普遍的意思と人間のうちの特殊意志との結合は、既にそれ自体において一つの矛盾であり、その矛盾を合一することは不可能でないまでも困難であるように思われる。生そのものの不安が人間を駆って、彼がそのうちへ創り出されたその中心を去らしめる。なんとなれば、すべての意志の最も純粋な本質であるこの中心は、あらゆる特殊的意志にとっては、焼き滅ぼそうとする火である。そのうちに生き得るためには、人間はすべて我性に死なねばならぬ。であるから、この中心から周辺へ歩み出で、かくしてそこに自己の我性の安らいを求めようとすることは必然的な企てである。ここからして罪悪と死との普遍的必然性も出ていた。その際、死とは浄化されるためにすべての人間的意志が通らねばならぬ火としての、我性の実際の死滅なのである。しかもかかる普遍的必然性にもかかわらず、悪はあくまでも人間みずからが進んで択ぶものである。根底が悪そのものに成ることはできない。各々の被造物は彼みずからの咎によって堕落するのである。しかし、しからばいかにして個々の人間のうちで悪または善への決定が行われるか。このことは全く不明のうちに包まれており、そして一つの特別な研究を要求するように思われる。
フリードリヒ・シェリング「人間的自由の本質」
フリードリヒ・シェリング「人間的自由の本質」