Earth No War NGO (ENWN) : Fiction
We could only watch the earthly citizen lying and suffering from the wars. It shall also depend on being unable to sympathize with the miserable memory of the wars. We would like to confer the “the earth memory of wars" which the peaceful earth took over from the wars and precious experiences. We will summarize the earth memories of wars for a global citizen spirit who shall be trying to return the war from peace wave. ; earth.nowar@gmail.com ; @Jan / 1/2016 ENW
2018/03/11
2018/02/27
Hunger increased to one day a day. There were only small pots to excrete. This was only the civilization from the Third Reich.
死刑囚の独房にて。昼夜わたしは手錠はめられており、はずされるのは食事の時間中だけだ。裸ガラスの窓越しに、冬の凍るような風が吹いてくる。独房の暖房は数時間だけ入る。一日中の室温は最高で10度である。身体は全力をつくして寒さに抵抗している。だが無駄だ。カロリーが不足し、上が腸を痛めつける。いつも飢えが腸を痛めつける。いつも飢え、いつも寒い。わら蒲団のうえに毛布一枚で、夜はもっとひどい。おまえは胎児のように縮こまって、頭に毛布をかぶり、自分の息で少しばかりの熱を得ようと努める。朝おまえが起きるしときには、凍りついている。そして少しばかりのコーヒーで暖まりたいと思うのだ。いつもお前は寒さをおぼえている。乾いたパンの皮は歯のくぼみに入る程度だ。夕食と昼食は絶対的に不足している。飢えは日一日と増してくる。おまえの用を足すためには、小さな壺がある。これが第三帝国における文明なのだ。
ルドルフ・ザイフェルト(妻へ、ブランデンブルグの獄舎、1945年1月)「若き死者たちの叫びーヨーロッパレジスタンスの手紙」(J・ピレッツ編)教養文庫
2018/02/24
Why do people do war? The most important thing for the League of Nations.
アインシュタイン
人間を戦争というくびきか解き放つことはできるのか?
なぜ少人数の人たちがおびただしい数の国民を動かし、彼らを自分たちの欲望の道具にすることができるのか? 戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望を手に貸すような真似をするのか?
人間には本能的な欲望が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が?破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのは、それほど難しくはないと思われす。多くの人が破壊への衝動にたやすく身を委ねてしまうのではないでしょうか。
フロイト
人と人のあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。だだ、人間の場合、意見の対立というものも生じます。ですから、暴力以外の新たな解決策が求められてきます。
敵を徹底的に倒すには、どうすればよいでしょうか。暴力を使い、敵が二度と立ち向かってこられないようにすればよいのです。そう、敵を殺せばよいのです。
破壊活動に理想の欲動やエロス敵なものへの欲望が結びつけば、当然、破壊活動を満たしやすくなります。過去の残酷な行為を見ると、理想を求めるという動機は、残虐な欲望を満たすための口実にすぎないのではないかという印象を拭い切れません。
アインシュタイン
人間を戦争というくびきか解き放つことはできるのか?
なぜ少人数の人たちがおびただしい数の国民を動かし、彼らを自分たちの欲望の道具にすることができるのか? 戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望を手に貸すような真似をするのか?
人間には本能的な欲望が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が?破壊への衝動は通常のときには心の奥深くに眠っています。特別な事件が起きたときだけ、表に顔を出すのです。とはいえ、この衝動を呼び覚ますのは、それほど難しくはないと思われす。多くの人が破壊への衝動にたやすく身を委ねてしまうのではないでしょうか。
フロイト
人と人のあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。だだ、人間の場合、意見の対立というものも生じます。ですから、暴力以外の新たな解決策が求められてきます。
敵を徹底的に倒すには、どうすればよいでしょうか。暴力を使い、敵が二度と立ち向かってこられないようにすればよいのです。そう、敵を殺せばよいのです。
破壊活動に理想の欲動やエロス敵なものへの欲望が結びつけば、当然、破壊活動を満たしやすくなります。過去の残酷な行為を見ると、理想を求めるという動機は、残虐な欲望を満たすための口実にすぎないのではないかという印象を拭い切れません。
アルベルト・アインシュタイン、ジークムント・フロイト「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術文庫) 国際連盟からの書簡 1932年
2018/02/18
It shall not belong to any system and must control all human knowledge that a philosophical spirit is everywhere. i.
