真理を、別のもっと単純なものに引き直せることの可能性にこそ、たとえその引き続いた結論の系列が、そんなに長く人工的なものと見えようとも、つぎのことのたしかな証拠があると認めるのである。すなわち真理を所有すること、または真理を信ずることはどんなときにも内的直観によって直接に与えられるものではなくて、いつでも個々の結論を、程度の差はあるにしても、一つ残さず繰り返す以外には手がないということである。このことを、一つ一つ追求して行くのに困難な思考活動を迅速に遂行する理由で、完全に熟練した読書家が読書に当って処理することと比較してもよいだろう。この読書という理由で、完全に熟練した読書家が読書に当って処理することと比較してもよいでしょう。この読書というものも、いつでも多少の差はあれ一歩一歩を残らず繰り返すことであって、初学者はことを骨の折れる一字一字の判読によって遂行しなければならないが、熟練した読書家にとってはその骨折りのごく少しの部分で、従って精神を労することも努力することもはなはだ少なくて、しかもただしい真の言葉をの意味を捉えることができる。
リヒャルト・デーデキント「数についてー連続性と数の本質ー」
リヒャルト・デーデキント「数についてー連続性と数の本質ー」