2016/12/31

神は盲従を要求する専制君主

 もと無意識的に行われた風俗習慣が神の命令として意識的に守るべきものとなり、その上ますます煩雑なる規定を加えるに至っては、律法の宗教的意義は問題とならざるを得ない。モーゼの五書を始めとしてその問題を解決せんとする企ては全くなかったではない。しかし数限りなきそれらの規定に一々合理的説明を与えんは到底不可能であった。とどのつまりユダヤ人の与え得る答えは、単に神の意志だから、神の命令だから、というに過ぎなかった。
 かくして神は、ただ否応なしに盲従を要求する専制君主となった。宗教は服従となった。「死人が不浄なるに非ず、水が浄むるにも非ず、神が律法を定めたるなり。書き記されたる神の命令は何人も破るに能わず。これ律法の命ずるところなり」という、第一世紀後半の有名なる学者ヨナタンの言によっても、またおのが敵なる祭祀らを肥すのみと知りつつも神殿に対する納税をきわめて厳密に実行したるパリサイ人らの振舞を見ても、ユダヤ教の精神は明らかである。敬虔ふかきユダヤ人が、かこたず、つぶやかず、解すべからざる神意に従順なりしその真面目なる態度は、少なくとも吾人の同情に値する。
 しかれども惜しいかな、宗教的生命の萎縮はその必然的結果であった。内容そのものに価値あるのではなく、命令という形式のみが大切である以上は、宗教は勢い、機会的形式的となり、ただ外形にのみ拘泥して精神を没却し、ついには内部の生命の枯れ果てた遺骸となりやすい。体裁、見え、偽善などのはびこったのは自然である。

波多野 精一「基督教の起源」

2016/12/29

先頭と殿に最強者と中間に最弱市民

 「だがそれは」とソークラテースは言った。「将軍学の一小部分に過ぎぬ。なぜかというと、将軍は戦争のための軍備一切をととめえ、そして兵士たちに糧食を供給できなくてはならなぬし、それから奇策縦横で活動的で注意細密でなくてはならず、柔和でるとともに残忍であり、率直であるとともに策謀的であり、用意堅固であり攻撃的であり、その他たくさんのことに、あるいは生まれながらに、あるいは学習によって、参軍を率いんとする者は練達しててなくてはならぬ。軍列の配備に長ずるのはもとより良い。なんとなれば軍隊は陣列の見事に配置されたのは、でたらめなのとくらべて、大変なちがいだからだ。それはあだかも石と煉瓦と木材と瓦とが乱雑に投げ出されてあるのはなんの役にも立たないが、これに反して、腐ること崩れることのない石と瓦とが下と上に配置され、中間に煉瓦と材木とか、建築におけるごとく組み立てられると、そのときはまことに価値のある財産、家が出来上がるに等しい。」とソクラテースは言った。
 「そうです」と青年は言った。「ソークラテース、おっしゃるとおりです。なぜと言って戦争ではもっとも強い兵士を先頭と殿にに配置し、中間にもっも弱い兵士を入れ、こうして先頭にみちびかれ殿に追い立てられるようにしなくてはならないからです。」
 「そうだ、もし彼が優秀な兵士と劣等な兵士の見分け方を教えたならそれでよい。しかしそうでなかったなら、君の学んだことがなんの役に立つのか。たとえば、もし将軍が君に命じて、もっとも上等な銀貨を先頭と殿とにおき、中間にもっとも下等な銀貨を入れるように言って、真物と贋金との鑑別を教えなかったならば、君はなんの役にも立つまい。」とソークラテースは言った。

