啓幹(新島 襄)慎んで書を呈す。この頃四方の風談を聞くに、天下大乱有らんことを恐る。この頃亜夷(アメリカ)しばしば来たりて交易を請うも、天下の評議、粉々としてさらに決せず。
今ここに二人有らんか、一人は曰く「交易は四海を一にし、人民を安ずるならん」と。また一人は曰く「亜夷は地広く、日本は地狭し。狭土の物をもって広土の物を易うれば、往々にして狭土の物は尽きん。かくのごとくんば日本の利物は少なくして、彼の鈍物日本に満ちん。利物少なくして鈍物多ければ、天下は共に乏し。今もし日本彼の物を取り、日本の物与えんか、所謂芳香な薬を棄ててふんころがしを取るがこどきなり。今誤って交易をなさば、彼れ尽く日本の利物を取り、日本をして彼の純物を満たしめん。もしかのごとくんば、すなわち諸侯は参内するために羅紗を衣んか、酒店は酒に入るるに金剛砂を用いんか。ああ、かくのごとくんば何ぞ夷狄と異ならんや。これ匹夫といえども歯切すべき事なり。今早くなさざるのところ、後に臍を噛むを恐る」と。
これこの二人異心有り、況んや幾万人においてをや。ゆえに内乱有らんことを恐る。もし諸侯四方に割拠して各権を争わんか、天下の勢必ず弊せん。亜夷必ずやまさに諸種攻め来らん。
かくのごとくんば僕、書を学ぶことを能わず。しかれども今幸いにして乱未だ起こらず。今にして学ばずんば時を失わんことを恐る。ゆえに儒家に託して書を学ばんことを欲す。しかれども未だ俸を受けず。無俸にして儒家に託すること能わず。ゆえに迷惑なすところを知らざるも、願わくば君、幹が父に手書を贈り、幹をして書を学ばしめよ。その詞願はこの書のごとし。「この頃亜夷しばしば来たりて交易を請う。日本の騒動紛然として、まさに乱有らんとす。もし乱に及べば、敬幹は書を学ぶことを能わず。今にして学ばずんば時を失わんことを恐る。宜しく敬幹をして入塾し、朧目を開かしめよ」と。これ僕の赤心をもって願うところなり。
1858年8月上旬 敬幹(新島 襄) 再拝再拝
新島 襄「尾崎 直紀宛 『新島 襄の手紙』
啓幹(新島 襄)慎んで書を呈す。この頃四方の風談を聞くに、天下大乱有らんことを恐る。この頃亜夷(アメリカ)しばしば来たりて交易を請うも、天下の評議、粉々としてさらに決せず。
今ここに二人有らんか、一人は曰く「交易は四海を一にし、人民を安ずるならん」と。また一人は曰く「亜夷は地広く、日本は地狭し。狭土の物をもって広土の物を易うれば、往々にして狭土の物は尽きん。かくのごとくんば日本の利物は少なくして、彼の鈍物日本に満ちん。利物少なくして鈍物多ければ、天下は共に乏し。今もし日本彼の物を取り、日本の物与えんか、所謂芳香な薬を棄ててふんころがしを取るがこどきなり。今誤って交易をなさば、彼れ尽く日本の利物を取り、日本をして彼の純物を満たしめん。もしかのごとくんば、すなわち諸侯は参内するために羅紗を衣んか、酒店は酒に入るるに金剛砂を用いんか。ああ、かくのごとくんば何ぞ夷狄と異ならんや。これ匹夫といえども歯切すべき事なり。今早くなさざるのところ、後に臍を噛むを恐る」と。
これこの二人異心有り、況んや幾万人においてをや。ゆえに内乱有らんことを恐る。もし諸侯四方に割拠して各権を争わんか、天下の勢必ず弊せん。亜夷必ずやまさに諸種攻め来らん。
かくのごとくんば僕、書を学ぶことを能わず。しかれども今幸いにして乱未だ起こらず。今にして学ばずんば時を失わんことを恐る。ゆえに儒家に託して書を学ばんことを欲す。しかれども未だ俸を受けず。無俸にして儒家に託すること能わず。ゆえに迷惑なすところを知らざるも、願わくば君、幹が父に手書を贈り、幹をして書を学ばしめよ。その詞願はこの書のごとし。「この頃亜夷しばしば来たりて交易を請う。日本の騒動紛然として、まさに乱有らんとす。もし乱に及べば、敬幹は書を学ぶことを能わず。今にして学ばずんば時を失わんことを恐る。宜しく敬幹をして入塾し、朧目を開かしめよ」と。これ僕の赤心をもって願うところなり。
1858年8月上旬 敬幹(新島 襄) 再拝再拝
新島 襄「尾崎 直紀宛 『新島 襄の手紙』