人は、その畏るべきを見ざれば、必ずこれ慢易する。一たび慢易の心を啓かせば、又何を以てか能くこれを治めんや。故に、君子は必ずこれに臨む荘を以てす。その衣冠を正しくし、その羨視を尊くし、邪気を出して、ここに狡猾に遠ざかるは、その荘を為す所以の方なり。今の士大夫には往々、挙措狡猾にして、以て自ら喜ぶ者あり、その意は、蓋しおもえらく、かくの如くにならざれば、以て人情に通じて人を服せしめ難しと。ああ、人情に通じて人を服せしむるものは、自らその道の在るあり。今、その道を以てせずして、この醜態を露はさば、吾れ恐らくは、その人を服せしめんと欲する者、まさに以て、慢易を導くに足ることを。
人の已を誉むるも、已において何か加えん。もし誉によりて自らを怠らば、則ち反って損せん。人の已を謗るも、已において何かを損せん。もし謗によりて自らを強めば、則ち反って益せん。
佐久間 象山「省諐録」
佐久間 象山「省諐録」