クセノフォーン「ソクラーテース」の思い出

2016/12/26

むごたらしく非人間的な獄門と成敗の死刑

 徳川時代の司法権は各藩がもっている。ーしたがって刑法にも、藩ごとの掟がある。だが、死刑だけは、幕府の許しがないと執行できなかった。その死刑にも階級があった。会津藩の掟でみると、一番軽い死刑は「牢内打首」とよばれた。牢内の刑場で首を斬る。庶民には見せないのである。エリザベス朝のイギリスでも、ロンドン塔の中庭で首を斬られるのは、死罪にたいする軽い扱いであった。ロンドンの塔の死罪で一番軽いのは絞首であったが、徳川時代には、絞首はない。そのかわり一刀で、ばっさりと斬る。ロンドン塔の打ち首は斧で打ちおろされた斧でするのである。エリザベス女王の寵臣エセックス伯爵が彼女自身の判決で処刑されたとき、発止と打ちおろされた首斬人の斧は、三度目にようやく首を落とすことができたとつたえられている。
 「牢内打首」より一段と重い死刑は、牢内打首と同じ段取りで打った首だけをさらに梟首するもので「獄門」よばれるのがそれであった。多くの藩では竹三本を三股にむすんで、その股に首をはさんだものだが、会津藩では五寸角ほどの材木を高さ六尺ほどに二本建て、そのうえに三尺ほどの横木に鉄釘をうったのに首をうったのに首をさして曝した。この獄門よりもひとつ重いのが、「成敗」であった。
 成敗は牢内仕置場で執行される死刑の最も重いもので、刑場には三角形の「土壇」を築く。罪人ほ裸にして右脇を土壇に当て、右手は土壇に立てられた竹に縄でしばりつけ、左手は助手が引っばっている。そして正面かせ、罪人の左肩から右乳へかけて斜めに「袈裟斬り」わする。これがすむと別の土壇に捉えて首を刎ねる。ついでその首を土壇に埋め、額だけを露出させ、二人の刑手が板の両端をもって首の頭上を抑えている。その露出した額をやりで三カ所突いて、首を洗って獄門にかける。成敗か単なる獄門かは、額の傷でわかるのである。

服部 之総「黒船前後・志士と経済」

2016/12/24

我が国体に特種の意義がある

   古来歴史上に現われている人物は、善かれ悪しかれ、社会の水平線上に出でた人々である。さりながら現代の栄枯盛衰が必ずしも公平を保たれないように、歴史上の人物にもまた幸不幸があるのを免れぬ。階級的社会においては、いわゆる人物は上流の貴族であるとか、武士であるとか、ないしは僧徒等に偏しておって、その時代に劣等視された百姓町人等にはたとい相当の人物があっても歴史に現れない。
 また中央集権の世の中では、地方の人物はとかく中央の歴史に載らぬがちである。同一の事業でもそれに先鞭を着けながら成功しなかったものは聞こえぬ代わりに、その功を収めた人が盛名をほしいままにする。されば歴史上に現れた以外に人物がないと思うのは以てのほかである。歴史家は常にこの点に注目して遺漏なきを期せねばならぬが、別けても地方の人士はその地方の隠れたる人家を表彰する義務がある。さすればまた地方の人物と違って印象も深く、地方の人心に影響し風教に被補することも鮮少ではあるまい。近時各地に行われる先人頌徳の事業はこの点において意義ありというべきである。そもそも祖先を崇拝することは我が国体において特種の意義がある。

