レオ・シラード
アインシュタインの大統領宛の手紙の草案をシラードは書く。この手紙が発端となり、ウラン委員会が発足し原爆開発をする。ルーズベルト大統領に核戦争の予防を覚書をお目にかけた方がよい。大統領死去のニュースを知る。その前に、ボーアの考えは、ソ連も原発を開発するに違いない。そうなると一大核の軍拡競争の時代を迎える。チャーチルは取り上げず、ルーズベルトと会見して秘密協定ををしていた。大統領は聞き手上手で、その秘密協定は以下の通りである。
1. 開発は秘密裏に行い国際管理は退ける。ソ連には知らせず日本に対して使用する。
2. 日本の降伏後も軍事的常業的な利用を開発する。
3. ホーアがソ連に漏らすことのないように彼を監視する。
トルーマン大統領ではなく、前任者のルーズベルトとチャーチルの間で決定していた。米英中ソ連の大国の争いの場を、原爆の武器でねじ伏せようと政策していた。トルーマンが就任して、一か月にヒトラーが自殺する。
特殊部隊がテニアン島で投下訓練を始めていた。テラー博士はその後に核を分裂させるのではなく、融合うる時に発生するエネルギーを利用して完成させ「原爆の父」と呼ばれている。
シラードは反対の請願書の署名を集めていた。日本に降伏の機会を与えることなしに原子爆弾を使用すべきではない。「無警告で軍事施設の周辺に人家が密集した都市」への日本投下を大多数が賛成する。スペイン人が名付けた「死の旅」のニューメキシコ州アラモード砂漠で実験が行われた。シラードは、日本に原爆を投下したのは歴史上最も誤りですと婦人に八月六日付けの手紙を書いた。夫人には彼はいつも「日本人に対して済まないことをしてしまった。」と言っててた。
戦争が終わるとシラードは核物理学をあっさり捨てた。フェルミンやテラーは数々の栄誉を受け高位の公職を歴任したが、シラードは遂に公職に就くことはなかった。シラードの勧告は、ヒトラーのユダヤ人排斥運動に恨みを抱いていたからだ。ドイツが原爆を使わないために、先にアメリカが原爆を持たなくてはならない重要な要因であった。