We could only watch the earthly citizen lying and suffering from the wars. It shall also depend on being unable to sympathize with the miserable memory of the wars. We would like to confer the “the earth memory of wars" which the peaceful earth took over from the wars and precious experiences. We will summarize the earth memories of wars for a global citizen spirit who shall be trying to return the war from peace wave. ; earth.nowar@gmail.com ; @Jan / 1/2016 ENW
2017/01/29
2017/01/26
絶対ではなく有限な悟性による戦争の対立
知識と行為の対立もその他のすべての対立と同じである。すなわちそういう対立は、各項がそれだけで絶対的にとらえられず、したがってただ有限な悟性によってのみとらえられる限りにおいてのみ存在するのである。対立がなされる根拠は、知識と行為とのともに不完全な概念の中にあるだけであって、そういうことは知識が行為に対する手段として理解されることによって起こるともいえる。本当に絶対的行為に対しては知識は決して手段という関係にはありえぬ。なぜなら、そういう行為は絶対的である以上、或る知識によって定められはしないのだから。知識においてもそうであるが、その同じ統一は行為においても形成されてそれ自身に根拠をもつ一つの絶対的な世界となる。ここでは現象する行為や現象する知識が問題なのではない。そういうものは各々他に対する対立においてのみ実在性をもつのだから、他とともに生滅する。
上で述べたような知識と行為の絶対的統一の意味を理解しないものたちは、それに反対して次のような俗論をもち出すのである。すなわち、知識と行為とが一であるならば、行為は常に知識から続いて起こらなくてはならぬわけだが、人々はしかし正義やそれに類したことをよく知っていても必ずそのゆえにそれをなすとは限らぬ場合が往々ある、というのである。行為が知識から続いて起らぬという点で彼らは全く正しい。彼らが間違っているのは、ただそういう序列を期待する点にある。彼らは絶対的なものの間の関係を何も理解していない、知識と行為という特殊の各々が、それだけで無制約であり得ることを理解しない、そして一方を目的という点のみ着眼し、他方を手段という点にのみ着眼して、相対者としてしまうのである。
フリードリヒ・シェリング「学問論」
2017/01/24
帝国主義の戦争と投降が人民大衆を圧迫する
帝国主義が、主要な矛盾と主要でない矛盾との関係が複雑な状況を示している半植民地国に対して侵略戦争をおこなっているときには、このような国の内部の各階級は、一部の売国分子をのぞいて、すべて一時的に団結して民族戦争をおこない、帝国主義に反対することができる。そのときには、帝国主義とその国とのあいだの矛盾が主要な矛盾となり、その国の内部の各階級のあいだのすべての矛盾、封建制度と人民大衆との矛盾という主要な矛盾を含めて、いずれも一時的に、第二義的で従属的な地位にさがる。中国の1894年の中日戦争、日清戦争、朝鮮に対する干渉をきっかけとしておこった。敗北した清朝政府は日本と馬関条約を結んだ。1900年の義和団戦争、および当面の中日戦争、1937年7月7日のいわゆる盧溝橋事件にはじまり、8年間続いた。いずれもこのような状況がみられる。
しかし、別の状況のもとでは、諸矛盾の地位に変化が生まれる。帝国主義が戦争によって圧迫するのではなく、政治、経済、文化などの比較的温和な形式によって圧迫するばあいには、半植民地国の支配階級は帝国主義に投降し、両者が同盟を結び、共同して人民大衆を圧迫する。こうした場合には、人民大衆は、しばしば国内戦争の形式をとって、帝国主義と封建階級の同盟とたたかい、そして帝国主義は、しばしば間接的な方式をもって半植民地の反動派が人民を抑圧するのを援助し、直接的な行動をとらない。このような場合には、内部矛盾の特別な鋭さがあらわれてくる。中国の辛亥革命戦争、1924年から1927年までの革命戦争、1927年以後の十年間の土地革命戦争には、いずれもこのような状況がみられる。さらに、半植民地国における各反動集団の間の内戦、たとえば、中国の軍閥戦争も、この部類に属する。