三浦 周行「新編 歴史と人物」

2016/12/22

危険と死を収穫する人々で君主の富と勢いが強まる

 アジアとヨーロッパの住民の性質・体格の相違については以上のとおりである。住民の無気力と勇気のないことに関してであるが、アジア人の方がヨーロッパ人よりも戦闘的ではなくて気質が温和であることの主要原因は、その諸季節が暑熱、寒冷のどちらでも激しい変化を示さず、平均していることである。すなわち精神の衝撃や身体の激しい変調がおこらないから、気質が始終同一の状態に保たれずに猛々しくなったり無鉄砲や勇猛になる、ということがないからである。あらゆる物の変化にこそ人間の精神を掻き立てて平静をゆるさないものである。
 思うにこの理由によってアジアの諸族は柔軟なのであるが、他に制度もこれに役立っている。すなわちアジアはその大部分が王の統制下にある。人間が自分自身を統治せず、独立ではなく専制君主の下にあるところでは、人々は武勇を練ることよりも、かえって戦闘力ををもたないように装おうと努める。両者の危険はくらべものにならないからである。君主のために軍務に服し労苦をなめ死をおかし、妻子その他の身内と鑑別することを強いられるであろう。彼らのなしとげるて手柄と武勲によってその富が増大し勢いが強まるのは君主たちであり、危険と死を収穫するのは彼ら自身である。
 さらにまた、このような人々の土地は戦争と放置によって荒廃させられるのである。だからして、よし生来勇敢で元気のある者までも、制度によっては気質が変化するものである。そのはっきりした証拠は次のとおりである。アジアにいるギリシア人にせよ異邦人にせよ、専制君主の下になくて独立し、自分たちの利益のために労苦する人々は、あらゆる人々のうちでももっとも尚武である。彼らは自分たち自身のために危険をおかすのであり、その武勇に対する褒美も自分たちが得、その卑怯な振舞いの罪も自分たちが受けるからである。

ヒポクラテス「古い医術について」

2016/12/19

純蒙古人は無分別と頭がないと往々非難する

 しかし、私はなおまた日本において見る種類の人間を、特にここで見る三種の中の一つー即ち低い扁平な鼻を有った純蒙古人種なる、それ自身においては決して美しいとは言われない、しかも私にはきわめて同情のできる、聡明な、快活な、人懐っこい、温情のある、そして同時に抜け目のない人間を見ることのできないのが物足りないであろう。これらの人々を私は常に自分の側に置いておきたいと思う。家人または同居人としては、私は彼等よりもさらによき、さらに物静かな、さらに要求するところ少きかついずれの点においても気の置けない人間を知らない。
 日本人が往々外人やまたは彼ら同士を満著したり、欺いたりするようなことがあってもーそれも大抵些細な事であるー、それくらいの事は言うに足りないではないか! その遣り方もきわめてナイーヴである、そして日本人はその欺瞞的行為を隠蔽したりもしくは弁解せんと努めるようなことは少い、それであるから日本人に対して真面目に腹を立てるなどということは実際できないのである。ーそれから病人の世話をしたり看病したりするには、日本人は、その親しみのある性質と、その辛抱強いことと、その優しいかつ器用な手先の故に、まさに理想的に完全なる資格を具えている。
 日本人は忘恩だ不信だと言って往々非難する者がある。私が私の日本においては経験しなかったところである。私はむしろその反対を経験した。更にまた私に対して感謝の心を失わずかつ忠実であるのみならずー私は日本人が義務に忠実なることを発見した。日本人にしても忘恩や、不信や、更に進んでは意地悪の観を呈する、もしくはそう解釈されうるような行為があるとしても、それは、精察すれば、日本人が物の感じ方、ならびに感じの表し方において我らとは多くの点において異なっているということ、日本人が西洋の習慣を知らざること、もしくは無分別と無思慮すなわち頭のないにほかならないからである。

