君はおそらく、非常に本質的な相違があらわれることに気がつくでしょう。ドイツでは、小市民は、失敗に帰した革命の、中断され押し戻された発展の結実であり、三十年戦争及びそれにつづく時代ーちょうど他のほとんどすべての大国民が急速に上昇した時代ーによって、臆病、固執、無気力、及びあらゆる主動力の欠如という独自の、異常に作りあげられた性格を受けとったのです。この性格は、歴史的運動が再びドイツをおそったときにも、ドイツ小市民のものとしてとどまりました。この性格は、ドイツの他のすべての社会階級にも、多かれ少なかれ一般的なドイツの典型として自己を押しつけるに十分なほど協力でした。そして遂に、わが労働階級がやっとこの狭いかこいを突き破ったのでした。ドイツ労働者階級がやっとこの狭いかこいを突き破ったのでした。ドイツ労働者は、ドイツの小市民的固執をすっかり振り払ったという点でまさに、最もひどく「祖国をもたない」のです。
小市民文学について(1890年6月5日、フリードリヒ・エンゲルス)
「マルクス・エンゲルス文学論」
君はおそらく、非常に本質的な相違があらわれることに気がつくでしょう。ドイツでは、小市民は、失敗に帰した革命の、中断され押し戻された発展の結実であり、三十年戦争及びそれにつづく時代ーちょうど他のほとんどすべての大国民が急速に上昇した時代ーによって、臆病、固執、無気力、及びあらゆる主動力の欠如という独自の、異常に作りあげられた性格を受けとったのです。この性格は、歴史的運動が再びドイツをおそったときにも、ドイツ小市民のものとしてとどまりました。この性格は、ドイツの他のすべての社会階級にも、多かれ少なかれ一般的なドイツの典型として自己を押しつけるに十分なほど協力でした。そして遂に、わが労働階級がやっとこの狭いかこいを突き破ったのでした。ドイツ労働者階級がやっとこの狭いかこいを突き破ったのでした。ドイツ労働者は、ドイツの小市民的固執をすっかり振り払ったという点でまさに、最もひどく「祖国をもたない」のです。
小市民文学について(1890年6月5日、フリードリヒ・エンゲルス)
「マルクス・エンゲルス文学論」