私は実験学者としては哲学体系を避けている。しかしそのために哲学的精神までも排斥することはできない。この哲学的精神はいたるところにあって、いかなる体系にも属することなく、単に一切の科学のみならず、また一切の人知を支配しなければならぬものである。私が哲学的体系からは全く遠ざかりつつ、しかも哲学者を大いに愛好し、彼らとの交際において無限の愉悦を味わっている理由はこれである。実際また科学的見地から見ても、哲学というものは未知の事象を認識しようとする人間理性の永遠の憧憬をあらわしている。それ故に哲学者はつねに異説粉々たる問題とか、科学の高尚な部分、上級の限界などとかに関係している。そしてそこから科学的思想に向って、これを活気づけ、高尚にするような運動を伝える。哲学者はまた、一般的の知的訓練によって精神を涵養しつつ強壮にし、それと同時に、到底説きつくすことのできないような大問題の解決に、精神を絶えず接触させているのである。このようにして哲学者は、未知に対する一種の飢渇、或いは研究の聖火ー学者にあってはこれが決して消えてはならないーを維持している。
クロード・ベルナール 「実験医学序説」(実験医学はいかなる医学の学派にも哲学の体系にも属さない)
2018/02/11
As politicians disregarded the virtues of moderation and justice, they made their nation the uncomfortably full with the foolish thing.
つまり、人びとが欲しがっていたもので、もてなしたなら、人びとにご馳走をした連中、その連中を君は褒めそやしているのだ。また、人びとのほうは、この連中が国家を大きくしたのだと言っているが、事実はしかし、あの昔の政治家たちのせいで、国家はむくんでふくれ上り、内部は膿み腐っているのだということに、気がつかないでいるのだ。なぜなら、あの昔の政治家たちは、節制や正義の徳を無視して、港湾だとか船渠だとか、城壁だとかとか貢租だとか、そういった愚にもつかぬもので国家を腹いっぱいにしてしまったからなのだ。だからあとで、あのいま言われたような病気の発作が起った場合には、人びとはその責任を、ちょうどその時時傍にいて忠告する人たちに負わせて、この災難の責任者のほうは、これを褒めそやかすであろう。そこで、要心しないと、人びとは君に向かって攻撃してくるかもしれないのだ。人びとが新たに獲得したものだけでなく、最初から持っていたものまでも、その上に失うようなことになった場合にはだよ。君にしても、その災難の真の責任者ではなくて、おそらくは副次的な責任があるだけだろうにね。
プラトン「ゴルキグアス」
2018/02/10
At the last moment, you shall tend to think about the whole lifetime passed, as if it were a different mistake, or terribly sad.
あなたは、自分が夕方まで行き着けまい、と思い見なさい。また夕べが来たならば、あしたまでの生を約束されているなど、敢えて思ってはならない。それゆえ、いつも用意を怠らずに、死に不意打ちを食わされぬような生き方をしなさい(ルカ・21の36)。不意に、また予期せぬ時に、死ぬものが多い。なぜかというと、「思いがけない時分に人の子は来るだろう」から(マタイ・24の44)。この最後の時が来た折には、あなたは時分の過ぎ去った全生涯を(今とは)まるで違った風に考え始めて、ひどく悲しむだろう、時分がそれほど怠慢で、だらしがなかったことを。
ああ、愚かな人よ、どうして長く生きてゆけると考えるのか、一日として確かなは持てないものを。どれほど多数の人々が、長く生きてゆけると思っていたのに、その望みを奪われたことか、思いかけずに現身を引き離されて。いくたびにあなたはこういうのをきいただろう。あの男は刀で殺された、彼奴は溺れて死んだ、彼奴は高い所から落ちて頸を折った。彼奴は食事をしながら固くなった。彼奴は遊びながら往生したなど。火で死んだ者、刃物で死んだ者、疫病で死んだ者、盗賊に殺された者などとりどりである。そして万人の行きつくところは死であり、人間のいのちは影のようにたちまち移りゆくのである(ヨブ・14の20)。
トマス・ア・ケンピス (第23章 死の瞑想について)「キリストにならいて」
あなたは、自分が夕方まで行き着けまい、と思い見なさい。また夕べが来たならば、あしたまでの生を約束されているなど、敢えて思ってはならない。それゆえ、いつも用意を怠らずに、死に不意打ちを食わされぬような生き方をしなさい(ルカ・21の36)。不意に、また予期せぬ時に、死ぬものが多い。なぜかというと、「思いがけない時分に人の子は来るだろう」から(マタイ・24の44)。この最後の時が来た折には、あなたは時分の過ぎ去った全生涯を(今とは)まるで違った風に考え始めて、ひどく悲しむだろう、時分がそれほど怠慢で、だらしがなかったことを。