帝国主義が、主要な矛盾と主要でない矛盾との関係が複雑な状況を示している半植民地国に対して侵略戦争をおこなっているときには、このような国の内部の各階級は、一部の売国分子をのぞいて、すべて一時的に団結して民族戦争をおこない、帝国主義に反対することができる。そのときには、帝国主義とその国とのあいだの矛盾が主要な矛盾となり、その国の内部の各階級のあいだのすべての矛盾、封建制度と人民大衆との矛盾という主要な矛盾を含めて、いずれも一時的に、第二義的で従属的な地位にさがる。中国の1894年の中日戦争、日清戦争、朝鮮に対する干渉をきっかけとしておこった。敗北した清朝政府は日本と馬関条約を結んだ。1900年の義和団戦争、および当面の中日戦争、1937年7月7日のいわゆる盧溝橋事件にはじまり、8年間続いた。いずれもこのような状況がみられる。
しかし、別の状況のもとでは、諸矛盾の地位に変化が生まれる。帝国主義が戦争によって圧迫するのではなく、政治、経済、文化などの比較的温和な形式によって圧迫するばあいには、半植民地国の支配階級は帝国主義に投降し、両者が同盟を結び、共同して人民大衆を圧迫する。こうした場合には、人民大衆は、しばしば国内戦争の形式をとって、帝国主義と封建階級の同盟とたたかい、そして帝国主義は、しばしば間接的な方式をもって半植民地の反動派が人民を抑圧するのを援助し、直接的な行動をとらない。このような場合には、内部矛盾の特別な鋭さがあらわれてくる。中国の辛亥革命戦争、1924年から1927年までの革命戦争、1927年以後の十年間の土地革命戦争には、いずれもこのような状況がみられる。さらに、半植民地国における各反動集団の間の内戦、たとえば、中国の軍閥戦争も、この部類に属する。
毛沢東「実践論・矛盾論」
2017/01/21
It was extremely hard for the samurai to advance or retreat by oneself.
先ず、国王・大臣より始め奉りて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は及ぶべ所にあらざれば、十分ならん事難し。さりながら、よくよく、言葉を尋ね、科を求めて、見所の御意見を待つべきか。そのほか、上職の品々、花鳥風月の事態、いかにもいかにも、細かに似すべし。田夫・野人の事に至りては、さのみに細かに、賤しげなる態をば似すべからず。假令、木樵・草刈・炭焼・監汲などの、風情にもなりつべき能をば、細かに似すべきか。それよりなほ精しからん下職ほば、さのみには似すまじきなり。これ上方の御目に見ゆべからず。もし見えば、余りに賤しくて、面白き所有るべからず。このあてがひを、よくよく心得べし。
強気・幽玄・弱き・荒きを知る事、大方は見えたる事なれば、たやすきやうなれども、真実これを知らぬによりて、弱く、荒き為手多し。先づ、一切の物まねに、偽る所にて、荒くも弱くもなると知るべし。よくよく、心底を分けて案じ納むべき事なり。
先づ、弱かるべき事を強くするは、偽りなれば、これ荒きなり。強かべき事に強きは、これ、強きなり。荒きにはあらず。もし。強かるべき事を、幽玄にせんとて、物まねに任せて、その物に成り入りて、偽りなくば、荒くも弱くもあるまじきなり。また、強かるべき理過ぎて強きは、殊さら荒きなり。幽玄の風体よりなほ優しくせんとせば、これ、殊さら弱きなり。この分け目をよくよく見るに、幽玄と強きと別にあるものと心得る故に、迷うなり。
世阿弥「風姿花伝」
2017/01/18
君主の野心や貪欲が市民に戦争を招きよせる
専制君主は彼の臣民に社会の安寧を確保する、というひともあろう。いかにも。しかし、彼の野心が臣民たちに招きよせる戦争や、彼のあくことなき貪欲や、彼の大臣どもの無理難題が、臣民たちの不和がつくり出す以上の苦しみを与えるとしたならば、臣民たちは何のうろところがあろう? もし、この安寧そのものが臣民たちの悲惨の一つであるならば、彼らは何のうるところがあるだろう? ひとは牢獄のなかでも安らかに暮らせる。だからといって、牢獄が快適だといえるか? キクロポスのほら穴に閉じ込められたギリシア人たちは、食い殺される順番がくるまでは、そこで安らかにに暮らしたのである。
一人の人間が、ただで自分の身をあたえるなどというのは、ばかばかしくて想像もつかぬことである。こうした行為は、それをやる人が思慮分別を失っているという、ただそのことだけで、不法な行為なのだ。それとおなじことを人民全体についていうのは、人民を気ちがいとみなすことである。ところで、狂気からは何の権利も生まれない。
