ローマ人は、軍団の兵士たちに、攻守ともに適し、当時のどんな民族のよりも強力で、ローマ兵は荷を積んだ馬と変りなく重い武器を与えなければならないと判断した。軍団には騎兵、弓兵、投石兵も置き、敗走する敵を追撃して、勝利を達成するように計った。さらに、軍団には、携行できるあらゆる戦争用具を使って防戦して、それ自体が一種の要塞となることを望んだ。
 もっと重い武器を行使できるように、軍団は人間以上ものにしなければならなかった。このため軍団は不断の労働によって体力を増強させた。自分のもつ力の正しい配分を身につけた。
 軍隊が兵士たちの土掘り作業などの過重な労働のために多くの力を失っている。労苦はいつも続いて、極端な労働と極端な怠惰を絶えず繰り返し、我が身を滅ぼすのに適した。ローマ兵は、重荷を背負って軍隊歩調で行進するよう絶えず訓練された。
 軍隊はもはや肉体鍛錬の正しい観念をもっていない。肉体鍛錬に余りに時間をかけすぎている人間は軽蔑に値する。鍛錬の大部分が娯楽以外の目的をもたなくなる。戦争をあれこれと工夫するのは馬鹿げたとされ、喧嘩好きか臆病者だとみなされた。
 ローマ人が危険に直面したり、損失を償おうと欲した時は、いつも軍事規律を強化することが不変の方法であった。命令権を強化するためには身内まで処刑した。軍隊に旧来の制度を復活させると、直ちに恥辱も与えた。軍隊の兵士を極めて厳しく訓練することで、兵士の方から、苦痛を終わらせるために、戦闘に行かせて欲しいと頼み込ませた。なんらかの過ちを犯した兵士を衰弱させ血をとった。卑しい部族に属した兵士の脱走は頻繁に起こった。戦闘では、兵士は大集団の中にいなければ安心できないので、軍隊が不意に現れると、市民たちは血の凍る思いをした。最後に、兵士達にとって戦争は省察であり、平和は訓練であった。


 シャルルド・モンテスキュー ローマ人盛衰原因論

2016/06/23

自尊自大の尊王攘夷の明治政府

   いよいよ王政維新と定まって、政府の命に応じて親友は江戸から出る。私は一も二もなく病気で出られませぬと断わり。御用召でたびたび呼びに来ましたけれど、私は始終断るばかり。その親友が是非出ろと言って勧めて来たから、私は以下のように答えた。
「出処進退は銘々の好む通りにするのが良いではないか。世間一般はそうありたいものではないか。これに異論はなかろう。そこで僕の目から見ると、君が江戸から出たのは君の平生好むところを実行している。僕ははなはだ賛成するけれども、僕の身にはそれは嫌いだ。私は嫌いであるから江戸から出ない。これまた自分の好むところを実行するのだから、君の江戸から出ているのと同じ趣旨ではないか。されば僕は君の進路を賛成している。君もまた僕の進路を賛成して、福沢はよく引っ込んでいる。うまいと言ってほめてこそくれそうなものだ。それを誉めもせずに呼び出しに来るとは友達甲斐がないじゃないか。」と大いに論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎ねつけた。
 まだ文部省がない時に別の親友は「政府の学校の世話をしろ、どうしても政府においてただ捨てて置く理屈はないのだから、政府から君が国家に尽くした功労を誉めるようにしなければならない。」と親友が言うも、私は自分の説を主張して「誉めるのと誉められるのと全体そりゃ何のことだ。人間が人間当たり前の仕事をしているのに、何も不思議はない。車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をつくりて、書生は書を読むというのは人間当たり前の仕事をしているのだ。その仕事をして政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわねばならぬ。そんなことは一切よしなさい。」と言って私は断った事がある。
 このような調子で私はひどく政府を嫌うようにある。その真実の大本を言えば、前に申した通り、どうしても今度の明治政府は古風一点張りの攘夷政府と思い込でしまった。攘夷は私の何よりも嫌いことである。こんな始末ではたとい政府が変わっても、とても国はもたない。大切な日本国を滅茶苦茶にしてしまうだろう。こんな古臭い攘夷政府を造って馬鹿なことを働いている諸藩のわからず屋は、国を滅ぼしかねない奴らと思う。私の身は政府に近づかないように、ただ日本に居て近づかずに、ただ日本にいて何か勉めてみようと安心決定した。
 私が明治政府を攘夷政府と思ったのは、決して空に信じたのではない、おのずから憂うべき証拠がある。王政維新になり、イギリスの王子が東京城に参内して接待することは固より故障はない。夷狄の奴は不浄の者で、お祓で清めて内に入れた。日本は真実自尊自大の一小鎖国にて、外人を畜生同様に取り扱うのが常である。日本人の眼をもって見れば王子も不浄の畜生たるに過ぎない。私はこれを聞いて、実に苦々しい事で、泣きたく思いました。 

福沢諭吉の自伝