ああ、愚かな人よ、どうして長く生きてゆけると考えるのか、一日として確かなは持てないものを。どれほど多数の人々が、長く生きてゆけると思っていたのに、その望みを奪われたことか、思いかけずに現身を引き離されて。いくたびにあなたはこういうのをきいただろう。あの男は刀で殺された、彼奴は溺れて死んだ、彼奴は高い所から落ちて頸を折った。彼奴は食事をしながら固くなった。彼奴は遊びながら往生したなど。火で死んだ者、刃物で死んだ者、疫病で死んだ者、盗賊に殺された者などとりどりである。そして万人の行きつくところは死であり、人間のいのちは影のようにたちまち移りゆくのである(ヨブ・14の20)。
トマス・ア・ケンピス (第23章 死の瞑想について)「キリストにならいて」
2018/02/08
Hosting the Buddhist Festival, with lanterns and thoughts of transcendence, the temples sorrowed deeply into darkness, finished those who could go to their heavens.
盂蘭盆会
中元の日各寺院では、盂蘭盆会を催し、燈をともし経文を念じ、幽冥に沈倫して、極楽に行くことの出来ない者を済度する。仏典を見るに、「日蓮は彼の母が餓鬼の中に生まれ返って食べることが出来ないので、釈尊は盂蘭盆会を7月15日に催さしめ、五味百果を盆中に盛り、普く十万の大徳寺を供養し、而る後に日蓮の母にも食を得さしめた。そこで日蓮が釈尊に向ひ「凡て仏弟子の中で親孝行は盂蘭盆会の供養を行わなければなりますまい」と申上げると、釈尊は「大いに善」と答えた。それで後世にこれに従うのだ」と記して居る。又「釋氏要覧」には盂蘭盆とは乃ち天竺の国語で、支那語では倒懸の苦を解き救うという意味だ。今の人人が盆を設へて供物するのは誤りである。
清敦崇「北京年中行事記」
盂蘭盆会
中元の日各寺院では、盂蘭盆会を催し、燈をともし経文を念じ、幽冥に沈倫して、極楽に行くことの出来ない者を済度する。仏典を見るに、「日蓮は彼の母が餓鬼の中に生まれ返って食べることが出来ないので、釈尊は盂蘭盆会を7月15日に催さしめ、五味百果を盆中に盛り、普く十万の大徳寺を供養し、而る後に日蓮の母にも食を得さしめた。そこで日蓮が釈尊に向ひ「凡て仏弟子の中で親孝行は盂蘭盆会の供養を行わなければなりますまい」と申上げると、釈尊は「大いに善」と答えた。それで後世にこれに従うのだ」と記して居る。又「釋氏要覧」には盂蘭盆とは乃ち天竺の国語で、支那語では倒懸の苦を解き救うという意味だ。今の人人が盆を設へて供物するのは誤りである。
清敦崇「北京年中行事記」
2018/01/29
2018/01/28
Because a tragedy shall be a reproduction of the personel actions, a visual decorations must be a component of the tragedy.
悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の再現であり、快い効果をあたえる言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによって行われ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化を達成するのである。ここで快い効果をあたえる言葉とは、リズムと音曲をもった言葉のことを、それぞれの媒体を別々に用いるというのは、作品のある部分は韻律のみによって、他の部分はこれに反し歌曲によって仕上げることを意味する。
悲劇では行為する人々が再現をおこなうのであるから、まず視覚的装飾が悲劇を構成する要素の一つでなければならない。つぎに歌曲と語法が悲劇の要素としてあげられる。なぜなら、これらを媒体として再現がおこなわれるからである。ただしここで語法というのは、言葉を韻律にあわせて組みたてることだけを意味する。
悲劇は行為の再現であれ、行為は行為する人々によってなされるが、これらの者は性格と思想においてなんらかの性質をもっていなければならない。というのは、性格と思想によって行為もまたなんらかの性質をもつとわたしたちはいうのでありー行為には、おのずから思想と性格という二つの原因がある。ーそしてすべの人々は、このような行為に応じて、成功したり失敗したりするのである。
詩人の仕事は、すでに起こった断る語ることではく、起こりうることを、すなわち、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方が起こる可能性のあることを、語るこどある。歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異があるからである。したがって、試作は歴にくらべてより哲学的であり、より深い意義をもつものである。といのは詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別なことを語るからである。
アリストテレス(悲劇の定義と悲劇の構成要素について)「詩学」
2018/01/21
The grounds cultivated by the slaves can not survive in the great society.