ラファエル・フォン・ケーベル「ケーベル博士随筆集」

2016/12/17

邪悪に委ねた高位や勢力は害悪を及ぼす

 さて高位や勢力に関しては、私は何を語るべきであらうか。まことの高位やまことの勢力を知らないお前たちは、これらを天に比しても尊んでいる。しかしこれらが、最も邪悪な人々に委ねられたとしたなら、如何なるエトナの噴火が、又如何なる洪水が、そのように大きい害悪を与え得よう。お前も思い出すことであろうが、たしかにお前たちの祖先は、自由の起源であった執政政治を、執政官たちの傲慢の故に廃止しようと望んだ。又その以前に於いて、同様の傲慢の故に、彼等は王の称号を国から追い払った。だが高位や勢力が正善な人々に委ねられる(それは極めてまれにしかないことだが)としたなら、その際立派なのは、その高位や勢力の保持者の正善以外の何物であらうか。すなわち、徳が位のために尊ばれるのではなく、逆に、位が徳のために尊ばれるのである。
 一体、お前たちが望んでいるその輝く勢力とは如何なるものであろうか。おお、地上の生物よ、お前たちは誰が誰に対して支配することになるかを考えないであろうか。もし数匹のハツカネズミの中にあって、或る一匹が他に対し権利と勢力とを潜するのを見たとしたら、お前はどうな哄笑に誘われることであろう?
   ところで、肉体を顧みる限り、お前は人間より弱い何物も発見し得まい。小さいハツカネズミに噛まれても、また毛虫や蛇が体内に入り込んでも、しばしば死ぬのだから。だが、或人が他の人に対して或る勢力を振る場合、どうしてその肉体と肉体に従属するものー換言すればその人の外的所有物ーとに対して以外に之を及ぼすことが出来ようか。お前は、自由な精神に向かって何事かを命じ得るであろうか。お前は、確固たる理性に従って自己統制のとれている精神をその本来の平和状態から掻き出すことが出来るであろうか。かつて或る暴君が、或る自由人に対し、拷問をかけることに依って、自分へ企てられた陰謀への関与者を白状するように強制しているつもりでいたところが、その自由人は舌を噛み切って、猛れる暴君の顔へそれを吐きかけた。こうして、暴君がその残酷さを示すようすがと考えていたところの拷問を、賢人は却ってその徳を顕す機会となしたのであった。

アニキウス・マンリウス・セヴェリヌス・ボエティウス「哲学の慰め」

2016/12/15

戦争・恐怖・麻痺・奴隷状態は信念を消し去る

 人間の風刺喜劇、戦争、恐怖、麻痺状態、奴隷状態ーこういうものが君の神聖な信念を日に日に消し去ってしまうであろう。これらの信念は、自然の探求者として君が抱懐し、受け入れたものだ。だから君はつぎのようにしなくてはならない。すなわちなにを見るにもおこなうにも、目の前の務めを果たしながら同時に思索の能力を働かせるように心かげけ、各々の事柄に関する知識からくる自身を人知れず、しかしわざわざ保ち続けることだ。
 いったいいつ君は単純であることを楽しむようになるのであろうか。いつ品位を持つことを?また個々の物に関する知識、たとえば本質においてそれがなんであるか、宇宙の中でどんな場所を占めるのか、どのくらい間存続すべく創られてするか、それを構成するものはなにか。誰に属しうるものであるか、それを与えたり奪ったりすることのできる人々は誰か、等の知識を楽しみとするようになるのはいつだろうか。
 隣の枝からきりはなされた枝は、樹全体からもきりはなされずにはいられない。それと同様に、一人の人間から離反した人間は、社会全体から落伍したのである。ところが枝は他の者がこれをきりはなすのであるが、人間のほうは。隣人を憎み嫌うことによって自分で自分をその隣人からひきはなすのだ。しかも彼はそうすると同時に共同社会の全体からも自分を削除したことを知らないのである。ただしここで注意すべきことはこの共同体の創設者であるゼウスの神が与え給うた賜であって、そのお陰で我々は再び隣の枝に結合して全体として完全なものに復することが許されているのである。しかしこういう離反がたびかさなると、はなれた部分がふたたび結合して元どおりになるのは難しくなる。一般にいうと、最初から樹とともに呼吸し続けた枝は、ひとたびきりはなされ、後にふたたび接木された枝とは違う。これは庭造りたちのいうところである。だから同じ幹の上で成長せよ。ただし意見は同じうしなくともよい。

