あの人が誰かにそんなことをしてくれるとすれば、そりゃなんかの間違いでやるんです。あれもあれなりに哲学者ですからな。あれは自分のことだけしか考えちゃいない。自分以外の世界のことはあの人にとっちゃ一文の価値もありませんや。娘と女房は好きな時に死ねばいいんで。彼女たちのために鳴らされる教区の鐘が十二度と十七度の音とをいつまでも響かせていさえすれば、なにもかもそれでいいんです。それがあの人にとって幸福なことなんでさあ。これが私が天才というやつのうちでとくに買っている点ですよ。
彼らはただ一つのことにしか役に立たないですることそれから先は、ろくでなしなんだ。市民とか、父親とか、母親とか、友だちとかであることがどんなことだか、彼らにゃわかりゃしません。ここだけの話ですがね、ひとはあらゆる点で彼らに似るようにしなければなりませんな。もっとも天才の種がだれにもあることを望んだってだめです。普通の人間が必要なのです。天才なんかいりませんや。いやまったく、そんなものはちっとも必要じゃない。ところが、地球の表面を変化させるのは彼らなのだ。しかも、どんな些細な事柄についても、人間の馬鹿さかげんはひどく行き渡っていて根強いもんだから、わいわい騒ぎたてなくちゃその改革なんかできっこないのです。彼ら天才の想像したことの一部は実現されていますが、一部は前のとおりです。
ドゥニ・ディドロ「ラモーの甥」
ドゥニ・ディドロ「ラモーの甥」