「奴隷による耕作は大なる社会においては存続することはできない。」
かくして人が互いに集まって大なる社会を構成するとき、新たにに加わる奴隷は耕作によって生じる消費に応じきれなくなる。しかして、人は家畜を用いて人間労働を補うけれども、漸次奴隷による土地耕作は不可能となる時代が来る。これ奴隷使用は家内の用務のためにのみ限られ、結局それは消滅するに至る。なぜなら、国家の文明が進むに従い、国家は戦争による捕虜を互いに返す協約を結ぶからである。かかる協約は、各国人が奴隷に陥る危険から遠ざかることに大なる利益をもつだけ、それだけ容易に締結される。
アンヌ・ロベール・ジャック・チュルゴオ「冨に関する省察」(白)
2018/01/14
With the increase of bills more than usual distribution, production easely became larger during the war, but it increased the stagnation and low prices after recovery of peace.
金紙の開き以上に出る通貨の価値変動が、どの程度までイングランド銀行正貨支払い制度条例および正貨支払い制度への復帰に帰せられかは、なかなか容易にはいえない。紙幣は金と平価を維持していたのであるが、通貨が前戦時下ではなはだしく下落し、平和回復に伴う諸事情のもとではなはだしく騰貴しているであろうということ、これにはすこしも疑うわけにはいかない。金と平価で流通する以上に出る紙幣の増加によって、戦時中生産が容易となり、劣った土地が容易に耕作に付されたので、それが平和回復後の滞貨と低物価を増すようになったことが、おそらく唯一の差異であったろう。
けれじも平和回復後の土地所有者に対する重圧がどんなであったろうと、公債所有者を犠牲にして償いをもとめようとする試みに対しては、土地所有者にはいささかの弁解もなりたたない。運はめぐりあわせであるから、あらゆる党派は公明正大に振舞うべきである。どんな階級の人でも、不正な恥ずべき手段を講じて、他をおとしいれ、自己の繁栄をはかろうとするのでは、正しいとはされない。とりわけわが国の土地所有者たちは、こんな手段を考えおよんではならない。今日どんな迷惑をこうむっていようと、かれらは、疑いもなく、自分たちの苦境を救ってもらう権利があると考えている当の人たちにくらべると、はるかに大きく通貨の価値変動の利益に均霑してきたからである。
トマス・ロバート・マルサス「価値尺度論」(白)
トマス・ロバート・マルサス「価値尺度論」(白)
2018/01/07
A rude child was baked with a trowel and was starved to be deadth by being forced to contribute by bread for a donkey.
植民者はもっと大きな犯罪の罰として、監獄船に乗せられていた。友人こそ、この男を絞首台へ連れていった有り難い人であった。この小暴君ネロは、自分に無礼をしたという子供に、真赤に焼けた壁土を貼るコテをもって真実に焼印をつけたり、若驢馬を飼うために、我々の食用のパンを半分づつ出せと寄与を強要して、我々四十人をほとんど餓死させたのである。その驢馬というのは、一寸信じられない話であるが、情婦であった保姆の娘に黙認してもらって、そっと連れ込んで来て、監房と言われた寄宿舎の鉛板の屋根の上に飼っておいたのである。この慰みは一週間以上も続いたが、この馬鹿な獣類、自分の幸運を黙っていることができず、落ち着いて己を制していることができたら、カリギュラの馬よりも、幸福であったろうにー物語にあるその同類の何れかよりも、ああ更に愚かにもー飽食して得意になり、蹴散したりして、不幸にもある時、思わず下界に向かって声を挙げて、自分の幸運を呼ばずにはいられなくなった。それで一生懸命、その一つと調子の喉をしぼって、もう隠し仰せぬような角笛の一声を吹き立てたのである。一種の情状酌量が加えられ、驢馬の保護者がその折どんな咎めを受けたか、それは知らない。
チャールズ・ラム著 (クライスツ ホスピタル (三十五年前の) )「エリス随筆集」
2018/01/06
Even if a people is already born with human beings, no matter how talented, old-fashioned, knowledgeable, heavenly or dry, it is impossible to leave a people's boundary.
