世の恐るべきは偏理哲学者と、執迷的盲信者なり。彼らはその周囲に何の頓着する所なく、その見る所直ちにこれを語り、その語る所直ちにこれを行わんとす。彼ら自身即ち社会不調和の要素にして、彼らはいかなる時世らおいても、社会不調和の要素にして、彼らは如何なる時世においても、社会の治安と相容と相容されざる厄介物なり。切言すれば彼らは革命の卵子なり。経世家はいからず、時勢を観、人情を察し、如何なる場合においても、調子の外れの事を為さず。その運動予算の外に出でず。その予算成敗の外に出でず。
彼らは恐るべき大力量あるも、殆ど恐るべき運用をなさず。故に恐るべきは、ビイマルクにあらずしてルソーにあり、島津斉彬にあらずにして吉田松陰にあり。彼らはその力量に比較して、ややもすれば大なる出来事の張本人たり。何となればその結果に頓着せずして、その前提よりも奮進すればなり。いわゆる晴天に霹靂を下し、平地に波乱を生じるもの、実に彼らの仕業といわざるを得ず。徳川時代にあにさの人なからんや。
偏理的哲学も、冷酷なる論理のみならば、まだしものことなれども、その一たび宗教的熱気と触るるに至りては、実に甚だ恐るべきものなからず。その時においてもあたかも酒石酸水に重ソーダを投ずるが如く、こつ然として沸騰し来るなり。しこうして、徳川時代における偏理的儒教は、早くも神道と抱合し、尊王攘夷、大義名分、倒幕復古、祭政一致の理想を連互するに至れり。これあに儒教と神道との化合したる鉄案にあらずや。