マルクス・アウレーリウス「自省録」

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2016/12/12

帝国主義は愛国心を経となし

 我国民を膨張せしめよ、我版図を拡張せよ、大帝国を建設せよ、我国威を発揚せよ、我国旗をして光栄あらしめよ。これいわゆる帝国主義の喚声なり。彼らが自家の国家を愛するや深し。
 英国は南阿を伐つてり、米国は比律賓を射てり、独逸は膠州を取れり、露國は満州を奪えり、仏国はファショダを征せり、伊太利はアビシニアに戦えり。これ近時の帝国主義を行うゆえんの較著なる現象なり。帝国主義の向かうところ、軍備、もしくば軍備を後援とせる外交のこれに伴わざるなし。
 然りその発展の跡に見よ、帝国主義はいわゆる帝国心を経となし、いわゆる軍国主義を緯となして、もって織り成せるにあらずや。少なくとも愛国心と軍国主義は、列國現時の帝国主義は、列国現時の帝国主義が通有の条件たるにあらずや。故に我はいわんとす、帝国主義の是非とりがいを断然と要せば、先ずいわゆる愛国心といわゆる軍国主義に向かって、一番の缺格なかるべからずと。
 しからば即ち、今のいわゆる愛国心、もしくば愛国主義とは何者ぞ、いわゆるパトリオチズムとは何者ぞ。吾人は何故に我国家、としくば国土を愛するや、愛せざるべからざるや。

幸徳 秋水「帝国主義」

2016/12/10

大衆は戦争の英雄を拍手喝采する

 だれもが欲しがる宝石がはるか沖合のたいへん薄っぺらな氷の上にあり、生命の危険という番人が「もうすこし騎士の近くなら氷は底まで凍っていてまったく安全なのだが、こんな沖合までやってくるのは命がけの冒険だぞ」と監視の目を光らせながら宝石の見張りをしているとしてみよう。
 その場合、これが情熱的な時代であれば、そんな沖合まであえて出かけて行く勇気は大衆の喝采を博することだろう。大衆はその勇者の身になって、またその勇者を哀惜することだろう。そころが情熱のない反省的な時代にあっては、事情はまったく違ってこよう。「あんな沖の方まで危険を冒して出ていくなんて、骨折り損というものさ。だいいち、愚かで滑稽だよ」とみんなが異口同音に言い、分別顔をしてお互いの賢明さをお互いに称賛し合うことだろう。こうして人々は感激ゆえの冒険を芸の展示に変えてしまうだろうー「所詮、なにかしないわけにはゆかないのだから」とにかくなにかをしようというわけで。そこで人々はその場へ出かけて行くだろう、安全な場所で、玄人ぶった顔つきをして、熟練したスケーターたちの大多数がぎりぎりのところまで滑走して行って、それからターンして引き返す巧みな演技を鑑賞することだろう。スケーターたちのなかには、名人といわれるような者も一人や二人は居合わすことだろう。そういう名人ならばもういよいよぎりぎりというところまで行って、観衆の目を眩ますような危機一髪の滑走の離れ業をやってのけ、観衆をして思わず、「たいへんだ、気でも狂ったのか、死んでしまうぞ」と呼ばせることだってできるだろう。
 しかしなんと、彼は実に抜群の名手なので、いよいよぎりぎりという線で、つまり氷がまだいたって安全で生命の危険がまだ始まらないところで、あざやかにターンすることができるというわけだ。まるで芝居でも見ているのと同じように、大衆はブラボーを叫び、拍手喝采し、この偉大な演技の英雄を中央にかこみ、ぞろぞろと行列をつくって家に帰ることだろう。