すでに人間と生まれたからには、いかに才能、古今にすぐれ、識見、天地をきわめつくそうとも、人の境界を出ることはできない。そうであるからには、学ぶのも身を修めるのもすべて、人事のためです。それゆえ、内にあっても、外に出ても、貴は君公の位にあろうと、賤は奴婢早隷にいたろうと、ただもう人の間のことですから、ただ孝悌、忠信、礼儀、廉恥の間のことなのです。もし、道というものをこの人の外に立て、人事に害をなすならば、それは人の世、どこにいこうとも、非でありましょう。つまるところ、民衆を安んずるより大いなる道はなく、民衆を利するよりすぐれたる功はありません。そこで、上は一人から下は民衆にいたるまで、その身分に差等はあっても、天の生生の徳にならい、天物をそこなわず、人それぞれが造化を助けようと心がけるなら、天地の大徳に背かないですむのではありますまいか。人は生まれるとすでに早く各己の天地を有し、おのおのの混倫の体を立ておのおのの鬱勃の神を活かしています。人間とはそのようなものですから、人間あいての政治にあってはときに権謀術数をもって民衆を御するなりゆきにもなります。しかし制御するにしても、もしそのやり方に徳を失すれば民衆は粥のようににえたぎって、その権謀も用をなさなくなります。それぞれの心の鬱勃、それぞれの身の混倫と、同じものをもちながらそれぞれ異なったものを同居させている。これが人間です。
三浦 梅園 (人使然の世界)「自然哲学論集」
2018/01/01
People shall interpret their culture as only the meaning of collective movement, but not their wars as immorality into culture.
文化の概念をあまりに狭く局限された一群の諸客体だけに限る諸規定を取り扱わねばならない。文化なる語が多くの人々に対してむしろ不快な副次的意味を多分生じて来たからのことであって、この副次的意味から、文化科学なる用語の嫌悪されるわけが判然するであろう。私はもちろん科学とは何の関係もない文化闘争や倫理教化運動のような複合語のことを言うのではない、且つまた「文化」を集団運動の意味のみに解しようとしたり、昔の戦争を「不道徳」として文化の中へ数えまいとしたりする、一部の方面からなされた言葉の濫用に、この語の使用の嫌われる所以があると考えるのでもない。私はむしろ、世間一般にあれほど人気のある「文化史」なる概念と特に結びついている思想を眼中に置いているのである。いわゆる文化史なる学問と、例えば政治史との間に立てられた対立と我々のいう文化の概念とは全く無関係にしておかれなくてはならぬからである。我々の規定によれば、一方において国家は全く国民経済や芸術と同様に一個の文化財であるが、誰も直ちに国家生活と同一視することもできぬ。が他方においてはまた、文化生活を直ちに国家生活と同一視することもできぬ。
ハインリッヒ・リッケルト「文化科学と自然科学」
2017/12/31
Even a religion makes a human perfect paths, so it can only assimilate ourselves to Kokutai and refuse a human not to be assimilated.