自分の自由の放棄、それは人間たる資格、人類の権利ならびに義務さえ放棄することである。何びとにせよ、すべてを放棄する人には、どんなつぐないも与えられない。こうした放棄は、人間の本性と相いれない。そして、意思から自由を全くうばい去ることは、おこないから道徳性を全くうばい去ることである。要するに、約束するとき、一方に絶対の権威をあたえ、他方に無制限の服従を強いるのは、空虚な矛盾した約束なのだ。もし、ある人にすべてを要求しうるとすれば、その人から何の拘束もうけないことは明らかではなかろうか? そして代償もあたえず、交換もしない、というこの条件だけで、その約束行為は無効だということにはなりはしないか? なぜなら、わたしのドレイはわたしにたいして、いかなる権利をもつであろうか? というのは、すべて彼のものはわたしのものであり、また、彼の権利はわたしの権利であるからには、この権利はわたしに対するわたしの権利ということになり、それは何の意味もない言葉だから。
ジャン-ジャク・ルソー「社会契約論」
ジャン-ジャク・ルソー「社会契約論」
2017/01/15
暴君は暴逆で統率し民衆も暴逆を行う
わが身をよく修める根本がでたらめで、末端の国や天下がよく治まっているのは、めったにない。力を入れることを手薄にしながら、手薄でもよいところがりっぱにできているという例は、まずないものだ。つまらない凡人は、一人で人目につかぬ所にいると、悪事をはたらいてどんなことでもやってのける。自分の悪事を隠して善いところを見せようとする。
暴君は、自分で暴逆を行って天下を統率したから、民衆もそれに従って暴逆を行った。君主の命令が君主のほんとうの好みとはうらはらだというときは、そんな命令に民衆はしたがわない。一方的に相手を責めるだけでいて、他人をうまく納得させたという人は、あったためしがない。
根本のことをなおざりにして末端に力を入れたりすると、民衆を利のために争わせて、奪い合いを教えることになる。財物に努めてお上の倉に集めると、民衆の方は貧困になって君主を離れて散り散りになる。道にそむいて手に入れた財貨は、道にそむいて出てゆくものだ。
実利と名声を求め、小手先の技術を説くなど、世を惑わし民くさをたぶらかして仁義の教えをふさぎ止め、雑然といり乱れることになった。小人としての庶民は不幸なことに最高の統治の恩恵を受けることができないようになった。世の中は真っ暗になってふさがり、上下はひっくりかえって死病にとりつかれ、五代の衰世ともなると、世の乱はついに頂点に達した。
曾子・子思「大学・中庸」
2017/01/10
独裁とは権力と利益を熱望する支配欲
独裁とは権力と利益とを熱望する支配欲であると考えられるので、独裁者とはつぎのようなものである。庶民が、だれだれを挙げて執政官の補佐として祭礼の行列を司らしめたものかと協議をしている。その場にでて、その人たちは当然全権をにぎるべきものであると主張する。他のものらが人数は十名ではどうかと申出ると、それに答えて、言う「一名で十分である、ただしその者が真人間でなくてはならぬ」。
ホメロスの詩句のなかでただこの一言だけを覚えている「多数統治は好ましからず、治者は一人たるべし」。その他は皆ご存じない。また得意顔につぎのように口説をもてあそぶ「われわれは結束して自ら之等の事件を審議しなければならない。愚民や市場を遠ざけよ。当路の者につきまとったり、かれらより侮辱や恩顧をうけたりすることを慎めよ」。端然と上衣をまとひ、程よく髪を刈らせ、念入りに爪をつませ、日の頂きをみはからって家をでて次のやうな御託をならべながら、そこらをのしまわる。
「公務に向うて口嘴をはさむのが一体なんのつもりか合点がいかぬ」「あさましいものは民衆である、いつも施す人と与える人との奴隷となっているんだ」大会のときみすぼらしい不潔な者にそばにすわられると気がひけるものだ。
またいう「いつになったら、わしらは公役や兵船用意で破産の憂目をのがれることか」「憎むべきは民塊の一味である。まず最初に民衆の手にかかって殺されたのは、全部の大衆を統御し在来の王権を覆滅したその人であった。」そのほかこのようなことを他国の人々へも、また市民のうちで同気同好の者どもへもいう。
テオフラストス「人さまざま」
2017/01/09
Embedded thoughts and emotions would become internal and external pressure.
