教会がコンスタンティンの時勝利を博して以来、その指導者達は、一般的精神生活を支配しすべてを教会とその精神との配下に置こうと、努めた。すでに久しい以前から着手されていた基督教とローマ帝国ならびに古代文化との融合事業は、驚くべき速度を以って完成された。今や初めて、基督教と古代哲学との結合が成立した。有利な条件の下に再び、西欧と東洋、ローマとギリシャ間の活発な交通が可能となった。ラテンの教会は、東西両教会教会分裂の直前にあたり、ギリシャ的学問の資本を供給された。人々はあたかも、目前に迫れる運命を、野蛮人侵入の暗夜を、予感していたかのようであった。教会の強固な建築は大急ぎで仕上げられた。ギリシア哲学の中で役立つと思われるものは教理学の中に取り入れられ、他はすべて危険思想もしくは異端的教へとして退けられ、次いで漸次克服された。人々はローマ帝国の勝れた組織法から借りて来て、教会組織に関する制度を補った。教会法はローマ法に範をとった。礼拝規則は改良され、詳細に規定された。古代の異教的密儀教中荘重にして注目に値するものは、既に久しき以前から模倣されていたが、今更に一層荘厳な調子、卓越した思想と儀式的形式との不思議な一致が、こうして成立した。
フォン・ハルナック「アウグスティヌスの懺悔録」
フォン・ハルナック「アウグスティヌスの懺悔録」