近頃神社において戦勝祈祷などを行ったことについて、キリスト教側のものから、宮内省に反抗的の建言書を提出したということだ。趣旨は神社をもって常々宗教以外だといっていながら、戦勝祈祷の如き宗教的形式のことを、ここに行うのは不都合だという意味であるような。これについて、我らも考を定めて置かねばならぬ。予の考では、我国において神を祭り、神を念ずるのは、つまり祖先の霊に対して同情を求めるのである。つなわち物質的の効験があると思惟するがためではない。ちょうど我々友人同士が、何か苦痛や心配のある時、話し合って慰籍を得ることがあるのと同一である。しからば、我国においては、一番勢力(エネルギー)を蓄積された皇室、その皇室の祖神に向かって祭祀もし、祈念するのは当然ではないか。今後世の中が進歩すると、信神ということは神の同情を求めることに帰着するよ。要するに、いかなる宗教でも、人間の道を完全にしようとするのだから、これが悪い、あれが悪いとは言わぬ。唯我国が国体に同化すれば良い。同化しえないものは斥けるより仕方がない。
大正3年「杉浦重剛座談録」
近頃神社において戦勝祈祷などを行ったことについて、キリスト教側のものから、宮内省に反抗的の建言書を提出したということだ。趣旨は神社をもって常々宗教以外だといっていながら、戦勝祈祷の如き宗教的形式のことを、ここに行うのは不都合だという意味であるような。これについて、我らも考を定めて置かねばならぬ。予の考では、我国において神を祭り、神を念ずるのは、つまり祖先の霊に対して同情を求めるのである。つなわち物質的の効験があると思惟するがためではない。ちょうど我々友人同士が、何か苦痛や心配のある時、話し合って慰籍を得ることがあるのと同一である。しからば、我国においては、一番勢力(エネルギー)を蓄積された皇室、その皇室の祖神に向かって祭祀もし、祈念するのは当然ではないか。今後世の中が進歩すると、信神ということは神の同情を求めることに帰着するよ。要するに、いかなる宗教でも、人間の道を完全にしようとするのだから、これが悪い、あれが悪いとは言わぬ。唯我国が国体に同化すれば良い。同化しえないものは斥けるより仕方がない。
大正3年「杉浦重剛座談録」
2017/12/30
The customs shall give victors any freedom to achieve extraordinary any things and even allows them to receive praise.
実際人は次のようなことを熟慮すべきである。明らさまに愛するのはひそかに愛するよりも美しく、しかももっとも高貴にもっとも優秀な者をーたとい彼が他のものよりは顔貌が醜いにせよー愛するのは特に美しいといわれていることを。さらにまた、万人が恋する者に与うる異常なるーしかも何か醜悪な行いのあった者には決して与えられぬごときー鼓舞を。かつ恋愛における成功は誉とせられるが、その不成功は恥辱とせられる。慣習はさらにまたその勝利者となるためならば異常事を行うあらゆる自由を愛者に与え、しかもそれに対して賞賛を受けることすら許している。ところがこの行為は、もし誰かが何かこれ以外の目的を追求して、これを達成するためにあえて為したとすれば、フィロソフィヤから非常に手厳しい非難を招かずにはいられぬ種類のものなのである。
プラトン「饗宴」
2017/12/29
When the woods and trees rub against each other, the fires start to burn, which melt the metals and flow out them.
木と木とが摩擦しあうと、火が出て燃えあがり、金属と火とをいっしょにしておくと溶けて流れ出す。陰の気と陽の気とがその運動を乱すと、天地が変動して、ここに雷鳴がとどろき稲妻が走る。木のなかに火が生まれて、そこで槐の大木も焚けおちる。ひどい心配ごとがあると、内外両面ともに悪くなってのがれようもなく、落ちつきなく気づかいをするばかりで安らぎも得られず、心はまるで天地のあいだで宙づりになったようである。沈鬱な混乱のなかで利害の情がせめぎあうと、体内の熱は火となっていよいよ燃えさかり、人々はそのために本来の和気を焚きつくしてしまう。陰性の月はもちろん火には勝てないものでだ。こうして、崩れ落ちるようにして体内の真実の道はつき果ててしまうことになるのだ。
第26 外物編「荘子」第四編 (雑編)
2017/11/29
The reason itself respects the prejudices and customs sacred by the experiences of human race.