我々が未だ意識的にならなかった時、教育という美名の下に有意的に、また無意識的に伝来の思想感情はそのまま、無垢な心に、何等の疑問も選択も、批評も研究もなく無造作に植え付けられた、そこに根を下ろした。社会の風習、常識、世論などと称する肥料は日夜に供給せされ、かくしていつか根ざし深き頑強な幹ある大樹となった。我々は初めその大樹を真の我だと少しも疑わなかった。その時我々は内外に何の的も、圧迫ももたなかった。
しかし、真の我はそういつまでも大樹の下に、僭王の脚下に安眠を貪ってはいなかった。かくの如くして我々の内に、真の我が、新しき生命が醒めたのは実は昨日今日のことではなかった。真王は早く僭王の前に反旗を翻した。内なる新しき者は内なる旧き者に早くも反抗を試みていたのだった。けれど新しきものの芽ぐまんとするとき旧きものは何らかの威厳あるものの如き声音もて「待てよ、待てよ」と常に叫んだ。たまたま固き地盤を破って萌え出た若芽も老木の影にその発育ははかばかしいものではなかった。
ここにおいてか、我々は新しき者よと唱えるその同じ心において、「教えられし言葉そのままくりかえす鸚鵡となりて世にいきむやは」実にこれは悪戦であった。しかもかなり久しい悪戦であった。そして今や我々は内なる敵の征服者、勝利者として現れ出た。
私は今、内なる敵に打ち勝ったといった。内なる圧迫と久しく戦った我々は今や新しき者として更に外なる圧迫を迎えねばならぬ運命に遭遇した。外なる圧迫の到来は内なる圧迫における我々の勝利の証明である。とはいえ内なる圧迫の絶滅は容易なわざではない。被征服者は常に征服者の弱点を狙っている。そして間隙さえ見い出せばいつでもまた頭をもたげようと待ちかまえている。
平塚明「平塚らいてう評論集」『青鞜』3巻6号、1913年6月
2017/01/07
価値判断を排除する集団的感情と宗教的行動
第一に、犯罪学者は、いわゆる「群衆犯罪」の本質について、劇場の観客心理の社会学的研究から多くのものを学ぶことができるであろう。なぜなら。劇場では、集団的衝動的行動の対象がつね明確に決まっていた、この行動が、芸術といういわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとっていわば抽象的な、明確に限定された領域で起こるからである。そのためー責任の問題にとって非常に重要なことであるがー個人が居合わせた多数者によって如何に規定されるか、個人の価値判断や客観的な価値判断が「集団的感動」によって如何に排除されるか、それが他に見られぬほど純粋実験的に、また有無を言わせぬように観察され得るからである。
第二に、宗教学者は、往々、教団の生活、その内部における犠牲的態度を教団の全員に共通な理想への献身ということで説明し、現世の生活の規律を生身の人間の生活を超えた完全な状態への期待ということで説明しようとする。ーつまり、それを宗教的信仰内容の力によるものと見ようとする。しかし、共同の行動や相互間の行動で、これと同じ特徴を示しているということを宗教学者が知ったらーこうした類似は、二つのことを教えるだろう。
その一つは、宗教的行動というのは、宗教的内容とだけ結びついているものではなく、一般的な人間的な形式であって、この形式は超越的な対象において実現されるのみではなく、他の多くの感情に刺激された場合にも全く同様に実現されるものであるということ。もう一つ、宗教学者は、更に重要なこと、即ち、他から独立した宗教生活の中にも、特に宗教的でなく、むしろ社会的な諸要素が含まれているということ、つまり、ある種の相互的な態度や行為が含まれているということである。こういう態度や行為が宗教的感情と融合して発達して来たことは確かである。
ゲオルク・ジンメル「社会学の根本問題ー個人と社会ー」
2017/01/05
戦争の一原因は社会制度と個人の心理にある
こうしたさまざまな不幸の原因は、一部は社会制度の中に、一部は個人の心理の中にあるーもちろん、個人の心理は、それ自体、多分に社会制度の所産であ。私は、以前、幸福を増進するために必要な、社会制度の改革について書いたことがある。戦争、経済的な搾取、残酷さや恐怖をたたき込む教育、これらの廃止について本書で語るつもりは、私にはない。戦争を回避する方法を発見することは、私たちの分明にとって絶対的には必要である。しかし、人々が不幸なあまりに、一日一日を耐えて生きつづけていくよりも互いに殺戮しあうほうが恐ろしくないと思われるようである間は、そういう方法が見つかる見込みはない。