セーレン・キルケゴール「現代の批判」

2016/12/08

永遠の戦争は市場の優先権を争う

 古への封建君主は、農夫が其収穫の四分の一を領主に納むるに非ざれば、一塊の土を掘返すのも厳禁した。吾人は之を見て恥辱と呼ぶではないか。然り吾人は実に此時代を以て未開の時代と呼で居る。而も見よ、其形式は変じても、実際の関係は以前今日に存続した。労働者は自由契約の名の下に、猶ほ封建的義務を承諾せねばならぬ。彼はいずれかの方角に向かっても決して優等の境遇を発見することは出来ぬ。万物尽く私有財産となった、彼は承諾せねばならぬ、否ずんば餓死せねばならない。
 事情如此くなるの結果、現時の生産は総て不良の方向に赴くこととなる。企業はあたかも社会全体の必要てふことを考えぬ。其の目的は唯だ投機師の利益を増すてふことのみである。而して来る者は即ち市場の不断の変動、工業の時々の恐慌、其度毎に幾万人の労働者は路頭に迷う。
 労働者は其賃金では、彼等自身が生産した富を買うことができぬ。工業は即ち外国の市場を求めて他国民の富裕階級中に販路を得ねばならぬ。東洋において、アフリカに於いて、エジプト、東京若しくはコンゴー、到る処に欧州人は斯くして農奴制の発生を助長することとなる。而して彼は其を断行する。而も彼はまた到る処に同様の競争者のあることを発見する。いずれの国民も皆な同一の経路に展開する。而して戦争、永遠の戦争は、市場の優先権を争うが為に破裂する。嗚呼、東洋諸国を有せんが為の戦争、海上帝国を建設するの戦争、輸入品に課税し及び隣邦に条件を指令するの戦争、反逆せる『黒人』に対する戦争! 世界に大砲の響き絶ゆる間はなかった。幾多の種族は尽く屠戮せられて跡を絶った。欧州諸国は軍備の為に予算の三分の一を費やしている。而して吾人は知る、是等の租税が如何に重大なる負担を労働者の頭上に落下し来るかを。

ピョートル・クロポトキン「麺麭の略奪」

2016/12/06

戦争は種族の異同ではなく政治である

ことに従前白人が抱いていた有色人種のごときは、我々は自ら学ぶことによって、これにかぶれるのを予防することが大切である。黄色という類の人種差別などは、考えれば考えるほど怪しいものだ。彼らの謂うところの蒙古人とはぜんたい何であるか、韃靼はヨーロッパに入って今の露国人の要部をなし、ラップやフィンも早くからその一隅に住んでいた。ハンガリア人はアリアン種の真中に国を作り、血は半ば化して言語と思想には古い伝統を保っている。その他東方から遠く移って、末は混同したものの痕跡は、今でも尋ねたら次第に分かってくる。これと対立してペルシアにもインドにも、もと白人と同種と称する人民が多数にいて、これまた甚だしく差別されているのである。
 血は到るところ混同し、宗教もまた大いに入り交ろうとしている。要するに種族の抵触は政治であって、種の異同に基づくものではなかったのである。翻って白人彼ら自身の国を見ても、大陸の種族は横にほぼ三段に分れ、国は河流山脈などに由って、かえって縦に分解せられていた。
 即ち人種は共通なるにもかかわらず、ドイツ・フランスなどと政治的に対立すると、殺し合わなければ承知しなかったのである。結局はいかに顕著なる人としての共通点があろうとも、依然として以前の民族は相闘争していたということを見だすのほかないのである。
 この悲惨な状態は、不幸にして現在まで続いた。我々が白人の跋扈と名付けたのも、じつはたんに白人の国の中にばかり、跋扈しうる力のある国があったということを意味づけるだけである。前には班葡蘭英仏、後には白独米などと、要するに一時覇をとなえた一または二の国民のみが、その威力を各方面に振ったまでで、抵抗力のことに弱い擁護者の一人もなかった遠洋島上の土人らほどひどい目に遭っていないが、近隣の国民たちもむしろ大か小か被害者の側に立っているくらいである。たとえば東ヨーロッパのあわれな住民などは、我々の目から見ればひとしく白人だが、有色人をいじめ殺した責任は、他の大国民と分担するわけに行かぬのみか、彼ら自身もまた被害者の中である。