一体我々の祖先たちの事を知り、これを記録に留めようという欲求が、一般に極めて盛な所を見ると、これはきっと人々の精神に対する或る共通原理から来ているに違いない。我々は、何だか自分自身が我々の先祖として生きていたような気持ちになり、この理想の寿命を少しでも長いものにしようとして、虚栄心が骨を折り且つやがて満足するのである。我々の想像力は、自然が我々を閉じ籠めた狭隘な世界を拡大しようと絶えず活動している。普通一人の人間には五十年乃至百年が許されるに過ぎないが、我々は一面宗教や哲学の教える希望によって死を超越し、他面我々の生を創り出した先祖と結びつくことによって我々の誕生以前に在る沈黙の空虚を充実させる。古い優れた家系に就いての矜恃というものは、もっと冷静な批判をこれに加えたところで、幾分和らげられるに留り決して抑圧されない。よし風刺文学者が嗤笑し、哲学者が説教しようとも、人類の経験によって神聖にされた諸々の偏見や習慣を、「理性」そのものが尊敬するのである。自分が内心ひそかにあやかりたいと思っている強味を他人が持っている時、本心からこれを軽蔑し得る人は極く辛である。遠い昔からの我一門に就いて知っているということは、誰にも彼にも出来るものではないから、抽象的に立派なものとしていつも尊敬されるであろうが、百姓や職工の系図がどんなに長く続いていてもその子孫の矜恃に大した満足を与えはせぬであろう。我々は祖先を発見したいと思うが、而も彼等が裕かな財産を持ち、誉高い称号に飾られ、世襲貴族の階級に於て高位に在る所を発見したいと願う。而もこの階級を人々は、地球上の殆ど凡ゆる風土を通じ、又殆ど凡ゆる種類の政治社会に於て、最も賢明且つ有益な目的から、保存して来ているのである。
エドワード・ギボン「ギボン自叙伝 ー 我が生涯と著作との思い出 ー」
2017/11/26
Instead of seeking vainly fortune from destruction or receiving wellness from others, you shoud train Budism as much as possible to be alive according to your citizens.
答えて云く、但夫れ衲子の行履、佛祖の家風を学ぶべし。三國ことなりといへども真実学道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を学すべきなり。佛の言く、衣鉢の外は寸分の貯へざれ、乞食の余分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け来るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。外典に云く、朝に道を聞いて夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒へ死すとも、一日一時なりとも佛教に随ふべし。万劫千生、幾回か生じ幾度死せん。皆な是れ世縁妄執の故へなり。今生一度佛制に随て餓死せん、是れ永劫の安楽なるべし。いかに況や未だ一大蔵教の中にも三國伝来の佛祖、一人も飢へ死にし寒へ死にたる人ありときかず。世間衣糧の資具の生得の命分ありて求に依ても来らず、求ざれども来らざるにも非ず。只任運にして心に挟むこと莫れ。末法なりと謂ふて今生に道心発さずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只随分に学道すべきなり。外典に云く、西施毛嬌にあらざれども色を好む者は色を好む、飛兎縁耳に非ざれども馬を好む者は馬を好む、龍肝鳳髄にあらざれども味を好む者は味を好む。只随の賢を用るのみなり。俗なを此の叢林、人天の供養絶へず。如来神通の福徳自在なるも、馬麦を食して夏を過しましましき。末法の弟子、豈に是を慕はざらんや。
問て云く、破戒にして虚く人夫の供養を受け、無道心にして徒に如来の福分を費やさんより、在家人に随ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんことを如何ん。
懐 奘「正法眼臓随聞記」
2017/11/25
The kingdom where the sun came up conveied all things within voices, but the kingdom that dropped down signed the traces.
これの日いづる國はいつらのこゑのままにことをなして、よろづの事をくち豆からいひ伝へるくに也、それの日さかる國は万づの事にかたを書てしるしとする國也、かれの日の入國はいつらばかりのこゑにかたを書て、万づの事にわたし用いる國也、かかるに此くににのみかたを用ざるを疑ふ人あるはいまだしかりけり、なぞといはば、日放る國人は巧みなる事を好むより、言もおのづから一こゑのちに多きことわりのこもれれば、かたなくはことゆかじ、されども千よろずの声に繪を作れるはうたてあり、日の入國はこまやかなる思ひかねを好むからに、事も音も従ひてさはなれば、こもかたを用めり、されどもただいつらばかりの音のかたもて万づにうつしゃるべくせしは、こまやけく思い兼たる也、これの日出る國はしも、人の心なほかれば事少く言もしたがひてすくなし、事も言も少なければ惑ふこともなく忘るる時なし、故天つちのおのづからなるいつらの音のみにしてたれり、なぞも人の作れるかたを待てものをなさめや、しか有を此いつらの音をつらねいふは、日の入国にならへりといふ人有こそうこなれ、此國の古へ人こととはざらんや、こととふは天地のちちははの教え也、かれしらずしらず此いつらの音もあるめり、且しか思ふ人は時代をも思はず、おのが國のふることをしらで、他の國の事をなまなまに聞いていへる也。
加茂 真淵 ( 語意 ひとつ )「語意・書意」
加茂 真淵 ( 語意 ひとつ )「語意・書意」
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