2017/01/01

婦人は集団的利害で子を戦争の祭壇の犠牲に

 満州で放たれた一発の銃声は、国内の騒音をはたと沈黙させた。とりわけ軍費縮小、軍制改革、二重外交、軍事費の整理縮小等、近来軍部に集中しがちであった批評の声は、たちまちにして暴戻なる支那膺懲、満蒙の権益擁護という、軍部のあげる血なまぐさい突貫の叫びの中に埋もれてしまった。赤字問題も、失業問題も、すべて昨日まで新聞を埋めた記事は、日章旗と銃剣の写真のかげに蔽われた。甲の新聞も、乙の新聞も、日頃の競争と敵意を忘れたかのように同じ報道、同じ主張をかかげている。機関銃の響きは、南満州のみならず、内地の言論機関をもその統制下においたかのごとく見える。そして十五億の投資、百万の在留邦人、三百余りの懸案等の問題を、文字に代って、人々の頭に叩き込む力強いハンマーの役割を演じている。
 戦争防止の力を婦人の平和的本能に求めようとすねお上品な運動もひっきょう平和時代の遊戯にすぎない。婦人は平和を愛し戦争を憎むにしても、その社会的、集団的訓練は、自己の属する社会の共同利害のため、すなわち正義と信ずることのために、自己の私的利害、私的感情を犠牲にするだけに、根強く培われてきている。いつの世、どんな社会にも、戦時における婦人の犠牲的、殉職的態度に見られぬということはない。彼女たちは、正義のために、共同利害のためは、子に傾け尽くすと同じ熱情と感激をもって、その子を戦争の祭壇に捧げて悔いないのである。単純な、本能的な母性愛や平和な家庭生活への執着は、より大きな、集団の共同利害の前には、いつでも犠牲にされるだけの用意がある。

山川菊栄「山川菊栄評論集」