柳田 国男「青年と学問」


2016/12/03

認識の有用性から生存競争の自然淘汰

 賢明にして最も多く論理的に思索する人間は、生存競争においてその競争者に優越する。かかる特質はかくして自然淘汰の一つの基礎となり、それが可能となるかぎり強さをもって種全体の上に拡がるに至るまで、それは高まってゆく。したがって、認識の有用性こそはその支配の基礎である、というのである。仮にこうした考えが正しいとしても、これはここに試みられた考察を代理するものではない。このことは次の二つの点から言われることである。
 けだし、まず第一に、この説は正しい思惟に基づいた行為の有用性を既成の事実として語っているが、われわれはここでは、真と名づけられた認識と高められた生の可能性とのあいだに存在するであろうつながりを、今ようやく探究しようとしているところなのである。この説は、認識の真実性ということを、認識そのものの有用性から原理的に切り離して、認識の一つの独立的な性質として前提しているのであるから、このもっぱら主観的的のみ規定された認識が、いったいどうしてわれわれの現実の存在に有利な行動を基礎づけることができるかという困難は、以前この説にまといついているわけである。したがって、元来認識はまず真でしかるのち有用なのではなく、まず有用でしかるのち真と名づけられるのである。
 第二に、ぜんぜん実践を顧慮せずに純粋に理論的な認識をかち得ることがまず原理的に可能であり、かくしてはじめからかかる認識の獲得が実践の問題となるものと仮定すれば、おそらくまさにそれゆえこそ、あの客観的世界像に基いていかなる行動をなすべきかについては、さらに特別の経験を必要とするであろう。
 理論的に正しいことをあらわすもろもろの行動のあいだに、主観的な行為神経興発がそれに基いて多かれ少なかれ有利に起こり得るような見地から、新たな淘汰が行わなければならない。なぜなら、たとい世界の全体像が、絶対的な経験的な正しさにおいて私の前に拡げられているとしても、私が意志者であるかぎりは、これによって私自身の態度がはじめから決定されることは断じてない。

ゲオルク・ジンメル「芸術哲学」淘汰説と認識論との関係について

2016/12/01

召使いと奴隷は戦争になると軍に編入

 マスリウスが言うには、「クテシクレスの『時事録』によると、前310年頃にデオメトリス(前4-3世紀)がアッティカの人口調査をして、その結果アテナイの人口は2万1000、居留外国人は1万、奴隷は40万だとわかった。クセノポンが『租税論』で述べているように、ニケラトスの子ニキアスは1,000人の奴隷を所有していて、これを鉱山の鉱夫としてトラキアのソシアスに、1人1日オボロスの割で貸した。アリストテレスは『アルギナ人の国制』の中で、アルギナにも47万人の奴隷がいたと言っている。アガルタルキデス(前2世紀)は『エウロパ』の第38巻で、ダルダネイス人は、ある人は1,000人、・・・、ある人はそれ以上の奴隷をかかえていたと言っている。これらの奴隷は、平和時には農業に従事し、戦争になるとそれぞれの主人を隊長として軍に編入された。」
 ローマ人の役人であるラレンシスが言った、「ローマ人もそりゃたいへんな数の奴隷をかかえている。いままったく、ギリシアのお大尽のニキアスじゃないが、一万とか二万とか、あるいはもっとかかえているものがいる。ただ、大方のローマ人は、外出する時いっしょに連れていくんだ。アテナイの方をもって数える奴隷というのは、囚われの身で鉱山で働くわけだろう。さっきから何べんも引き合いに出されている哲学者のポセイドニオスだが、彼によると、アテナイの奴隷たちは反乱を起こし、現場監督を殺し、スニオン岬のアクロポリスを占領し、長い間アッティカを略奪した。これはまさに、シシリー島で第二の奴隷の反乱が起こった時だ。シシリーでは反乱が何度も起きて、百万以上の奴隷が死んでいる。この島のカレ岬出身の弁論家カキリウス(前1世紀)は奴隷戦争を扱った著作を公にした。また剣闘士のスパルタはミトリダス戦争の頃、イタリア人の都市カプアから逃亡して、非常に多くの奴隷たちに反乱を起こさせ(彼自身トラキア出身の奴隷だった)、全イタリアを長期間その渦に巻き込んだ。そして彼のもとへは毎日奴隷が川の流れのように集まってきた。もし彼がリキニウス・クラッススとの戦闘で討ち死にしなかったなら、シシリーのエウヌスの場合のように、わが同胞は大汗をかいたことだろう。

アテナイオス「食卓の賢人たち」