機械生産の恩恵に、それを最も必要とする人びとが少しでもあずかれるようにするためには、貧困の恒常化を避けなければならない。しかし、金持ち自身が不幸であるとしたら、万人を金持ちにしたって、なんの足しになるだろうか。残酷さや恐怖をたたみ込む教育はよくないが、自らこういう情念のとりこになっている人たちからは、それ以外の教育を期待することはできない。このように考えてくると、いきおい、個人の問題に突き当たる。つまり古きよき日をなつかしむだけの今日の社会の只中にあって、男性や女性は、いつまでここで幸福を勝つ取るために何ができるか、ということだ。
こうした不幸は、大部分、まちがった世界観、まちがった道徳、まちがった生活習慣によるもので、ために、人間であれ動物であれ、結局はその幸福のすべてがかかっている。実現可能な事柄に対するあの自然な熱意と欲望が打ち砕かれてしまうのである。こういうことは個人の力でなんとかなる事柄である。そこで、私は、人並みの幸運さえあれば、個人の幸福がかつ得られるような改革を示唆したいと思うのである。
バートランド・ラッセル「ラッセルの幸福論」
2017/01/03
乏しい教育と識見が他力に任せる
職人らの多くは辛抱強く年期奉公を経て、腕を磨いてきた工人たちであります。その腕前には並ならぬ修行が控えています。どんなに平凡に見えても、誰にでもすぐ出来る技ではありません。それに仕事を疎かにしないのは、職人の気質でさえありました。
それ故に職人らにも仕事への誇りがあるのであります。ですが自分の名を誇ろうとするのではなく、正しい品物を作ることに、もっと誇りがあるのであります。いわば品物が主で自分は従なのであります。それ故一々名を残そうとは企てません。こういう気持ちこそは、もっと尊んでよいことではないでしょうか。実に多くの職人たちは、其の名を留めずににこの世を去ってゆきます。しかし職人らが親切に拵えた品物の中に、職人らがこの世に活きていた意味を宿ります。職人らは品物で勝負をしているのであります。物で残ろうとするので、名を残ろうとするのではありません。
職人らの多くは教育も乏しく、識見も有たない人たちでありましょう。しかし正直な人であり信仰の人であることは出来たのであります。自分独りでし力が乏しかったとしても、祖先の経験や智慧に助けられて、力のある仕事が為し得たのであります。伝統への従順さは職人らの仕事を確実なものにしました。職人らがもし自分の力のみに頼って歩いたなら、きっと踏みはずしたり、つまずいたりしたでありましょう。ですが他力に任せた時、丁度帆一ぱいに風をはらんで滑らかに走る船のように安全に港に入ることが出来たのであります。
柳 宗悦「手仕事の日本」
2017/01/01
婦人は集団的利害で子を戦争の祭壇の犠牲に
満州で放たれた一発の銃声は、国内の騒音をはたと沈黙させた。とりわけ軍費縮小、軍制改革、二重外交、軍事費の整理縮小等、近来軍部に集中しがちであった批評の声は、たちまちにして暴戻なる支那膺懲、満蒙の権益擁護という、軍部のあげる血なまぐさい突貫の叫びの中に埋もれてしまった。赤字問題も、失業問題も、すべて昨日まで新聞を埋めた記事は、日章旗と銃剣の写真のかげに蔽われた。甲の新聞も、乙の新聞も、日頃の競争と敵意を忘れたかのように同じ報道、同じ主張をかかげている。機関銃の響きは、南満州のみならず、内地の言論機関をもその統制下においたかのごとく見える。そして十五億の投資、百万の在留邦人、三百余りの懸案等の問題を、文字に代って、人々の頭に叩き込む力強いハンマーの役割を演じている。
戦争防止の力を婦人の平和的本能に求めようとすねお上品な運動もひっきょう平和時代の遊戯にすぎない。婦人は平和を愛し戦争を憎むにしても、その社会的、集団的訓練は、自己の属する社会の共同利害のため、すなわち正義と信ずることのために、自己の私的利害、私的感情を犠牲にするだけに、根強く培われてきている。いつの世、どんな社会にも、戦時における婦人の犠牲的、殉職的態度に見られぬということはない。彼女たちは、正義のために、共同利害のためは、子に傾け尽くすと同じ熱情と感激をもって、その子を戦争の祭壇に捧げて悔いないのである。単純な、本能的な母性愛や平和な家庭生活への執着は、より大きな、集団の共同利害の前には、いつでも犠牲にされるだけの用意がある。
山川菊栄「山川菊栄評論集」
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